「お前は、あいつの事が好きなんだよ。」
青年は、安宿の古い鏡に映った自分の顔を睨みつけながら言った。
今日も、5000ドルの賞金首に軽くあしらわれて、そのまま逃げられてしまい、苛々しながらこの
安宿に転がりこんだところだった。
「お前は、昔、自分を助けてくれた、金髪碧眼の男に惚れてんだよ。」
暗がりの中で、今にもならず者達に犯されそうになっていた、世間知らずの育ちの良い子供を、
何を好んでか助け出した男。当時、そんなものに関わりたがる人間はほとんどいなかったのに、無
法者達を殴り飛ばして自分を助け起こしたのは、当時はまだ若い男だった。肩越しに見えた月の光
で、その髪が鈍く煌めいていたのは、良く覚えている。
若かったから、犯されそうになっている子供を見捨てられなかったのか、それともあの男が元々
そういった正義感の強い人間だったのか、それは今では問う事は出来ない。
ただ、ならず者達が倒れ伏した暗く冷たい路地裏から、抱きかかえられて抜け出した時、ずっと
触れ合っていた身体の熱に、途方も無く安堵した。ぎゅっとしがみ付けば、返すように抱き締めて
くれる腕が嬉しかった。
そうとも。
自分は、あの男に、今でも惚れている。そのはずだ。
葉擦れ
思い付き限り、それは多分、一番最初の恋だった。
当時は恋だの愛だの、浮いた感情など分からなかったけれど、助けられて見惚れた金髪に頬を寄
せて、もう一度逢いたいと強請ったのは、おそらくそれに類する感情があったからに違いない。で
なければ、もう安全だから、と身体を地面に降ろして貰った後に、抱きついてそんな事を囁いたり
しないはずだ。
その時の、男の戸惑いは、抱きついていたから良く分かった。
きっと、まさかそんな事を言われるだなんて思っていなかったのだろう。せいぜい、感謝の言葉
を言われて終わりだと思っていたのだろう。美女でもない、多少見た目は端正であっても少年から
そんな事を言われた事はなかったのだろうと思う。
よくよく思い出してみれば、青年の服装は決して裕福なそれではなかった。少し色褪せた上着は
ごわごわしていたし、言葉にも所々朴訥としたものが混ざっていた。何処か田舎から出てきたばか
りだったのかもしれない。或いは、北部軍に志願した田舎の若者が残留し続けていたのか。
もしも、南部の人間ならば、少年に抱き付かれたなら多少は邪まな事を考えるだろうし、北部軍
でも貴族の考えが移った輩でも同じ事。
きっと、あの男は、北部の田舎で生まれ育ち、そういった事に疎い人間だったのだろう。
それでも、子供だった自分の言葉に頷いたのは、少なからずとも男のほうでも自分に好意を持っ
てくれたからか、もしくは子供の言葉には単に逆らえない人種だったからか。
いずれにせよ、彼は子供の戯言に付き合ってくれた。もしかしたら、自分に逢う為にやってきた
子供が、またならず者達に犯されかけては堪らないと思ったのかもしれない。
『名前は?』
一度だけ、聞いてみた事がある。
けれども、黙って男は頭を振っただけだった。聞いても仕方がないだろう、と言うように。実際、
男が名前を聞いてくる事はなかった。外見だけで、別の世界に住む相手だと理解していたのだろう
か。その可能性は高い。
落ちぶれても、自分の中には貴族の血が流れている。海を隔てた遠い地から流れる血脈だ、と、
晩餐会で一度だけあった大伯父がそう浮かれたように言っているのを聞いた事があった。
もしも、その血がなければ、彼は名乗ってくれただろうか。もしくは、自分に対して何らかの感
情を伴う言葉をくれただろうか。
思って、前者は兎も角、後者はないだろうと思う。きっと、あの男の中に、少年であろうと男に
何らかの感情を抱くという選択肢はなかっただろうと思う。どれだけ、自分を抱き締めてくれる事
はあっても、奪っていく事はなかっただろう。
だから、別れの時も、朴訥として、こちらを気遣うような言葉も残さなかったのだ。
また逢おう、とも言わなかった、忘れろ、とも言わなかった。あったのは、ただ、淡々と西部に
行くという事実だけだった。そう言えば、別れの言葉もなかった。
良く良く考えてみれば、酷い男だと思う。
だが、それでも惚れてしまったものは仕方がなかった。単に、助けてもらっただけだという事実
を差し引いても、別れの時にはどうしようもないくらい好きになっていた。田舎者で、洒落た言葉
も並べられない武骨な男の事が、好きだった。
「だから、俺は西部に来たんだ。」
あの男は、別れの言葉も口にしなければ、もう一度逢うとも忘れろとも言わなかった。どちらの
可能性も提示しなかったのだ。
だから、青年は、自分がしたいほうを選ぶ事にしたのだ。忘れるのではなく、もう一度逢う事を。
「それくらい、好きなんだよ、お前は、俺は。」
鏡の中の自分に、青年は何度も言う。
その事実が揺るぎないものとして確立するように。
「そうだよ。俺が好きなのは、あいつなんだ。」
そう言った瞬間に、さっき銃を弾き飛ばされたばかりの手が痛んだ。そこから広がる熱に、青年
は眼を見開いて、歯噛みする。
この荒野に来てした事は、全てあの男に逢う為のものだ。賞金稼ぎとして賞金首を撃ち取り、名
を上げるのも、性質の悪い賞金稼ぎ共を一掃して、彼らの王に成り上がったのも。全部、あの男に
逢う為だ。あの男に気付いて貰う為だ。
5000ドルの賞金首を狙って、毎回、銃を弾き飛ばされて、それでも追いかけているのも。賞金首
サンダウン・キッドを撃ち取ったとなれば、嫌でも名声は上がるだろうと。全ては、あの男に逢う
為に。
けれども、その目的が、すり替わろうとしている。
あの、5000ドルの賞金首を獲物に定めた時から。
最初は確かに、名声を上げる為だった。けれども撃ち取る事が出来ない賞金首を追いかけている
うちに、撃ち取る事そのものが目的になってきた。
いや、それはまだ良い。撃ち取れば必然的に名声は上がる。だから、最終的には問題ない。
けれども、そうではなくて。
決闘を申し込んで、簡単にあしらわれる度に込み上げる怒りが、弱い自分に対するものではなく、
全くこちらを見ようとしない相手に向いていく。どうしてこちらを見ないのか。何故相手にしよう
としないのか。眼中にないとでも言うのか。
こんなに、追いかけているのに。
不意に湧いて出た言葉を否定するよりも先に、取り返しのつかない言葉が思い浮かぶ。
こっちを見てくれ、と。
途端に、青年は物凄い勢いで首を振り始めた。たった今、頭の中に浮かび上がった言葉を丸ごと
振り払おうとするかのように。
「違う、違う………っ!」
好きなのは、子供の頃に出会ったあの男だ。大きな手で小さな自分の手を引いてくれた、あの温
もりだ。
自分の事など見向きもしない、触れ合う事さえしない賞金首などではない。あの賞金首に浮かぶ
感情は、悔しさであって、逢いたいだとかそういう切望は欠片も無い。ただ、こちらを見ない事に
腹が立つだけだ。
そうでも思わないと、これまで自分を支えてきたものが、全て崩れてしまいそうだ。
そして、早く、逢いに来てくれないと。
「早く、見つけてくれよ。」
でなければ、忘れてしまいそうだ。
あの月夜に見た金の煌めきよりも、荒野で見た夕日のほうが、網膜には強烈過ぎて、何もかも掻
き消されてしまう。そうなる前に、どうか。
「あんたの事を、好きでいたいんだ。」
時間が恋情を縛りつけて、薄れさせていくだなんて、信じさせないでくれ。