カトゥーを守るにあたって、結局のところマザーも船長も役には立たないという事が分かった。
 つまり、カトゥーを守る事が出来るのは、私だけという事だ。
  改めてその事実が明白になった事で、むしろ逆にするべき事も明白になった。
  この船において、カトゥーに対して暴力行為を働く可能性が最も高いのはカークだ。レイチェル
 やダースも、ヒステリックになった時は暴力沙汰を起こす可能性は非常に高いが、しかしカークは
 他の二名よりもずっと頭に血が上りやすく、また暴力を振るう事に躊躇がない。だから、私は最初
 の標的をカークに定めた。
  標的と言っても、別に危害を加えるわけではない。
  単に、彼を、カトゥーに近づかないようにしてやろうというだけの話だ。
  私には、三大禁則事項が適用されている為、カークという人間を傷つける事は何があっても出来
 ない。肉体的には。だが、精神面についてまでの設定は、現段階において如何なる三大事項のプロ
 グラムにも組み込まれていない。
  機械が自分の行動によって、人間がなんと感じるかを考察する事は可能だが、その考察の結果に
 よって、機械が自らの行動を制限するという事はない。それによって、逆に人間の生命を危機に曝
 す可能性が出てくるからだ。どれだけ人間が機械の行動によって精神的に疲弊したとしても、それ
 によって生命が救われるのなら、機械は間違いなくそれを行う。故に、その制限はなされない。
  だから、私がゲーム内の仮想空間で飛び回るカークに何をしようと、それは一切制限なされない
 のだ。
  キャプテン・スクエアの中で異星人達を撃ち殺していくカークの前に、私はひらりと舞い降りた。
 私の使命であるカトゥーの姿を電子の粒で構成して。その姿に気が付いたカークは、呆気にとられ
 たのか、攻撃を仕掛ける事も忘れて画面の中で停止している。
  尤も、攻撃したところで無意味だ。ゲームの中で、機械である私に勝つ事など不可能なのだから。
  私は動く気配のないカークに向かって、カトゥーの手を模した電子の粒を伸ばした。




 Discours de la methode





  その時、誰もリフレッシュ・ルームにいなかったのは、カークにとっては幸いだっただろう。
  よもや、ゲームの中で、自分が自分の知る技術者によって犯されて殺されていくなどとは思って
 いなかっただろうから。
  私としては、これを皆の前でやった方がカークに対してはより効果があったかもしれないとも思
 ったが、しかしそうしなかったのは最大の譲歩だ。
  最終的には、カークがカトゥーに危害を加えなければ、それで良いのだ。
  カトゥーに、電子の中でとはいえ、犯された事はカークのような男にとっては屈辱だろう。やた
 らと支配欲と自分の力を誇示したがる男は、基本的には同性の性行に対して過剰なまでの嫌悪を見
 せる傾向にある。それは裏返せば、自分が支配される事に対する恐怖だ。
  その恐怖の対象を、カトゥーとして、カークに植えつけたのだ。
  ゲームの中でカトゥーに犯された事によって、カークが原因をカトゥーに擦り付け、カトゥーを
 傷つける事はないだろう。
  カークのような人間は、支配欲と同じくらいプライドも高い。ゲームの中、と割り切る事は出来
 ない。つまり、ゲームの中の事であっても、男に犯されたなど、ばれて欲しくない、口が裂けても
 言えないのだ。
  にも拘わらず、理由も口にせずにカトゥーを罵倒したりする事など、間違いなく奇異の目で見ら
 れる事だろう。皆が事情を知るヒューイに暴言を吐くのとは違うのだ。唯一の味方であるレイチェ
 ルからも怪訝に思われる。
  だから、カークがカトゥーを罵倒したり、まして暴力を振るうなど有り得ないのだ。
  それどころか、傍に寄る事すら躊躇うだろう。
  ゲームの中で犯されて、それどころか少しばかり感じてさえいたのだから。
  そんな、カークの望む自分自身と全く違う自分自身を暴かれて、その原因であるカトゥーの傍に
 寄る事など出来ないだろう。
  私はその事実に満足し、何処となく蒼褪めた顔のカークを見やり、これでカトゥーが傷つく可能
 性は格段に減ったと認識していた。実際、カトゥーに暴言を吐くところはあったものの、殴りかか
 ろうとするような行動はなく、暴言を吐く言葉も震えていた。
  出来る事ならば、暴言自体も止めたかったが、大方が私の予想通りだったので、宇宙船が地球に
 着くまでの間ならこれくらいで良いだろうと判断した。地球に着いてしまえば、マザーの言う事が
 正しければ配置転換され、カークとカトゥーは離れる事が出来るはずだ。
  私はそれ以上の事は考えなかった。
  だから、カークが宇宙服の酸素注入不備により死亡するのは、想定外の事だったのだ。
  通信不良に陥ったアンテナ修理の為、一人勇ましく――内心は蒼褪めたままだっただろうが――
 宇宙に出て行ったカークは、唐突に苦しむ声を通信機器に残したっきり、顔色を蒼褪めるどころか、
 紫色に変色させて、物言わぬまま帰ってきたのだ。
  医務室で生命維持装置が壊れた宇宙服を呆然と見下ろし、ヒューイが呟く。

 「そんな……。管理チェックは万全だった……。壊れるなんて、おかしい……。」
 「どうだかな……。誰かの仕業という事だって考えられる。」

  ヒューイの呟きに対して、騒ぎを聞きつけて駆け付けたダースが、疑わしげに言った。その瞬間、
 その場にいた全員が、びくりと動きを止めた。特に反応が顕著だったのだヒューイその人だ。
  宇宙服から顔を上げ、大きく見開いたダースを見つめると、何かを口にしようとして、唇を震わ
 せた。
  だが、それが言葉になる事はなかった。
  ヒューイが声を出そうとしたその瞬間、船内に爆発音が響き、同時に宇宙船内が大きく揺れ動い
 たのだ。
  此処は宇宙空間だ、所謂大気中のように気圧の波などによる振動などない。つまり、これは宇宙
 船に宇宙の塵でもぶつかったか、あるいは宇宙船自体の不備かのどちらかだ。
  この事態に、ヒューイは誰かがカークを殺したと疑われているという事よりも、爆発音という宇
 宙船自体が危機に曝されているかもしれないという状況を把握するべきだと判断したようだ。カト
 ゥーに声をかけ、急いでコクピットへと駆けていく。その後を追うように、ダースもまた積み荷の
 様子を見に行くと言って出て行ってしまう。
  後に残されたのは、私と、カークの宇宙服を抱きしめるレイチェルだった。

 「カークは……死んでなんか、いないわ……。」

  主人のいなくなった宇宙服に埋まったレイチェルから、小さな音声が聞こえてきた。その言葉は、
 明らかに常軌を逸したものだった。人間は近しい、または親しい者を失うと、その死を受け入れら
 れないというが、レイチェルの状態はまさにそれであり、そのような思考に陥った人間は、真実を
 見せようとすれば、自分の妄想を守りたいが為に、逆に誰かを傷つけようとするものだ。
  カトゥーを、この状態のレイチェルの近づけるのは危険だ。
  カトゥーの性格からして、妄想に走るレイチェルを止めようとするであろう事は目に見えている。
 しかし、それをすればするほど、レイチェルは妄想への逃げ道を潰すカトゥーを憎み、最悪は消そ
 うとするだろう。
  カークの脅威は去ったものの、それによって新たに火種が生まれている。
  ぶつぶつと虚ろな目で何事かを呟いているレイチェルを視覚センサに入れ、私はそれならば身動
 きが取れないほど精神に異常をきたせば良いのではないかと判断した。カークは死んでいないと譫
 言のように繰り返す彼女に、生きているように見えるカークを見せれば、そのまま誰の声も届かな
 いほど精神の深みに嵌るのではないか。
  そう判断した私は、医務室のカーテンに隠されている、紫色に変色したカークの元へと動いた。
 遺体の横たわるベッドの下に潜り込んで姿を隠すと、コードを見えないようにカークの身体に繋ぐ。
 このコードは単純にカークの身体に電流を流すだけのものだ。多少ならば、電気信号によって身体
 を動かす事は出来るだろう。
  そして、後は私に搭載されている音声信号を調整するだけで良い。普段の私の音声は、高い電子
 音に過ぎないが、調整すれば女の声から低い男の声まで、例えば、カークの声に似せる事も可能だ。

 『……レイチェル。』

  途端に、ガタリ、とレイチェルが立ち上がる音がした。もう一度カークの声に似せた音声でレイ
 チェルの名前を作ると、カーテンが勢いよく開いて、レイチェルがカークに飛びついた。

 「カーク……!カーク、生きているのね!」

  それに答えるようにして電気をカークの腕に流して、僅かに動かしてやれば、レイチェルは縋る
 ようにその手を握りしめた。

 「ああ……カーク……!」

  感極まった声を上げたレイチェルは、それっきり黙り込んだ。
  レイチェルが握り締めているカークの手は、既に体温を失いつつある。しかも顔色は紫のままで、
 開いたままの目は濁り、舌もだらりと垂れている。声が上がろうと腕が動こうと、どう見ても死ん
 でいるのだ。
  しかし、私はそれを打ち砕くように、再び電気信号で腕を動かして、名前を呼ぶ。
  すると、レイチェルの口から小さな笑みが零れ始めた。

 「ふふ……ふふふ。そうよ、カーク、貴方は生きてるの。死んだなんて……私を貴方から奪おうと
  するヒューイの嘘だわ。」

  だって貴方は私の名前を呼んで、動いてるんだもの。

    「待ってて、カーク。貴方の好きなクッキーを焼いてあげるわ……。そうしたら、貴方はもっとち
  ゃんと動けるようになるのよね……?」

  くすくすと笑うレイチェルを見て、私はその虚ろに動く眼から、精神に異常をきたしたと判断す
 る。そのまま突き落すには、カークの身体をもっと動かして、いっその事犯してやれば良いのだろ
 うが、しかし私の持つ機能ではそこまでは出来ない。
  このままレイチェルが自動的に精神崩壊おかしてくれれば良いのだが。
  とにかく、カトゥー一人をレイチェルに近づけぬようにしなくては。誰か――ヒューイと一緒な
 らば、カトゥーよりも先にヒューイがレイチェルに手を出すだろう。カトゥーがレイチェルの所に
 行こうとしたら、ヒューイを連れて行くように進言すれば良い。
  視覚センサの隅に、ずるずるとカークの身体を引き摺っていくレイチェルの姿を映しながら、私
 はベッドの下から這い出し、カトゥーのいるコクピットに向かう事を決めた。