「お前の主は、確かに世界の枠から外れている。」

  もう一度、言い聞かせるように告げる茶色の馬に、ディオは鼻先で笑い、その過大評価を一蹴す
 る。

 「残念だが、あいつはただの人間だよ。確かに、普通の人間よりも銃の腕は立つし、見てくれも悪
  くねえが、所詮はただの人間だ。俺には分かるぜ。」

  一応は、憎しみの名を背負った事がある。それ故、人間の魂の形には何度も関わってきた。だか
 ら、あの黒い賞金稼ぎの魂の形くらい分かる。
  ディオよりも暗く深く透明な黒い眼。あの眼の中にある魂は、何処までも貪欲で、自分の力で世
 界を飲みこもうとする、引力の塊のような形をしている。
  普通の人間よりも、少しばかり、その力が強いだけで、ただの人間だ。
  だが、賢しらな馬は、ディオの嘲笑うような言葉に怯まず、自分の言葉を曲げようとしない。

 「そう。だから、だ。だからこそ、だ。」

  ひたり、と茶色い双眸で、ディオを見据えると、ゆっくりと何度も頷く。  

 「たった今、言っただろう。魔王を斃すのは、人間でなくてはならない、と。」

  そうして、ぶるぶると、身体に着いた水滴を落とすように身を震わせる。むわり、と獣の匂いが
 立ち昇る。そして再びディオを見る双眸。その眼は、先程よりも、何処か鋭い。

 「言っておくが、私とて、気付いている。」
 「何が、」
 「私の主の事だ。」

  賢しらなその背に乗せる、茶色の賞金首。
  かの国の魔王に召喚され、そしてその魔王を撃ち滅ぼした英雄の一人。そして、ディオの眼から
 見れば、明らかにそれ自身が『オディオ』になってもおかしくない存在。きっと、あの青い眼の底
 には、人間に対する失望が渦巻いている。 

 「私とて、気付いているんだ。」

  何処か、吐き捨てるような口調で、茶色の馬は言った。

 「あの主には何年も仕えた。私の、最初で、そして恐らく最後の主だ。保安官時代から、そして保
  安官を止めてからもずっと傍にいた。」

  馬は、人間が考えるよりも、ずっと人間の事を見ている。その背に乗せただけで、その人間がど
 んな気分でいるか分かるほどに。
  ディオが予想していた通り、この小賢しい馬は、やはり、あの賞金首の中に蟠るおぞましい何か
 に気付いていたようだ。

 「保安官を止めた主が、如何に人間に対して失望したか、知っているつもりだ。ずっと見てきたの
  だからな。」

  その銃の腕から英雄とまで謳われて、けれどもその銃の腕が血を呼び込むと分かった瞬間に、称
 賛は呪詛に変わる。それを聞いた主が、どれほど苦しんだか、それはきっと、誰にも分からないだ
 ろう。傍にいる馬は、ただ主の心が擦り減る様を見ているしか出来ない。その背に乗せる度に、擦
 り減った主の神経は、いつ焼き切れるとも分からなかった。

 「主が、あの時、主を謗る町の人間を皆殺しにしたとしても、私は驚かなかっただろうよ。」

  人間とはかくも愚かだ。今まで称賛していた人間を、その舌の根も乾かぬ内に呪うほどに。それ
 が、今まで守ってきていた人間の本性であると分かった時の心持は如何ほどだったか。 
  きっと、そのまま呪い殺したとしても、誰も責められないだろう。
  そして、それをしたのが、かの国の魔王だ。絶望に閉ざされたあの魔王は、その一端となった国
 民を根絶やしにした。

 「我が主が、あの町の人間を殺さなかったのは、単に主が己の本分を忘れなかったからに過ぎない。
  その本分さえ揺らいでいれば、例え主と雖も、やはり魔王となっていただろう。」
 「ふん、そんな事くらい、俺だって分かってるぜ。てめぇの主人こそ、世界からはみ出した人間だ
  って事くらい、見りゃあ分かる。」

  しかし、それが何故己の主人の事に繋がるのかが分からない。己の主がただの人間である事につ
 いて、この馬が――ひいてはこの馬の主が、拘る理由が分からない。
  考えられる事と言えば、せいぜい魔王を邪魔する唯一の人間が只人でしかないという安心しかな
 いのだが、そうではないと言う。そして、それこそが世界の枠からはみ出ているのだと。

 「言っているだろう。魔王を斃すのは、ただの人間でなくてはならない、と。」

  神の力も、偉大なる血脈も、剣の切れ味も、そんなものは全て二の次だ。本当に魔王を斃せる存
 在は、そこにいるだけで魔王を寄せつけ、そして気付かぬ内にその牙を受け止める。ただただ、自
 分がやりたいようにやって、その足跡の一つとして、世界を救って魔王を斃す。それは大した事で
 はなく、彼の歩いてきた道のりの一つでしかない。
  世界を救う事も、魔王を斃す事も、神に認められる事も、きっと、誇る事でも奢る事でもない。
 ただの礎の一に過ぎない。

 「それを、我が主が望んでいる。」

  魔王に一番近い人間。いつ、魔王となって世界を席巻するかも分からない賞金首。その男が、あ
 の黒い賞金稼ぎが人間である事を望んでいる。そして魔王を斃すのは人間だと言う。

 「我が主は、お前の主を、所望している。」
 
  自分を斃す人間として。
  黒い賞金稼ぎ。何処までもただの人間でしかない。けれども枠からはみ出ていると言うのは、何
 処までも人間に過ぎない部分を指して言っているのか。

 「そうとも。お前は馬という枠からはみ出した。だから憎しみを背負い、『オディオ』とやらにな
  り、悲劇の幕開けとなった。お前の主も、世界の枠からはみ出しているのは同じ。ただ、お前の
  主は、ただの人間だ。けれども、その言動は、もしかしたら悲劇の幕開けに直結する。」

  魔王が所望しているからだ。
  ただの人間として、魔王に立ち向かうならば、きっと何も起こらない。いつか、魔王を斃して、
 それで終わるだろう。
  けれども、何処かでそれが歪んでしまったなら。魔王を諦めたなら、ただの人間以上の力を欲す
 るようになれば、卑劣漢に成り下がったなら、或いは何処かで死んでしまったなら。

 「我が主は、お前の主だけを寄る辺として生きている。それが消えてしまったなら、その先に待つ
  のは破滅だ。」

  それは、悲劇の幕開けだ。

 「だから、私は言うのだ。お前に。」

  茶色の馬が睨みつける。その眼には賢しらな部分はもはやない。ひたすらに焦燥に駆られた馬の
 眼があるだけだ。

   「お前は、あの男の馬となった以上、あの男を守り、見張らなければならない。どれだけ嫌がろう
  とも、やらねばならない。それは、あの男の愛馬となった宿命だ。」
 「何勝手な事ぬかしてやがる!」
 「逃げたければ逃げるが良い、他の馬のようにな。だが、『オディオ』とやらの端くれならば、自
  分以外の『オディオ』にその座を奪われぬよう、その矜持を見せたらどうだ。」

  憎しみの名を以て、足掻いてみせろ。
  低い唸り声は、ディオの神経を逆撫でする音を出していた。