夕焼けが見える。
  木々の間を縫って届く、太陽の最後の帯に照らされた子供達は、それでもなお笑い声を上げ、駆
 け回っていた。
  それを遠くぼんやりと思い出しながら、その子供達の中に、決して自分がいなかった事を自覚し
 た。
  小さい町だ。そもそも、ルクレチアという国自体が小さく、国と言うよりも領地というような大
 きさなのだ。そんな小さな国に、流れ込む者は少なく、交易もほとんどない。稀に、行商が遠くの
 国の珍しい品を持ってくる程度だ。
  この国の王は力というものに固執しており、兵士となるべく若者達が別の地に行ってしまわぬよ
 うに、近い国の出来事さえ遠い国の御伽噺にすり替わる。夢は見ても、そこに羽ばたかぬよう、教
 会に良い含めて事実を捻じ曲げているのだ。もしかしたら、あの国王はああ見えて、いつの日か領
 地を広げる事を夢見ていたのかもしれない。だから、魔法使いとして頭角を現してきたストレイボ
 ウを、魔法使いという出自に眼を瞑り――権力者が魔法使いと繋がる事は往々にしてある事だが―
 ―自分の領地の中だけでは好きなようにさせていたのかもしれない。
  そう思うと、ストレイボウはいつも皮肉な笑みを浮かべてしまう。
  確かに、ストレイボウはこの国で上手くやってきた。
  魔法使いであるにも拘わらず、なんとかそれなりに出世できた。だが、そこに国王の意志が働い
 ていたのかと思えば、特にそうではなかった。仮にそうであったとしても、それはきっと、ストレ
 イボウが頭角を現してからだろう。つまり、ストレイボウが自らの手でもぎ取った立場に、ようや
 く気付いてから、甘い顔をし始めたのだ。
  それを表わすように、ストレイボウが子供の頃、まだ、魔法使いとして名を馳せるよりも忌み嫌
 われる事のほうが多かった時分、ストレイボウは一人きりだったのだから。
  夕焼けに満ちた子供達の遊び場。
  あの場所に行く事すら、ストレイボウには許されていなかった。ストレイボウの居場所は、薄暗
 い森の、じっとりと苔むした奥地か、或いは灯のない古い本棚の影だった。
  子供達の声が聞こえないように、あの夕焼けから眼を背けたのだ。
  もしくは、あの夕焼けの中にいる、鬱金色の髪から眼を背けたのか。

 「オルステッド!」

  遠くから聞こえる子供達の声に、その名前が混じっている。
  つまらない、と言いながらも、オルステッドは子供達に混じって遊ぶ事が多かった。それは、彼
 の両親を安心させる為の行為だったのかもしれない。
  オルステッドの両親は貧しい粉挽きで、待望の男児が剣を握る事に秀でていると知るや、彼を騎
 士にしようと躍起になっている。貧しいにも拘わらずオルステッドを学校に入れ、礼儀作法を学ば
 せ、教会に連れていき敬虔な姿を神の前に見せる。
  それらは、天真爛漫に見えるオルステッドの、誰一人として知らない苦悩であったのだろう。
  ストレイボウとて、オルステッドと親しくなり、オルステッドが不意に零した愚痴を聞き咎めな
 ければ気付きもしなかっただろう。
  騎士となるべくして育てられる苦痛。貴族でもないのに、騎士と張り合うように生きなければな
 らない。窮屈以外の何物でもないだろう、それは。
  そして、だからこそ、オルステッドの両親は、オルステッドがストレイボウと共にいる事に良い
 顔をしなかった。
  当然と言えば当然の反応。
  騎士として育てている息子が、よりにもよって神から離れた不心得者――魔法使いと一緒にいる
 なんて。
  それに関して、オルステッドが両親と喧嘩をしているのを、ストレイボウは知っていた。二人が
 友人になればなるほど、その喧嘩の頻度は多くなっていった。彼の母親が泣き叫び、父親がストレ
 イボウの胸倉を掴んだ事もある。そのまま殴られなかったのか、単にオルステッドが止めたからだ。
 あの時のオルステッドは、両親さえも憎んでも、ストレイボウを唯一人の友人として置く事を決め
 ていたのだ。
  その事実は、オルステッドからはっきりと語られる事はなかったけれど、しかしオルステッドは
 全身でそう訴えていた。ストレイボウだけが、唯一無二の友人であり、同じ仲間である、と。その
 事は、ストレイボウの中にもしっくりと収まって、静かに根を広げていた。
  オルステッドもストレイボウも、常人ならざる力を持ち、それ故に、無理やり枠に嵌められてい
 る。そんな二人の間に、他人とは違う繋がりがあってもおかしくない。
    けれども、オルステッドは彼の両親を疎むと同時に、それでも深く愛していたのだろう。それは
 ストレイボウの仮定でしかないが、やはり愛していたのだろうと思う。
  でなければ、両親が流行り病で亡くなった時に、あれほど泣きはしないだろう。
  黒い行列を遠くで見ながら――ストレイボウは彼らの葬儀に参列する事も許されなかった――友
 人の両親が亡くなったというのに、ストレイボウの心は冷え切ってた。
  彼らの事が嫌いだったわけではない。憎かったわけではない。むしろ、息子を想うが故に自分に
 食ってかかった彼らの心情は理解できる。 
  ただ。
  ただ、ストレイボウも親はいない。ストレイボウの親は、ストレイボウが幼い時に死んでしまっ
 た。幼いと言っても、その時のストレイボウには既に分別があった。だから、誰も参列しない二人
 の葬儀に、些かの疑いも持たなかった。
  牧師の弔いの言葉も、弔歌も聞こえない、ただ烏の鳴き声だけが聞こえる葬儀には、ストレイボ
 ウと墓守しかいなかった。墓守は何処かよそよそしく、そしてストレイボウは泣きもしなかった。
  にも拘わらず、前を行く黒い参列は、明らかにオルステッドの両親の為に、長く連なっている。
  なんだろうか、この、大差は。
  誰にも死を悲しまれなかった自分の親と、声高く悲しまれているオルステッドの両親と。
  比べるべきではない、と思う。魔法使いと、貧しい粉挽きの死は、比べてしかるべきではない、
 と。
  そもそも、ストレイボウ自身、親の死をそれほど悲しまなかったではないか。なのに、死を悲し
 まれている親がいるオルステッドを、妬むべきではない。
  ストレイボウの親は、自分の子供にさえ愛されていなかったのだ。
  あの夕焼けの中、一度だけストレイボウもその中に入った事がある。誰もいない日だった。何処
 かの家で、パイを焼いて、子供達は皆そちらに誘われたのだと聞いた。オルステッドも、そちらに
 行ってしまった。
  だから、一人、夕焼けの中にいた。日が暮れて、空が錦を脱ぎ捨てて、静謐な黒のローブを纏う
 まで、ずっとそこにいた。西の彼方で星が瞬き続けるまで。
  けれど、そうなっても、ストレイボウの両親は、ストレイボウを迎えに来なかったのだ。他の子
 供達ならば、星の光が瞬くよりもずっと先に、母親が迎えに来てくれるだろう。オルステッドとて、
 例外ではない。彼が、鬱金の髪を夕焼けで輝かせ、そして同じ色の髪をした母親に駆け寄るのを、
 ストレイボウは何度も眼にしている。
  それが、羨ましくなかった、と言えば嘘になる。
  家が恋しいと、確かに思えるオルステッドが。
  ストレイボウの両親は、魔法使いだ。だから、夜遅くまで薬草を摘みに行ったり、秘術をしめや
 かに行っていたりする。その事は、ストレイボウも良く知っている。時に、ストレイボウもそれに
 ついて行く事があるのだから。
  自分の家系が、決して普通ではない事は、ストレイボウが重々承知している。
  だが、せめて。
  夕焼けの下にいる時くらいは。

 「悪かったね。」

  パイを食べにと誘われたオルステッドが、ひょっこりとやってきたのは、ストレイボウが一人広
 場に残っている時だった。

 「あいつらはとてもしつこいんだ。私はパイなんて食べないって言ってるのに。」
 「……なんでだ。」
 「私は外で遊ぶほうが好きだよ。勿論、パイが嫌いなわけじゃないけれど。でも、家の中であいつ
  らと一緒にいるだけっていうのは、嫌だなあ。」

  私は、この広場で遊ぶほうが好きなんだ。
 「……なんでだ。」

  ストレイボウは、もう一度同じ質問を繰り返した。すると、オルステッドは小さく肩を竦めた。

 「あの広場からは、本を読んでる君が良く見えるからさ。」