あんたにこんな事を言うのは多分無意味なんだろうけど、と前置きしてから、彼は続ける。
「歴史ってのは強者によって形作られるもんだ。正史って呼ばれるもんは、大体において勝った側
の意見で作られる。南北戦争だってそうさ。」
奴隷解放宣言ばかりが表立っているけれど、その裏側に蠢く政治と金については、誰も声を上げ
て追求しようとしない。
でもよ、と彼の形の良い唇がサンダウンに何かを伝えようと――きっと彼自身にも分からない警
告を伝えようと、言葉を紡ぐ。
「負けた側――被害者側の意見が尊重される事もあるよな。例えば、加害者が何らかの理由で自分
のした事について、弁解を出来ない時とか。或いは、被害者が可憐な美少女とかだったら、そっ
ちを味方したくなるよな。けど、それが正しくない場合だってあるだろ?」
それは、賞金稼ぎとして、弱者の嘆きを聞く事のある彼だからこその、言葉だったのかもしれな
い。
Flat
白い丸い金属――キューブという名前らしいその物体が、先導を切る後ろで、サンダウンは何事
もなかったように揺らめく水面を掻き分ける。キューブによってその鎌首を焼き切られた水は、蒸
発した己の身体の一部に恐れを成したのか、それ以上身体を波打たせる事はなく、今ではサンダウ
ンが歩く時に、漣を立てる程度の反応しか示さない。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返った回廊は、しかしやはりまだ死者の高ぶりは静まってい
ないのだろう。背負ったアキラが、我を取り戻す気配はなく、その身体が小刻みに震える事が布越
しにも分かる。
とにかく、早く安全な場所へ、と思っていると、先を歩いていたキューブが、キュルルルと鳴い
て、促すように一回転した。
そこは、一番最初に津波が湧き起こった場所だ。
流された青年達を捜して発った場所に、サンダウンはようやく戻ってくる事が出来たのだ。
キューブが立ち止っている場所を左に曲がれば、そこは行き止まりで、小さな部屋のようになっ
ている。その場所からは今は水が引き、無機質で冷ややかな蒼褪めた石畳が剥き出しになっている。
苔生して、壁には枯れたような蔦が這うその部屋の隅には、小柄な影が蹲っていた。
彼はサンダウンが戻ってくる事を予知していたのか、サンダウンを見ても驚く素振り一つ見せず、
むしろサンダウンを待ちかまえていたかのように顔を上げていた。
尤も、彼の属性を考えれば、予知していたと言うのは強ち間違いではないのかもしれない。
「おお………アキラ殿を見つけてきたでござるか。」
古めかしい口調で、サンダウンが背負う少年を見て安堵の声を上げた彼は、口元を隠しており、
表情は分からない。ただ、その眼光の鋭さが、彼の意志を伝えてくる。
高い声と身体の線の細さから、どう考えても彼もまだ少年の域を脱していないはずなのだが、そ
の眼は、老人のような狡猾とも達観ともとれる光を宿していた。それは、年に似合わぬ血腥さを知
っている眼差しだ。
アキラを含むその他の青年達が、この回廊を包む死者の圧倒的な怨嗟に精神を追いこまれる中、
彼だけはその経験故か、くずおれる事なく踏みとどまっていた。
しかしサンダウンにしてみれば、それは感嘆よりも痛ましさを感じる。もしかしたらアキラと同
じくらいの歳の頃かもしれないのに、サンダウンと同じ――いやもしかしたら、それ以上か――の
血の色を纏っているのは、その境遇が決して平坦なものではなかった事を示している。
それは、彼の、殺す為の身のこなしから考えても、明白だ。確実に敵を屠るその動きは、表を生
きる者には有り得ない。
だが、そんな、敵にしてみれば蒼褪めるほどの身の動きは、今では叶わない。
少年特有のほっそりとした膝から下は、津波によって打ち砕かれ、崩れた壁の瓦礫によって覆わ
れているからだ。
水の塊が襲いかかってきた時、それから皆が必死に逃げる中、彼が今にも水に押し潰されそうに
なっている少女を助けようと身を乗り出して彼女を突き飛ばし、代わりに瓦礫に足を飲みこまれた
のだ。
そして彼が庇った少女は、その甲斐なく津波に飲まれて、他の青年達と共にいずこかに押し流さ
れてしまった。
濁流が消え去った後に残されたのは、サンダウンとキューブ、そして瓦礫に脚を奪われた少年だ
けだった。
少年を襲った瓦礫は重く、簡単にはどける事が出来なかった。キューブがレーザーで打ち壊そう
にも、それでは瓦礫に飲まれた脚も一緒に傷つける恐れがある。
ただ、不幸中の幸いは、キューブが瓦礫の隙間をくぐって、彼の脚を治療出来た事だ。僅かな隙
間から施した治療は完璧ではないにしても、一刻を争う事態を避ける事は可能とした。
しかし、瓦礫から彼を助け出す事は出来ず、仕方なくサンダウンは、彼をそのままにして、何か
あった時の為にとキューブを残して、流された残りの若者達を捜しに行ったのだ。
「………あとは、高原殿とレイ殿、そしてポゴ殿でござるか。」
呟く少年の声には苦渋の色が深い。
無理もない。津波の時に少女を助けるつもりが、結局はおめおめと奪い去られ、しかも津波が去
った後は彼らを捜しに行く事も出来ないのだ。
そんな苦い色を見て取ったわけではないが、サンダウンは呟くように言い聞かせる。
「………大丈夫だろう、あの3人なら。あの3人はそれなりに身体を鍛えている。少なくとも……。」
未だ強張って震え続けるアキラを一瞥し、続ける。
「この状態のアキラが無事だったんだ。あの3人なら、問題ない。」
アキラの基礎体力の低さが折り紙つきである事を、暗に匂わせてやると、細い身体がふっと和ん
だ。眼光も、少し穏やかになる。
「………そうでござるな。」
噛み締めるように呟く少年を見下ろし、そろそろもう一度捜しに行こうかと身を翻すと、そこに
は見覚えのあるローブ姿が浮かんでいた。半透明で、霞みがかったようなその姿は、この回廊のあ
ちこちに蹲る亡霊達のそれだ。
しかし、他の亡霊達が激昂と共に姿を消した中、その亡霊だけは我を保って、こうして姿を現す。
鈍色の長い髪を肩に散らし、剃刀色の眼を沈鬱に歪めると、亡霊は呟いた。
『すまない………俺の所為だ。』
何処からともなく響く、地裏のような声で亡霊は繰り返す。
『すまない、あいつがあんな事をしなければ…………。』
怨嗟の中に出てくる『勇者』であった『魔王』の親友だったというその亡霊は、サンダウン達を
見渡して、耐えられなくなったように顔を覆う。それは親友の犯した所業に対する嘆きの所為か、
それも親友に向けられる、己と同じ亡者の怨嗟の所為か。
徘徊する亡者達は、激昂する前は透明の身体をふらつかせるだけで、嘆きこそ深かったものの、
決してその感情は攻撃的ではなかった。少なくともサンダウン達には牙を向けず、唯一人に向けて
呪詛と怨嗟を吐き捨てた。
彼らは悲しみに、時には怒りを滲ませて、一様にこう告げた。
オルステッドの所為だ、と。
オルステッドという若者が、勇者の振りをして王女に近づき、王女を攫い、国王を殺したのだ、
と。
そして果てはルクレチアという小さな王国を、一夜にして滅ぼしたのだ、と。
彼らの語る『オルステッド』という若者の像は、正に御伽噺に出てくる絶対悪の魔王そのものを
成していた。
あまりにもその力についての説明が過ぎて、誇張ではないかと疑うほどだったが、けれども実際
にこの世界は色を失うほどに壊されているところを見れば、オルステッドが魔王である事は間違え
ようもない。
そして、魔王となった勇者は、親友の命までも奪ったのだ。
命を奪われた親友は、命を奪った友である魔王の為に、こうして嘆いている。
『でも、俺には、もうどうする事も出来ないんだ。助ける事も、何も………。』
悲痛な色で告げて、彼はのろのろと再び顔を上げ、ほつれた長い髪の隙間から、救いを求めるよ
うにサンダウンを見た。
『頼む、あいつを、止めてくれ。これ以上は、見ていられないんだ。あんた達の仲間が連れ去られ
た場所を教えるから。』
だから、頼むから。
そう言って、亡者は今にも掻き消えそうな身体を震わせた。