ゆらゆらと、薄暗いコンテナの中で赤から紫までの光が揺らめいている。その背骨が蠢く度に、
短い体毛はその色合いを変化させ、見ている者に虹色の煌めき映しているようだ。実際は体毛が更
に微細に枝分かれし、そこに光が反射して様々な風合いを見せているのだろう。
モニター越しには完全には分からないが、そうであろうという可能性は提示出来るものだ。
私は、カトゥーとヒューイの後ろで、黙ってモニタに映し出された積み荷――コンテナの中に隔
離された異種生命体ベヒーモスを捉えていた。
「うわぁ……きれいですね……。」
カトゥーの声は、ベヒーモスの体毛の輝きに対して呟かれたものだ。なるほど、ベヒーモスの身
体は人間の目から見れば、美しいというものに値するらしい。
しかし私が注視すべき部分はベヒーモスの体毛などではなく、その体躯と、四肢の先端に備えら
れた爪、そして口腔から除く成人男性の腕ほどの太さのある牙だ。それらは人間の身体などやすや
すと押し潰し、切り裂き、貫く事が出来るだろう。
同じ事を想定していたのか、ヒューイがゆっくりと首を横に振っている。
「けれども、あいつには二本の牙がある。」
揺らめく虹色の前で、二人はぽつりぽつりとカークとレイチェルの事を話している。それは、マ
ザーにとっては最優先事項を揺るがす火種となり得る話だ。私には、カトゥーがそれに巻き込まれ
ない限り、まるで関係のない話だが。
そんな事よりも私にとっては、今モニタに映っている異種生命体のほうが気にかかる。むろん、
レイチェルとカークとヒューイによる争いの発展に比べれば、ベヒーモスが襲い掛かってくる可能
性は非常に低い。
しかし、重低音を上げながらコンテナの壁にぶつかるベヒーモスは、明らかに苛立っており、何
よりも空腹であろうと、その体温が知らしめている。
そして、空腹が他の欲を刺激する事は、ない話ではない。食欲と性欲が直結するという事例が過
去あるようにベヒーモスもまた、空腹により激しく勃起している。
その事を人間達は分かっていない。
Le Monde
事件は起こるべくして起こったのだろう。その確率を私は計算していたし、この事態を恐れてい
たマザーが計算していないはずはなかった。それとも、この程度ならばまだ良いと考えているのだ
ろうか。
私は、リフレッシュ・ルームで床に跪いているヒューイから視界を逸らし、ヒューイを殴りつけ
たカークの間に割り込んでいるカトゥーを見る。
カークは明らかに素行が悪い。それは私もマザーも承知している事だ。レイチェルのかつての恋
人であったヒューイに対して、優越感を気取ろうとして暴言を吐くなど、98%の確率で起こる事
だと考えていた。
だが、この船は現在は任務中。
任務の最中に暴力沙汰を起こす事はそのまま査定に繋がる。それ故、カークが暴力を起こす可能
性は47%と計算していたのだが。
しかし、ヒューイがカークに殴られる確率論などよりも、問題は今、カトゥーが殴られるかどう
かが問題だ。カトゥーが殴られる可能性は31%。ヒューイが殴られる可能性よりは低いが、しか
し私にとってこの場合の可能性は意味のないものだ。
カトゥーは私の最優先事項。
確率が数%であったとしても、可能性が存在する限り警戒せねばならないのだ。
それに例えカークがカトゥーを殴らなかったとしても、、カークの精神年齢が12歳に満たない
ような行動により、カトゥーの精神が疲弊している事は明らかだった。このような問題に、カトゥ
ーが関わる責務は、1%もないというにも拘らず、だ。
このような不条理を是とする事は出来ない。
「カークさん!止めてください。」
「お前は引っ込んでろ!」
揉み合う二人の間で、遂にカークの腕が再び振り上げられそうになった瞬間、私はカークの膝に
派手な音を立ててぶつかった。
私は小柄だ。しかしかなりの勢いでぶつかれば、大人一人の態勢くらい突き崩せる。私の目論見
通り、カークはよろめき驚愕した顔つきで私を見下ろした。そしてその顔をみるみるうちに忌々し
げなものに変化させる。
途端に、私の視界が少しばかりぶれた。聴覚センサでは何か固い音が響いており、それと同じく
して機体も衝撃を受け取っている。どうやら蹴られたらしい。さほどの衝撃はなかったが。
「キューブに八つ当たりしないでください!」
慌てたように私の傍に跪くカトゥーを一瞥すると、ふん、とカークは鼻を鳴らし最後にヒューイ
に言い捨てる。
「忘れるなよ!レイチェルはお前に愛想を尽かしたんだって事をな!」
完全に、私もカトゥーも関係のない台詞だった。しかしカトゥーはその理不尽さに起こるよりも、
頬を抑えて蹲るヒューイを心配している。
「大丈夫ですか?!」
「あ、ああ……。」
小さな声を出して頷くヒューイに、カトゥーは首を横に振って肩を落としながら呟いた。
「……僕にはレイチェルさんも、カークさんも分かりません。」
「…………。」
「一度、ちゃんと船長に報告した方が良いんじゃないでしょうか……?」
私は、モニタの映像のみで見た船長が、果たしてこの状況を打破できるかと計算してみたが、決
して良い方向には進まないだろうと結論付けるしかなかった。
船長よりも、この船の秩序を考えるマザーのほうが、この状況を憂慮して何らかの対策を講じる
だろう。
私は、カトゥーとヒューイを視覚センサに映したまま、メイン・コンピュータへの接続を開始し
た。
『こんにちは、キューブ。』
電子のみで作られた仮想世界には、二度目の邂逅となるマザーの疑似体がそこに浮遊していた。
一度目は端末室のモニタで見る事が叶った白い髪の女性は、仮想世界では完全に頭の先から爪の先
までを再現して、宇宙を思わせる世界の中に浮かんでいる。
尤も、邂逅に対して一度目、二度目という数え方は、マザーに限っては正しい表現ではないのか
もしれない。
マザーは、このコギトエルゴスム号のメイン・コンピュータ。あらゆる場所に彼女は介入する事
が可能で、この船内にある端末全てが彼女の感覚器官のようなものだ。
だから、彼女は、たった今起こったカークとヒューイの確執についても、すでに熟知しているだ
ろう。
それ故に私は、私に朗らかな機械音声で語りかえるマザーに、説明を省略する事にして、結論だ
けを電脳世界に入力した。
『もう一度、カーク、ヒューイ、レイチェルをコールド・スリープに入れては?』
争いの火種となり得る彼らを、最初に判断した時のようにコールド・スリープに入れてはどうか。
勿論、彼らは何故と訴えるだろうが、しかしそうした方が後々の為になるだろう。
すると、電子で構成された彼女は、まるで人間のように目を閉じて溜め息を吐いた。
『カークさんとヒューイさんの事ですね?彼らのレイチェルさんを巡っての確執は、私もよく知っ
ています。ですが、彼らはこの船の運航に支障をきたすほど、プロ意識が低いわけではありませ
ん。』
宥めるようなマザーの言葉に、私が納得できるはずもなかった。彼らは既に、十分に調和を乱し
ているではないか。そんな私の意図を読み取ったのか、マザーは『困ったような』表情を作り出す。
『キューブ。貴方がカトゥーさんの事を心配するのは良く分かります。ですが、それを優先させる
事が、私の任務と重なるとは限らないのです。』
お前はカトゥーの事が心配なだけだろうと暗に言われたようなものだった。それに対して私が反
論出来ずにいると、マザーは『困ったような』表情の上に、笑みを浮かべる。
『安心してください。この航海が終われば、彼らは配置変換される予定です。私には彼らの行動を
評価する権利が与えられています。彼らの行動が、貴方が危惧する通りになりかねない事も承知
しています。ですので、私は彼らの評価を作成し、船長に提出しているのです。』
この意見は、必ず反映されますよ。
そう言って、彼女は微笑んだ。