サルーンにふらりと現れた赤毛の男は、確かに秀麗だった。
多くの男達を相手にしてきた娼婦達も仕事の手を止め、男の様子を見やる。しかしそんな物欲し
げな視線になど一分の興味も示さず、男は隙のない動きで木製の床を叩き、カウンターでグラスを
磨いているマスターの前で立ち止まる。
「………マッド・ドッグはいるか?」
男の口から放たれた名前に、その場にいる全員がぴくりと反応する。その名は、この荒野で知ら
ぬ者はいない、賞金稼ぎの王者の名だ。
皆が一斉に男のほうを窺うが、男はその眼差しに対しても微動だにしない。
静かな顔色を保つ男を見て、マスターはゆっくりと口を開く。
「今日は、来てねぇな…………。」
「…………………。」
マスターも西部で長年生きてきた男だ。多少の事には動じない。秀麗な男が、それよりも尚秀麗
な賞金稼ぎを捜す理由を、心の中で幾つも憶測しながらも、声は平然として返す。
それに対して、赤毛は小さく沈黙した。
「………では、奴の居所を知らないか?」
「知らん。奴はそこらの賞金稼ぎと同じように根なし草で、そこらの賞金稼ぎよりも気紛れだ。何
処にいるのか知ってる奴なんて、奴に狙われている賞金首くらいのものだろうよ。」
その言葉に、赤毛はいよいよ沈黙した。
じっとマスターと娼婦、そしてその場にいる客達全員が見守る中、赤毛はようやく小さく呟いた。
「奴が狙う賞金首……か……。」
「ま、奴が誰を狙うかも、誰も分からねぇんだがな。」
気紛れな西部の王者は、パン屋から小金を盗んだ子供を突き出してくる事もあれば、落ちぶれた
貴族の首を放り投げてくる事もある。そして時には、ゴースト・タウンに巣食っていた銀行強盗を
処刑台に送り込む事も。
何を見て狙う相手を選んでいるのかは、全く以て分からない。まさに気まぐれで選んだのではな
いかと皆が思う。
ただ、一つ分かる事は、それによって救われている人間がいるという事だ。法の網目を掻い潜っ
て逃げ出す連中を、嘆きの砦は、容赦なく追撃する。
「それで、マッドに『死の天使』が、何の用だ?」
沈黙した赤毛に、マスターがまるで注文を聞くかのような声音で問い掛けた。
その台詞に、周囲にいた全員がぎょっとする。だが、死の天使と呼ばれた赤毛は、やはり微動だ
にしない。
「………さあな。俺は頼まれただけだ。」
それだけ残すと、赤毛の男は邪魔したなと呟き、再び木製の床を叩いてサルーンの中を掻きわけ
ていく。
ウエスタン・ドアを軋ませて出て行く男の後ろ姿に、しかしその場にいた全員が確信した。
死の天使。
その名で呼ばれる賞金稼ぎ――いや、殺し屋が確かにこの荒野にいる。多額の報酬を得て、老若
男女問わず殺しを請け負う男がいる事は、アウトローならば誰でも知っている。その死の天使に狙
われた者は、如何なる賞金首であろうと賞金稼ぎであろうと死体で見つかる事も。
狙われた人間が悉く殺されている事と、殺しの依頼を掛けた者も依頼を掛けた事自体を口にしな
い事から、その通り名を知っていても顔を知っている者は少ない。
死の天使アラン。
その男が狙いを定めているのは、賞金稼ぎマッド・ドッグだ。
「………ふぅん。」
しかし、それを聞いた時のマッドの反応は微妙なものだった。
後日、死の天使アランが訪れたサルーンに訪れたマッドは、マスターや娼婦からその事を聞かさ
れたのだが、肝心のマッドは死の天使の噂など知らなかったのだ。いや、知らなかったというか、
興味がなくて忘れていただけというか。
とにかく、微妙な反応をした賞金稼ぎの王に、マスターはがっくりと肩を落とす。
「いや、だって、もう既に一度逢って銃の撃ち合いした後だしな。そんな既に見た事ある奴を『死
の天使』だなんて言われても、なあ。」
それに大した銃の腕じゃなかったし。
確かに並よりも上の腕前だろうが、でも、そんな顔色変えるほどのものではなかった。むしろ、
周りにいる助っ人がうざかった。
「そうなのか?」
「ああ。あんなの遅い遅い。少なくとも、あいつが『死の天使』なんて恥ずかしい名前で呼ばれて
るのは、銃の腕前の所為じゃねぇな。」
「ふうむ、お前のいう鬱陶しい助っ人や、或いはもっと卑怯な技の所為か……というか、恥ずかし
い名前って。」
「いや、恥ずかしいだろ。『死の天使』なんて。俺は例え通り名であっても、エンジェルなんて呼
ばれたかねぇぞ。」
俺ならそんな名前で呼んだ奴、全員、ぶん殴ってるな。
狂犬の名で呼ばれる男は、真顔でそう言った。
「ま、その男は置いといて、問題はそいつを雇った奴だな。」
「何か思い当たる事はねぇのかい?」
「ありすぎて分からねぇな。」
賞金稼ぎの王であるマッドは、嘆きの砦であるが故に人を救う事もあるが、それと同じ分だけ人
に恨まれる。
「まだ情報が少なすぎる。高額の報酬を要求する男を雇うくらいだから、しけたならず者じゃねぇ
事は分かるが、それにしたって数が多すぎる。」
おそらく、当分の間は狙われる理由の特定は無理だろう。一番手っ取り早いのは、アランから聞
き出す方法だろうが、話すかどうか。
「まあ、いい。それよりも、俺の居場所についてだけどよ。」
「言わねぇさ。」
「いや、知ってたら別に言ってもかまわねぇよ。隠してて、それであの男が逆上してもあれだ。俺
の事はさっさと喋っちまいな。」
あの程度の銃の腕ならば、例え奇襲であってもマッド一人で十分に対応できる。面倒なのは助っ
人の数が多いくらいで。
そう言うと、マスターは顔を顰めたまま首を振る。
「それにしても気を付けておくんだな。俺はアランに、お前の場所を知っているのはお前に狙われ
ている賞金首くらいだと言っちまったからな。賞金首に狙点を合わせている時に、撃ち落とされ
る可能性があるぞ。」
「ああ?俺が誰を狙うかなんて分からねぇだろうが。それとも賞金首募って俺を撃ち落とそうって
のか?」
そんな大がかりな事をすれば、むしろマッドには仲間を集める口実が出来て好都合だ。
大がかりであればあるだけ、情報網に引っ掛かかる確立は高くなる。それに賞金首は集めたら集
めた分だけ烏合の集となる。どこで誰が口を割るか分からないという危険性も高まるのだ。
そしてそれに対して、マッドが集める賞金稼ぎは十分に信頼できる人間だ。手当たり次第に集め
た賞金首などよりも、長年付き合いのある賞金稼ぎのほうが、ずっと精度は高い。
まさか、それを『死の天使』とあろうものが分かっていないのだろうか。
小馬鹿にしたように思っている頭の片隅で、ふっと何かが引っ掛かった。
危険性はない。
ただ、狙っている賞金首なら、という部分に引っ掛かりを覚えただけだ。それも、マッドが誰を
狙っているか分からないだろうと一笑できるものなのだが。
「あ。」
思い出した。
そういえば、自分が狙っている事が周知の賞金首が、いた。