機械人形達は、『エヴァ』が消えた途端、まるで糸が切れた、文字通り人形のようにその場に転
がった。重々しい音を立てて地面に崩れ落ちたそれらの向こう側には、既に『エヴァ』の姿はない。
その状況に異常性を感じたダースは、今すぐにでも『エヴァ』を追うべきだと判断するが、背後に
いる年若い技師の友人の言葉を思い出すと、それは躊躇われた。
何せ、カトゥーは、ダースの友人であり、ダースが感情を持つロボットの製造を考えている事に
ついて、あれこれと世話を焼いてくれる――大学の講義を受けられるようにしてくれたのも彼だ―
―良き理解者だが、しかし決して突出した人物ではない。
それは人としての才能が、ではなく、所謂不測の事態に対応する能力が、だ。
カトゥーは、技師としては優秀でも、身体能力や教育課程は一般人と同じなのだから、当然の事
だ。ダースのように軍に所属していたわけではない。
その事実を鑑みれば、カトゥーがこの一連の人形の暴走事件に関わりたくない――まして暴走し
た人形の記憶野に臓器工場の画像が残されていたのなら尚更――と考えるのは、無理もない話だ。
だから、ダースは、暴走して尚且つ憎しみの声を放った人形の、その中心にいるような素振りを見
せた『エヴァ』を追う事に、躊躇する。
ただ、ダースの躊躇は、ダースがその場に足止めを食う決定的な原因とはならなかった。
その後、すぐさま騒ぎを聞き付けた警官隊が駆け付け、ダースとカトゥーは事情聴取をされる羽
目となったからだ。
おそらく、カトゥーとしては、事情聴取さえも勘弁してほしいところだっただろう。何せ、カト
ゥーは、ダースが昨日破壊した人形から無断でコピーしたデータを解析している。いつ、何を言わ
れるか、冷や汗ものだろう。
ダースとしても、カトゥーとキューブを家まで送ってから、独自で『エヴァ』を追いたいところ
だったから、警官隊に足止めされるのは喜ぶべき事ではなかった。
しかし、善良なる市民の一として、現場の状況を語るのは義務であり、それを断るのは余計な詮
索を生む事になる。だから、ダースもカトゥーも、警官隊の事情聴取に応じ、その為に、警察署へ
と同行したのだ。
カトゥーと引き離され、別の部屋にて事情聴取を受けるダースは、白いリノリウムの床を見て、
軍の小汚い床とは大違いだと思う。もしかしたら、軍でも上層部の床は、これ以上に磨かれている
のかもしれないが、ダースの所属していた部署の床は茶色に濁っていた。おそらく、前線で戦うよ
うな人間の集まりであった為、司令部にはほとんど帰らない事もあって、経費削減で新しくする必
要もないと判断されたのだろう。
しかし、警官隊とて最前線にいる者もいるはずだろうに。それとも、此処は外部の人間を入れる
場所だから、このように床も壁も磨かれているのだろうか。
そんな事を、つらつらと考えながら、警官隊の質問に答えていく。ただ、警官の眼が少しばかり
厳しいのは、ダースが二度もロボットの暴走現場に出くわしたからだろう。だが、例え疑ったとし
ても、その疑いを立証する事は出来ない。何せダースは本当に出くわしただけなのだし、そもそも
機械の暴走に踏み込めるほど、機械の事に詳しくはない。勿論、軍人であるから一般人よりもそれ
らの扱いには長けてはいるが、機械の自我にまでは流石に出来ない。それは、ダースの軍部時代の
知り合いに聞けば分かる事だ。きっと、彼らはダースのロボット嫌いの事から滔々の語ってくれる
だろう。
ダースの話を聞いていた警官は、不承不承といった形で、ダースを解放した。何か気付いた事が
あれば、言いに来るように、と告げた警官は、しかしダースの持つ端末の中まで調べようとはしな
かった。
というか、所詮これは任意同行に過ぎない――いや、それよりもずっと軽い。だから、個人の端
末を調べるといった強硬手段にまでは、如何に警官と雖も訴えられない。
ダースも、その事は重々承知している。でなければ、流石に端末の中に臓器工場の画像があると
いう状態で警官に連行される事に、平静ではいられなかっただろう。
家に帰ったら、すぐに画像を別の端末に移さねば、と思う。
この場で完全に消去してしまう事も出来るが、しかしそれをするのはまだ早い。カトゥーにして
みれば、今すぐにでも消去してほしいデータだろうが、カトゥーには悪いとは思うが、ダースはこ
の先、『エヴァ』を追う事を考えている。
だが、ダース一人では『エヴァ』を追う事は出来ない。そうなると、やはり協力してくれる者と
言えば、カトゥーしか思い浮かばず。
もう一度、悪い事をした、と思う。思うが、どうしようもない。カトゥーは眉間に皺を寄せるの
を想像し、いつか埋め合わせはしよう、と考える。
しかし、それにしても。
カトゥーが戻ってこない。
別の部屋に入れられたっきり、帰ってこない。キューブは、ちょこんと廊下で停止している。彼
に似た彼の主人は、未だに事情聴取を受けているのか、部屋の扉はぴくりとも動かない。
一体、何にそんなに時間が掛かっているのか。
人形の暴走の現場にいたダースはともかく、カトゥーはそれこそ巻き込まれただけの人間だ。も
しも彼が技師だと言うだけで足止めをされていると言うのなら、それは不当な扱いだ。もしかした
ら、怪しまれて端末の中まで見られているのかもしれないが、それこそ不当な扱いである上に、し
かもカトゥーの端末の中には何もない。カトゥーの中にある、昨日の人形のデータは、既にダース
の端末に移し替えられているからだ。むろん、もっと精査して、データの修復まで始めたら、カト
ゥーの端末にそのデータが入っていたという残滓は見えるだろうが、しかしそれは任意同行の権利
を越えている。
越権行為の可能性を考え始めたダースが、カトゥーのいる部屋の前に向かうのと、その扉が開い
て一人の警官が出てくるのは同時だった。浅黒い肌の警官は、部屋の前で待機している警官と、何
事か話をしている。
その間に割り込むようにして、ダースは彼らに声を掛けた。
が、それよりも早く、ダースの存在に気付いた警官が口を開く。
「申し訳ないが、お連れの方をすぐに返すわけにはいかない。」
唐突に吐き出された台詞に、ダースは眼を剥く。しかし、ダースが何かを言う前に、再び遮られ
る。ただし、ダースを遮った言葉は、いよいよ以て不可解なものだった。
「貴方の連れ――彼には、アンドロイド製造会社HALに侵入したという容疑が掛けられている。」
咄嗟に言葉を失ったダースに、警官達は畳みかけるように次々と容疑の中身を口にする。
「HALの防犯モニタ映像に、彼の姿が映っていた。彼はHALに掛けられているロックを一時的に解除
し、会社の中に侵入すると、HALが新しく製造しようとしていたガイノイド『エヴァ-K452』のデ
ータを盗んだ。」
「馬鹿な!」
「これらの事は全てHALの防犯モニタに映し出されている。それに、HALに忍び込み、『エヴァ-K42
5』に接触したと言う事は、ウイルスを流し込んだ可能性もあると言う事だ。」
即ち、彼は重要参考人。すぐに釈放するわけにはいかない。
冷徹に言い放つ警官に、ダースは混乱しながらも、務めて冷静になろうとして、彼らの言葉の抜
け道を探し出そうとする。
「『エヴァ』にウイルスを流し込まれたのは、かなり前の事だろう。それまで、カトゥーを捜し出
せなかったというのは、おかしな話じゃないか。HALの防犯モニタは、信用出来るものなのか?」
防犯モニタの映像を弄ろうと思えば、それなりの知識は必要であるものの、出来ないわけではな
い。それに、今更、過去の防犯モニタの画像の話を出してくるのもおかしい。『エヴァ』の大規模
な暴走から今まで、どれだけの時間が経っていると思っているのだ。
しかし、その問いに対して、警官は顔色一つ変えなかった。
「HAL側から出された映像データは全て破壊されていた。それが修復できたのが、つい最近。修復
されたデータには、すでに貴方の連れの姿が映っていた。むろん、画像については、人的介入が
なかったか再度精査するが。」
警官は、ダースを見てこれ以上は何を離しても無駄であるという口調で、続けた。
「いずれにせよ、今すぐに、彼を釈放するわけにはいかない。だから貴方にはお引き取り願おう。」
その瞬間に警官の眼が微かに歪められた。
どうやら、ダースの経歴を探ったらしいこの男は、小さく続ける。
「此処には、軍の威光はかからないのだよ。腰に帯びている銃を取り上げられたくなければ、帰り
たまえ。」
歪んだ表情を見て、ダースはこれ此処にいるのは得策ではないと判断する。
この手の人間は、こちらが意固地になればなるほど、人質――カトゥーに対しての嫌がらせを強
めるだろう。それを避ける為にも、此処は退くべきだ。
しかし、同時に。
ダースは主を失ったキューブを促し、警察署を後にしながら、呟く。
「これで、『エヴァ』から退く事は出来なくなったわけだ。」