朝方の市場の様子を見る限り、昨夜の発砲の事など誰も気づいていないかのようだった。
  しかし、如何に深く眠り込んでいたとしても、まさか銃声に気づかぬ事などあるだろうか。普通
 に考えれば、一つ銃声がしたら、寝ていた赤ん坊だって眼を覚ますだろうに。
  けれども、大通りを歩く人々の表情は、何も知らないふうだった。
  それを見て考えられる事は二つ。一つは、それほどこの町が、発砲やらなんやらの事件が多いと
 いう事。もう一つは、町ぐるみで昨夜の発砲をなかった事にしている事だ。
  確かにこの町にはならず者が多い。場末の酒場に身を寄せ合うようにして集まった賞金首達もい
 れば、保安官の商人の元、賭博場で旅人から金を巻き上げている連中もいる。だが、場末の酒場に
 いる賞金首達は、とてもではないが銃を撃ちあうほどの元気があるようには見えなかったし、賭博
 場で飼われているならず者達も騒ぎを起こして甘い汁を失うのは嫌だろう。
  そう考えれば、必然的に何が起きたのかは分かるというものだ。
  恐らく、町ぐるみで昨夜の発砲に対して口を噤んでいるのだ。死体も何もかもが、秘密裡に隠さ
 れている。きっと、それに対して訪ねても、首を横に振るという答えが返ってくるだけだろう。
  キースは、何故あの時、すぐに銃声のした方に向かわなかったのか、とマッドに詰め寄った。
  しかし、それに対してマッドは相変わらず笑うだけで、

 「行ったところで、なんだかんだ理由をつけて近づけさせて貰えねぇさ。」

  あの、奇妙な見回り。
  それが昨夜も行われていたのなら、きっと発砲音を聞きつけて、すぐにそこに向かった事だろう。
 見回りと称されている以上、それにそもそも何か隠し事がある彼らは、銃声という明らかに異常を
 知らせる警告音を無視するはずがない。マッドよりも早く現場に駆け付け、事態の収拾を図ったは
 ずだ。
  そう、マッドは昨夜動いても意味がなかったと言った。

   「安心しろって。お前が心配してんのは情報を漏らした奴が殺されたんじゃねぇのかって事だろう
  が、確かに死体はねぇ。でも、だったら奴を追いかけた連中までいねぇってのは奇妙だろう?」

  確かにそうだった。
  昨夜酒場にいて、マッドと話をしていた男を追いかけた連中は、マッドが昨日と同じ二人の見張
 りを引き連れて町を見回り、賭博場に入ってからも、一向に姿を現さない。二人の見張り達が、痴
 話喧嘩のような言い合いをしているのを横目に、キースはチップを捲りながらマッドと話をしてい
 るのだ。
  演技なのかどうかは知らないが、エリックとジュディはこちらを気にせずに二人で言い合ってい
 る。耳はこちらに向けているかもしれないが、しかし賭博場の喧噪では良く聞きとれまい。

 「何処かに、隠れてるだけかもしれねぇぜ?」
 「隠れる理由なんかねぇだろ。」

  昨夜の暗殺者は身を潜めているだけかもしれないと言うキースを、マッドは一蹴した。町ぐるみ
 で隠している事実の為に、彼らが身を隠す必要は何処にもないのだ。
  けれども一方で、あの男が殺されていないという確固たる証拠もない。しかしマッドは何か絶対
 的な自信があるのか、あの男が生きていると信じているようだ。
  そう、惜しみなく信じている様子をマッドが曝している間に、ジュディのヒステリックな声が耳
 を劈いた。一体どうしたのか。ジュディはエリックの前で、忙しなく動いては視線をあちこちに転
 じている。まるでエリックを自分から取り上げる人間が、何処からともなく振り落ちてくるのでは
 ないかと言わんばかりに。
  キースはチップを捲る手を止めて視線を一瞬だけ痴話喧嘩のほうに向け、すぐに元に戻す。ぺら
 ぺらと札束を数えながら、変わらずに続くエリックとジュディの会話を締め切って、呟いた。

 「あの、ジュディって奴は、本気なのかね。」

  ぽつりと呟いたつもりだった。
  しかし、その言葉に少しマッドが眼を見開いている。どうやら、驚いているようだ。

 「なんだ、お前も気づいたのか。」
 「あんなあからさまなの、気づかないわけがねぇだろう。」

  俺の眼は節穴じゃない。
  むっとすると、マッドは微かに見せた驚きの表情を消して、再び笑みを浮かべる。しかし、声は
 低めて、昨夜の酒場でのように。

 「ああ、そうだな。良く見りゃあ分かる。」

  そしてよく見れば、分かるのだ。

 「あいつは本気で思ってんのさ。眼を見りゃあ分かるだろ。」

  町の人間は、きっと皆が知っている。
  マッドは薄らと、悲哀とも何とも言えない響きが混ざっているのは気の所為か。それきりマッド
 は見張り二人の痴話喧嘩には何も言わなくなった。代わりに唐突に思いついたのか、本当に突然に
 全く別の――いや、ある意味、これまで二人が話していた事については関係のある事を話し始めた。

 「今夜、墓場に行ってみようかと思ってる。」

  低すぎる声も転じて、普通の口調だった。ざっくらばんとも言える声で、マッドは見回りの邪魔
 をした現場である墓場について口を開く。町外れにある、暗い畦道の脇に生える幾つもの墓標。 

 「妙だと思わねぇか?あんなところまで見回りに行くなんて。ヴェニスの奴は墓場から侵入してく
  る奴もいるだなんて言ってたが、それを鵜呑みにするわけにはいかねぇ。」

  彼らは何かを恐れて、あの場所まで見回りに行ったのだ。何を恐れてか。勿論何かが露見する事
 を、だ。では、露見する事を恐れるものとは何か。

   「死体を隠すなら、墓場が一番適しているのかもしれねぇな。」

  にやりと歪んだ唇の端で、犬歯がぎらりと光った。とてつもなくおぞましい事を考え出した人間
 の表情だった。
  まさか、と眼を見開くキースの前で、マッドはおぞましい台詞を平然と吐く。
  
 「行方不明になった賞金稼ぎは、ご丁寧に墓場に埋葬されてるんじゃねぇのか?」






  キースはこれまで賭博師として生きてきた。勿論汚い手を使ってきたし、盗みに手を出した事も
 ある。
  しかし、墓を暴くという暴挙は初めてだった。
  如何に真っ当な道を歩んでない人間でも、墓を荒らす行為に手を染めるのは、躊躇いがあるので
 はないだろうか。しかもこれは、何処かの遺跡だとか歴史的に何か価値があるとかではなく、ただ
 ただ、普通の市民の墓なのだ。
  見回りが来るかもしれない、というキースの言葉を、マッドは奴らの動く時間帯くらい把握して
 いると一蹴した。
  ざくざくと舗装されていない砂埃の舞い上がる畦道を通り、ぽっかりと浮かぶ白い墓石へと向か
 う。闇夜であるのに、墓石は海底に沈められた骨のように、はっきりと眼に見えた。
  此処に、死体が隠されているのか。
  確かに死体を隠すには何よりも最適な場所とも考えられる。だが、その為には墓石を除けて、掘
 り返す必要がある。
  キースは思う。
  マッドは一度、この場所に夜とは言え訪れたはずだ。それならば、その時に気づかなかったのか。
 よりにもよって、賞金稼ぎマッド・ドッグとあろうものが。
  思った瞬間、キースはマッドが何か間違った方向へ物事を推し進めようとしているような気がし
 た。徹底的に間違った方向に転がり落ちていくような。
  キースの想像を、それが真であると裏付けるように、パン、という軽い音が響いた。
  昨夜聞いたばかりの、荒野では馴染みのある音だった。ただ、昨夜聞いた音よりもずっと軽く響
 いたのは、マッドの誤りが余りにも軽々しいものであった所為か。
  その音は誰にも当たらなかったが、マッドの軽やかな足取りを止めるには十分だった。マッドが
 ひたりと、砂埃の合間合間に足を止めるや、暗がりからわらわらと、人相の良くない連中が群がっ
 てくる。
  先頭に立つのは、保安官のヴェニスだ。
  見回りの真っただ中に、マッドとキースは立ち尽くしているのだ。見張りの時間帯は把握してい
 るとマッドは言ったが、それも彼らに掴まされた情報だったという事だろうか。

 「まさか本当に墓を掘り起こしに来るとはな。」

  ヴェニスの苦りきった声は、けれども一方でやって来たマッドに対しての侮蔑が込められている。

 「あそこまで大声で話していたから、ただの偽装かとも思ったが、違ったようだな。賞金稼ぎマッ
  ド・ドッグも、所詮はその程度の輩か。」

  背後に広がった、武器を手にした人々を、マッドは肩越しに振り返り、小さくくすりと声を漏ら
 した。それは確かに、笑い声だった。

    「その程度って言われてもな。どの程度なのか分からねぇんだが。大体、そりゃあお前達に聞こえ
  るように話したんだから、お前達が来ねぇと話にならねぇ。」

  つまり、マッドもまた、これを罠として張っていたのだろうか
  しかし、それをヴェニスは鼻で嗤った。

 「我々をおびき寄せて、それでどうするつもりだ?此処で墓を掘り起こして死体を見せつけるつも
  りなのかもしれないが、残念だが此処にはお前の望む死体などありはしない。」

  見ての通り。
  ヴェニスが手にしていたランプで、辺りを照らす。揺れる光源は不安定さを増長し、影を歪めて
 奇妙な模様があちこちに花開いた。
  しかしその中で照らされた墓場の生える地面は、一切の変化がない。乾いた砂をずっと曝し続け
 ている。何事も無かったかのように、常に乾いている砂地を。

 「掘り起こされた跡などないだろう。それでも墓荒らしをやるつもりかね。」
 「…………。」

  マッドは答えない。
  そもそも、マッドにはなんら戦う武器がない。常に見張られ続け、唯一得た情報は昨夜の一人の
 み。マッドの武器は、腰に帯びたバントラインのみだ。けれども、まさか最初から力づくで物事を
 押し進めるつもりだったのだろうか。
  だが、マッドの繊細な手が腰で鈍い色を放つバントラインに手を伸ばすよりも早く、もう一度、
 銃声が響いた。今度の音は、先程よりも重い。追い詰められている所為か。それともマッドの頬を
 掠めて、一筋赤い線を描いた所為か。
  それとも、その瞬間にマッドが眼を大きく見開いて、はっきりと驚愕の眼差しを向けた事か。
  大きく見開かれたマッドの黒い眼は、キースもヴェニスも何もかもを通り越して、群がる人々の
 遥か後方を見据えて、震えている。
  視線が見る方向から湧き立つのは、乾いた風。まるで荒野の気配。
  立ち上がった影は、砂色と、飴色よりも濃い茶に覆われていた。そしてその武骨な手が、銀に輝
 く心中の銃口でマッドを見据えている。

 「………キッド、てめぇ。」

  呟いたマッドの声が、初めてひび割れた。