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 「何をさっきから、じろじろこっちを見てやがる。」

  黒く細くしなやかな背中が、振り返りもせずに冷たく言い放った。
  唐突に放たれた言葉に、少し驚く。確かにその背を見つめていたが、よくもまあ分かったものだ。
  いや、仮にこちらが見ている事が分かったとしても、こちらの視線に気が付いたとしても、大概
 の人間は、振り返ってそれっきりこちらの事など忘れてしまうだろう。まして、見ている事を咎め
 るなどしないに違いない。
  だが、自分を引く若い賞金稼ぎは、振り返らぬままに己の背に刺さる視線を一蹴した。こちらが
 何者であるのか分かっていないというふうではない。それどころか、何者であるのか正しく理解し
 ているから、そう吐き捨てたのか。
  何も知らぬ小僧だと思っていたが、その認識は改めなくてはなるまい。
  ディオは、うっそりとそう独り言ちた。




 
     Stigma





  ディオは馬だ。
  漆黒の毛並みを持つ、他の馬に比べればかなり上背のある、気性の荒い馬だ。ディオを見て立派
 な事だと言い、乗りこなそうとした輩は大勢いる。だが、大半の人間はその背に乗ろうとした瞬間
 に蹴り飛ばされていたし、或いは近づいた瞬間に畏怖を感じてその場にへたり込んでしまうのが常
 だった。 
  だから、ディオはほとんど真面に人間を背に乗せた事はない。
  かの有名な、第七騎兵隊が死した場面でさえ、ディオは死体を背に乗せた事はあっても、生きて
 いる人間を背に乗せた事はなかった。ディオは乗り手のいない戦車として戦場に放り込まれたのだ。
 荒々しくインディアンどもを蹴り殺し、引き摺り殺す為に。
  白人共にしてみれば、乗り手のいない戦車が先陣を切って、インディオを殺す事は幸いであった
 だろう。何せ自分達の犠牲を減らせるのだ。
  だが、何の皮肉か、第七騎兵隊の人間は全滅し、人を乗せないディオはただ一頭、そこに生き残
 った。
  ただ一頭、戦場に立ち尽くす黒馬を見て、なんと思ったか。
  賢明なるインディアンは、その様に本能的に危険な香りを感じたのだろう。死体を蹄にこびり付
 かせるディオを、遠巻きに眺めるだけだった。手を触れてはならない。そう感じたのは先祖代々か
 らの、偉大なる教えのおかげだったか。
  しかし、そんなものをディオが考えてやる必要はない。ディオにしてみれば、人間というのはあ
 まりにも貧弱で愚かな生き物でしかない。己可愛さに、別の誰かを殺す事も厭わない、同じ種族同
 士であろうとも殺し合う事を受容する生物だ。
  むろん、他の生物にも同族殺しは存在する。己の遺伝子を残す為の本能としてそこにある。だが、
 わざわざ海を超えてまで同族殺しをするのは連中だけだろう。
  腹の中で、ディオは大笑する。
  ディオに近づかぬ分だけ、インディアン達は白人よりも賢明だ。しかし、よもや部族間同士での
 殺し合いがなかったとは言うまい。その点では、インディアンも白人も同じ侮蔑対象だ。
  遠目にこちらを見る、インディアン達の前で、だからディオは、転がった死体の肉を食んで見せ
 た。馬にはあるまじき行為に、彼らは何と思ったか。想像するに難くない。理解できぬ存在を見た
 時の人間の考えなど、東西南北皆同じだ。
  現に、インディアン達は、ディオに銃を向けた。
  ディオを悪魔か、化け物とでも思ったか。人間の肉を食む事に、大した意味などないだろうに、
 始めて馬が人間の肉を食む光景を見たが故に、重大と考えたか。
  自分達も、同じように食われると思ったか。
  まあ、それも良い。
  インディアンが銃の引き金を引くよりも早く、ディオは一蹴りでその間合いを詰めて見せた。普
 通の馬では有り得ないほどの脚力。ディオは驚きもしなかった。あまりにも大量の人間の血を浴び
 すぎて、そこに渦巻く感情の坩堝を被りすぎて、自分がもはやただの馬のように無邪気に人を蹴り
 飛ばせぬ存在となっていた事は、承知していた。
  だが、インディアン達は、何も承知していなかっただろう。ただ、ディオをおぞましいとは思っ
 ていただろうけれども。
  漆黒の馬体が筋肉を波打たせて、夕日を弾き飛ばしながら突っ込んできた時には、銃を撃つ事さ
 え忘れていたようだ。そして忘れた後に訪れたのは、首の骨の折れる嫌な音だ。馬に飛び掛かられ
 て無事でいられる人間などいない。ましてディオは、もとよりそのつもりで飛び掛かったのだ。イ
 ンディアン達が人形のように空に踊り、その身体は悉くがおかしな方向にひしゃげている。
  悲鳴が上がる間もない。
  ディオは首が千切れた人間をつまらなさそうに咥え、ぼたりと地面に落とすと、引き千切られた
 傷跡に顔を埋めてその肉を食み始めた。別に肉が美味いとは思わないが、人間を喰い散らかすのは
 それなりに愉快だった。
  人間を喰い散らかし過ぎた所為だろうか。
  いつの間にかディオは馬の形から人間に代わっていた。べろりと血を舐めとりながら、そういう
 事もあるのか、と妙に納得した。
  人間の業を、最も人間が業であると思う事を成す事で、腹の底に横たわらせる事が出来るのか、
 と。そして最も人間にとっての業を成したが故に、人間に近づいたのか、と。
  ただ、心臓がやけに冷たかったが、それは特に問題ではなかった。
  しかし、ディオが人間でいられた時間は、そう長くはなかった。一つの町を襲った時、ディオは
 撃ち落されて元の馬の姿に戻ってしまった。ディオを撃ち取ったのは、ただの人間ともう一人、デ
 ィオの心臓に良く似た心臓を持っている男だった。
  ディオと同じく人間の業を奥深くで打ち鳴らしている男を見て、そうか人間の中にもディオと同
 じ輩がいるのかと思った。ディオと同じく、人間を腹の底で大笑している輩が。その命の果てがど
 うなるのか、それはそれは見物だった。
  いつの日か、人間とは別の形をとるのか、人間の歩く道を一気に踏み外すのか。その生き様を見
 届けたくなった。その心臓が、魔王に置き換わる瞬間を。
  だから、ディオは今は大人しく、人間に飼われているのだ。
  ディオを撃ち落した、もう一人。ただの人間。黒い賞金稼ぎにディオは手綱を握られている。
  強欲で、身勝手な人間そのものである、ただの人間でしかない男は、馬に戻ったディオを捕まえ
 ると自分の愛馬とした。
  荒っぽいディオとは相性がいい、と言っているが、そうではない。ディオが大人しくしてやって
 いるだけだ。こんな男、ディオがその気になれば一瞬で首を蹴り飛ばし、殺す事が出来る。
  そう思って、新しい黒いジャケットに包まれた背中を見ていたのだが。

 「じろじろ見やがって、俺を蹴り飛ばす隙でも探してんのか?」

  振り返りもせずのこの台詞。
  ディオの視線を、正しく理解した台詞。
そうしてくるりと振り返った瞬間、男の黒い眼が鋭い刃のような煌めきを宿してディオを射抜く。
 ただの人間だと思っていたのに、身震いするほどのこの眼は一体何か。黒のジャケットが閃き、腰
 に二重に巻かれたベルトの鋲が、ぎらりと光る。だがそれ以上に、ホルスターに収められた黒い銃
 が、存在を主張するようにぎらついている。まるで主の眼と同じようだ。
  冷たい鼓動を放つ心臓を、撃ち抜きかねない色合い。

 「それともまさか、俺がてめぇをただの馬だと思ってるとでも?」

  口元に描かれる皮肉めいた笑み。賞金稼ぎマッド・ドッグが、己の優位を示す為に行う、この笑
 み。大概の人間は足元に跪く。
  それが、ディオ目掛けて放たれている。相手を屈服させる為の気配が、ディオに向けて吹きあげ
 ている。
  ただの人間。だが、良く考えてみれば、この男に手綱を引かれた時から、この男に隙があったと
 ころなど見た事がない。ディオを愛馬にしながらも、ディオの本性に気が付いていたのか。

 「まあ、てめぇがただの馬だろうがなんだろうが、俺にはどうだって良い。俺の言う事さえ聞いて
  りゃあ、愛馬として可愛がってやるさ。」

  赤い舌が、ちろりと覗いた。唇を軽く舐めて湿らせ、蠱惑な角度で首を傾げる。

 「まあ、てめぇはもしかしたら俺をいつでも蹴り殺せるとでも思ってるのかもしれねぇけどな。」

  本当にそう思ってるのか。
  赤い舌は、彼の血が恐ろしいほどに赤々と煮えたぎっている事を示している。凍れる化け物とは
 真逆だ。氷を一気に解かす熱か、或いは砕く稲妻か。

 「俺が、同じようにてめぇを殺せねぇとでも思ってるのか?なあ、オディオなんてくそったれた名
  前を付けて粋がって、自分が神だとでも思いこんだか。」

  まあ、てめぇの名前は確かに神を意味する言葉でもあるんだが。
  黒い眼が、見透かすようにこちらを見つめる。夜明け間際の、一番闇の深い夜の色で、ディオを
 見つめる。
  端から、気が付いていたのか。
  見つめ返せば、喉の奥で嗤われた。

 「気づかねぇほど、馬鹿じゃねぇ。O.ディオなんて言われて、ぱっと思いつくのなんかそう沢山は
  ねぇ。少なくとも、俺はならず者の名前としては知らねぇ。俺が知ってるのは『憎しみ』って言
  葉だけだ。よくまあ、そんなガキの思いつきみたいな名前を選んだもんだ。」

    粋がった名前。
  狂気の名を選んだ男は、そう言って笑う。笑えた義理でもなかろうに。己の名とて、粋がったが
 末の名前ではないのか。
  すると、マッドは、今度こそ嘲りを込めて笑った。

 「憎しみなんてもんでぐだぐだ言ってるお前らと、狂気のままに転がる俺と、どちらが強いか、試
  してみるか?」

  その瞬間の言い様が、誰かを思い出させたが、ディオがそれを思い出す事は終ぞなかった。
  愛憎も悲憤も、鼻先で笑い飲み下す男は、ディオの牙を思い切り砕いた。