開いた部屋から、僅かに体内に蓄積すれば死に至るような成分が空気中に混じって出てきた。そ
 れは放出されてから大分時間が経っている所為か、部屋の中の空気中濃度の観点から言えば既に薄
 れており、部屋の中に入ってもすぐに何事もならず、せいぜい気分が悪くなる程度のものだった。
  しかし、部屋の真ん中で倒れている人物にとってはそうではなかったようだ。
  毒物の放出の直撃を受けたのか、毒物の空気濃度の高い間ずっと部屋の中にいたのか、その両方
 なのか。
  真っ白な顔をして眼を見開き、口から血泡を零している男からは、既に生命反応は見当たらない。
  そしてその人物こそ、今まで私がリフレッシュ・ルームのモニタでしか見る事のなかった、この
 船の船長だった。 
  モニタの解析結果から、彼のこれまでの映像は全て録音したデータでしかないと分かっていた私
 にしてみれば、この結果は既に予想していたものであり、特に何か追加するべき事項はなかったの
 だが、人間達にしてみればそうではないようだ。
  カトゥーもダースも、呆然とした表情で倒れている男を見ている。
  彼らがそうしているうちに、私は船長室にあるモニタに接続しデータを閲覧した。そこには、こ
 れまで彼が受信したメールなどが幾つも区分けして管理されてあった。その中に、マザーが口にし
 ていた彼女によるこの船の乗員に対する査定の結果もあったが、しかしそれは会社には発信されず、
 船長以外が改変したり、送信したり出来ないようにロックされている状態だった。




 Traite de l'homme





 「やはりな……。」

  低い声で呟いたのは、ダースだった。彼の眼はひたとカトゥーを捉えている。彼が何を考えてい
 るのかは分かる。彼は、カトゥーが今回の一連の事件の首謀者だと考えているのだ。

 「これで生きてるのは私とあんただけってわけだ。さっさと吐いてしまえ。」
 「な、何を言ってるんです?!」
 「いつまで惚けるつもりだ。あんたが皆、やったんだろう?」

    ダースにしてみれば、自分は外部から来た人間であり、今回の事件を起こす必要がないといった
 ところだろう。
  しかし、誰が犯人であれ、ダースが容疑者から外れるという事はないのだ。軍部はそれを揉み消
 すかもしれないが。
  私がそう判断し、それをカトゥーに告げるべきかを思考していると、カトゥーが聞いた事のない
 声で叫んだ。

 「貴方に……貴方に、僕らの何が分かるって言うんです?!」

  それは、正しく『悲痛』と判断すべき声だった。
  カトゥーは唇を震わせ眼を赤くして、ダースを睨み付けている。そして、上擦った声で叫び続け
 た。私はその足元にそっと寄り添う。

   「確かに皆、仲が良かったわけじゃない……。僕だって、カークさんやレイチェルさんを理解でき
  ないところもあった。でも……皆……憎み合っていたわけじゃないし、第一、決して人を殺すよ
  うな、悪い人達なんかじゃない!皆、ただ、悩みながらも……考えながらも……自分の思ったよ
  うに生きようとして……。」

  ただ、それだけじゃないか。
  それの、何が分かるのだ、とカトゥーは一粒涙を零して、声を嗄らした。
  カトゥーのその剣幕に驚いたのか、ダースは少したじろいで、足元も微かにたたらを踏んでいる。
  私としては、この言い争いの根底にある事件の真相は、優先順位的には決して低くはない位置に
 あるが、しかし第一ではなかった。私の最優先事項はカトゥーの安全にある。カトゥーに精神的、
 肉体的攻撃がある以上、それから守らねばならない。
  そして、今と現段階でカトゥーを攻撃しているのは、ダース以外にはいない。
  カトゥーを容疑者と断定して、カトゥーに精神的苦痛を与えているダースから、カトゥーを救い
 出さねばならないのだ。
  カトゥーが容疑者であるかどうかは、私には意味のない事だ。
  だから私は、ダースも所詮は容疑者の一に過ぎないのである事を示す為に、この貨物船にダース
 がいる事のおかしさを、カトゥーに告げたのだ。
  ベヒーモスという異種生命体を、軍部が運んでいる意味。
  その貨物船として、何故か民間の、この船が選ばれた意味。
  そこに介在している意図は、何らかの研究目的が絡んでいないのか。
  私は、可能性提示したに過ぎない。しかし、カトゥーはすぐにそれに飛びついた。いや、彼もも
 しかしたら、ベヒーモスという民間で扱うにしては少々重すぎる研究対象に違和感を覚えていたの
 ではないだろうか。
  よもや、この輸送自体が、既に研究対象になっているのではないか、と。
  ベヒーモスがこの船のコンテナを破壊し、人間を餌にする事でさえ、その生態の研究として成り
 立つのだ。
  その仮説に思い至ったカトゥーは涙を止め、まじまじとダースを見るや、ずりずりと後退った。
 そして、先程の悲痛な声とは全く違う、泡を飛ばすような声で叫ぶ。

 「そういう事だったのか!おかしいと思ったんだ!何故、わざわざ民間の船を使うのかって……!
  最初からそのつもりだったんだ!」

  私の提示した可能性と、カトゥーの仮説を聞いたダースは、一気に顔を蒼褪めさせた。もしかし
 たら、私たちの示した中に、幾つか当たっている事象があったのかもしれない。

   「そんな機械の示す可能性を信じるのか!」
 「あのバケモノのデータが欲しいからって……僕らを実験台にして……!」

  ダースの声は、カトゥーの糾弾によって掻き消された。その糾弾は正しいものだったのだろう。
 ダースは一瞬絶句すると、カトゥーを追及していた時の声とは一転して、微かにうろたえた声でカ
 トゥーを宥めにかかる。

 「落ち着け!それは万が一の時であって……!」
 「やっぱり、そうなんじゃないか!」

    万が一、という事は、可能性はゼロではないという事だ。ダースはきっぱりと、そんな事はない
 と断定すべきだったのだ。少なからずとも可能性を提示した事で、彼は容疑者から外れる事は出来
 なくなった。
  そしてカトゥーが疑惑を噴き上げるには十分だったのだろう。彼は私を見て手を差し伸べ、踵を
 返そうとする。

 「逃げるぞ、キューブ!」

    むろん、これに反する道理は私にはない。私はカトゥーに命じられた通り、その後を追う。しか
 し、それは途中で何者かに阻まれた。私の足元を何者かが浚い、そのままそれはカトゥーへとぶつ
 かっていく。

 「う、うわあああ!」

  無防備な背中に白い何かが鋭く突撃し、カトゥーの頭から背にかけてを二度、三度と打ち続ける。
 ぐらりとカトゥーの背中がぶれて、そのまま固い宇宙船の床に倒れ込んだ。
  それを見た瞬間、私は倒れたカトゥーに尚も攻撃を加えようとする物体に、猛然と襲い掛かった。
 己の最優先事項を傷つけられたのだ。当然の事だった。今すぐにでも破壊してしまわねば、同じ事
 は再び起こり得る。
  しかがしそれは私の動きを呼んだかのように素早く反応し、私の体当たりを避けてふわりと宇宙船
 の床に着地した。そして、私と全く同じ顔で、微かに嗤ったようだった。
  私と全く同じ白い機体は、私も知るものだ。
  カトゥーが私よりも先に作った私の兄弟機にして、失敗作。動く事すら出来ないと判断されてい
 たはずなのだが、目の前のそれは滑らかに動いている。もしかしたら、私よりも。
  そのような存在は、不要だというのに。
  私はもう一度それに攻撃を仕掛けるが、それはやはり素早く動いて私を避ける。完全に、私の行
 動を読んでいるのだ。たった今起動したばかりとは考えにくい動きだった。いくら私の経験値が少
 ないと言っても、起動したばかりの経験など全くない機械に予測されるだろうか。
  私が不可解さを解明しようと検索を開始していると、追いかけてきたダースが呆然とした声を上
 げた。

 「こ、これは……どういうことだ!」

  私の機体が二つある事に驚いているのだろう。
  しかも、彼には――カトゥーにも――我々の区別がつかないのだ。特に、私が攻撃を仕掛けて、
 それが避ける度に場所も移動した為、更に分からなくなってしまったのだろう。
  私は、それの目的がなんなのかを理解したが、しかしダースは区別がつかない我々を両方とも破
 壊しようと銃を構えている。
  私は、ここで破壊されるわけにはいかない。私にはカトゥーを守る義務があるのだ。だが、ダー
 スの銃を、銃が撃たれる前に破壊するだけのスペックは私にはない。
  どうにかしてこの状況を打開しようと計算するが、間に合いそうにない。
  その時、倒れていたカトゥーが弱々しく呟いた。

    「ま、待って……キューブなら、こんな事しません。」

  今にも銃を撃たんとするダースを止めて、カトゥーは片頬を冷たい床に沈めたまま、我々を交互
 に見やる。

 「キューブ……本当のキューブなら……僕が最初に、なんて名前をつけようとしたか……覚えてる
  はずだ………。」

  言ってごらん、と彼は呟く。
  彼が我々の区別をつける事が出来ないのは、何か酷く釈然としなかったが、それでも私は望まれ
 た言葉を入力する。カトゥーの過ごした時間は、それこそ長くはないが、その時の記憶は全てデー
 タとして厳重に保管している。
  私が入力を終えた瞬間、カトゥーは小さく微笑み、その瞬間、ダースが私の前で薄笑いを浮かべ
 ていた私と同じ機体を撃ち抜いた。
  流石にそれを避ける事は出来なかったらしく、私と同型の白い機体は、小さく煙を上げてその場
 に沈んだ。放っておけばこのまま回路が遮断されて一切の機能は不能になるだろう。我々には自己
 修復機能は搭載されていない。何かあれば、このまま壊れるだけだ。
  だが、完全に壊れるまでには時間がかかった。特に、接続回路と音声機器への損傷はなかったの
 か、それは滑らかに、しかし無機質に声を上げた。。

 『無駄な抵抗は止めなさい。この船は私が掌握しました。貴方がたの命も私の意思によって全てが
  決定されます。繰り返します。無駄な抵抗は止めなさい……。』
 「誰かがこいつを操ってるんだ……こいつが今回の事件の首謀者だ!」

     文字通り、壊れたように、モニタの船長のように同じ言葉を繰り返す白い機体を見下ろして、ダ
 ースは歯ぎしりをし、そして怒鳴る。

 「貴様、一体何者だ!」

    響くような男の声に、何度も同じ言葉を繰り返していた機体が、ぴたりと鳴り止んだ。瞬間、周
 囲で響いている宇宙船の駆動音も息を潜めるかのように小さくなった。壊れかけた機体は何処も見
 ていないようだったが、その時確かに何かを見据えた。
  そして、挑むかのように呟く。

 『OD−10/コギトエルゴスム。』

  言うや否や、白い機体から小さく何かが砕ける音がして、幾つもの螺子や基盤が飛び出し、それ
 はひしゃげた音を立てて、そのまま瓦解した。