青年は、ぎゅっと唇を噛み締めて、眼の前にある賞金首の背中を見つめる。
今、此処で銃を取り出して引き金を引けば、容易くその首を撃ち取れるかもしれない。そう思い
はするものの、実際にそんな事をしたりはしない。
背後から撃ち抜くだなんて、卑怯だ。
そう言い聞かせて、青年は、ならず者に蹂躙されている寂れた町中で、ならず者達を落とし入れ
る為の罠を探し始める。
けれども身体全体が、すぐ傍で同じように罠を探す男の気配を探っている。当り前だ。男は賞金
首だ。いつ、寝返ってもおかしくない。だから、男の動向に注意を向けるのは、当然だ。
けれども、それだったら、今すぐにでも撃ち抜いたって問題ない。街の住人に詰問されても、男
が寝返りそうになったと言い張れば良いだけの事だ。賞金稼ぎが賞金首を撃ち殺して、何が悪いの
だ。そもそも、賞金首相手に卑怯も何もない。
『お前、サンダウンの事が好きなんだろう?』
思い詰めれば、耳の奥で翻るのは、賞金稼ぎ仲間のからかうような言葉だ。彼らの言葉は、一向
に5000ドルの賞金首を捕まえられず、それでも追いかけ続けている青年を揶揄するだけのものだっ
たのだろうけれど、それを聞いた青年の心中は、まるで穏やかではなかった。
自分の本心を、真っ向から言い当てられたような気がして。
閑寂
そんなわけがあるか。
青年は、耳に残る仲間の言葉を否定する。自分が好きなのは、この荒野の何処かにいる、自分を
助けてくれた男だけだ。その男を探す為に、わざわざ西部にまで出向いて、賞金稼ぎとして生活し
ているのだ。
何度も自分に言い聞かせ続けてきた言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。そして、脳裏に思い描
く。月に照らされた金髪と、闇の中で煌めいた青い眼を。
けれども、ちっとも見つからないその影を、青年は徐々に忘れていこうとしている。その事に青
年自身も気付いているから、忘れないようにと、なんとか記憶の片隅に留めようと必死なのだ。
なのに、それを嘲笑うかのように、すぐ傍にいる夕映えが青年の神経を鷲掴みにする。
「………どうした?」
手を止めている青年を訝しんだのだろう。普段はこれでもかというほど無視する癖に、こんな時
にだけ、見咎める。
「………なんでもねぇよ。」
耳朶を打った低い声を掻き消すように、青年は苦々しく言い払う。
いつもは青年の事など見ていないのだから、青年が眼を逸らしている時だって、そうしていれば
良いのだ。けれども、青年の視線がいつもとは違い別方向を見ている事が気になるのか、賞金首は
執拗に青年の動きを眼で追ってくる。
「手が止まっている……。」
「うるせぇな。ちゃんと探してる。」
賞金首の指摘に、青年は罠を探す手を動かす。
そうとも、ちゃんと探している。何か他の事にうつつを抜かしているなんて事、あるはずがない。
だが、普段青年を見ていない賞金首の眼は、青年の手が御座なりでしかない事を見抜いていたよう
だった。
「………具合が悪いのなら、何処かで休んだらどうだ。」
「なんで俺がてめぇなんかに心配されなきゃなんねぇんだよ。」
「………倒れられると、こちらが困る。」
心配して貰っているという事実に気分が上擦り掛けた瞬間に、次の言葉で地面に叩きつけられる。
随分と酷い事をされていると思うけれど、それ以上に、その低い声が耳にこびりつく。
聴覚にぴったりと張り付きそうなその声に、青年は首を横に振って払い落そうとした。このまま
では、昔聞いたあの声が、完全に消し去られてしまう。ただでさえ、その声が遠ざかって久しく、
放っておけば時間と共に消え去ってしまいそうなのに。そこに、低い声が聴覚を書き換えようと吹
き込まれたら、本当に何処かに行ってしまう。
それだけは。
時間が愛や恋を縛ったまま、何処かに連れ去っていくなんて、そんな事は何があっても否定した
い。
だが、青年のそんな思惑を解しない賞金首は、再び手を止めた青年の傍に近付いてくる。
「マッド。」
どうしたんだ、と名前を呼ばれて顔を覗きこまれた。
通り名とは言え、名前を呼ばれた。あの男は、一度も名前なんて呼んでくれなかった。そう思う
と、じんわりと賞金首の声が外耳を伝って、内耳を満たしていく。
どうしよう。
消えてしまう。
「あっち行けよ。ってか、別々に探そうぜ。そのほうが、効率良いだろ。」
近付く賞金首から身を離そうと後退ると、すかさず腕をとられた。
ぎょっとして眼を見開くと、そのまま腕を引き寄せられる。なんで、こんな事をするのか。
「………本当に、どうしたんだ。お前らしくない。」
その言葉に、なんだそれ、と思う。
一体、この賞金首はどれだけ自分の事を知っていると言うのだろう。今まで碌に眼を向ける事も
しなかった癖に。なんでそんな事を、今言うのか。
だが、そんな事を口にするわけにはいかなかった。けれども、何か口にしないと眼の前の賞金首
は引き下がってくれそうにない。
だから、わざとらしく溜め息を吐いて、青年は真実を織り交ぜた言葉を告げる。
「別に。ただ、ちょっとイラついてるだけだ。」
「…………。」
無言で、何故、と問うてくる。
その視線に、途方に暮れそうになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。
「賞金稼ぎ仲間になぁ……あんたの事が好きなんだろうってからかわれたんだよ。笑えねぇ冗談だ。
けど、あいつらしつこく言ってきやがるからよ、そんなアホなからかいのネタを払拭してやろう
と、今日こそあんたを撃ち取ってやろうと考えてたんだぜ。」
なのにこうして一緒に罠を探してるなんざ、ネタを投下してるようなもんじゃねぇか。
面倒臭そうにそう言ってやると、賞金首の表情がなんとも言えないものに変化した。ただ、その
表情が何を示しているのか、青年には分からない。どうせ、ただの困惑だろう。
「何で俺があんたなんかを好きだなんて言われなきゃならねぇんだ。大体、俺には好きな奴がいる
んだぞ。」
ぶつぶつと呟くと、賞金首が微かに眼を見開いた。
そういえば、この賞金首の前で、この話をしたのは初めてな気がする。最近はほとんど誰にも言
っていなかったけれど、否応なしに長い付き合いになったこの男にも言ってなかったのは、自分で
も意外だ。
「そうだよ。俺には好きな奴がいるんだ。残念だったな、てめぇが入り込んでくる余地なんか、こ
れっぽっちもねぇんだよ。」
半分以上は、自分に言い聞かせている台詞だ。
そうとも、この男の出る幕は何処にもない。でなければ、西部に来た意味がなくなってしまう。
「ずっと捜してるんだよ。でも、なかなか見つからなくってな。だからって諦める気はねぇんだけ
どな。あいつを見つける為なら、何処までも成り上がってやるさ。あんたを撃ち取るのも、その
為なんだよ。あんたを撃ち取って、名を上げりゃ、あいつも気付くんじゃねぇかって……。」
ぼろぼろと呟いていると、賞金首が掴んでいた腕をより強く引いた。
いきなりの事に対応できずに身を崩すところを、賞金首のもう一方の腕に支えられる。
「な……!」
何するんだ、と言おうとした瞬間、思いもかけず間近に賞金首の顔があって、息を飲む。同時に
心臓が痛いくらいに跳ねたのは、青年の中だけで押し留められる。
「マッド………お節介な事かもしれないが………。」
賞金首が、少し何かを迷うような表情で、青年を見下ろす。
「……今でもお前は十分に名を上げているだろう。」
西部一の賞金稼ぎマッド・ドッグ。それを疑う者は何処にもいない。その名を知らぬのは、生ま
れたばかりの赤子くらいなものだ。
「にも拘わらず、お前の存在に気付かないという事は……。」
「うるせぇな。それくらい、分かってんだよ。」
男の体温がすぐ近くにある状況で、そんな言葉は聞きたくない。だから、その言葉を遮った。
「あいつが俺の事を忘れてるだとか、俺に逢いたくないだとか、もう死んでるとか、そんな事はど
うだっていいんだ。俺は、西部に来た後のあいつの足跡を知りたいんだ。」
「………それで、どうするつもりだ?」
「知るかよ。その後で考える。」
もしも、彼が、自分を抱き止められないと言うのなら。
その時こそ、この男の腕の中に溺れる事が出来る。
ああ、そうだ。その為にも、彼を見つけなくてはならない。
ぎろりと賞金首を睨みつけると、賞金首は年相応に皺の刻まれた顔を少し顰めて、けれども青年
を気遣うように頬を撫でた。それは、年長者が若者に見せる、密やかな気遣いの枠を超えないもの
だった。
もしかしたら、眼の前の賞金首は、青年が告白をするよりもずっと前から、青年が誰かを捜して
いる事に気付いていたのかもしれない。何度か、自分を追いかけるのは時間の無駄だから止めるよ
うにと告げてきた男の事だ。青年が無謀とも言える捜索をしている事にも、老婆心を働かせている
のかもしれない。
だが、青年と男の関係を鑑みるに、それさえも、本来はあるはずがないものだ。
その事実に、青年は一瞬呼吸を止めた。
けれども、賞金首は賞金稼ぎを労わる手つきを止めようとはしない。青年の黒髪に武骨な指を差
し込み、掻き混ぜる。
そして、何度か唇を動かして、やっと小さく囁いた。
「あまり、意地を張るな………。」
賞金首が、何処まで何を知っているのか、それは分からない。
ただ、青年は囁かれた台詞に、肩をびくりと震わせた。