『魔王』と呻かれる存在の、親友だったと告げる亡者は、ストレイボウと名乗った。彼と最初
  に接触したのは、亡者達が激昂する前の事である。
   心の迷宮であるその場所は、最初は、薄暗く湿っぽい、亡者が徘徊するものの、ただ陰鬱な場
  所というだけだった。その回廊に蹲る亡者達の一人として、ストレイボウはサンダウン達の前に
  現れたのだ。

  『俺の所為だ………。』

   そう、悔恨に満ちた声を零しながら。
   ひたすら嘆きを呟く亡者達の中にあって、唯一理性の色を浮かべていた彼は、鈍色の長い髪の
  間から剃刀色の瞳を覗かせ、サンダウン達を見たのだ。

  『俺は、あいつの友人だと思っていた。けれど、それは、俺だけがそう思っていたのかもしれな
   い。』

   自嘲に歪んだ声は、只管に哀しみの色が深い。悲壮な顔は、オルステッドという『魔王』に成
  り下がった友へと向けられている。
   尤も、それは今や、相手には届かない。




   Composite






   友であった魔王を止めて欲しいと訴えた亡者の言葉通り、サンダウンは回廊から水が引いた場
  所へと脚を運ぶ。
   壁に伝う蔓や苔がこそげとられた場所から、それが残る場所へ場所へと歩いていく。
   青年達を攫った波は、遠くへ彼らを攫っていき、そして彼らを置き去りにしたのだという。そ
  して、水は彼らのもとへサンダウン達が辿りつく事がないようにと、戻ってきた。
   ストレイボウの言葉が正しい事を示すように、確かにアキラは水が引いた床の上に倒れていた
  し、アキラを運ぶ最中に水の塊に襲われた。
   そうやって分断して、少人数になったところを攻撃するつもりか。
   しかし、何故。
   噴き上がった亡者達の悲鳴と呪詛が、サンダウン達に向く理由が分からない。
   サンダウン達はオルステッドではないし、また、亡者達に何かをした記憶もない。事実、亡者
  達の反応が翻った時には何の前触れもなかった。
   それについて、ストレイボウはこう告げた。

  『此処にいる亡者達を見て、どう思った?皆、我を失って嘆くばかりだろう?彼らはオルステッ
   ド対して強い恨みを持って死んだ。その恨みが深すぎて、理性を失ってしまったのさ。』

   理性のない彼らは、徐々に己を襲った悲劇に対して理不尽さを深め、そしてそれは生ある者へ
  と牙を剥く。おそらく命のあるサンダウン達がいる事で、彼らは自分達の死への嘆きを更なる深
  みへと導き、全ての亡者達の嘆きが深まったところで一気に破裂したのだろう。
   それが果たして事実なのか、彼らの死に様や生前の姿を知らないサンダウンには判断がつかな
  い。しかし、ストレイボウという亡者の言う事を全て信じるわけではないが、他に信じるものが
  ないのも、また事実だ。
   何せ、此処にいる亡者達は、ストレイボウを除いては、全員が激昂すると同時に蒸発してしま
  ったかのようにその姿を隠している。
   サンダウンを襲う水の一滴一滴にさえ染み込んでいるのか、あちこちから彼らの悲嘆の残滓を
  嗅ぎ取る事は出来るのだが。



   キューブとおぼろ丸にアキラを託した後、サンダウンは彼らがストレイボウと共に残る行き止
  まりの道を引き返した。そして、ストレイボウの言葉に従って、水の薄いほうへと脚を進める。
   その間、決して周囲に気を配る事は怠らず、腰に帯びたピースメーカーをいつでも引き抜ける
  ようにホルスターの留め金は外してある。真鍮のひんやりとした銃把を指でなぞるのは、いつま
  た水が泡立って襲ってきても良いように、そしてストレイボウの言葉が罠であった時の事を考え
  て、だ。
   水の襲撃については、それがサンダウンと他の青年達との合流を防ぐため云々を抜きにしても、
  一度襲われている以上警戒するに越した事はない。そしてストレイボウの言葉――青年達が水辺
  から離れたところにいるとか、その他諸々の言葉に関しては、端から信じきらないほうが良いと
  いうのが、サンダウンの経験から導き出した答えだった。
   情報が少ない中、数少ないそれらに縋りつきたいのは尤もな話だが、それが如何に危険である
  かサンダウンは保安官時代を含むこれまでの行程で知り尽くしている。
   だから、得られた情報をもとに答えを導き出す時は、決して気を抜いてはならないのだ。
   次第に泥が堆積し始めた回廊に足跡をつけ、サンダウンは津波で引き千切られた苔や蔓が散乱
  する道を歩く。濡れた跡が残るその場所は、今では湿ってはいるが水は引いており、濡れていな
  い部分には苔がへばりついている。
   どうやら、ストレイボウの言う、『水が青年達を連れ去った場所』に辿り着いたようだ。アキ
  ラを見つけた時のように帰り際に水に襲われる可能性もあるだろうが、乾いた場所では少なくと
  も敵の気配はない。
   しかし、だからと言ってこんな得体のしれない場所である以上、気を張り詰めるのは当然であ
  り、サンダウンは息を潜めつつ、蒼褪めた石畳をゆっくりと進んでいく。堆積物を踏み潰すたび
  に、ぐちゅりという生々しい音は消せそうにないが、出来る限り音を立てずに曲がり角の向こう
  側の様子を窺う。
   壁に背を預け、視線だけを角の向こう側へと動かすと、そこには体格の良い影がサンダウンに
  背中を向けるような格好で立ち尽くしていた。袖のない服とそこから生えた二本の腕は隆々と逞
  しく、ちょっとやそっとの事では折れそうになさそうだ。
   その影は紛れもなく、津波に攫われた青年の一人であり、サンダウンが捜していた一人だ。
   だが、何かがおかしい。
   まるで子供のように伸び伸びとしているはずの、青年の気配がない。
   そんな直観以外にも、格闘技を得意とする青年が、サンダウンの気配に気付いていないのか、
  こちらを振り向きもしないなど、有り得るだろうか。
   言いようのない不快感がサンダウンの腹の中に一滴一滴と垂らされる中、突如、青年が振り
  返った。人形のように首を動かし、その反動で身体も動いたのだというような動作は、己の意
  志で動いている者のそれではない。
   いや、その前に、赤い鉢巻の下にある、両の眼が。
   鉢巻以上に、赤く染まっている。
   本来ならば東洋人特有の黒い髪と同様、黒い眼を持っているはずの青年は、文字通り眼を真
  っ赤にして、一つの動作をするたびに、他の身体の部位も反動で動くという、振り子の玩具の
  ような動きで、サンダウンに間合いを詰めてきた。
   銃を掲げても、最初に出会った時のように『銃には敵わない』とは言わずに、肉薄してくる。
   あまにりも隙のありすぎる動きで、サンダウン目掛けて拳を振り降ろしてきた青年は、どう
  考えても青年の意志でなされたものではなかった。
   とはいえ、鍛え抜かれた腕から繰り出される拳である。当たればひとたまりもないだろう。
  軽い舌打ちと共に、サンダウンがそれを躱せば、獣のように俊敏に動くはずの身体は、そのまま
  つんのめって倒れる。
   が、すぐに弾かれたように立ち上がって、再び向かってくる。
   それの繰り返しに、サンダウンはどうするべきか考えあぐねた。銃で撃てば彼を傷つける事に
  なる。だが、いくら精度が低いとはいえ、ずっとこんな事をしていればサンダウンの体力が削ら
  れるばかりだ。それに狭い回廊では、避ける事もそれほど簡単なことではない。
   打つ手がないサンダウンは、対峙している青年の他に、背後からまた言い知れない不快感を催
  す気配が迫っている事に、その時になってようやく気が付いた。
   前にいる人形のように動く青年に気を取られている隙に、接近を許したその気配は、違わずに
  サンダウンの頭部を狙って攻撃してきた。間一髪のところで避けたサンダウンの、すぐ横を通り
  過ぎて、サンダウンを狙った石斧は蔦の這う壁に食い込む。
   びしり、とひびの入った壁から石斧を引き抜いた小さな影は、治まりの悪い緑の髪を震わせな
  がら、やはり赤い眼でサンダウンを睨みつけた。言葉を使わぬ少年は、獣のような低い唸り声を
  上げるや、再びサンダウンに襲い掛かる。

  「…………っ!」

   青年の人形のような動きとはまるで違う、研ぎ澄まされた刃のような的確な動きに、サンダウ
  ンは思わず息を飲んだ。思いもかけなかったその動きに、それでも躱してのけたのは、ほとんど
  が反射のようなものだった。
   だが、直後に空を切り裂くような斬撃が立て続けに繰り出される。その背後からは、人形のよ
  うにふらふらと動く青年が、腕を振り上げている。
   振り上げられた石斧と拳が前と後ろの両方から接近する中、サンダウンは咄嗟に横に飛びのい
  た。

  「ほぶっ!」

   飛びのいた瞬間、少年の振り上げた石斧が青年の顔面を直撃し、青年は何処となくコミカルな
  悲鳴と共に、仰向けにひっくり返る。倒れる瞬間、噴き上がった鼻血が、綺麗な弧を宙に描いた。
   それっきり動かなくなった青年には見向きもせず、少年はやはり赤い眼をしたまま、重低音を
  喉の奥から這い出させて、サンダウンを睨みつける。姿勢を低くしたその体勢は、獲物に飛びか
  かる直前の肉食獣を思わせた。
   ただ、じりじりと間合いを詰める少年は、サンダウンの隙を探そうと眼を光らせているようで、
  なかなか飛びかかってこようとはしない。
   つまり、何らかの手段を講じるのは今しかないわけだ。
   その瞬間、サンダウンの意識が少しだけぶれる。
   それを見逃さず、少年の小柄な身体は跳ね上がり、斧を振り上げた格好で弾丸のようにサンダ
  ウン目掛けて突っ込んできた。
   が、その時には、サンダウンの手の中には魔法のように、いつの間にか引き抜かれたピースメ
  ーカーが銃口を開いている。そこから一気に吐き出される6発の銃弾。
   銃声がほとんど一つに聞こえる速さで放たれた弾は、少年の米神ぎりぎりを掠め去っていく。
   撹拌されるような空気の渦を生み出して。それを頭のすぐ近くで感じた少年は、軽い脳震盪を起
  こして、先程までの勢いは何処へやら、ぼってりと地面に墜落した。
   意識を失った二つの身体を見下ろして、サンダウンは、どうにか傷つけずに済んだ事を安堵す
  ると同時に、何故この二人が自分に襲いかかってきたのかと眉を顰める。
   二人が操られていた事は、動き方やその眼の変化からも明らかであったし、何よりも気配が彼
  ら特有のものではなかった。
   では彼らに何が起きたのか。
   考えられるのは、津波に攫われた後、やはり亡者達の影響を受けたからとしか思えない。
   だが、本当に、亡者の所為だけなのだろうか。
   理性を失った亡者に、人を操るなどという、迂遠な事が出来るのだろうか。

  「………………。」

   それらを考えるには情報が少なすぎる。
   それに、まだ、全員揃っていない。
   残る最後の一人を、捜さなければ。