「おい、キッド!いい加減にしろよ!俺を見て逃げ出すならともかく、決闘は受け付ける癖に、勝
っても殺らねぇってのはどういう事だ!」
黒い犬が、飽きもせずにまた吠えている。
キッド、キッド、と何度も名前を呼んでは、一緒に罵詈雑言を付け加えては、きゃんきゃんと吠
える。よくそんなに怒鳴って、声が嗄れないものだな、とサンダウンは思う。やはり、怒鳴り慣れ
ていると、声も嗄れにくくなるのだろうか。
吠えるマッドをぼんやりと見ながら思っていると、マッドの表情がますます不機嫌になった。
「キッド!てめぇ、人の話聞いてんのか!」
ぼさっとして他の賞金稼ぎに殺られたりしたら承知しねぇぞ、と叫ぶマッドは、自分が大概おか
しな事を言っている事に気付いているのかいないのか。
しかし、それを思っていると、またマッドが吠えた。
Rumpelstilzchen
キッド、キッド、と言いながら後を付いてくるマッドは、まるで子供のようだ。ちょろちょろと
動き回りながら、サンダウンからは離れないように、とことこと歩く。
街中なのに、賞金首と賞金稼ぎが一緒にいるところを見られても良いのだろうか、と思うのだが、
マッド自身は別に気にしていないようなので、サンダウンも特に強くは言えない。むしろ、此処で
変にマッドが騒ぎだしたほうが、注目を集めてしまうだろう。
「なあ、キッド。」
マッドが、名前を呼ぶ。しつこいくらいに。
それに対して特に返事をしなかったら、背後から不機嫌であることがありありと分かる気配が漂
ってきた。
だが、それに対してサンダウンが何かするよりも先に、マッドが素早く動いて、くるりとサンダ
ウンの眼の前に回り込む。
「てめぇ、この俺が話しかけてやってんのに、無視するたぁ良い度胸じゃねぇか。」
「……………。」
誰も話しかけてくれだなんて、言ってない。
しかし、サンダウンはそんな事を口にするほど愚かではなかったし、また、それを口にする暇も
なかった。舌の回転の速さではマッドのほうが遥かに上だ。
「そりゃあな、てめぇは無口だからよ、何か一言口にするたびに色々考えるのかもしれねぇな。で
もよ、呼ばれたなら返事くらいしろよ。」
賞金首が賞金稼ぎ相手にか。
そう思ったが、やはり口にはしない。言っても、多分、効果はないだろうと思っている。
「それでよ、キッド。」
「…………なんだ。」
少しばかり時間が掛かったが、マッドの望み通りに返事をしてやると、マッドはそのまま次に続
ける言葉を、ぺらぺらと並べ立てていった。
特に、サンダウンが返事をしたという事実には、些かの感慨も見せない。その事が、サンダウン
には少しばかり不服である。あれほど喚くのなら、サンダウンがマッドの呼び掛けに返事をしたと
いう事実について、何らかの反応を示したらどうだ。
が、やはり、勿論、口には出さない。再び不機嫌になられては困る。
けれども腹の底では色々と考えて、愚痴を言っていた。サンダウンの反応がなくて面白くないと
言うのなら、サンダウンがマッドの望み通りにした時に、マッドこそ何らかの反応を見せてはどう
なのか。普段からきゃんきゃんと吠えるか、皮肉げな笑みを浮かべるだけで、遠目で眺めた時に見
える落ち付いた仕草は、いつまで経ってもサンダウンの前では見せない。そもそも、先程からマッ
ドがつらつらと喋っている話は、サンダウンには全く関係のない物事で、サンダウンが登場する可
能性は万が一にも有り得ない。そんな話にどうやって相槌を打てと言うのか。むろん、賞金首と賞
金稼ぎの話が合う事のほうがおかしいのだが。
サンダウンは、自分の思考が徐々に逸れている事に気付かない。気付かないまま、ぶつぶつと愚
痴を腹の中だけで続ける。
大体、マッドはサンダウンに向かって、呼んでも返事をしないと言うが、マッドこそサンダウン
が名前を呼んで返事するという事があっただろうか。
思って、思いなおす。
いや、そもそも、サンダウンがマッドの名前を呼ぶと言うこと自体が、まず、ない。
基本的に、サンダウンとマッドの会話は、マッドのほうから話を振るのがほとんどだ。今最前の
ように、マッドがキッド、キッドと名前を呼んで会話が始まる。従って、サンダウンがマッドの名
前を呼ぶ必要性は、ほとんどない。それに、二人の会話は二人っきりの時に展開される。決闘の延
長線のようなもので、誰かが割り込む暇はない。だから、いちいち名前を呼ばなくても誰に話しか
けているのかは分かる。だから、サンダウンも取りたてマッドの名前を呼ぼうとした事がない。
というか、マッドの名前など、所詮は通り名だ。
キッド、キッド、と名前を連呼するマッドを横目で見ながら、サンダウンは少しばかり不満を感
じた。マッドはサンダウンの名前を知っているが、サンダウンはマッドの本名を知らない。それは、
犯罪者や斜陽貴族などの、脛に傷を持つ者の多い西部の荒野では、珍しい話ではない。マッドの、
サンダウンの前では決して見せない、典雅な様子や、どうしても隠せていない上品な仕草を考えれ
ば、マッドが通り名を使用しているのは不思議な事ではなかった。
だから、マッドにしてみれば、賞金稼ぎとして使用しているマッド・ドッグという名前こそが本
名であるのだろうし、それについてサンダウンがいちいち口を挟む権利はない。
ただ、サンダウンにしてみれば、相手が自分の名前を平気で呼ぶのに、自分はそれができないと
いう事態が、些か不服なわけで。
むろん、この不服が、不当なものであるとサンダウンは理解している。先程、サンダウン自身が、
賞金首と賞金稼ぎという関係を考えたばかりだ。それを考えれば、サンダウンのこの不服自体が、
それに抵触する。
むっつりと黙りこんで、マッドの流暢な声を耳に入れ、そしてそれを理解しないように努める。
どうせ自分には関係のない話だ。聞けば聞くほど、不満に思うのは、眼に見えている。
だが、マッドはそれさえも許そうとはしなかった。
「キッド、あんたやっぱり俺の話し聞いてねぇだろ。」
不満そうな声に視線を転じれば、思いのほか近くにマッドの顔があって、サンダウンはたじろい
だ。
見慣れているとはいえ、マッドの顔は荒野にあるにしては秀麗すぎる。それが目前に迫っていた
ら、自分のような田舎者は戸惑うに決まっている。
だが、マッドは自分の顔の事など意識していないのか、それともサンダウンがそれで崩される事
などないと信じているのか、何の躊躇いも無くサンダウンに顔を近付けている。間近で見る黒い眼
は、信じられないほど、深い。
滑らかな陶器を想わせる白い頬に、一つの染みもない事を確認し、サンダウンは眼を逸らした。
が、それもマッドの気に障ったようだ。形の良い眉が寄って、表情が厳しくなる。それでも、秀
麗さは損なわれていない。
「あんたな、一体俺の何が……。」
「マッド。」
不満なんだ、と言おうとしたのだろう。そんなマッドを遮るように、サンダウンは思わず、名前
を呼んだ。勿論、本名ではない、通り名だ。
いきなり話を遮られた所為か、それとも珍しく名前を呼ばれた所為か、マッドが少し絶句したの
が分かった。
「………なんだよ。」
けれども、流石にすぐに持ち直す。
しかし慌てるのはサンダウンのほうだ。別に、サンダウンは特に意味があってマッドの名前を呼
んだわけではない。強いて言うなら、機嫌が悪くなり始めたマッドの言葉を止めようとしただけだ。
だから、こう言うしかない。
「………なんでもない。」
と。
けれどもマッドは釈然としなかったようだ。
「なんだよ、良いから言えよ。」
「………なんでもない。」
「なんでもないって事はねぇだろ。」
「なんでもない。」
ただ。
敢えて言うなれば。
「名前を呼んでみたくなっただけだ。」