荒野の果てに夕日は落ちて
  たえなる調べ天より響く





  ひやりとする空気と共に、夜の帳が翻る。
  地平の縁を赤と黄、そして紫から濃紺へと変貌させていた空は、その化粧を最後には真珠の粉を
 塗したような漆塗りで仕上げをする。
  夏ならば塗される真珠の粉は華々しく、まるで降りかかるようでさえあるが、吸い込めば肺の中
 から全てを切り裂こうとするように澄み切った空気に満たされる冬場は、粒の一つ一つは少ないけ
 れど代わりに何処までも届く光が地上を貫いている。
  その光は、放浪者にとっては、時として残酷なほど寒々しいのだが。
  サンダウンは襟を掻き合せながら、己の吐いた白い息を見つめた。
  今にも霜となりそうな自分の息に、今夜が酷く寒い夜であることが知れる。きっと、今から一気
 にこの西部にも残酷な北風が吹き荒れるのだろう。もともとが乾燥地帯である為、雪の心配こそな
 いが、身を削るような凍えは如何に旅慣れたサンダウンと雖も流石に堪える。
  一瞬、ちらりと先程立ち寄った町で宿をとるべきだったかと思いもしたが、それはあっという間
 に思考の片隅に追いやられた。
  先程、まだ日が沈む前、とある町に立ち寄った。小さな町で、けれども宿はちゃんとあった。普
 通に考えれば、この気温の低下を避ける為にそこで宿をとるのが良い。しかしそれが出来なかった
 のは。
  行く先々の窓の明かりの中に、はっきりと今日が何の日であるかを示す物品が並べ立てられてい
 たからだ。
  西部では見ることが難しいモミの木の模型だとか、沢山の林檎や飾りだとか。家族の為にと用意
 されたそれらは、もはやサンダウンには関係のない代物ばかりだ。
  いや、関係ないのではなくて、関係してはならない。自分の腕が血を呼び寄せる事が分かった時
 に、自分の首に賞金を懸けた。その時に、この穏やかな世界には決して関わらないと決めたのだ。
  本来ならば、十字架の前に跪いて許しを請うべきなのだろうが、火種にしかならない自分にはそ
 れすらも許されない。教会の蝋燭の一本でさえ、サンダウンには与えられない。
  それどころか、銃弾の一粒でさえ。
  今宵は、サンダウンの首を狙う賞金稼ぎでさえ、家族や仲間のもとに集まって、サンダウンには
 足に絡まる砂ほどもの関心を寄せない。
  そんな夜に、あの男が、来るだろうか。
  賞金稼ぎ仲間の中心で娼婦達に愛されるあの男が、わざわざ来るはずがない。今頃、彼は引っ張
 りだこで、あちこちの酒場を渡り歩いて、その頬に幾つもの口付けを受けて、それと同じ数の口付
 けを返しているはずだ。
  気まぐれな火花のような彼は、サンダウンの凍えなど考えもしないだろう。サンダウンの悲鳴な
 ど、きっと聞こえていないに違いない。
  凍える身体は、臓腑にまでそれを広げ、氷漬けの魔王を揺さぶっている。
  目覚めが、近い。
  本当ならば、これほど聖なる夜はないはずなのに。
  それを嘲笑うかのように、サンダウンの中では魔王が目覚めようとしている。
  ぎしぎしと大口を開ける深淵が、ぱっくりとサンダウンを飲み込む―――思わず、本当に悲鳴が
 零れそうになる。
  咄嗟に歯を食いしばり、冷や汗を貼り付けた額を俯けようとした。
  その時。

 「Merry Christmas!Kid!」

  柔らかな訛りが微かに残った、端正な声。
  それと共に、額に噴き上げるほど熱い何かが押し当てられた。
  突然、まるで帳が翻るように現れた気配に、はっとして顔を上げると、そこには銃を形作った指
 先をサンダウンの額に突きつけ不敵な笑みを浮かべたマッドがいた。
  マッドは、Bang!と言って突きつけた指でサンダウンの額を軽く押すと、その手を解いて今度は
 サンダウンの帽子を優雅な手つきで払い落すと、サンダウンの頬を両手で包みこんだ。その繊細な
 指はその白さに反して温かく、その熱に思わず目を閉じる。

 「こんな日に一人っきりなんて寂しいおっさんだな、あんたも。どっかの酒場で娼婦でも引っかけ
  りゃ良かったのに。」
 「………お前こそ。」

  その気配に気づかなかった自分を罵りながらも、何故マッドが此処にいるのか理解できないサン
 ダウンは、その問いも含めて言い返す。するとマッドは笑みを消さぬまま、自慢するように言った。

 「ばーか、俺はあちこちからお声が掛ったんだぜ?どれか一つを選んだら、そこで血を見るような
  争いが起きるくらい。」
 「………だったら、順番に回っていけば良いだろう。」
 「そんな面倒なことできるか。大体、俺が行ってみろ。そこらにいる奴らが酒を注ごうとすり寄っ
  てきて、鬱陶しくてかなわねえ。俺は酒くらい自分のペースで楽しみてぇんだよ。」

  まるで聖歌を歌うような声でそう言うと、マッドはサンダウンの頬から手を離す。その瞬間に風
 が通り過ぎ、サンダウンは何か惜しいような気分になった。
  しかしそんなサンダウンの心境に気づいているのかいないのか、マッドはごそごそと荷物を漁っ
 て一本のボトルを取り出す。ちらりとサンダウンを見やり、彼は口元を吊り上げた。

 「さて、うるさい連中もいねぇし、ゆっくり祝おうぜ。」
 「………………。」
 「そんな顔するなよ。ボルドーの上等のワインだぜ?この日に飲むにはもってこいだろ?あんただ
  って気に入るさ。」
 「………嫌とは言っていない。」

  そう、先程まで凍えていた自分が馬鹿らしいだけで、一瞬で凍えを吹き飛ばしたこの男に対する
 思いを持て余しているだけで、嫌だとは思っていない。
  サンダウンのセリフに、マッドは笑みを浮かべただけで何も言わなかった。代わりに小さく何か
 を口ずさみながら、ボトルの蓋を開けている。耳を傾ければ、それが歌であると気付いた。

  Angels we have heard on high
  Sweetly singing over the plains
  And the mountains in reply
  Echoing their joyous strains.

  この夜に相応しい歌を歌いながら、黒い髪の賞金稼ぎは優雅な手つきでコップを取り出すと、そ
 こに赤い液体を注いでいく。秀麗な声は教会で聞くそれよりもこの世界に相応しく、そして彼が用
 意したワインは、彼が言った以上に救世主の血に近いに違いない。いや、むしろそれはマッドの血
 を連想させる。

  その血は、喉を焼き尽くし罪を購うほど苦いだろうか。
  それとも更なる堕罪へと誘うほど、甘いだろうか。

  そんなサンダウンの思惑など知らぬ態で、マッドはワインを注ぎ終える。
  ひょい、と差し出されたコップを受け取れば、マッドは屈託なく笑った。それは、あの窓の中で
 見かけた二度と戻れない穏やかな世界を思わせる笑みだった。しかし、あの時に感じたような喪失
 感も焦燥もなく、小さな思い出の一端としてサンダウンの中におさまった。
  それは、まるで大きすぎて飲み込めなかった塊が、噛み砕かれた事で楽に飲み干せるようになっ
 たかのよう。
  マッドは分かっていたのだろうか。サンダウンが凍えていた事を。悲鳴を上げていた事を。
  いや、きっと気づいていないだろう。それでもサンダウンのもとにやって来たのは、彼が紛れも
 なく、魔王を打破する為に生きる存在だからだ。だからマッドはこうして、本当ならば場の中心に
 いるはずのところを、サンダウンのもとへと現れている。
  それが分かっているから、サンダウンも自分の中にいる魔王を手放せない。

 「Merry Christmas.Kid.」

  もう一度、柔らかい声で囁かれて、サンダウンは満たされた赤い液体を飲み干した。 
  飲み干したそれは、マッドの眼と同じ色をした夜の澄み切った味がした。






  世界の民よ喜び歌え!