サンダウンは、がっくりと項垂れた。
自分の想いは到底マッドには届かないと気付かされただけでなく、自分の醜い心内まで言い当て
られたような気がした。
いや、当然と言えば当然。
サンダウンがマッドに何かを与える事が出来る事などあるはずもない。サンダウンはいつだって、
マッドから奪うだけだった。マッドから注がれる、失ったはずの日常を得るだけで、代わりにマッ
ドに何かを与える事など出来もしない。そもそも何かを与える事など、サンダウンには出来はしな
い。
サンダウンの中身はいつだって空っぽだ。
あの日、保安官を止めた日からいつも空っぽで、どれだけ血を流しても満たされなかった。そこ
に激烈に何かを注ぎ込んだのはマッドで。そのマッドにサンダウンは何かを与える術を持っていな
い。仮に、与える何かを持っていたとしても、マッドに受け取って貰える可能性など無きに等しい
のだ。
白い顔を見下ろして、サンダウンは笑いたくなった。端正な顔立ちと、流暢な口調。マッドには
全てが揃い、そこから全てを手に入れる力量もある。サンダウンが何かを与えずとも、きっとこの
まま成り上がる。
Kiss
ずるずると音を立てながら引き下がったサンダウンを、マッドは黒い眼で見つめながら、サンダ
ウンの動きに従って身を起こす。おそらく、今回の出来事などマッドの中では一つの事象として印
象付けられ、そのまま消化されてしまうだろう。笑い話になって、何もなかった事にされ、再びマ
ッドはサンダウンの前に現れて、白い手袋を投げつけるのだ。
それが、喜ばしい事なのか、サンダウンには分からなかった。
マッドを失わずにいられた事は、喜ぶべき事なのかもしれない。けれどもそれは、未来永劫マッ
ドはサンダウンのものになどならないという予言でもある。マッドはサンダウンの前から消えない
と同時に、サンダウンには触れられないというのだ。
見ているだけ。
それだけがサンダウンに許されているのだ。
その行く末が、如何に心配であろうとも口出しも手出しも出来ない。ただ、投げつけられた白い
手袋を黙って受け止めて、そこから放たれる灼熱の銃弾が自分を超える日を待つだけしかできない
なんて。
大切なのだ。
それは、掛け値なしに本当だ。とにかく、真っ当に、ただただ彼に見合う華やかな道を歩んで欲
しかった。それが、一瞬の情欲が台無しにしてしまった。そんなものを感じなければ、今まで通り
に振舞えたのに。いや、マッドは今まで通りに振舞ってくれるだろうが、しかしサンダウンの中は
そうはいかない。サンダウンは、自分が抱くマッドへの情欲に気付いてしまった。親愛でもない、
友愛でもない、ただの純粋な欲望。気付いた瞬間、地面に投げ捨てた葉巻のように踏み躙るべき感
情。マッドに合わせてなかった事にする事はできるだろう。けれども、それはマッドのいない世界
よりも、きっと、辛い。
その白い指先も、黒い髪の一筋も、鼻筋に落ちる一滴の光でさえ、サンダウンには欲望の対象で
あり、それから眼を逸らし生き続けるのは、確かに人間らしいが、苦しみの連鎖だ。いっそ、人間
でなければ良いのにと思うだろう。もしくは、いっその事、そのまま銃で貫いてくれたら、と。
否定された――拒絶ではなく、否定された想いほど、悲しい墓標はない。
愛を囁いても、勘違いだと否定された想いには、墓標すら立てられない。
どうしようもない、やるせない想いに駆られつつも身を退くサンダウンは、それでも最後の抵抗
として、マッドの白い手に自分のかさついた手を被せた。その、あまりの対照に、嗤いが込み上げ
てくるほど、マッドの手は美しかった。そして自分の手は、その犯した罪に相応しいくらい、捻じ
れて、みすぼらしい。
その対照を見下ろして、サンダウンは一人自嘲した。
これは、否定されても当然だ。マッドの手と、自分の手。明らかにマッドの手は美し過ぎる。今、
サンダウンが手にしている事それ自体がおこがましいと感じるほどに。サンダウンが触れていられ
るのは、マッドが慈悲を下しているからに他ならない。その慈悲で、サンダウンは満足すべきなの
だ。間違っても、触れて、自分のものにしたいだなんていう大それた願いを持ってはいけない。
大切だ。
そう、それは間違ってない。
愛している。
それも間違いではない。僭越だが、しかし、愛されてしかるべき人間なのだから、仕方ない。
愛して欲しい。
それが、大きな間違いだ。そんな事、おこがましいにもほどがある。
そしてそんなおこがましく、浅ましい欲望はマッドに見抜かれてしまった。押し倒して、無理や
り自分のものにするだなんて、死の焼き鏝を押し付けるだなんて浅はかな考えは、マッドの前にお
いては児戯にも等しい行為だったのだ。マッドは笑って許してくれるだろうが、それだけだ。同情
の挙句にサンダウンのものになってくれはしない。そんな浅はかに、マッドは動かない。
「………キッド?」
マッドの柔らかな声が耳朶を打つ。
本来ならば、これで満足してしかるべきだ。西部一の銃の腕など振り翳さず、分相応に、マッド
の声だけ聞いて喜んでいれば良かった。押し倒して、お前の所為だと罵るなど、おごがましすぎる。
許されるだけでも、喜ばなければ。
けれども、マッドはサンダウンが想像していた以上に冷ややかで、公正だった。このまま逃げ出
そうとするサンダウンを、そのまま見逃しはしなかった。西部一の賞金稼ぎとして名を馳せ、嘆き
の砦として働くマッドは、狡賢いサンダウンを、それで逃がして良とはしなかったのだ。
当然だ。
きっと、マッドに見逃されたなら、サンダウンは再び同じ事を繰り返す。人間とは、それほどに
愚かだ。同じ事を何度も繰り返すほどに、愚かな生物だ。それを、マッドほど聡い人間が分からぬ
はずがない。サンダウンは、また、自分の銃の腕だけを振り翳して、同じ事を繰り返す。それを、
マッドほどの人間が分からぬはずがない。
「てめぇは、なんて顔してやがるんだ。」
サンダウンの醜い心内を読み取ったマッドは、サンダウンの動かない顔を見て、そう呟いた。マ
ッドには、サンダウンの浅ましい想いも、これから繰り返す何にも学ばぬ道程も、見え切っている
のだろう。嘆きの砦たる彼が、それを阻止すべく動くのは当然の事。なのに、それさえも喜びとし
て受け止める自分は、どれほど浅ましい存在なのか。醜い野獣は、考える事さえ醜い。きっと、身
体と心は連動している。
傍にいるべきではなかったのだ。
サンダウンはマッドの健全な身体の傍にいる自分が、今更ながら、ようやく、おぞましく思えた。
マッドの傍に、おこがましくも居るべきではなかった。マッドを大切なのだと言い訳せずに、素直
に自分の欲望を認めて身を引けば良かった。そうすれば、マッドの前にこんな無様な姿を見せずに
済んだのに。
否。
無様と思う時点で、サンダウンが如何に自分本位かが分かる。本気でマッドだけを想っているな
ら、そんな言葉を思い浮かべる前に、自分で頭を撃ち抜いて、マッドを切り捨てるはずだ。それを
せずに、小奇麗な言葉を並べるだけの自分に嫌気がさす。それどころか、眼の前で自死したら、マ
ッドの中に何かを残せるだろうかと思う時点で、あまりにも浅ましい。
思って、思う。
分不相応に、マッドを想った時点で、きっと消えない炎で焼かれるしかないのだ、と。
「キッド。」
サンダウンに熱を灯す声が、窘めるように、もしくは何かを咎めるように響く。その声に対して、
サンダウンは何か返す言葉を持っていない。ただ、その言葉の一滴でさえ、自分の芯から揺さぶる
ほどの愛しさを感じるだけだ。
声。それだけで何らかの感情を掻き立てる事が出来る人間がいるとすれば、それはマッドだけだ
ろう。
そのマッドが、サンダウンに密やかに声をかけている。その声に対して、サンダウンはただ、勅
令を受けた鶴のように項垂れるしかない。
「お前が、欲しいんだ。」
マッドの声に対して、サンダウンはただただ浅ましい言葉を繋げるしかない。愛していると言う
には、自分がどれほど汚れているのか、サンダウンは分かっている。愛という言葉が如何に偉大か
分からぬほど、子供でもない。
だから、言葉を知らぬ子供のように、浅ましく、欲しい、と答えるしか出来ない。
何よりも、欲しい、としか。
「欲しい。そう、思わせてくれ。」
子供が玩具を欲しがるように。ただただ、素直に、マッドという人間が、欲しい。けれども、マ
ッドの表情は浮かない。
「思うだけで、良い。」
それだけでも駄目なのか。否定されるのか。縋るように見れば、マッドは首を横に振っている。
「あんたなぁ。そんなふうに俺を見るくらいなら、本当に欲しいもんを奪い返しに行けよ。もしか
したら、向こうもあんたの事を、そう悪くは思ってねぇかもしれねぇだろう?」
なんで賞金首にこんな事言わなきゃなんねぇんだ、とぼやくマッドは、本当にサンダウンの事な
どなんとも思っていないのだ。サンダウンが、マッドだけを欲しいと言っても、マッドには届かな
い。マッド以外に欲しいものなど、もう何処にもないのに。
ぽむぽむと帽子の上からサンダウンの頭を軽く叩くマッドは、頑是ないサンダウンを宥めている
つもりなのだろう。その手を掴んで、引き寄せたかった。
「家族持ちの賞金首なんざ大勢いるぜ?賞金首の家族だって、そりゃあ中には縁を切っちまうって
奴もいるけど、でも、賞金首になった夫の帰りを待ってる女だっていたぜ。だから、あんただっ
て帰りを待ってる可能性あるって。」
な?と顔を覗きこむマッドは、どうしようもないくらい真直ぐだ。サンダウンに歪める事など出
来ないと言わんばかりに。だが、そんな見当外れの事を言われても、サンダウンだって困る。血を
呼び込んで忌み嫌われたサンダウンには、待つ人間など誰もいない。
サンダウンが欲しいと思うのはマッドだけだ。それは、ずっとサンダウン自身眼を逸らしてきた
事実だが、けれどもサンダウンが自分の意志で選んだ答えだ。それは、マッドにだって、本当なら
ば否定できるはずがないのだ。
「駄目だ……マッド。」
お前でなくてはならない。諦められない。
そう囁いて、サンダウンは頭の上に置かれたマッドの繊細な手を、今度こそ欲望のままに掴み取
った。その瞬間、マッドの表情が微かに強張ったが、それを無視してサンダウンはマッドを見る。
「もう、そういうふうに、決めてしまった。」
マッドがサンダウンを追いかけると決めたように、サンダウンもマッドを想う事は止められない。
そう告げたサンダウンに、マッドは顔を顰める。
「わけのわかんねぇ事言ってんじゃねぇ。そんな事言われたって、俺にはどうする事も出来ねぇぜ。
俺は賞金稼ぎで、あんたは賞金首だ。信用だって出来やしねぇ。」
「構わん。」
求めたところで手に入らない。サンダウンは、ただ、想うだけだ。そこ以外に落ち付く事はない。
大切だ。出来る事なら賞金稼ぎなど止めて幸せになって欲しい。だが何処にも行って欲しくない。
サンダウンから眼を逸らしてしまうと言うのなら、粉々に壊してしまいたい。
そんな、矛盾した想いは、ただただ想うだけで良い。なかった事には出来ない。だが、マッドに
何かを求めても、その希求を行動に出してはいけない。だから、想うだけだ。
「なあ、キッド。あんた放浪生活が長過ぎて、ちょっと人恋しくなってるだけだ。どっかで女でも
抱いてこいよ。そしたら眼が覚めるって。俺が欲しいなんて笑えねぇぜ。」
「眼なら、つい今しがた覚めたばかりだ。」
ずっとマッドへの感情は親愛だとばかり思っていた。それが、つい今しがた情欲を伴ったものだ
と気がついたばかりだ。女とマッドを並べたとしても、マッドを選ぶ。
「試してやっても良い。」
何を、とマッドが口にしかけたその時に、サンダウンは掠める程度の口付けを落とした。途端に、
マッドが口を開いたまま固まる。
それを見ながら、もう一度したい、と思った。そう思うという事は、やはりこの感情がサンダウ
ンの中にしっかりと根付いたものであるという証拠だ。サンダウンがそう納得している間に、よう
やく我に返ったマッドが、わなわなと震え始めた。
「何すんだ、てめぇは!」
「キスだが。」
「そうじゃねぇ!何が楽しくて男なんかと!」
「……私は満足したが。」
「満足してんじゃねぇ!」
「……正直を言うならば、まだ足りない。」
「そうじゃねぇって言ってんだろうが!」
「お前が勘違いをしていると言うような事ばかり言うから、そうではないと証明してみせただけだ。」
「開き直ってんじゃねぇ!」
「だが、これで分かっただろう。」
吠えるマッドの唇を、その柔らかさを思い出しながら、これで眼が覚めないのだから、やはりこ
の想いは消えないのだろうと悟りながら見つめる。きっと、もう一度繰り返せば、ますます深くな
る。既に今更だが、もう抜け出せない。
一緒にいる事が出来ない事は知っている。マッドには、いつか必ず賞金稼ぎを止めて、華やかな
道を進んで欲しいのだから。その為に、サンダウンが傍にいてはならない。だが、魂までもが離れ
る事は出来ない。そんな事をしたら、サンダウンが生きていけない。
マッドは何処へでも行けば良い。けれども、その時はサンダウンも魂だけでも一緒についていく。
身体は、重過ぎて邪魔になるだろうから。
マッドを想う魂だけ、マッドは連れ去って行けば良い。マッドがいなくなったなら、どうせサン
ダウンは抜け殻にしかならない。マッドに触れた事も、その声の重みも、魂だけに刻んでおく。魂
だけをマッドの傍に寄り添わせて、そうやって生きていけば良い。身体はどうせ一緒には居られな
い。だから、マッドの邪魔にはならないように。
魂だけを寄り添わせよう。