キースはジュディの怒らせた肩を背後から見ている。
  キースを自分と同じ存在と認めた――キースにとっては甚だ不本意な結果なのだが――ジュディ
 は、これまでの敵意に満ちた視線の動きが嘘のように、キースを引き連れて町を行く。その後を、
 エリックが追いかけて来なくても何のヒステリーも起こさない。
  肩を張ったジュディの後姿を、キースは複雑な思いで見つめながら、自分は一体何処に連れてい
 かれるのだろうと思う。
  ジェフリーはこの町の――ヴェニスの企みを見抜けと言った。
  サンダウンが、それならばジュディのほうが適任だろうと言った。
  そしてジュディは、キースが自分と同罪であると認め、町を巡っている。
  果たして本当に、キースはこれでヴェニスの企みを知る事が出来るのだろうか。そもそも知った
 ところでなんとする。そう、ふっと思った。
  ジェフリーの言うとおりに、この町の隠し事を知って、それでどうなると言うのだろう。キース
 は既にこの町とは何ら関係はないのだ。いや、この町の人間からしてみれば、キースはマッドに置
 き去りにされた、故に外部との接触する恐れのある可能性が最も高い人間という事になる。だから、
 万が一此処でキースが逃げ出そうものなら、背中を銃で撃たれる恐れは十分にあった。
  だから、キースは、こうやって同じく余所者であるジェフリーの言いなりになっているのだ。他
 に、寄る辺がないから。今のキースには、頼るべきものは何もない。
  そしてそんなキースを憐れむような眼差しで見るのは、ジュディだった。

 「分かるわ、あんたの気持ち。」

  首に巻かれたスカーフが、ゆらゆらと風に棚引いているのが見える。
  さくさくと舗装されていない道を歩くジュディの言葉は、悉くがキースの神経を逆撫でするが、
 しかし実際のところ完全否定する事が出来ないものだった。

 「誰かに置き去りにされることも、裏切られる事も、あたしには分かるわ。それに、好きになって
  はいけない相手を好きになる気持ちっていうのも。」

  それは、間違いなくジュディ本人と、今此処にはいないエリックの事を指し示している。エリッ
 クはジュディがヒステリーを起こさないのを良い事に、ついてこようともしなかった。
 滑稽なほどのジュディの一方通行の気持ち。それは、町の住人が溜め息しか吐かない事からもよ
く分かる。きっとエリックは、ジュディと引き裂かれる時を、ずっと待っている。なのに、ジュデ
ィはそれを理解できないのだ。いや、理解しているのだろうが、そこから目を背け続けている。
  サクサクと、砂を歩くジュディのその行程は、気が付けば保安官達が夜の見回りと称している道
 のりと同じだった。
  町外れの畦道に沿って生えているのは、白い墓標であり、そこはキースがマッドに見捨てられた
 場所だった。それを見ないように、墓場とは反対側に視線を移し、少し遠くに見える街並みを無言
 で見つめる。
  やがて、行程は緩やかなカーブを描きながら、再び町中に入ろうとしている。ただし、行き着く
 先は大通りではなく、場末の酒場からも離れた、本当にスラムに近い路地裏だった。砂と言うより
 も泥に塗れた細い道には、洗濯物なのだろうけれども汚れた布が、何も考えずに無秩序に置かれて
 いる。
  座り込んだ物乞いや、ならず者にすらなれない無気力な人々の虚ろな視線をやり過ごし、二人は
 その場にある事自体が既に滑稽である教会へと行き着いた。
  崩れ落ちた屋根はどう見ても雨風を凌ぐ程度にしかならず、かつては白かったのであろう漆喰の
 壁は、今では無残に削れている。

 「聖書ではあたし達のような輩は、硫黄の火に焼かれて死ぬべきだとあるわ。けれども、それは何
  故なのかしら。」

  呟いたジュディの言葉は、もしもこの場に神の威光を本気で信じている連中がいたならば、恐怖
 と侮蔑の眼差しで見られるべきものだった。いや、ジュディ自体が、既にその対象か。

 「全知全能なる我らが父よ。皆がそう言うけれども、それならば何故、父なる神はあたしのような
  存在を作ったのかしら。」

  こんな、出来損ないを。

 「そしてそんなあたしが罪深いと言うのなら、あたしを作った神も、やはり罪深いのではないかし
  ら。」

  それとも、神は己の失敗を認めず、ただただ失敗作を悪だと言っているだけなのかしら。だとし
 たら。
  泥に塗れた神の家の石畳を踏みにじり、ジュディは既に朽ちかけた扉を開く。

 「あたしは、神に背く。背いた上で、別の神に従うわ。」

  開かれた先には、やはりと言うべきか、燦々と日差しを浴びた教会内部が広がっていた。崩れた
 屋根は屋根としての機能を果たせずにいるのだ。そして本来ならば丸太を敷き詰めていたのだろう
 床も、長年の風雨に曝されて、丸太は腐り、隙間隙間に泥が入り込み、そこから名もなき草が蔓延
 っている。
  特に、日差しを直接に受けた、十字に張り付けられた救世主膝元は酷く、そこだけぽっかりと穴
 でも開いたように花が生えていた。
  その花を指差し、ジュディは言う。

 「あれが、あたしの、あたし達の神よ。」

  悪びれずに言い放ったジュディは、その花が一体何の花なのか、知っているのだろうか。
  一見すると、それはコクリコに似ている。だが、確かに同種の花ではあるのだが、ジュディが手
 折ろうとしている花は、雛芥子ではなく、ただの芥子だ。
  即ち、阿片の原料である。

 「安心してちょうだい。」

  キースの表情を見て取ったのか、ジュディは低い声で笑った。そして芥子の花を手折る。途端に
 鼻を突く、悪臭。

 「別に、これで阿片を作ってるわけじゃないわ。あたし達が作ってるのは、これを原料とした鎮痛
  剤よ。」

  俗に言う、モルヒネか。
  南北戦争でも使用され、また、アヘン中毒やアルコール中毒の治療にも使用された薬だった。け
 れども、それはそれで、新たな中毒症状を起こすはず。
  しかしジュディは否定する。

 「違うわ。あたし達は、モルヒネからそういった毒を更に分離して、更に効果的な薬を作ったのよ。」

  モルヒネの、数万倍もの、鎮痛効果。
  言い換えれば、信じられないほどの圧倒的な多幸感。

 「あたしのような人間にも、信じられないほどの幸福を見せてくれる薬。」

  だが、それはジュディの言うような、中毒症状が全くないわけではない。むしろ、純化したが故
 に、後に最高にして最悪と呼ばれる薬物となった――ヘロインである。
  そうとも、キースは最初から気づいていた。
  ジュディが重度の薬物中毒者であることを。それを隠すために、薬物中毒者特有の悪臭を隠すた
 めに、きつい香水を纏わりつかせている。忙しなく定まらない視線。そして、マッドが眼を見れば
 分かると告げたように、ジュディの瞳孔は開きっぱなしだった。
  薬物で一杯に満たされたジュディの身体は、一方でエリックを手に入れる多幸感でも満たされて
 いる。その夢を終わらせない為に、更に薬を求めるのだ。
  けれども、ジュディ自身が、この夢は夢でしかないと気づいている。
  でなければ、何故喉元をスカーフで隠すのか。不自然な女の胸を作るのか。何より、マッドに捨
 てられているキースを、仲間と思い、己を罪深いと称した事が。

 「女になって、エリックの恋人になる夢をそんなに見続けたいわけか。」

  一見すれば女に見えるが、じっくり見れば、彼女は――彼は、滑稽なほどに男だった。だから、
 皆が溜め息を吐き、眼を背けるのだ。
  そして、そんなジュディを、一体いつまでこの町が擁していられるだろうか。
  思いついて、キースは腹が冷えたような気分になった。
  この町の企みは分かった。まさかジュディがこんな薬物を一人で抱え込んでいるわけがないだろ
 う。町ぐるみで、薬物を作り出して、売り出しているのだ。賭博場による繁栄は、表向きのものだ。
 この町の真の財源は、こちらだ。
  だが、それを知り得たキースは、そしてそれを吐いたジュディは、間違いなく消される対象だ。
  此処にいないエリックの姿が、今更ながらに不気味だった。
  ジュディは、己の末路など既にどうでも良いのか――どうでも良かったからこそ、薬に手を出し
 たのだろう――掌に芥子の花を乗せて、まだキースに差し出している。
  キースは、確かに盗賊めいた事もやった事があるが、そんなものに手を出す趣味はないし、此処
 で殺されるのも御免だった。
  しかし、逃げられるかどうか分からない。だが、逃げなくてはならない。
  そう思い、踵を返そうとした時、ジュディの胸に真っ赤な花が咲いた。
  芥子の花まで濡らした赤い花を、ジュディは少し不思議そうに見下ろし、そして恐らく何も理解
 できないまま、芥子畑の中に崩れ落ちた。
  しかし見つめていたキースは、何が起きたのかすぐに理解できた。ジュディは撃ち落されたのだ。
 はっとして周囲を見回すキースに、低い声が這い寄ってきた。

 「ご苦労だった。」

  銃を構えたまま、教会の扉の前に立っているのは、キースにこれを命じた禿頭の男だった。剃刀
 色の鋭い眼差しが、キースの背後にある花畑を睨み付けている。

 「此処が、奴の、悪の庭、というわけだ。」

  それは己に言い聞かせると言うよりも、キースに聞かせているような声音だった。

 「まさか、あんたこの場所を知ってたのか?」
 「ああ。」
 「じゃあ、なんで俺に企みを調べろなんて言った?」

  何か、騙されているような、背筋が粟立つような感覚が身体中に生えている。別にジェフリーを
 信じていたわけではないが、しかし己の身の危険が去ったわけではない事は明らかだった。むしろ、
 この道程自体が、脅威に曝されているようなものだったのか。

 「この場所が、奴と本当に関わりがあるのか、分からなかった。この男単体でやった事とも思えな
  かったが。」

  倒れ伏したジュディは、既に息がない。ただ、ようやく安寧の地に辿り着けたのか、やけに穏や
 かな顔をしていた。

 「だから、お前に事態を掻き回させた。お前がこの場所に来ようとする事で、奴は焦るのではない
  か、と。そしてそれは、その通りになった。」

  邪魔な物を始末するために、秘密は秘密のままにする為に。
  教会の裏側――きっと、完全に崩れ落ちていたのだろう、そこから、わらわらと人がやってくる。
 マッドに見捨てられた、あの墓場と同じように。保安官のヴェニスを戦闘に。傍らにはエリックが、
 ジュディの斃れた姿を見ても顔に何も浮かべずに。

 「さあ、これで。」

  お前の企みも、薬の連鎖も、嘆きの声も、何もかもが。
  終幕だ。