放せ放せとマッドが身体の下で騒ぐ。じたばたと手足を振り回しているが、けれどもサンダウン
 の前には無きに等しい抵抗だ。首筋に顔を埋めたまま、マッドの身体の動きに合わせて動く喉仏を
 楽しんでいると、マッドが物凄い勢いで髪を引っ張ってきた。地味に痛い。

 「放せ!はーなーせー!でねぇとこのまま引っ張ってハゲにすっぞ!」

  西部一の賞金稼ぎが、その脅し文句は如何なものか。 
  しかし、マッドは本気でそれをするだろう事は、サンダウンも分かっているので、別に禿げる事
 を恐れたわけではないが、少し身体を退いた。ただし、マッドが逃げないように、マッドの身体は
 押え込んでいる。
  首筋から顔を離して、サンダウンは今更離れようとしているマッドを見下ろす。

 「………何故だ。」
 「何がだ!」
 「私は、追いかけるのは止めろ、と言った。それを聞かなかったのはお前だ。」
 「な、んだよ!じゃあ、あんたはずっと俺の事そういうふうに見てたのかよ!」

  マッドが傷ついた眼をした。その光にサンダウンもようやく気がつく。けれども、それを否定す
 る事無くマッドの喉元に指を這わせると、それを肯定と受け止めたのか、マッドの眼が大きく見開
 かれた。




  Under the rose





  逃げなかったお前が悪いのだ、とサンダウンがもう一度言うと、マッドは眼を吊り上げた。

 「ふざけんな!誰が、あんたが俺を、その、押し倒したいとかそういう事したいと考えてるだなん
  て思うか!」
 「思わないほうが不思議だ。」

  吠えるマッドに、サンダウンはマッドの考えの間違いを淡々と告げる。
  マッドはこれまでも、男に言い寄られる事が多かったはずだ。端正な身体が欲望の対象になって
 いる事は、マッド自身が一番良く知っているはずだった。それならば、サンダウンがマッドをそう
 いう眼で見てもおかしくないと、何故思わなかったのか。

 「だって!あんたそんな素振り見せなかったじゃねぇか!」
 「当たり前だ。男を抱きたいと思った事は今まで一度もなかった。」

  それは聖書にもある通り、禁忌だ。この荒野では緩んではいるものの、それでも、キリスト教徒
 の圧倒的に多いアメリカ国民の中には枷として残っている。まして、今やサンダウンにとっては唯
 一の相対者であるマッドに、そんな事は気付かせるわけにはいかない。知られて、マッドに軽蔑さ
 れるのが、恐ろしかったのだ。
  純粋に、ただ犯すだけの相手だったなら、そんな事は思わなかっただろう。けれどもサンダウン
 にとって、マッドは子供のようであり、弟のようであり、友人のようであり、弟子のようであり、
 そしてそれら全てであり、それ以上でもあった。
  一夜限りの相手ではない。通り過ぎる風景でもない。楔のように打ちつけられた存在に、まさか
 欲情している事を悟られるわけにはいかなかったし、何よりもサンダウン自身がそれに言葉をつけ
 る事を許していなかった。

 「だが、もう、良い。」
 「な、何が。」

  再び覆い被さってきたサンダウンに、マッドは身体をずらして逃げようとする。

 「お前が私を信用せずに、何処かに行ってしまうと言うのなら、そんなものはどうでも良い。」

  去っていく相手に対して、体裁を取り繕う必要もない。むしろ、それならばいっその事、消えな
 い傷を付けてやりたい。
  大切であるという思いに変わりはない。一緒に生きていけるわけがない人種であるという事も分
 かっている。マッドは表舞台で生き続けるべき人間だ。サンダウンのような人間に関わるべきでは
 ない。ずっと思ってきたし、これからもそう思うだろう。
  けれども同時に、マッドがいなければ生きていく理由も無い。また、荒野を放浪するだけの、な
 んの実りも得られない世界に戻るだけだ。
  それならば、壊れてしまえば良いと思う。
  人の中に消えない傷を残すのは簡単だ。死による焼き鏝や、凌辱による傷跡など、幾らでも思い
 つく。

 「ま、待てよ、キッド!」

  マッドの声が焦りを孕んだ。傷ついてるのだ。そして途方に暮れてもいる。そんなマッドを見る
 のは初めてかもしれない。きっと、他の誰も見た事がないだろう。けれどもそれでは足りないのだ。

 「キッド!」
 「黙れ。」
 「そうじゃねぇよ!俺の言う事も聞けよ!」

  聞いてどうなると言うのか。
  マッドの言葉に、サンダウンは眉を顰めた。マッドの言葉を聞いて、それで何かが変わるとは思
 えない。また、何か喋り倒して、それで逃げようと言うのではないのか。それとも、サンダウンの
 傍にいるとでも言うのか。

 「あんたのそれは、俺に対して思ってるもんじゃねぇよ。多分。」

  マッドはサンダウンを見上げながら、溜め息まじりに呟いた。
  その言葉にサンダウンは、眉間に皺を寄せる。が、マッドは構わず続ける。

 「あんたは、あれだよ。昔あったもんを俺を見て思い出しているだけだって。あんたに何があった
  のかは知らねぇけど、その時に失くしたもんを、俺に重ね合わせてるだけだ。」

  子供も弟も弟子も友人も何もかも全て、とマッドは言う。
  昔持っていたものが遠くに離れてしまい、それを近くにいたマッドに見出してしまっただけなの
 だと。サンダウンの過去にいた人間は、確かに、もはやサンダウンが関わるべき人間ではないだろ
 う。それを、荒野において毛色の違うマッドに重ねて、マッドを引き離そうとしただけだ。

 「全部あんたが持ってたもんだろ。それをあんたは俺一人に重ね合わせてるだけさ。まあ一人で荒
  野をうろついてるんだ、気持ちは分からねぇでもねぇけどよ。似たような事は前にもあったし。」

  追いかけている賞金首が、息子の姿を重ね合わせて泣きだしたのだと言う。
  それとは違う、とサンダウンは否定する。息子やら弟やら、そんなもの以上の感情を持っている
 のに。けれどもマッドは首を横に振るだけだ。

 「全部を、俺に求めてるだけだろ?」

  親愛の情だけでなく、恋情も求めているだけだ、と。信頼も欲情も、何もかもを、偶々一番近く
 にいるマッドに求めているだけだ。それで、それがいなくなる事で世界が終ったような気になって
 いるだけだ。本当は何も終わっていないのに。

    「でも、無理だ。俺にはそんな器用な事は出来ねぇよ。全部の真似事なんが出来るわけねぇし、誰
  かの真似なんかしたくもねぇ。誰かの代わりもご免だ。」
 「代わりになど……。」
 「してるじゃねぇか。それなら、それこそ他の賞金稼ぎも殺さずに同じようにして、親子供兄弟恋
  人全部の代わりを見つけりゃ良いのに。俺にだけそんな事任せんなよ。」
 「……違う。」

  代わりにしたわけではない。そうではないが、こうやって傍にいるのは、マッドでなくてはいけ
 ないのだ。サンダウンと相対するのはマッドでなくてはいけない。それを、どうすればマッドに伝
 えられるのか。
  見下ろすマッドの眼には、微かに傷ついた色は残っているものの、いつだったか遠目で見た冷静
 な光が浮かんでいる。これが、彼の本分だ。きっと、今、マッドを傷つけても、痕にはならないだ
 ろう。
  消えない傷を付けるのは、ある瞬間、とてつもなく困難になる。
  むしろ、消えない傷を付けられているのはサンダウンのほうだ。マッドの存在は、それだけで十
 分に楔だからだ。

 「無理だ、キッド。俺には出来ねぇよ。俺はただの賞金稼ぎなんだぜ。偶々あんたを撃ち殺しに来
  た賞金稼ぎの一人なんだぜ。あんたがどれだけ特別に思ったって、俺は何にも出来ねぇよ。代わ
  りを演じさせる為に特別に殺さなかったって言われても、俺に誰かの身代りが出来るわけねぇだ
  ろう。」
 「違う。」

  誰かの代わりに大切に思ったわけではない。今は遠くに離れた家族や、消えていった恋人を演じ
 て欲しかったわけでもない。ただ、サンダウンを覚えてくれているマッドに、幸せであって欲しか
 っただけだ。可能ならば腕の中に居て欲しいと思わなくはないけれど、一番最初にあった思いは、
 ただただ幸せであって欲しかっただけだ。
  それが、不安による酷薄で流されマッドを傷つけようとして、マッドに拒絶された。

 「キッド、止めろよ。意味のない事すんのは。俺を生かしておいたって、他の誰かに化けるなんて
  事は、絶対にないんだぜ?」
 「違うと言っているだろう!」

    マッドの肩を砂地に押し付け、サンダウンは叫んだ。その叫び声が、血の色をしていると、マッ
 ドに分かるだろうか。
  見上げるマッドの黒い眼を見下ろしながら、サンダウンはマッドがサンダウンの言う事など微塵
 も信じていないという事実に気付いた。まるで、伝わっていないのだ。このまま貪ったところで、
 マッドには何も伝わらないのだ。あまりにも一方的に、サンダウンがマッドを思っているだけで、
 サンダウンがマッドで満たされただけで、マッドはサンダウンから何かを得る事はないのだ。
  サンダウンが、マッドの為に何かしてやれる事はないのだ、と今更ながらに突きつけられたよう
 な気がして、サンダウンはマッドの肩口に額を付けて、項垂れた。