リフレッシュ・ルームにひとまず集まった私達の元に、コンテナの様子を見に行っていたダース
がやってくる。
「コンテナは本当にカラだ。しかしもう倉庫にはいないようだな。何処に行ったか知らんが……。」
やはり、ベヒーモスが逃げ出したのは事実であるようだ。しかし、何処に行ったのかは私にも分
からない。船内のカメラをつぶさに検索しているのだが、まるでカメラのある位置を避けているか
のように、その姿は映らないのだ。
そんな状況を理解していないのか、理解するだけの能力がまだ戻っていないのか、一人離れた所
でレイチェルが項垂れて座っている。そして、ようやくぽつりと呟いた。
「ごめんなさい……私、信じられなかったの……。だって……だって、あまりにも、突然なんだも
の………。」
呟く彼女の言葉に、ヒューイとカトゥーは顔を見合わせ、彼女を慰める言葉を探しているようだ
った。しかし、実際はレイチェルの言葉に係わっているような状況ではないのだ。船内にはベヒー
モスが放たれており、カークの死についての考察の優先度は非常に低い。レイチェルの精神状態に
ついても然り。それは、私の最優先事項がカトゥーであるからそう判断しているだけかもしれない
が、私の製作者がカトゥーであって、カークやレイチェルではないのだから、仕方のない事である。
今、私の思考回路の97%は、如何にしてカトゥーをベヒーモスから守るかという事に使用され
ているのだ。
Principia philosophiae
ベヒーモスは餓えと閉じ込められていた事によるストレスで、非常に凶暴になっている。おそら
く、動く物を見ればそれがなんであろうと襲い掛かり、食らいつき、同時に固く勃起した性器を擦
り付けて性欲も満たそうとするだろう。
せめて、ベヒーモスがカークの遺体に気づいて、それで食欲を満たしてくれたなら、多少は危険
は収まるのだろうが。
もしくは、レイチェルかヒューイを囮にすれば良いのかもしれないが、その判断をするには私に
は強固に三大禁則事項が掛かりすぎている。
私が、ベヒーモスをカークの遺体の所まで誘導しても良いのだが。そう思考を働かせた時、リフ
レッシュ・ルームのモニタが細かく点滅したかと思うと、そこに白い粒があつまり、マザーの擬人
体が現れた。
『現在、船内は非常に危険な状況にあります。ベヒーモスの行動ですが、私も把握できておりませ
ん。何処にいるのかは現段階で不明です。船内の行動はくれぐれもご注意ください。』
それは、注意を喚起する際に使用する、何に注意するかだけを変更するタイプの定例の音声であ
ったのかもしれない。
ただ、そのタイミングが奇妙であっただけで。
だが、それでもその注意喚起の音声は、とある人物に劇的な効果を齎した。
「……ベヒーモス?」
それは、さっきまでベヒーモスの事など頓着していなかったレイチェルだ。我を取り戻して周囲
の言葉を聞く余裕ができたのか、マザーの機械音声による注意喚起にも耳を傾けたのだ。ただし、
その瞬間に再び我を忘れたが。
「これ以上カークを傷つけられるのは嫌よ!」
「レイチェル!」
弾丸のように椅子から立ち上がり、リフレッシュ・ルームから出ていくレイチェル。そしてその
後をヒューイが追いかける。私はそれが目の前で起きているにも拘わらず、動く事は出来ない。そ
んな私の前を、カトゥーも追いかけて行こうとするが、それはダースに止められた。
「やめろ!死にたいのか?!」
「だって二人が……!」
二人が揉み合っていると再びモニタが点滅し、今度は船長の映像が映し出された。その顔は全く
の動揺も見られない。勿論、その言葉にも。
『大丈夫かね皆?調子はどうだ?』
「今ベヒーモスが船内をうろついてるんだ!」
平然としすぎた船長の機械音声に、ダースが怒鳴り声を上げた。途端にモニタの中の船長の顔が
強張り、
『何、それは本当かね!?それは……気の毒に……。』
「何言ってるんだ!非常事態だぞ!いつまで部屋の中に閉じ籠っているつもりだ!?」
『何、それは本当かね!?それは……気の毒に……。』
言葉が繰り返され、ようやくダースもおかしい事に気が付いたようだ。その間も、船長は同じ言
葉を何度も何度も繰り返している。その内に、モニタの画像が乱れ始め、船長の顔も途切れ途切れ
になり、遂にはモニタ画面そのものの電源が落ちてしまったのか、ぷっつりと真っ暗になってしま
った。
それを見計らっていたかのように、リフレッシュ・ルームの外から、獣の咆哮らしき音声が鳴り
響いた。反響する音にカトゥーは弾かれたように顔を上げ、自分に掴み掛るようだったダースの手
を振り切る。
「やっぱり……放ってなんかおけないよ!」
「待て!」
空気の抜ける音と共に開いたリフレッシュ・ルームの扉にカトゥーが駆け込み、それを追いかけ
てダースが出ていく。カトゥーが出て行った以上、私もそれを追いかけるより他ない。
しかし、彼らにはすぐに追いつく事が出来た。
何故ならば、ベヒーモスの食事は、リフレッシュ・ルームからさほど遠くない場所で行われたか
らだ。
その場所は、惨憺たる有様、という言葉は最も相応しい状態だった。もしくは、血の海といった
表現か。ベヒーモスは溜りに溜まっていたストレスを、久しぶりに見つけた獲物相手に、思う存分
発散させたのだろう。転がる肉の塊は、既にほぼ人間の形を成してなかった。内臓は食み出し、骨
は砕かれ、四肢と言えるものはほとんどない。
辛うじて、引き裂かれた衣服の様子から、それがヒューイであると分かるくらいだ。DNA鑑定
をすれば身元は完全に分かるだろうが。
それともう一つ。肉の塊の下に、別の塊があった。こちらはまだ綺麗なもので、一見しただけで
レイチェルと分かる代物だった。
「レイチェルさんには息があります!」
食事の主の失せた、酸鼻極まる状況に呆然としていたカトゥーではあったが、肉の塊と成り果て
たヒューイの下からレイチェルを何とか見つけ出し、生命反応がある事を確信する。
それを聞いたダースは、表情を険しくさせながらも頷いた。
「とにかく、ベヒーモスが何処かに行っている間に、なんとかしなくては。」
「コールド・スリープのカプセルに入れましょう。あそこなら大丈夫です。」
「……その後で、船長の部屋に行くぞ。」
明らかに異常を喫していた船長の様子から見て、今だ姿を見せない船長の元に行くのは当然の事
ではあった。
だが、二人は既に気が付いているでのはないのか。あのような、機械音声の録音を繰り返しただ
けの船長の姿を見て、船長が無事でいると考えているのだろうか。あんな、最初から、船長の部屋
にも繋がっていない、船長の姿だけをモニタに映しただけ映像を、未だに信じているのか。それと
も、あの映像を丸ごと船長が仕掛けたものだと信じているのか。
だが、私とて船長が100%無事ではないとは判断できないのだ。何故ならば、船長室にあるは
ずのカメラに、私はアクセス出来ないのだ。それがもともとそういうふうに設定してあるものなの
か、果たして今だけそういうふうに設定されたものなのか、私が判断を下せるほど、私はこの船の
データを持っていない。
船長室に向かう人間を追いかけながら、私はカメラからの接続を解除しようとした。その間際、
とある一つのカメラに奇妙なものが映っているのを見つけてしまった。
それは、ベヒーモスでもなければ、部屋に閉じ籠っている船長でもない。
白い機体。
私と、全く同じ機体を持ったそれは、ゆっくりと通路を移動している。そして通路を曲がる直前、
私が接続しているカメラを見上げて、確かに嗤ったようだった。