西部開拓時代の町と言えば、砂埃舞う大通りと、それに沿うように立ち並ぶ木製の建物。その建
物の一連には、サルーンと呼ばれる区画が、基本的には存在する。
ホテルや売春宿、賭博場などがごったになった区画で、金に余裕のある者はこぞってそちらに雪
崩れ込む。賭博に狂ったような男や、賞金を懐に温めている賞金稼ぎ、或は略奪品を抱え込んだな
らず者。
そういった男達が、女を買ったり、酒を飲んだり、カードゲームに興じたりする、一種の娯楽施
設であった。
そして彼らを目当てに売春婦達がけばけばしく着飾っては立ち並び、客引き達が手もみしながら
近づいてくる。婦人連が見れば、眉を顰めて今すぐにでもなんとかしなければと行動を思い起こす
ような場所だ。
事実、町の中で最も喧噪高いこの場所は、最も犯罪の起こりやすい場所でもある。
娼婦が殺されて溝の中に捨てられているだとか、賞金首と賞金稼ぎの決闘だとか、ならず者同士
の小競り合いだとか、賭博の果ての喧嘩だとか。
時には血腥い事件の現場となる事も多いサルーンだが、しかしだからと言って封鎖される事は決
してない。保安官が率先してサルーンを取り締まるという話も、ほとんどない。
それはサルーンが、先程も述べたように娯楽施設であり、そこを封鎖すれば西部中の男達を敵に
回す事になるし、サルーンで働いている娼婦達も路頭に迷う事になる。妄りに敵を作るのは、保安
官としても得策ではないと考えるのが普通だろう。
また、何よりもサルーンの売り上げが保安官の懐に転がり込んでくるというのが、一番の理由か
もしれない。
サルーンを存続させる為に、保安官などの町の有力者に袖の下を握らせるのは珍しい話ではない
し、保安官自身がサルーンを経営している事だってある。保安官をそうやって取り込んでおく事で、
何か事が起きた時はサルーンの良い方向に解決して貰う事を見込んでいるのだ。
保安官がサルーンと癒着している事で、時に何らかの事件が闇の中に葬り去られる事もあるが、
それについて誰かが口を挟みこむ事はない。
結局のところ、西部にはサルーンが必要なのだし、保安官も誰も動かないのなら、被害者は泣き
寝入りするだけである。他の手段としては、賞金稼ぎに依頼するという手もあるのだが、賞金稼ぎ
もサルーンの重要性は知っているので、そう簡単には動かないだろう。
だから、サルーンで起きた事件の中で、一体幾つが知らぬうちに闇に葬り去られ、その陰でどれ
だけの人間が泣いているのか、誰も知らない。
知らないし、サルーンで賭博に興じている間は、誰も興味も抱かない。
当事者になるまでは。
イカサマの因縁をつけられ、銃を突き付けられた若い賭博師も、まさか今此処で自分がこうなる
とは思っていなかった。
いや、正確にはイカサマの因縁をつけられる可能性は、いつだって念頭にあった。賭博を生業に
している以上、それは日常茶飯事であったから、忘れてしまうという事はない。ただ、あまりにも
頻繁にありすぎて、因縁をつけられる事の本来の恐ろしさに対して、感覚が麻痺してしまっていた。
まさか、一戦目にして銃を突きつけられるとは。
たった一回しか行われていない勝負に負け、途端に豹変して銃を突きつけられるなど、はっきり
言って初めての事だった。
恐ろしさよりも、いっそ唖然とした、と言ったほうが正しい。
山積みにもなっていない己の目の前のチップは、もしかしたら銃を突きつける男の全財産だった
のかもしれない、と思えば男の態度は少しばかり理解できた。が、だったら博打になんか全財産注
ぎ込むなよ、と言うのがこちら側の言い分である。賭博師が言う台詞ではないかもしれないが。
しかし、呆れが収まると、今度は困ったという感覚がようやくにして働いてきた。
眼前に突き付けられた銃口から逃れる術を、自分は持っていない。賭博場のオーナーや保安官が
助けに来てくれるだろうかという淡い期待は、この町に自分は来たばかりだという事で打ち砕かれ
た。根なし草の賭博師一人が死んだところで、内々に始末されてしまう可能性がある。まして、自
分は独り身だ。仲間もいない故に、死体の始末もしやすい事だろう。
一方で、目の前の男は短気だが、どうも賭博場のオーナーと懇意であるらしかった。いや、もし
かしたらこういう仕事をしているのかもしれない。因縁をつけて銃を持ち出し、殺して身ぐるみ剥
いで、後は内々に処理する。
だとしたら、完全に万事休すである。
賭博師として一人で生きてきたから、それなりの荒事には慣れているつもりだが、これほどまで
の悪条件も珍しかった。
一歩も退かぬ銃口を、途方に暮れて眺めやる。
すると、眼前からぶれる事すらなかった銃の黒い顎が、鈍い音がしたと思った途端、男ごと左に
よろけ、そのまま倒れた。
椅子と一緒に派手な音を立てて床に転がる男の隣には、仲良く緑色のボトルが着地し、そして床
に着地するや砕け散った。
賭博場のオーナーが想定外の事に思わず立ち上がり、周囲でにやにや笑いで見ていた野次馬達も、
凝然として絶句する。
凝り固まった空気の中、ボトルが散った音の余韻が響く中、南部訛りが微かに甘く残る端正な声
音が酷く面倒臭そうに賭博場を打ち払った。
「うるせぇ、酒がまずくなる。」
甘やかな声をした方を見れば、賭博場に隣接していた酒場のテーブルに、若い男が席に腰かけて、
酒を満たしたグラスを傾けていた。陶器のように白い顔の中にある黒い眼は、もはやグラスに注が
れていたが、たった今砕けたボトルを投げたのは、その手である事は明白である。
人間の後頭部にボトルを突然投げつけるという暴力行為に出た男は、その暴力行為を行ったとは
思えぬほど繊細な手で、軽やかにグラスを弄んでいた。
一見すればただの優男風の男に噛みついたのは、ボトルを投げつけられて敢え無く倒れた男であ
る。優男だったから、俄然、居気高になったのが分かる。
「てめぇ、この店で俺に手を出すって事は分かってるんだろうなあ!」
「うるせぇよ。この店だろうがどの店だろうが、てめぇにこの俺様の食事を邪魔する権利なんざあ
るわけがねぇだろう。」
男の言い分を一蹴した優男は、興味がなさそうに皿の上のハムをフォークで器用に丸めている。
馬鹿にしている以前のその態度は、がなり立てる男に更に火をつけたらしい。賭博師から矛先を
そちらに変更し、銃を突きつける。
転瞬、轟音がした。
なんの警告もなく放たれた銃声に、手を抑えて蹲ったのは、因縁をつけていた男のほうである。
まさか自分が法律の一部だと言わんばかりの様子であった男は、手元から離れて転がって床を滑っ
て行った銃を、呆然として見ている。
そんな男を、ようやく椅子に座りなおして真正面から見据えた優男は、いつの間に取り出したの
か、銃身の長い黒光りする銃を繊細な手の中に収めていた。
そして、甘い声は賭博場のオーナーを撃つ。
「オーナー、どうやら小飼の連中にしつけが行き届いてねぇな。それとも、雇い金をケチって、こ
んな相手も見れねぇ男を雇ったのか?」
言い終わるや否や、今度はライフルに手を伸ばそうとしていたオーナーに銃を向ける。
「それとも、てめぇ自体が、見る眼がねぇってか?」
笑い含みの声には、はっきりと嘲りの色が浮かんだ。黒い眼が挑発的に煌めき、長い足が床を叩
いて立ち上がる。すらりと伸びた背は、しかし荒野で生きるには細すぎる。まして、自分と同じ賭
博師であるならともかく、ならず者とやり合うには。
しかし、そんな不安を蹴り殺すように、彼は華やかに嗤った。
「賞金稼ぎマッド・ドッグ様の顔も知らねぇか。とんな素人だな、てめぇらは。」
きらきらと無邪気に告げられた言葉に、その場にいたほとんどが眼を剥いた。
賞金稼ぎマッド・ドッグ。
その名を知らぬ者は、西部では生まれたばかりの赤子くらいだ。西部の賞金稼ぎの頂点に座する
者。西部一の賞金稼ぎ。いかなる場所であっても、マッドがその気になれば、マッドが法になり得
る。
その名を告げた青年は、顎を落としたオーナーのライフルを指で弾くと、蹲っている男の顎をブ
ーツの爪先で持ち上げる。
「もう一度言うぜ。どんな場所だろうが、この俺の食事の邪魔をするんじゃねぇ。何が何でも俺の
邪魔をしたいって言うんなら、白い手袋でも持ってくるんだな。」
喜んで受けて立つぜ。
軽やかな声で決闘を促したマッドは、再び席に着くとハムを丸める事に専念し始めた。凝然とし
て動けない野次馬などには、床を歩く蟻ほどの興味も示さない。
オーナーと打ち砕かれた男は、こそこそと隅の方へ逃げている。
そして賭博師は――食事を取っているマッドに擦り寄った。
他意はない。いや、確かにマッド・ドッグと知り合いになっていれば、何かと得する事が多いの
ではないかとも思ったが。が、それ以上に一応救われた形になったので、礼を言っておくのは当然
であった。
誰もいなくなったカウンターから酒瓶を一本拝借して、マッドがハムと格闘しているテーブルの
正面に座る。
目の前が陰った事で、マッドは再び顔を上げた。ちょうど丸めたハムを無事に口の中に収めたと
ころであったらしく、フォークを咥えたままの状態であった。
微妙に間抜けな状態のマッドと対面する事になったが、とはいえ礼を言う事に相手の状態はさほ
ど問題にはならないだろう。
「助かったぜ。ちょっとばかり難儀してたんだ。」
目の前に酒を差し出すと、マッドはハムを飲み込んで、くだらなさそうに答えた。
「別にてめぇを助けたわけじゃねぇんだが。まあ、その酒はくれるっていうんなら貰っておく。」
「ああ。そうしてくれ。こっちとしちゃあ助けられた事に変わりはねぇんだ。」
危うく、人知れず始末されるかもしれなかったのだ。
そう言えば、マッドは片頬を微かに歪めて笑ってみせた。
「不用心だな。この町が、どういう状況なのか知らなかったのか?まさにてめぇが思ってた通りの
場所なんだぜ?」
些か物騒な物言いに、どういう事かと首を傾げると、マッドはますます呆れたように笑った。
「俺が、此処に来た時点で、分からないのか?」
嘆きの砦である、マッドが。