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 「それだけじゃ、分からねぇなぁ。」

  黒髪の青年に問われた酒場のマスターは、首を横に振った。その答えを聞いた青年はといえば、
 特に失望した素振りを見せるでもなく、そうか、と頷いただけだった。

 「やっぱ、分からねぇかぁ。」
 「ああ。金髪青眼の男なんか、このご時世掃いて捨てるほどいる。一昔前――インディアンしかい
  なかった時代ならともかく。」

  今ではあちこち移民だらけで、金髪碧眼の多い北欧系の人間だって普通に海を渡ってやってくる
 くらいだ。髪と眼の色だけで誰かを特定するなんて事は、無理も甚だしい。

 「せめて、名前くらい分からねぇのか。それなら、なんとかなるかもしれん。」
 「それが、知らねぇんだよな。ガキの頃の話だから、顔も微妙に覚えてねぇし。」
 「おいおい……。」

  呆れたようなマスターの声。

 「そんな曖昧な情報で、人を捜そうってのか。」

  無茶にもほどがある。
  西部は広い。未だ未踏の地が何処かにある。見渡す限りの砂漠と、丈の短い草しか生えない荒野、
 そして薄暗い大沢地。切り立った山脈と、その下に広がる深い森。
  そんな中から、たった一人の男を見つけ出すという青年の言葉は、愚か者の言葉そのものだ。
  まして、名前も、顔も分からない。分かるのは金髪碧眼という事だけ。それでは、捜す相手とは
 別の金髪碧眼の男が、自分こそそうだと言っても、分からないだろう。
  しかし、青年は、分かるんじゃねぇのか、と言う。多分、魂の形で分かる、と。途方もなく頭の
 湧いた事を言って。




  海鳴り





  まるで夢見る乙女のようだ。
  青年の言葉に、酒場のマスターはそう思う。確かに西部の荒野は、夢見る人間が集まる地だ。け
 れどその夢は酷く現実的で、時に地に濡れていたりする。この青年が口にするような、まだ初恋の
 なんたるものか知らないような夢が転がっているような場所ではないのだ。
  大体、魂の形だなんて。
  むしろ、夢見る乙女だって、そんな表現を使ったりはしないだろう。それはまるで、運命の相手
 だと言っているようなものではないか。

 「というか、なんでそんな男を捜してるんだ?」

  思い浮かんだ言葉を振り払うようにして、マスターは問う。
  男が男を追いかける理由なんて、それほど多くもない。男が賞金首であるか、或いは復讐の相手
 か。それとも。
  すると、青年は少し戸惑ったように眼を伏せた。
  長い睫毛が滑らかな頬に影を落とし、その端正さも相まって、恥じらっているかのように見える。

 「絶対に笑うから、言わねぇ。」

  事実、恥じらっているらしい。
  年若い、しかも見た目秀麗な青年がそんなふうにしていると、女に限らず男も何か視線を惹かれ
 てしまうものがあるのだが。
  酷く倒錯的な雰囲気を打ち消さねばと思い、マスターは、笑わないから、と先を促す。そもそも
 捜し人の情報自体が少ないのだから、もっと情報を貰わなくてはこちらも何ともし難い。もしも賞
 金首だと言うのなら捜す範囲はかなり狭まるし、復讐の相手だと言うのなら同じ手口で不幸になっ
 た人間が何処かにいるかもしれない。そこから手を付けていけば良いだろう。
  だが、恥じらっている青年の様子から見て、そういった生臭い話とはまた違うような気もした。
  恥じらう青年は、笑うなよ、と念押しした上で、ぽそりと呟く。

 「好きなんだ。」

  なんとなく、そんな気はしていた。
  完全に乙女の夢語りの様相を表わし始めた青年の言葉に、マスターは特に驚かなかった。青年の
 様子から、ある程度予測はしていた所為もある。

 「ほら、俺ってこんなだからさ、ガキの頃から男共に良く言い寄られてたんだ。」

  そうだろうな、と思う。
  移民の色が濃く、そして当初女の数も少なかったこの大地では、男同士での性行為など珍しい話
 でもない。そして、男達の欲が美しい男――特に少年に向かう事も。
  眼の前の青年が、子供の頃から秀麗であったであろう事は、考えずとも分かる。そして、今も昔
 も変わらず、男達の欲に濡れた視線で追われているであろう事も。

 「だからさ、何度か路地裏に連れ込まれかけた事もある。」

  西部に来てからもすぐに連れ込まれかけたな、と青年はあっさりと告げる。

 「勿論、返り討ちにしてやったけど。でも、今は良いんだ。そうやって、返り討ち出来るだけの力
  も技術もある。でも、ガキの頃はそうじゃない。」

     逃げるしか能がない子供。
  男に腕を掴まれて押し倒されたらそれまでだ。後は餌食になるより他ない。衣服を剥ぎ取られ、
 地面に転がされた子供達は、南北戦争終結時に、より多く見られた。

 「いっつも、なんとか逃げられてたんだけどな。その時はそうじゃなかった。あいつら五人で襲っ
  て来やがってよ。」

  両腕両脚を押え込まれて、そのまま服を引き裂かれた。脚を大きく開かされて、誰にも見られた
 事がない場所を露わにされた。

 「もう駄目だと思った時に、来たんだよな、そいつ。」

  満月の夜だった。路地裏には不埒な輩が多く、子供が襲われていても助けるどころか、そのお零
 れに与ろうとするような連中ばかりだった。
  そんな常識を覆すように、その男は現れた。圧し掛かる男達を蹴り飛ばし、引き剥がし、低く、
 失せろと言い置いて。そして最後に倒れ伏した子供を見下ろして、手を伸ばして抱き起こした。ま
 るで硝子細工でも扱うかのように、恐る恐るといったふうに。
  その時見上げた男の金髪が、信じられないくらい満月の光を浴びて光っていた。

   「………多分、その時に、惚れたんだろうなぁ。」

  腰に帯びた銃をなぞりながら、呟く青年の眼は、酷く遠い。
  惚れた、という気持ちは分からないではない。小さな子供にとって、自分を助けてくれる人間は
 憧憬の対象だ。それが、恋情に発展する事は、子供であるが故に多い。ただ、それがこの青年の場
 合、やけに長く続いているだけで。

 「つーか、あいつも俺に惚れてたはずなんだ。あの後、何度も逢って、最初にキスしてきたのはあ
  いつだ。でも、名前は教えてくれなかったな。どうせすぐに別れる事になるから、とか言って。
  そんで、言葉通り西部に行っちまうし。」
 「だから、追いかけてきたのかい。」
 「悪いか!笑うな!」
 「笑ってねぇよ。」

  マスターは、笑っても無ければ茶化してもいない。
  ただ、眼の前の青年を乙女と称するべきか、情熱的と称するべきか、迷っただけだ。

 「だが、捜しあててどうするんだ。もしも、そいつが結婚していたら。」
 「構わねぇよ。別に俺はあいつとどうこうなりたいわけじゃねぇ。ただ、逢いに来ただけだ。あい
  つが今幸せだってんなら、それで良い。他人様の幸せぶち壊すほど、俺は子供じゃねぇぞ。」

  ぷくん、と頬を膨らませて言う青年は、どう見ても子供なのだが。

 「でも、どうするかね。あいつを、どうやって捜そうか。あいつも、俺の顔なんか覚えちゃいねぇ
  だろうしな。」
 「名前は?」
 「俺も名乗ってねぇんだよ、あいつに。」

  一体、それでどうやって捜す気なのか。マスターは本気で呆れた。けれど、眼の前の青年に焦っ
 たような素振りは見られない。

 「別に良いさ。こう見えても、肝心な物に対しての気は長いんだよ。」

  そうして口元に描かれた弧は、悪戯めいているようにも見えれば酷く冷然としているようにも見
 えた。

 「ゆっくり、こっちの顔を売りながら、捜してみるさ。」 

  言って、ひらりと椅子から舞い降りて、ひらひらと蝶のように酒場を横切ってウエスタン・ドア
 を開く。その途中、誰かと擦れ違ったのか、悪ぃな、と声を掛けて消えていく。黒い影が消えた後、
 代わりに入ってきたのは、長く鬱蒼とした影だった。

 「おや、保安官殿。昼間から珍しい。」
 「…………さっきのは?」

  背の高い影が、たった今出ていったばかりの影を、不審な眼で見つめている。その視線に苦笑い
 を浮かべて、マスターは答えた。

 「ああ、ただの夢追い人さ。」

  追う夢は、他の男共と少しばかり形が違うが。と告げて、マスターは保安官を見上げる。そして、
 そういえば、と思う。

 「あんたも金髪碧眼だなぁ、保安官殿。」
 「……何の話だ。」
 「いや、さっきの奴の捜し人の話さ。名前も分からない、顔も覚えていない。ただ覚えているのは、
  満月の下で見た金の髪と青い眼だけ、だそうだ。それで、あんたもそういえば金髪碧眼だったな
  と思っただけさ。」

  保安官の、治まりの悪い金の髪と髭、そして眼を見てマスターは笑った。それに対して、保安官
 は黙ったまま、青年が消えたドアを見ただけだった。