崩れ落ちたジュディと、それを受け止めた阿片畑と、それらを見つめていたキースを軸にして、
ジェフリーとヴェニスは対峙していた。
昂然と顔を上げ、一人で銃を掲げて剃刀色の眼で弟を見るジェフリーには、一片の曇りもない。
己の真を心の底から信じ切っているのだ。保安官時代から、そういうふうに生きてきたのだろう。
対するヴェニスはと言えば、その背後にならず者やらなんやら、とにかくこの町の人間を引き連
れていた。右には保安官助手であるエリックが、そして左には金で魂を売り払ったサンダウンが。
彼らを引き連れるヴェニスは、兄を酷く面倒な物を見るかのような視線で眺めやっている。
ジェフリーもヴェニスも、賞金稼ぎが嫌いだとキースは聞いていた。
けれども、実際のところはジェフリーは清廉な意味で賞金首を嫌っていたのに対し、弟であるジ
ェフリーはそんな兄を疎ましく思っていたのではないか。だからこそ、ジェフリーは保安官を止め
させられた後、一人荒野を彷徨っていたのだ。ヴェニスは保安官という権力の座から降りた兄を、
これ幸いと言わんばかりに見捨てたのだ。
ジェフリーの言う裏切りとは、それを指しているのか。
いずれにせよ、対峙するジェフリーとヴェニスは、方や清廉な正義の味方で、方や狡猾な悪人の
ように見えた。
これで終わりだ、と言い放つジェフリーに、ヴェニスは片頬を歪める。
「これで終わり、か。それは自分の事を言ってるんだろうな。」
ヴェニスがこの阿片畑に関わっている事を、己の眼で確かめたかったのだと言った元保安官の願
いは確かに叶った。しかし、それは同時に袋小路に入り込んだのと同義である。無数の駒を引き連
れた保安官に、一人きりで、しかも何の権力も持たない元保安官が、敵うとは思えない。
それはキースだけではなく、ヴェニスもそう感じているのだろう。
だが、ジェフリー一人だけは、己が四面楚歌であるなどとは思っていないように、銃を掲げてい
る。自分だけは、絶対的に神の加護を受けているのだと、妄信的に思い込んでいるかのよう。
薬物で己を女であると、エリックの恋人であると思考を曇らせたジュディよりも、何の影響も受
けていないのに己を無敵だと錯覚しているジェフリーのほうが、実はより性質が悪いのではないか。
薬はいつかは効果が失せるが、己から沸き上がる妄信はいつ切れるとも分からないからだ。
しかし、今はそんな事はどうでも良い。
ジェフリーよりも、むしろキースのほうが袋小路に入り込んでしまっているのだ。ジェフリーが
負ければ、キースの命は此処までだろう。だが、ジェフリーが仮に勝てたとしても、ジェフリーが
キースを守ろうとしないまま戦っていたなら、キースはやはりその時には命を落としている。
味方がいないのは、キースも同じだ。
それどころか、此処にいる連中はキースを蠅か何かのように思っていて、潰れたとしても何も思
わないだろう。現に話はキースを通り越して進められている。
「昔っからお前はそうだった。自分は無敵だと、いつも正しいと思い込んでいる。意見が違えば悪
いのはこちらだ。保安官時代もそうやって裁いてきたから、その結果として保安官の立場を追わ
れる事になったんだ。」
いい気味だ。
ヴェニスの声は、はっきりとそう言っていた。己を押え込んでいた兄の失脚は、弟にとっては吉
報以外の何物でもなかったのだ。だから、行き場を失った兄に手を差し伸べようなどと思わない。
「お前が保安官を追われたのは自業自得だったからな。犯罪者は些細な罪人でも見つけた瞬間に撃
ち落す。それ以外にも、娼婦や賞金稼ぎを片っ端から捕まえて牢に入れる。衰弱死するまでな。
そんな獣を、いつまでも保安官に据えているほど、議会は馬鹿じゃない。」
行き過ぎた政策。それこそがジェフリーの罪だ。しかし、ジェフリーにはそれは罪ではない。だ
から、ジェフリーは己を裏切りの被害者だと思い込んでいるのだ。
けれども、ジェフリーが苛烈な保安官であった事と、ヴェニスがこうして阿片畑を作り、それを
売り払っている事は、全くの別物だった。薬物中毒者を出している以上、ヴェニスもまた罪人だっ
た。ジェフリーのように罪のない顔をした犯罪者ではないけれども。
兄弟揃って、見事に罪人に見える。
己の事など罪人だとは思っていないジェフリーは、銃を掲げたまま、きっぱりとヴェニスの声を
遮った。
「言いたい事は、それだけか?」
正義の御旗は揺るがぬのだ、と自分の罪を知らない男は、清廉潔白な声をしていた。
「お前の戯言にはこれ以上は付き合えん。だが、誤った道に進んだ弟を止めるのは兄である俺の務
めだ。それに、お前如きの銃で、俺が斃れると思うか。これまで一度として、的を当てた事のな
いお前の銃で。」
「だから。」
ヴェニスの口が裂けた。忌まわしい笑い顔だった。その顔で、サンダウンのほうに顎をしゃくる。
「ちょうど良い人間を見つけた。この男なら、お前の脳天くらい軽々と撃ち落せるだろう。」
金の首輪を喜んで受け取ったサンダウンは、ヴェニスの言葉には反応せず、ただ無言で帽子とポ
ンチョの間からジェフリーを見つめている。相変わらず、頬骨はひくりとも動かず、感情の片鱗は
見当たらない。
薄汚れた人形のようだ。
「賞金首サンダウン・キッド。この男なら、お前くらい平然と撃ち落して見せる。変な正義感を捨
てて大人しくしていれば、失うのは保安官の座だけで、命までは奪われなかったのに。」
愚かな男だ。
ヴェニスはますます頬を歪めて、そしてそれ以上は語る事も面倒になったのか、遂に取り巻きの
連中に命令を下した。
「さあ、部外者には退場してもらえ。」
部外者の中には、キースも入っている。きっと、キースの命は此処で終わる。
だが、キースが覚悟する前に、いやそれどころかヴェニスが命令を最後まで下す前に、ヴェニス
の脳天が、轟音を立てて破裂した。
ジュディと同じ――いや、それよりももっと派手な巨大な赤い花を、本当ならキースとジェフリ
ーが持つはずだった赤い花を米神のすぐ後ろに咲かせて、飛び散らせて。その衝撃で、ヴェニスの
身体はくるりと半転し、よろめいたかと思うと、何につっかえもせず赤い花を咲かせた頭から床に
着地した。
ぎょっとしたのはキースだけではない。ジェフリーも、取り巻きの連中も、凝然として信じられ
ないヴェニスの末路を眺めていた。
動揺していないのは、相変わらず表情のないサンダウンと、もう一人。
右手に銃を掲げた、エリックだけだった。
エリックの握る銃の咢からは、硝煙が一筋棚引いて、何が起きたのかを如実に物語っている。物
語るまま、黒い銃口は咄嗟の事で動けない背後の取り巻き達を、残りの五発分――五人を撃ち落し
ていた。
「な!」
「どういうつもりだ!」
生き残った他の取り巻きの声を、エリックは完全に無視して懐から新たな銃を取り出すと、更に
撃ち落しにかかる。元賞金稼ぎだけあって、全く無駄のない動きだった。ならず者と言っても素人
ばかりを相手にしているような連中だ。エリックのような賞金稼ぎを本気で相手にした事は、ほと
んどないのだろう。あったとしても、今回のように大勢で奇襲をかけるのが常なのだ。
だから、例えこんなふうに人数が多くても、不測の事態が起きると総崩れになるのだ。
「何故?もううんざりだったんだよ。」
エリックは、静かになったならず者達の死体に、乱暴に吐き捨てる。
「確かに給料は良かったさ。でも、一生ヴェニスに頭下げて、こんな場所に縛り付けられて、挙句
ジュディの見張りなんかさせられてみろ。嫌になるの当然だろう。」
保安官助手と言う安定性と給料の良さに惹かれて、賞金稼ぎを止めた。けれどもその果てに待っ
ていたのは阿片畑と、薬物中毒の恋人面をした男だった。
そんな男が、裏切り行為を起こすのは、確かに当然の話。だが、保安官助手の給料を棒に振れる
ような男だろうか。
「マッドの奴に雇われたのさ。」
からりとした声で、エリックは言った。
「マッドが追い出される前日、俺の前に大金を置いていった。ああ、向こう一年は楽に暮らせる金
だ。」
この金でヴェニスの奴を撃ち落せ。なあに、あいつの銃の腕なんざ大した事はない。サンダウン・
キッドの奴が近くにいるかもしれないが、ヴェニスの奴が死んじまえば金は支払われねぇ。だから、
ヴェニスをさっさと殺しちまえば、サンダウンの奴はお前に手を出したりしねぇよ。金が支払われ
ねぇのに殺しを請け負うほどめくらな男じゃねぇからな。
マッドは、エリックの耳元で、そう囁いた。マッドはエリックが金でいとも容易く動く男だと、
エリックが賞金稼ぎを止めた理由から、呆気なく見通していたのだ。
エリックにとって悪い話ではなかっただろう。ヴェニスを殺せば晴れて自由の身だ。しかも当面
生きていく為の金もある。エリックを殺した事で自分に追手がかかる可能性は、エリックの阿片畑
を考えれば、罪には問われにくいだろう。
「あんたと同じさ。あんたはヴェニスに金で雇われて、俺はマッドに金で雇われた。あんたはヴェ
ニスから一度金を受け取った。ヴェニスが死んだ以上、これ以上金を搾り取る事は出来ないが、
あんたの懐は十分潤っただろう。敵対する理由もない。」
エリックは、彼の恐慌が行われている間、無言で手出し一つしなかったサンダウンに、言って聞
かせる。サンダウンもエリックの言い分を理解しているからこそ、エリックからヴェニスを守ろう
としなかったのだろう――サンダウン程の人間ならば、如何に唐突だったとはいえ、エリックの銃
を止められなかったはずがない。
あんたもだ、とエリックの声はジェフリーに向けられた。
「あんたが憎んでたヴェニスは、こうして死んだ。俺が殺した。元締めがいなくなった以上、この
町の阿片商売も終わりだ。」
この畑に火をつけてしまえば、それで終わりだ。
エリックは、それがこの話の終幕だと言う。それ以上の終わりはないだろう、と。
けれども、そんな終わり方はあっという間に地に捨てられた。先程のエリックの銃声と同じよう
な銃声で。
綺麗な弧を描いて、エリックの肩から真っ赤な血が翼のように吹き上がった。