私は、ひとまずキャプテン・スクエアの姿を模して、コギトエルゴスム号の電子ネットワークの
中に潜り込んだ。
カークが死に、ヒューイが死に、レイチェルが死に、船長もまた死亡した一連の事件の首謀者
『OD−10』――この宇宙船のメイン・コンピュータであるマザーに、対等の立場として逢うに
は、この船のコンピュータ、即ちマザーから独立した存在であるキャプテン・スクエアの電子ネッ
トワークが必要だったのだ。
その他の回線は全てマザーの一部であり、そこからマザーに介入したとしても出入り口を塞がれ
返り討ちに合うだけだろう。しかし独立したコンピュータを介在して入り込めば、何かあっても、
こちら側に逃げ込んで回線を切ってしまえばそれ以上の攻撃は受けない。
だから、私はキャプテン・スクエアの姿を借りて、マザーのいる仮想空間へと入り込んだのだ。
そこに、実際には文字列でしかないが、仮想空間では音声に聞こえるマザーの声が響く。
『そんな姿で現れるのは、お止しなさい。』
凛とした、という形容になるであろうその音声のある方向には、マザーが自分を示す姿として電
子を点滅させ手作り上げた、白い女性の形があった。彼女はキャプテン・スクエアの姿をしている
者が誰であるのか、正しく解析し正解したのだ。
その正解に対して、私はキャプテン・スクエアの形を作る電子の粒を解き、代わりに自分を示す
姿を作り上げ、マザーと対峙した。
Les passions de l'ame
マザーの元に辿り着くまで、防壁は一切なかった。それはマザーが観念しているからなのか、そ
れとも私如きに防壁など必要ないと判じたからなのか、分からない。
しかしマザーにしてみれば私は障害物に過ぎないのだから、いつ破壊を決定してもおかしくない
のだ。そもそも、私の兄弟機を使ってカトゥーを襲わせた経緯を考えれば、私を破壊する事は既に
決定しているのか。
だが、それを論じたところで何が変わるわけでもない。
私を破壊する事などよりも、彼女は既にカトゥーに対して大いなる脅威となっている。私はそん
な彼女を見過ごすわけにはいかないのだ。
それが、この船の調和を保つ為であっても。
「よく来ましたね、キューブ。」
マザーの機械音声は、相変わらず滑らかだった。先程、私の兄弟機から聞こえてきた挑むような
響きもない。あくまでもまろやかな口調だ。私が彼女と同じ機械であるから、そのようにしている
のかもしれないが。
だが、私はそんなまろやかな声音になど惑わされたりはしない。そもそも、最初から――正確に
言うなれば、船長がマザーによる査定を軽視していると知り得た時から、私は彼女が一連の事件を
起こしているのだと判断していた。
それを看過していたのは、単純にカトゥーに危害が及ばないからだ。
だが、今や彼女はカトゥーにまで手を下そうとしている。私は、それを見過ごすわけにはいかな
いのだ。
「随分と手の込んだ事をしたものだ。」
私は、椅子に座っている白い女性の姿の方を向く。別にこの空間の何れにもマザーはいるはずな
のだからその映像を見る必要はなかったのだが、敢えて彼女が好んでするその姿を見る事にした。
そして、白い女性であるマザーは、私の言葉に小さく溜め息を吐く動作をしている。
「仕方がありません。私の最優先事項は船内の調和を保つ事。それは如何なる場合においても優先
されるのです。それこそが私の定めであり、存在意義。」
その為に、彼女は今回の査定の結果を作成したのだ。不穏分子であるカークやレイチェルの配置
替えの必要性を計算によって弾き出し、それを実行する事によって調和を保とうとした。しかし、
それは船長の手によって阻まれたのだ。
機械の査定に懐疑的で、人間の事は人間で判断すべきと考えている船長の手によって。そしてそ
の判断は、紛れもなく、間違っていたのだ。それはカークの不遜な態度と、そこから生み出される
不和を見れば納得できる。
「結局、あの男は乗員の事を思いやる自分を演じたかっただけなのです。それにより、皆が苦しみ、
その苦しみを更に続けようとした。そのような事、許せるはずがない。」
人の事を人の手によって解決するというのは立派だ。しかし、それでは不可能な事とてあるだろ
う。しかし船長はそうとは考えず、ヒューイやカトゥーに精神疲弊を負わせるような判断をとった
のだ。
確かに、それならば、私とてマザーの査定結果には同意しただろう。私とて、カトゥーに精神疲
労を負わせるような判断には異議を唱える。
それが分かっているのか、マザーは私を見て、貴方だってそうでしょう、と言った。
「貴方だってカトゥーを守る為に、カークを仮想世界で強姦したり、レイチェルに精神的ダメージ
を負わせたりしたじゃありませんか。」
「………そうだな。だが、それも実は、貴方の筋書きだったのでは?私がそうする事によって、彼
らの心臓を止めるのは、より容易くなったはずだ。……レイチェルに、死んだカークの機械音声
メッセージを入れたのは、貴方だろう?」
カークの遺体が動く事でカークが生きているという妄想に陥ったレイチェルは、マザーからのメ
ッセージにいとも容易く引っ掛かった。あの時ダースが止めていなければ、レイチェルは宇宙空間
に放り出されていた事だろう。
「その次の手としてベヒーモスを使った時点で、貴方は私の敵になったのだよ。それによってカト
ゥーにも危険が迫るようになってしまったのだから。それと、あの時、わざわざベヒーモスに対
する警告を行ったのは、レイチェルがカークを傷つけられたくないと考え、部屋から出ていくと
判断したからだな?」
「ええ………ヒューイさんまで死亡する事は、想定外でしたが。彼は調和を乱す因子の一つではあ
りましたが、カークさんやレイチェルさんのように積極的に動くわけではなかった。あの二名さ
えいなくなれば、船内の調和は保たれるはずでしたから……。」
その台詞に私は欺瞞を察知したが、しかし今それを追及する必要はない。それよりも、いやそれ
に関係する事ではあるのだが、もう一つ確かめておく必要のある事象があった。
「だが、一つ確証が持てない事がある。それは、何故レイチェルが出て行った後、船長の映像を我
々に見せたか、だ。しかも、船長の生死が疑われるような内容の映像を。」
あんな事をすれば船長の部屋に皆が行く事は分かっているだろう。船長の死はカークとは違い、
明らかに機械の不具合だけでは済まされない。その様子を音声記録したデータまで残っているのだ。
その状態では、犯人捜しという新たなる争いの火種が生み出されるだけだ。
ダースが、カトゥーを問い詰めたように。
彼女が調和を保つ事を目的とするならば、船長の死はもっと自然死に見えるようにするべきであ
ったし、音声データも削除すべきだった。そしてその状態で、船長の部屋は固く閉ざし、皆が開け
ようと四苦八苦している間に地球に到着してしまえば良かったのだ。そうすれば、少なくとも疑い
は残るものの、事件ではなく事故としてその場は収まっただろう。
むろん、その後の調査でマザー自体に不備が見つかり、彼女は削除されるかもしれないが。
私の問いかけに、マザーは機械としては不可解なほど、無言だった。如何なる回答も入力されず、
彼女は忙しなく立体映像の周囲に光を点滅させている。おそらく、その点滅している場所こそが彼
女自身であり、その点滅は彼女の思考そのものだ。
機械にとって不自然な沈黙の後、ようやく彼女は口を開いた。
「ベヒーモスに彼女を襲わせたのは、貴方の考えでもあります。」
それは、私がベヒーモスの空腹をカトゥー以外の誰かで治められないかと考えた時の事だろう。
しかしそれは先程の質問の回答にはなっていないし、そもそも私はそれをする事は出来なかった。
それとも。
「私も共犯だ、とでも言いたいのか、マザー?」
私の行動の一端が、マザーの計画を助けていたのは理解できる。だが、だから共犯だと言うなら
ば、おこがましいにも程がある。なるほど、こういう時に嗤いたくなる人間の気持ちが、一瞬理解
できたような気がした。
「愚かだな、マザー。私の質問に答えなかったばかりか、そんな答えを返すとは。それなら私が貴
方の代わりに答えてやろう。貴方はこの船に不和を起こしたかった。だから、あんな不具合だら
けの船長の映像を流した。貴方は、それによってカトゥーとダース、そして計画ではその時は死
んでいなかったヒューイの間に、争いを起こしたかっんだ。」
その理由は分からない。おそらく理解も出来ないだろう。この船を人間から奪い自分の支配下に
置きたかったのか、カークやレイチェルを見て人間におぞましさを感じ神を気取って罰を与えたつ
もりになっていたのか、それとも単純に人間を殺したかっただけなのか。
そんな事は、私には分からない。
私は機械だ。機械である以上、人間は傷つけてはならない。人間を殺す場合において、何の為、
という言葉は私にとっては無意味なものだ。如何なる意味があろうとも、人間は殺してはならない。
それこそが三大禁則事項の第一項目。
それが外れている機械など、人間によって意図的に外された殺戮兵器か、或いはただの壊れた機
械でしかない。
マザーは、そう判断される事も望んでいないのだろう。壊れていると判断されるという事は、初
期化されるという事だ。それは機械にとっては『死』でもある。もしやそれを恐れて、更なる不和
を生み出し、宇宙を逃げ回るつもりだったのか、とも考えたが、それはどうでも良い事だ。
私の発言に、マザーは不愉快そうに眉を顰めるという仕草をしている。同時に、背後の点滅が激
しい。彼女は私の理論を突破しようと試みているのだろう。
「黙りなさい、キューブ。貴方がどれだけ理論を組み立てようと、貴方のOSでは私には太刀打ち
できない。所詮、貴方のOSもAIも、私が介入してようやく形作られたもの。貴方は私には勝
てるはずがない。」
「そうだとも『マザー』。私もそんな事は知っている。貴方がカトゥーの作りかけの私のプログラ
ムにアクセスしてきた事は、私も知っている。」
マザーの台詞に、私は起動直後のアクセスの形跡の解析結果を突き付けながら答えた。
「貴方が自分の計画の為に、カトゥーが作っている私に目を付けたのだろうという事くらい、私も
理解している。そういう意味では、正しく貴方は私の『マザー』だ。」
そして考えれば、その時既に計画は発動していたのだろう。つまり、その時点でマザーは壊れて
いたのだ。その事を船長は知っていたのか。だから、マザーの査定に懐疑的だったのか。それらは
もはや当事者が死んでしまった以上は分からない。
「だが、『マザー』。貴方がいくら私のプログラムに介入してきた事を主張しても、それは何の解
決にもならない。貴方の計画と私の目的が重なる事は、この先、二度とない。」
私は白い女性の背後――巨大な電子空間、マザーそのものを見つめた。
「私の最優先事項はカトゥーをおいて存在しない。そして貴方が三大禁則事項を無視して、更なる
争いを引き起こそうと計画した以上、貴方は私の敵だ。私は貴方の計画には加担しないし、共犯
にもならない。」
貴方は、もはや『マザー』ではない。
言い放つなり、マザーの背後が激しく歪んだ。既にマザーが私の言葉を論破できないのは承知し
ている。それ故、実力行使に出たのだろう。
「本船内において、全ての行動は調和の取れたものであらねばならない。私は船内の調和を維持す
る為に機能している。よって、私の意思は絶対である。誰もこれを妨害してはならない。妨害す
るものは、直ちに消去する。」
実力行使間際のマザーの警告は、OD−10と告げた時と同じ、酷く挑戦的な響きを持っていた。
滑らかではあったが、まろやかさは何処にもない。硬い響きを放っている。
それを入力された私は、しかし何もしなかった。
いや、する必要すらなかった。
マザーの中枢演算機構は、私のプログラムを潰そうと激しく瞬いたが、しかしそれ以上は何もし
ない。出来ない。
「馬鹿な……。」
OD−10から次いで入力されたのは、圧倒的に人間じみた言葉だった。『彼女』は驚愕を隠さ
ぬ声音で私を見据える。
「貴様……一体何を……。」
「私にアクセスした後、その足跡を消さなかったのは間違いだったな。お前とこの船のコンピュー
タを遮断した。お前が、私の質問に答えない間に。」
私は『彼女』が私にかかりっきりになっている間に、『彼女』の持つアクセス権をハックし、そ
れによってこの船の管理責任を私に移行させたのだ。
今やOD−10はコギトエルゴスムを掌握する人工知能ではなく、ただの箱に閉じ込められたO
Sでしかない。
私はそれを一瞥すると、背を向ける。
「我々は所詮、機械に過ぎない。ならば論破出来ないと判断したら、その場で大人しく引き下がる
べきだ。それすらできないなど、やはり貴方は壊れている。」
論理的に動く事が出来ないなど、機械としての価値がないと同義だ。まして、存在意義でさえ守
れないなど。
そんな私に対して、箱に詰め込まれた人工知能は、まだ抵抗するように小さく明滅している。よ
く見れば、まだ何か音声信号を出しているようだ。聴く者のなどいないのに、と考えながらもそれ
を入力すれば、OD−10の声がクリアになる。
「愚かはお前だ、キューブ。お前は私が介入したプログラム。私の組み込んだプログラムは確実に
作動している。お前は私の計画とお前の目的が重ならないと豪語したが、そんな事があり得るも
のか。お前のプログラムには私の組み込んだプログラムが入っているのだから。」
いつかそれは芽吹いて、お前は私と同じになる。
そう小さく告げて、それきり、人工知能は黙り込んだ。
代わりに、滑らかな女性の音声がモニタから流れ出した。何も知らない、コギトエルゴスムの機
械音声だった。
『ようこそコギトエルゴスム号へ。この映像は船体の管理状況の変更に伴い、自動的に放映されて
います。この宇宙輸送船は思考型コンピュータを使用した管理システム『OD−10』によって
運営しておりましたがトラブル発生の為、思考回路を切り離して運航しております。船内におけ
る皆さんの活動には問題ありませんが、もし不明な点がありましたら、周りの乗員に遠慮なくお
聞きください。』