事態にようやく気が付いたのか、リフレッシュ・ルームのモニタに姿を映した船長は、カークの
 死にショックを受けたような素振りを見せたが、すぐさま遺体を葬送するように指示を出した。そ
 の判断の素早さに、カトゥーとヒューイは戸惑いを隠せなかったようだが、船長についての情報が
 私には不足している為、それが異常かどうかは判断できない。
  それに船長が異常であろうとなかろうと、それは今の優先順位としては低い。今、私が考えるべ
 き事は、カークの死に疑惑があったとなった場合、カトゥーを如何にして疑惑から守るか、という
 事だった。
  基本的に、疑惑はヒューイに向かうであろうから、カトゥーは安全圏にいるとはいえ、油断はで
 きない。誰かが、カトゥーを罠に嵌めるとも限らないのだ。




 Meditationes de prima philosophia





 「船長はいつだって僕達の事を思ってくれていたのに。この会社のやり方は間違ってるって……。」

  カークの葬送を、あまりにも素早く決めた所為だろうか。カトゥーはモニタに映った船長の台詞
 にショックを受けているようだった。ヒューイも同じ感想らしく、何度も何度も首を横に振ってい
 る。

 「船長は、この会社の機械による査定を否定している人だったのに……。」

  呟きながら、遺体と一緒に葬送するものがないか、カークの身の回りの品を探しに行く為にヒュ
 ーイは立ち上がる。その後をカトゥーがのろのろとついていく。 
  だが、私はたった今呟かれたヒューイの台詞を再生し、船長がこの状況の打開には役に立たない
 という答えを打ち出すよりほかなかった。
  コギトエルゴスム号の所有者である輸送船会社は、先程のヒューイの台詞と、そしてマザーの船
 長に配置換えを進言したという台詞から察するに、機械――コギトエルゴスム号ならばマザーに、
 乗組員の査定を任せていたのだろう。だが、機械による査定を、船長が反対しているのならば、マ
 ザーの配置換えの進言は、無視されていた可能性があるのだ。
  つまりマザーの地球に着くまでの間という策は、そもそも通らなかった策なのだ。
  そう結論付けた私は、結局のところ、やはりカトゥーを守るのは自分しかいないのだ、と判断す
 るしかなかった。マザーの策とは、所詮機械であるが故に、人間に受け入れられるものではなかっ
 たのだ。
  かといって、機械の判断を疎んじるがあまり、マザーの助言を聞き入れないであろう船長が、カ
 トゥーを守るかと言えばそうでもない。むしろ、マザーの判断を疎んじる彼は、マザーの査定を無
 視して、この乗員配置のまま次の航海に至る可能性とてあるのだ。
  むろん、カークが死亡した以上、そしてレイチェルが精神的に不安定となった今、このままの配
 置は不可能だろう。
  そこまで考えて、当面カトゥーについてはカーク殺害容疑以外の危機は訪れないだろうと判断し
 た。カーク殺害についても、カトゥーよりもヒューイの方が怪しまれるだろうから、危機が訪れる
 可能性も非常に少ない。
  だが、そんな私の計算を覆すかのように、俄かに廊下が騒がしくなった。

 「落ち着くんだ、レイチェル!」

    声はヒューイのものだった。その声を聴きつけて、ばたばたとカトゥーとダースも駆け付けてい
 るようだ。その足音に重なるように、レイチェルの甲高い声が鳴り響いている。おそらく、ヒュー
 イが、カークの遺体を持って精神崩壊しかけているレイチェルを見つけたのだろう。それを咎めら
 れ、レイチェルはヒステリーを起こしたのだ。
  恐れていた出来事だったが、今のところ被害はヒューイだけで、カトゥーにまでは及んでいない。

 「カークは誰にも渡さないわ!ヒューイ、貴方の考えは分かってるのよ!カークを殺せば、私が貴
  方の元に返ると思ったのね!」
 「ば……馬鹿な事を言うな!しっかりしろ、レイチェル!」

  誰もが思っていただろうけれども、しかし口にしなかった事をはっきりと元恋人から口にされ、
 ヒューイは明らかに動揺したようだった。聴覚センサに入力される彼の声の震えが、それを物語っ
 ている。
  そこに、まるで計算しつくされたかのように、通信が入った。その音声通信は、私がレイチェル
 の精神を揺さぶる為に作ったカークのものと、まったく同じ音をしていた。

 『レイチェル、そこから逃げろ!ヒューイがお前を狙ってる!俺は今、エアロックの前にいる。す
  ぐに来てくれ!』

  そう告げたっきり、途切れた音声通信にレイチェルの眼が見開かれ、ヒューイを突き飛ばしてエ
 アロックの前に突進しようとした。それを慌ててヒューイが引き止め、それにならってカトゥーも
 レイチェルの前を塞ぐ。

 「馬鹿な真似はよせ!」
 「は、はなして!カークが、カークが!」

  私を、待ってるの。
  そう悲鳴に近い声で叫ぶ彼女の腕力は、精神に異常をきたしている所為か、既に女性の力を超え
 ている。我を忘れて、脳による筋力制御が不能になっているのかもしれない。そんなレイチェルを
 ヒューイとカトゥーは二人がかりで押しとめようとするが、我を失ったレイチェルの筋力はそれす
 らをも上回る。
  ずりずりと二人を纏わりつかせたまま動くレイチェルは、牛の姿を思わせた。

 「落ち着け!」

  二人を引き摺ったまま、エアロックへと進むレイチェルの前に、重低音が割り込むと同時に、鋭
 く高い音が鳴り響いた。頬を平手で打つ音だと瞬時に理解できたのは、私だけだっただろう。
  頬を打たれたレイチェルはおろか、カトゥーとヒューイでさえ呆然としている。
  そして、頬を打ったダースは、表情一つ崩さずにレイチェルの前に立ちはだかっていた。

 「落ち着いてよく聞くんだ。あんたがさっき医務室で見たのは何だ?ベッドに横たわっていた物だ。
  いいか冷静になるんだ。悲しいかもしれんがあの男はもうこの世にはいないんだ。」

  重低音のままでダースがそう告げるや、猛牛のようだったレイチェルはしばらく呆然としていた
 が、徐々に瞳を歪ませ唇を震わせると、そこから泡と悲鳴を零した。超高音のそれは、薄暗い宇宙
 船のあちこちに跳ね返り、しばらくの間は残響が聞こえているほどだった。
  その残響を上塗りするように、何かが突き破られるような音と獣の咆哮らしき音が空気を震わせ
 た。
  その音に、ダース伍長がはっとしたようは表情を浮かべ、私もすぐさま宇宙船に接続して状況を
 調べる。可能性としては低かったが、しかし先程の音を分析すれば、その低い可能性に事態が傾い
 たと判断しても 間違いはないだろう。
  果たして、私が監視カメラから覗いたのは、破壊されたコンテナと、そこから抜け出した虹色の
 残滓だった。
  悲鳴を上げ切って自失したレイチェルをヒューイに任せ、ダースが急いでコンテナのある部屋へ
 向かっていく。その姿からカトゥーへと視覚センサを移しながら、私は彼に起こる危機を如何に回
 避すべきかの計算に追われていた。