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けっと、ディオは吐き捨てた。
あまりにも身勝手な事をほざく馬を、ディオは睨みつけて威嚇する。
「てめぇ、何勝手な事ばっかぬかしてやがんだ。俺はよ、確かに今はあいつの馬だが、あいつの為
に自分の命を捧げる気はねぇぞ。」
これまで、ずっと誰にも媚を売らず、そうやって生きてきた。それが、何故今になって、あの黒
い賞金稼ぎの前で膝を折らねばならないのか。
いや、もしも、いつかあの男がディオを完全に屈服させるというのなら、それはそれで良いだろ
う。黒い賞金稼ぎが、その眼でディオを圧倒して、ディオを服従させるというのならば、ディオは
正面から受けて立とう。その白い四肢を粉々に踏み潰し、二度とそんな事を思えなくしてやっても
良い。
だが、これらは全て、あの男とディオの問題であって、この馬に口出しされる謂れは何処にもな
い。
「おう、てめぇの主人が、魔王候補だって事は俺だって分かってるぜ。それを止めるのが、あいつ
だって事も、まあ理解してやろう。だがな、てめぇの主人が魔王にならない為に、あいつが必要
だからって、なんで俺があいつを守るって話になんだよ。ちょっとばかり、図々しくねぇか。」
ディオは、苛立たしげに蹄で地面を掻いた。
この馬が言っているのは、ひいては、この馬の主人の為にディオに動けという事だ。あの賞金首
が、この先魔王と化さぬよう、それを止める楔である黒い賞金稼ぎが、他の何にも奪われぬように
守れと言っている。
「随分と、随分すぎる話じゃねぇか。てめぇらにばっかり都合が良すぎるぜ。そりゃあ、てめぇは
あの賞金首の馬だから、それで良いだろうよ――まあ、俺には、てめぇがそこまでする理由は理
解できねぇが。」
献身的な小賢しい馬の心根など、ディオには分からない。
ディオは、真の意味で人間を背に乗せた事はない。最初の牧場主も、次の老兵も、結局はディオ
を飼い馴らす事は出来なかったのだから。
ディオがその背に乗せたのは、人々の怨嗟と呪詛と無念と、そして憎しみだけだ。この茶色の馬
のように、誰かに対して献身を抱こうとする意志が、分からない。
すると、茶色の馬は、ふぅと溜め息を吐いた。そして、茶色の眼で天を仰ぐ。
「つくづくと、憐れな奴だ………。」
小賢しい馬は、小賢しい口調で呟く。
「本来ならば、最も御されねばならないのに、誰も御すべき者がいなかったのか。憎しみしかその
背に乗せないなど……。」
まるで、聖書の馬のようだ。
蒼褪めた、全てに等しく降りかかる馬。
その言葉を聞き咎めたディオは、けれどもその形容に満足したように鼻を膨らませる。
「ああ、そうだとも。俺はそれでいいぜ。憎しみも悲劇も、死と平等だ。誰にでも平等に降りかか
る。だから、てめぇの主人にだって、俺は憎しみを齎すのさ。」
「しかしそれらは死と違い、何処かで必ず回避が可能だ。例え回避出来なくとも、それを受け止め
て見据える事も出来るだろう。そうして笑っていられる男を、私もお前も知っている。」
何もかもを見渡して呑み込む黒。暗く深く、そして透明で鋭い。混沌としているのは、何もかも
を呑み込んだ所為か。
その魂はただの人間だ。金も女も酒も欲しがる、貪欲な人間だ。だが、貪欲すぎる魂は、絶望も
失望も希望も欲望も、全部笑って飲み下す。ディオが背負った憎しみさえも、毒杯を恐れずに空け
た哲学者のように、平気で飲み干すだろう。
業を背負うわけではない。嘆きを癒すわけでもない。憎しみを抱き留めるわけでもない。
ただ、飲み干すだけ。
その姿は、酒を飲む人間と何ら変わらない。けれども、許容が違う。魂は紛れもなく人間と同じ
型の癖に、渦巻くものがまるで比にならない。だが、渦巻く中身は人間と一緒故、人間であるとし
か思えない。
「お前の牙も、あの男は何の苦もなく飲み干すぞ。」
「だから、てめぇの主人の魔王も、笑って飲み下すってか?だったら勝手にしやがれよ。あの男は、
俺が守る暇もなく、そうするだろうよ。」
「ふん。我が主を飲みこむ前に、腹が膨れられては敵わん。あの男に業を飲み干して貰いたがって
いる人間は多いからな。」
そんな人間に、奪われないように。
だが、それはやはりこの馬と、この馬の主人にとって都合の良い話。
「そんなに守りたきゃ、てめぇで守りやがれ。」
「私の主は、ただ一人だ。そしてお前の主も、あの男ただ一人だろう。あの男を失って困るのは、
お前も同じだ。」
お前の牙を飲み干せる人間は、二度と現れないぞ。
小賢しい。
「何、恩を着せるような物言いしてやがる。結局はてめぇの都合の良いように言ってるだけだろう
が。」
「それの何が悪い。私は私の主人に従うだけだ。」
「おーおー、やっと本性現わしやがったな。それがてめぇの本音だろうが。」
馬である以上、家畜である以上、人間からは離れられない宿命だ。むしろこれは宿望か。人間の
為に最期のその一瞬まで動くという、家畜に擦り込まれた願いか。
「大体、俺は別に牙を飲みこんで欲しいわけじゃねぇんだ。俺は『オディオ』であってもかまわな
かったんだ。」
人間に飼い馴らされず、むしろ人間を翻弄する憎しみであったなら。
しかし、それを聞いた小賢しい馬は、鼻先で笑った。
「何を身の程知らずな事を。」
声は、今までにないほど冷ややかだった。
「憎しみで人を翻弄する?所詮はその憎しみは人間から与えられたものだろう。人間失くして『オ
ディオ』になれぬ癖に、何を言う。その癖、我が主が魔王になり『オディオ』の座を奪われる事
に対して、なんの手立ても講じない。悉くが矛盾するお前に、人間を翻弄出来るものか。」
茶色の眼に、憐れみと同じくらいの嘲りが浮かんでいる。馬の分際で、『オディオ』を見下そう
というつもりか。
だが、ディオの睨みなど一蹴して、馬は言葉を止めない。
「人間になっても、結局人間を理解しようとすらしなかったお前が、再び『オディオ』になったと
ころで、また牙を折られて終わりだ。ならば、精々、自分以外の『オディオ』が生まれぬように、
そうやって矜持を保ってはどうだ。」
「うるせぇ!」
「吠えたければ吠えろ。だが、馬に『オディオ』とやらの力は効かんぞ。」
憎しみなど、所詮人間だけの感情だ。動物には効くわけもない。
かといって、人間にぶつければ、再びその牙は折られるだろう。他ならぬ今のディオの主人に。
唸り声を上げるディオに、茶色の馬はひやりとした声で告げた。
「どうせ人間になってもすぐに弾かれ、馬の中ではその力は無効だ。それならば、精々、馬として
の本分を全うするが良い。」
あの男に、その、鼠のように何度も生える牙を、呑み込んで貰うんだな。
「あの男ぐらいしか、その背に乗ってやろうという人間もいないのだから。」
生意気と言うでもなく、蛮勇を見出したわけでもなく、ただ、自分に似ていると一言言った男。
荒野で暴れ狂っていた自分を見つけ、何の媚びも売らずに、人参も持たずに現れて、恐れ一つ見せ
ずに手綱を捕えた男。
あの黒い賞金稼ぎを背に乗せてから、確かに身に蟠る憎しみとやらは減る一方だ。
まるで、吸い取られてしまっているよう。
或いは。
あの白い手が、何の躊躇いもなく暴れて鞭打つように跳ねていたディオの手綱を取った時から、
ディオの牙は、引き抜かれる運命にあったのか。
あの、暗く深い、黒い眼。宇宙の深淵をそのまま切り取ったかのような眼。ディオとて、自分の
眼が吸い込む側である事は良く知っている。だから、憎しみを背負えたのだ。
だが、あの男の眼は。
「冗談じゃねぇ。」
ディオは唸る。
青い眼は、空の眼だ。飛ぶ事が出来ない動物には、畏怖の対象だ。だが、それ以上に黒い眼はい
けない。あれは、飲み干す眼だ。まして、あの眼はディオよりも深い。本気で睨まれたら、きっと。
「俺は飲み干されたりしねぇぞ。」
ディオは、低く言い放った。
その声に、賢しらな馬は答えなかった。