見つけた醜い亡者は、何よりも美しい獣の姿をしていた。
  光を全て呑み込んだような毛並みも眼の色も、それはあの荒野を駆け回る凶暴で鮮烈な命が持っ
 ている形だ。見間違えようもない姿は、確かに、一部の狂いもない。
  姿だけは。
  だが、そこから滲み出る気配は、紛れもなく亡者の冷たく、じゅくじゅくとした粘っこいものだ
 った。その姿と、その気配の差に、サンダウンは思わず吐き気が込み上げる。魔術師の歪みきった
 魂が作り上げる表情は、どう考えてもその端正な顔に乗せるべき笑みではない。
  冒涜的なまでなアンバランスに、嘔吐感に次いで湧き起こったのは、嫌悪感だった。
  よりにもよって、その身体に、そんなおぞましい気配と熱を注ぎ込んだのか。
  嫌悪を通り越して憎悪に近い感情を込めて、サンダウンは銀色の銃口を、その爛れきった魂に向
 けた。




  Rain
  





  サンダウンを映す黒い瞳は、確かにサンダウンの記憶にあるままの色と形をしている。けれども
 そこに灯る光が、この世界と同じくすんだ色をしていた。しかし、その背に何一つ背負っていない
 のを見て、それが明らかに『彼』とは別の存在である事が、はっきりと分かった。
  サンダウンを見て、勝ち誇ったように嗤う顔は、確かに『彼』のものだが、『彼』が浮かべる表
 情ではない。

 「ああ、なんだ、生きてやがったのか。てめぇといい、オルステッドといい、そういう魂は死に損
  ないが多いのか。」

  かかと嗤い、吐き出す声は、何処までも音楽的に繊細だ。しかし、だからよりいっそう、その声
 の裏に見える腐臭にも似た魔術師の気配が目立つ。そして、腐臭のする言葉を、形の良い唇で紡い
 でいく様は、まるで花弁に蛆が湧いているのと同じくらいの不気味さを醸し出す。

 「どうだ、この身体は?てめぇには感謝しなきゃな。てめぇの中にこの身体の持ち主がいたから、
  こうして俺は実体を取り戻す事が出来たんだからな。この身体の持ち主と、俺は、同じ魂を持っ
  てやがる。まったく上手く出来てるもんだな、世界ってのは。オルステッドと同じ魂をしてやが
  るてめぇが、この俺と同じ魂をしたこいつを思ってやがるんだから!」

  魔術師の大笑に、サンダウンは『お前の中には確かに俺がいる』という魔術師の台詞を理解した。
 と同時に、はっきりと憎悪を覚える。
  よりにもよってその身体に、そんな腐臭すら漂う醜い魂を注いでいる魔術師には怒りを感じたが、
 しかしそれに飽き足らず、同じ魂とまで言うのか。
  サンダウンは、自分の腹の底で今か今かとその時を待っている魔王が、何故これほどまでに怒り
 狂っているのか、はっきりと分かった。サンダウンの為の勇者の形を、おこがましくも形作る亡者
 に、憤怒の色を浮かべているのだ。
  だが、そんな大切な事に、ストレイボウは――勇者出ないが故に――気付かない。

 「そうさ、この魂はお前達の魂にいつもいつも上を行かれちまう!お前達には、そんな俺の気持ち
  なんか分からねぇだろう!でもな、此処は、心の迷宮だ。心が具現化するこの場所では、思う心
  が、思われる心が強ければ強いほど、魂は強くなっていくんだ。つまり、てめぇがこの魂を思え
  ば思うほど、俺の力は跳ね上がっていく!だから、この魂を思うてめぇは、俺に勝てねぇんだよ、
  キッド!」

  赤い唇が己の名を呼んだ瞬間、サンダウンの中で、魔王が瘴気を纏って沸騰した。
  ひっと声が上がって、魔術師の後ろで身を固めている少年少女達が顔を引き攣らせ、サンダウン
 に道を開けるように脇にのいていた青年と少年も、サンダウンの気配の転調に身を竦ませている。
  だが、そんな事はサンダウンにはどうでも良い。
  今は、眼の前で勇者を冒涜している魔術師の喉を捻り潰すほうが、先決だ。

 「………れ。」

  夜の底を這うような声を絞り出し、サンダウンはストレイボウの顔を睨みつける。

 「黙れ…………。」
 「誰が黙るかよ!てめぇの、てめぇらの思い上がった魂に、やっと一矢報いる事が出来るんだぜ!
  黙ってなんかやるかよ!まして、それがてめぇの気分を逆撫でするってんなら、尚更黙ってなん
  かやらねぇよ!」
 「黙れ…………!その声と顔で、私の名を、呼ぶな…………!」

  サンダウンの長く伸びた影が、ぐにゃりと歪んで更に大きく広がったように見えたのは、きっと
 レイだけではないだろう。その場にいた全員が、哄笑する魔術師よりも、よりおぞましい影を孕ん
 だ最年長者の気配に気付いたはずだ。
  ――ストレイボウを除いては。
  本来ならば、真っ先にサンダウンの転調に気付いて、その牙を受け止めるはずの身体は、全く機
 能せずに己の成した事に酔いしれているだけの存在となっている。

 「うるせぇよ!オルステッドの前に、まずはてめぇから血祭りにしてやる!」

  言うや否やの弾指、端正な手の中に鋭く尖った人の頭ほどもある大きさの氷柱が渦巻いている。
  きらきらと光輝くそれは、ぐるぐると回転しながら分裂し、無数の牙となるや、サンダウン目掛
 けて突風のように降り注いだ。

 「死ね死ね死ね死ね死ねぇええええええっ!」

  絶叫のような声には、端正さの欠片もない。
  それに、降り注ぐこの氷柱も、残酷に煌めいているが、その煌めきは作り物のようで、『彼』の
 指先には相応しくない。『彼』がその手に持つのは、どれだけ武骨であっても繊細であっても、確
 かに重みを感じられるもののはず。
  それに比べれば、この魔術師が放つものの、なんと稚拙な事か。
  霧のように襲い掛かる氷の群れを、氷よりも遥かに冷ややかな眼差しで見やって、サンダウンは
 ただ銃を掲げた。
  そして、轟音。

 「は…………。」

  氷が通り過ぎ去った後、ストレイボウは呆然として眼の前に広がる光景を見る。
  サンダウンを貫くはずだった氷柱は、サンダウンの脇を通り過ぎ去った物を除けば、悉くが完膚
 無きにまで砕かれ、その破片が薬莢と一緒に床に落ちるだけとなっている。銀の銃弾で叩き潰され
 た氷柱は、安っぽい樹脂のように破片をぬるりと光らせているだけだ。

 「ちくしょう、てめぇえええ……………っえ?」

  歯を剥き出しにして喚くストレイボウの声が、途切れた。代わりに、鋭い銃声が回廊を駆け抜け
 る。同時に、端正な身体から、指が数本千切れ飛んだ。その衝撃に、ストレイボウは間の抜けた声
 を上げる。
  だが、何が起きたのか理解した瞬間に、痛みが這い上がってきたのが、絶叫した。中指と人差し
 指を吹き飛ばされた右手、薬指と小指を千切り取られた左手を見下ろし、無様にも膝を突いて、吠
 える。

 「あ、うああああががあああっ!」

  傷口から零れ落ちるのは、真っ赤な鮮血ではない。どろりとした、ぬばたまの、闇、だ。それが
 端正な身体の中に入っている魂が何者なのかを、何よりも明確に物語っている。 

 「て、てめぇっ!てめぇっ!」

  痛みに喘ぎ、見苦しい声を曝す魔術師に、サンダウンはようやく脚を踏み出した。サンダウンが
 一歩近づくごとに、魔王の気配が深くなる。
  少年や青年達は、広がる闇の淵に呼吸を荒くし、身を竦ませている。
  そして、流石に今度ばかりは、ストレイボウも気が付いたようだ。サンダウンから迸る、圧倒的
 な魔王の気配に。無様に喘ぐ喉元から、ひゅっと情けない音を立てて、べたりと尻を床について、
 長い脚を必死に掻いて、後退ろうとしている。

 「………どうした?」

  魔術師のその姿に、魔王は低く問うた。

 「私を、血祭りに、するんだろう?」

  ほんのりと、嗤いを含んだ声。それが恐怖を掻きたてる。まして、この、底のない気配が支配す
 る中では、その圧力の所為で息をする事さえ困難を極める。
  じわりとサンダウンの影がストレイボウの身体に被さり、ストレイボウの身体は一気に震えた。
  喜びに、ではない。それは只管に恐怖だった。オルステッドにさえ感じた事のない恐怖が、今、
 眼の前の魔王から噴き出している。

 「う、うわっ、わわわああああっ!」

  後退ろうともがく脚が激しさを増す。床を蹴るばかりで一向に動かない姿に、ストレイボウが今
 どれほどの恐怖に満たされているのかが分かる。

 「く、来るな来るな来るな!」

  叫んで逃れようとする姿は、どう考えてもサンダウンの知る『彼』の姿ではない。この身体は、
 どれだけサンダウンが魔王と化しても、笑いながら対峙するはずだ。指が千切れようとも、最期ま
 で喉元に喰らいついてくる。
  それをしない眼の前の魂は、決して勇者の魂では有り得ない。
  何事か喚きながら、空を掻く魔術師の手の中に、樹脂のような光を帯びた炎が宿った。それを恐
 怖を込めてサンダウンに投げつけようと振りかぶった瞬間。

 「う、うがあっ!」

  弾けるような音と共に、炎を纏っていた腕が弾け飛んだ。そこから飛び散る黒い液体。それはま
 るで、身体が、中に灯した魂を拒絶しているかのような反応。
  その考えは、強ち間違っていないだろう。妙に薄っぺらい炎や氷を纏うストレイボウの魂が『彼』
 の身体を扱えるはずがないのだ。仮にストレイボウの魂と『彼』の魂が同じであったとしても、歩
 く道は完全に別たれている。ならば、その別たれた後の道程が、大きな差を呼ぶ事は有り得るのだ。
  それが分からないこの男に、魂が同じなどと軽々しく口にして欲しくない。
  サンダウンは顔を引き攣らせているストレイボウに、銀の銃口を突きつける。ぽっかりと開いた
 銃口は、サンダウンの魔王と同じ暗さを湛えていた。
  それを見たストレイボウは、悲鳴のような声を上げる。

 「待て、待て、待ってくれ!」

  憐憫の情など微塵も感じさせない男の声は、どこまでも見苦しくサンダウンに纏わりついた。

 「分かってんのかよ!この身体は、俺のものじゃねぇんだ。あんたが思ってる、人間の身体なんだ
  ぜ?!あんたの心の中から、俺がそいつの魂を引き摺り出して、作り上げたんだ!だから、俺を、
  この身体を壊したら、この身体の持ち主も壊れるんだぜ!」

  その言葉に、サンダウンの動きがぴくりと止まった。顔を顰めてストレイボウを見下ろし、今に
 も引き金を引きそうだった指も、止まっている。
  それを見て、ストレイボウは口元に笑みを浮かべる。

 「ひゃはははははっ!残念だったな!てめぇが、この身体を思っている以上、俺はてめぇには負け
  ねぇんだよ!マジで、俺の為にあるような身体だぜ、これは!」
 
  仰け反るようにして哄笑する魔術師。
  だが――――。

 「あいつなら、喜んで私に撃ち殺されるだろうな。」

  ぞっとするほど優しい声が、魔王から降り注いできた。同時に、ストレイボウの額に冷たい金属
 の筒が押し当てられる。恐怖に顔を引き攣らせる暇も、何か言い残す暇も、与えられなかった。
  耳の奥に銃声の残響を最後に聞いて、おこがましくも光を呑み込む身体を自分の物としようとし
 た魔術師は、心ごと魂を粉々に砕かれたのだ。
  撃たれた瞬間に、実体を失い影を失い、ローブを纏う醜い姿に戻った魔術師を一瞥し、サンダウ
 ンは小さく呟く。

 「魂の一部を削り落とされたくらいで、壊れるような人間でもない。」

  そんな事をされても、蚊に刺された程度くらいにしか思わないだろう。サンダウンが戻った時に
 は、いつもと変わらない笑みを湛えて、朝焼けの光を背負ってやって来るはずだ。



  あの、何もない荒れ果てた大地の上で。
  きっと、サンダウンが抱え込んでいる魔王さえも全て纏めて、サンダウンを待っている。