荒野の上に押し倒された青年は、荒野と同じ髪の色をした賞金首が、自分の指を一本一本丁寧に
 舐め取っていくのを見上げた。賞金首の口の中に指が含まれる度、途方もない背徳感に押し潰され
 そうになる。
  後ろめたいのは、多分、此処までの道のりが無駄に終わった所為だろう。
  青年が、此処に来たのは青年の為であって、間違っても自分を暴漢から助けてくれた男の為では
 なかった。あの男は、まだ幼かった青年に、逢う約束など一言も告げなかった。だから、青年のこ
 れからの道のりが、あの男の為でない事について、青年が誰かに言い訳をする必要や責任を感じる
 必要は何処にもない。
  ただ、青年自身が、自分自身に対して、どうしようもなく後ろめたい。
  だが、それを差し引いても眼の前の賞金首が自分のものになった事が、どうしようもなく喜ばし
 い。
  指一本でさえ余すところなく舐め取っていく様子は、この賞金首が青年に対して如何に欲深いか
 を伝えてくる。青年が欲しいのだと、その仕草だけで分かる。あの男は、そんな素振りは少しも見
 せなかった。
  求められていなかったのかもしれない。
  あの男も、あの時、自分と同じ気持ちでいたのだと思っていた。けれどもそれは、ただの思い過
 ごし、勘違い、自意識過剰でしかなかったかもしれない。子供だからと気持ちを抑えていたのでは
 なく、単に、本当に求めていなかっただけという可能性は、決して否定できない。
  それなら、と、賞金首が耳朶を噛みながら先を求める言葉を吐く言葉に、黙って頷く。
  求めていない人間に、別に与える必要はない。両方に与えたくともそれが出来ず、片方は必要な
 いと思っているのなら、求めている側に与える事に、何の問題があるだろうか。




  笹鳴き





  言っておくが、と青年の身体を撫でながら、賞金首は告げた。
  普段は寡黙な癖に、こんな時にやたら饒舌な男に、青年は強張っているものの小さく笑った。笑
 ってから思う。もしかしたら、この賞金首も、これからの変化に躊躇しているのかもしれない。

 「お前は、私がお前の事など何も知らないと思っているのかもしれないが、私はお前の事はある程
  度知っているつもりだ。」

  逃がさないようにと逞しい腕で檻を作りながら、男は砂色の髪と髭を青年の肌に降ろす。その感
 触にくすぐったそうに身を捩ると、動きを抑えつけられる。

 「お前が、この荒野にやってきた時から、お前の事は知っている。」

  お前は知らないのかもしれないが、と前置きしてから、賞金首は続ける。

 「お前が最初に降り立った町の保安官は、私だからな。」

  その台詞に、青年ははっとしたように瞼を伏せた。そして、唇を少し震わせた後、小さく囁く。

 「なんで、その保安官殿が、こんなところで賞金首なんかやってんだよ。」
 「さてな……。それくらいは自分で調べろ。得意だろう。」

    賞金稼ぎという特性を考えれば、賞金首の過去を辿るのは当然の事。むろん、何処かで途切れる
 事もあれば、巧妙に隠されている場合もあるが。けれどもそれを探り当てるのが、賞金稼ぎのもう
 一つの仕事だ。
  もしも優秀であるのならば、尚更。
  だから、賞金首はそれ以上賞金稼ぎの疑問には言及せずに、軽く自分の過去をなぞって聞かせる。

 「あの町で、お前は有名だったからな。黒髪の、良く吠える、腕の良い、そして金髪碧眼の男を捜
  している賞金稼ぎ。」

     おかげで酒場のマスターにからかわれたものだ、と男は自分の髪を緩く引っ張る。砂色に見える
 が、それは確かに金髪でもある。そして荒野の空と同じ強い青。
  けれども、それらはあの男のものではない。あの男の金はもっと赤味がかっていた。むろん、髪
 の色は年齢と共に変化する。けれども眼の色は変わらないだろう。あの男の眼は、湖水のような淡
 い色だった。眼の前の賞金首のような、空をそのまま切り取ったような強烈な青ではない。
  そう告げると、賞金首は頷いた。

 「……そうだな。私も、お前のような良く吠える子供を助けた記憶はない。」
 「喧嘩売ってんのか、てめぇ。」
 「……お前を見れば、すぐに分かる、と言っているだけだ。」

  きっと忘れる事さえないだろう。
  武骨な指が、青年の髪を掬いながら、言う。

 「お前はどうだ?私を追いかけるようになってから、私の事を忘れる事はあったか?」
 「………あんたが保安官だったって事に、俺は気付かなかったんだぞ。あんたに言われるまで気付
  かなかったんだ。」 

  つまり、それだけの存在でしかなかったのだ。つい最近までは。
  だが、賞金首はそれではつまらないのだろう。言い方を変えて聞いてくる。

 「では、私を追いかけている間、お前が捜している男の事を忘れる事はあったか。」
 「………。」

  あった。
  何度も、あった。
  だから、こうして、この男に流されているのだ。
  青年の沈黙を肯定と正しく受け止めた男は、ゆったりと青年の身体の線を撫でている。それは、
 何処から青年の中に入り込もうかと探っているのだろうけれど。

 「………俺は、何があっても、あいつの所に辿り着くつもりだったんだ。」

  青年は、男の動きを止めるでもなく、小さく呟いた。
  その呟きは、紛れも無く本心だ。青年は、必ず辿り着くつもりだった。どんな流れであっても、
 何処に向かう流れであっても、例えそれが急流であり濁流であり、行方も知れぬものであっても、
 必ず辿り着くつもりだった。
  あの、湖水のような眼の元に、最後には浮かぶつもりだったのに。
  何処をどう間違えたのか、今は湖水よりも深く、決して流れ込むはずのなかった空色の中にいる。
 一体、いつ、舞い上げられてしまったのか。
  しかもこの男は、新しい流れの中にさえ落とさないと言う。

 「不服か。」

  辿り着いた先が、この場所では。

 「言っておくが、私はお前が、再び捜しに行きたいと言っても聞いてはやれない。お前の名を聞き
  つけて、誰かがやってきたら、お前がその姿を見つける前に、撃ち落とす。」

  ひやりとするような言葉に、青年は身震いする。つまり、それは、もしかしたら眼の前の賞金首
 が、実は何処かで捜し人を殺しているかもしれないという事。
  だが、その事実を突きつけられても、きっと揺らめきはしないだろうと思う。
  ただ、一つだけ。

 「なんでだよ……というか、いつから。」
 「お前が、あの町にいた時から。私以外にも、お前を欲しがっている者はいたが。」

  青年の爪先を愛しそうになぞりながら告白する男に、青年は眼を鋭くした。

 「だったら、なんで、俺が町を出ていく時に引き留めなかったんだ。」
 「私の事など、見向きもしなかった、お前を?どうやって?」

  その通りだった。あの時の青年ならば、保安官に眼を向ける事はしなかっただろう。何処にいる
 ともしれない、捜し人に思いを馳せるだけだった。

 「それに、お前を盾のようにしたくはなかった。」
 「…………?」
 「お前が来る前まで、あの町はならず者の溜まり場だった。私に決闘を申し込む無法者達が何度も
  押し寄せてきた。お前が来るまでは。」

  だが、それならば、青年が去ってから、やはり町は元に戻ってしまったのではないのか。その結
 末が、男のこの末路だというのだろうか。
  だとしたら、やはり、何故止めなかったのか。

 「……それでお前が留まったとしても、私の元には流れてこないだろう。」

  青年が、所詮盾だと思う事に、そう時間は掛からなかったに違いない。それならば、いや、盾に
 して縛るくらいならば。

 「だがお前は、お前の意志で私の元に辿り着いた。ならば、もう躊躇う必要もない。」

  指が唇に触れる。その手の向こう側で、賞金首が薄っすらと笑う。お前は私のものだと笑う。
  それについて、些かの文句も出ない。むしろ、これを望んでいた。辿り着く場所は、明らかに当
 初の予定とは違っている。だが、それについて後ろめたさはあっても、悔いる事はないだろう。こ
 れまでの道程も、決して無駄だったわけではない。この荒野にこなければ、この場所に辿り着く事
 もなかったのだから。

 「マッド………。」

  自分を空に巻き上げた男が、低い声で囁く。腰を抱きながら、この先に進む事を求めている。今
 からは二人で流れるのだと、希っている。
  流されてしまえ、と思った。
  自分は、感情に流されるままに西部にやって来た。西部の定めに流されて、賞金稼ぎになった。
 そして、求めるままに賞金首達を狩り続けて、此処に辿り着いた。そして此処から、今度は二枚の
 木の葉になって流れていくのだ。
  その先に、もしかしたら、捜し人がいるのかもしれない。だが、きっとそこは通り過ぎるだけで、
 そのまま行き過ぎてしまうだろう。そしてその後も、二片で流れ続けるのだ。
  一緒に沈む、その瞬間まで。