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 「ちょ、ちょっと、良いんですか?!」

  すたすたと歩いていくダースの後を追うカトゥーが叫ぶ。
  警官を煙に巻くどころか、あからさまな詐称をしているダースに、カトゥーが焦っても仕方のな
 い事である。
  しかし、若い友人の焦り声を聞いたダースはと言えば、肩越しに彼を振り返ると、低く短く呟い
 ただけだった。

 「あれは、警官じゃない。」
 「え………?」

  肩越しに見えたダースの眼は、軍人特有の鋭さを帯びている。ダースがこのような眼をする事は
 最近ではほとんどないが、彼がこういう眼差しを浮かべる時は、必ず何か、疑惑の煙が何処かで燻
 っている。

 「警官は基本的に二人一組で動く。所謂刑事だけではなく、公安の人間も同じだ。単独で動くなど、
  まず、有り得ない。」

     一人で動くなど、よほど自分に自信がある馬鹿か、或いはその事件にのめり込むあまり相棒に見
 捨てられたか相棒を置き去りにしてしまったかの、どちらかだ。
  けれども、そのどちらかであるとも、思い難い。
  あの白い影の全てが、それを物語っている。
  意味が分からずに、眼を瞬かせているカトゥーを、ダースは呆れたように見る。自分が気付いて、
 何故彼が気付かないのか、ダースにはそれが不思議だ。
  すると、そんな主人を補うかのように、キューブがキュルルルと鳴く。

 「なるほど、お前は気付いたか。」
 「え?!一体何の事なんですか?!」

  本当に、何故気付かないのか。自分よりも遥かに機械と接しているはずなのに。

 「お前には、あれが人間に見えたのか?」

  一分の狂いもない白い人影が、人間に見えたのか。
  肌理細やかな白い肌。そこに秩序正しく並ぶ毛穴。長い睫毛も白く、定期的に瞬きする瞼の向こ
 う側で光を灯す眼は、木漏れ日色。白い髪は柔らかそうに揺れ、警察手帳を翳した手は白百合のよ
 うに美しい。
  何処からどう見ても、理想的過ぎる人間の形。
  形の良い唇から零れる声でさえ、端正だった。
  けれども、だからこそ、ダースはそこに宿る硬質な何かに、歪さを覚えずにはいられなかった。
 まるで、折り紙で作られた繊細な箱の中に、鋼鉄の塊を閉じ込めたような。
  それはダースの軍人としての本能が察知したのかもしれないし、或いは元々はロボット嫌いであ
 ったダースだからこそ鋭敏に嗅ぎ取れたのかもしれない。
  何れにせよ、恐らく、少なくともダースが見た限りでは最も人間に近く、最も美しい機械人形を、
 カトゥーはそれと見抜けなかったのだ。

 「いや、待ってください!もしかしたら、完全に義体化してるのかもしれませんよ!」
 「それはない。そう、キューブも言っている。」

  そう言ってキューブを見下ろすと、キューブはもう一度キュルルルと鳴いて、カトゥーにあの警
 官――の振りをした機械人形の分析結果を見せる。

 「スキャンしてたのか……。」

  いつの間に。
  自分が作ったロボットの抜け目のなさに、カトゥーが幾分かショックを受けたような表情をする。
 そして、スキャンした結果にも。

 「まあ、機械人形を作る時、確かに人間に似せて作る場合は見た眼は良く作る。だが、あそこまで
  のものはないからな。」

  だから逆に人間と考えてもおかしくはない。
  慰めるようにダースは言うが、それは慰めにはなっていない。
  しかし、今はカトゥーの衝撃よりも。

 「だが、問題は何故あの機械人形が、私に接触してきたか、だ。」

  警官でもない、ただの機械人形が何故、暴走した機械人形を破壊したダースに接触を図ってきた
 のか。
  むろん、ロボットである以上、何処かに主人がいるだろう。その主人が命じたが故に、ダースの
 もとにやってきたのだろうが、それにしても、何故。
  今、世間を騒がせ、政府でさえその対応に追われているウイルスに侵された揚句、臓器工場の画
 像をデータに仕舞いこんでいた人形。それを破壊し――そしてそこからデータをコピーしたダース
 に、何を思い接触を図ったのか。
  どう考えても、それは決して愉快な想像ではない。

 「だから、首を突っ込みたくなかったんです!」

  愉快でない想像に行きついたのか、カトゥーが叫んだ。確かに、彼はダースに巻き込まれただけ
 だ。久々に地球に帰ってきて、こんなものに関わるなど、幾許も望んでいないだろう。
  だから、ダースもこれ以上、カトゥーとキューブをこれに関わらせるつもりはなかった。
  彼らは、あのコギトエルゴスムの悲劇を共に乗り切った。しかし、それでもカトゥーはただの機
 械技師に過ぎず、キューブもカトゥーがお遊びで作った作業用ロボットに過ぎない。そんな彼らを、
 ウイルス・プログラムや人身売買や臓器売買に関わらせるなど、断じて有り得ない。
  それ故、ダースはカトゥーの端末から、あの人形に関わるデータを全て自分の端末に移植する為、
 カトゥーの端末を受け取ろうと手を差し出した。
  と、それを割り切るように、処か無機質な喧騒が響き渡ってきた。それがダースの動きを中断さ
 せる。

 「何だ…?」

  平日なので人通りは少ないが、それでも、足早に歩く人々のいる通りで、ダースはつい最近聞い
 たばかりの喧騒に眉根を寄せる。
  聞いた事があるばかりの、無機質で規則正しく鳴り響く悲鳴。
  ダースは辺りを見回し、カトゥーは不安そうに足元にいるキューブを抱き締める。
  転瞬、通りに並んでいた店の窓ガラスが砕け、何か重たい物が飛び出してきた。その硬い音が響
 き渡ると同時に腰に帯びていた銃を抜いたダースが、硝子の粉を纏う影を撃ち払う。鋭く響く音を
 立てて床に散在した硝子の透明な輝きの中に、明らかに金属光沢のそれらが混じった。そして、重
 く軋んだ音を立てて散らばったそれ以外の、その他の影達は、軋みながら着地した。踏みつけられ
 た硝子が、儚い音を立てた。
  通りに面する店という店から飛び出してきたそれらは、様々な姿形をしていた。女、男、子供、
 つるりとした白いフォームを剥き出しにしたもの、或いは衣服を纏ったもの、もしくは金属の基盤
 を露わにしたもの。
  硝子を踏みつけ、ゆらりと立ち上がった影と、その周りに散らばる硝子の粉に、街ゆく人々が騒
 然とする中、それらは何事もなかったかのように辺りを睥睨している。

 「機械人形………!」

  ダースに撃ち崩された物体と、眼の前に立ち尽くすそれらを見比べ、カトゥーは喘ぐように呻い
 た。
  しかし呆然としてる暇はなかった。
  それらに気を取られている隙に、先程までは何ともなかった店のウェイトレス用人形が、近くに
 いた通行人に襲い掛かり、締め上げにかかったのだ。

 「………暴走か!」

  機種に係わらず暴走している。しかも、かなりの広範囲で。
  ウェイトレス用人形に締め上げられている通行人の顔色が、赤から紫色に変わり始めた。その途
 端、轟音と共に人形は頭部を撃ち砕かれている。
  ダースは硝煙の立ち昇る銃を構えたまま、素早く視線を動かし、カトゥーとキューブを庇うよう
 に自分の背後に回らせ、同時に視線の先にいた人形達に向けて銃を持った腕を払う。その腕の先に
 いた人形達は、悉くが頭部を撃ち砕かれて、一拍遅れてから、まるで糸が切れたようにその場に転
 がり崩れる。

  血の代わりに、大量の金属部品を撒き散らしながら倒れる人形達を見つつ、ダースは何度も引き
 金を引く。
  頭部を撃ち抜く事が、如何に危険であり全てを無に帰す事か、分かっていないわけではない。基
 本的に、ああした人型の人形は、頭部にAIを詰めている。即ち、頭部を破壊する事は確実に人形
 の動きを止めると共に、その人形のデータも破壊しているのだ。むろん、修復できないわけではな
 いが、けれども絶対ではない。
  逃げ惑う通行人の悲鳴の入り混じる中で、ダースはカトゥーとキューブを背後にして、人形達と
 相対した。
  そして周囲から視線を感じる。人間のそれではない。集まるのは、逃げる人間や警官隊だけでは
 ない。
  硝子の眼を煌かせ、四方から押し寄せてくる様々な顔をしたそれら。
  無表情ではない。しかしその表情が示す物は、怒りでも恐れでも憎しみでもない。街中から集め
 られた、たくさんの柔らかな微笑。子供好きのするその微笑は、無表情よりも遥かに、場の異常性
 を高める。
  街中から集まってきた、尋常でない数のそれらはまだ、動こうとしない。
  いや――――動いている。
  唇が。
  ダースだけでなく、カトゥーも眼を見張る。その整った唇から零れるのは、意味を為さない言葉
 などではない。ましてや、不快感を煽るような不協和音でもない。はっきりとした音階を持ち、様
 々な楽器の音が、その唇で奏でられている。
  完璧な、旋律。

 「歌っている……のか?」

  耳に入ってくる音は、徐々に大きくなっていく。それは紛れも無く、歌声。そしてそれを歌うの
 は、人間ではなく、人形。引き裂かれた店の中、悲鳴が張り詰めるそこで、微笑を浮かべて歌う人
 形達。奇怪である事、この上ない。

 「……あれは?!」

  呆然としていたカトゥーが、突然叫んだ。眼鏡の奥にある眼は、集まった人形の一画を凝視して
 いる。

 「あれは、『エヴァ-K452』じゃあ……?!」
 「……エヴァ?」

  突然カトゥーの口から零れた言葉に、ダースは振り返りもせずに聞き返す。すると、空気の振動
 で、カトゥーが頷いたのが分かった。

 「今問題になっているウイルスに、一番最初に感染した機械人形の名前です。確か、捕まらずに逃
  げていたはず………!」

    それが、何故、此処にいるのか。
  しかも、このタイミングで。
  出来過ぎている。
  よりにもよって、ダースがウイルス感染した人形を壊し、そのデータを解析し、そして不審な機
 械人形と接触した、このタイミングで。
  薄い笑みを浮かべる人形は、ゆらゆらと首を動かしながら、唇で完璧な旋律を零していく。けれ
 どもその眼に表情はない。硝子の目玉は、ただ緩く明滅している。
  それに向かって、ダースは躊躇なく銃を向ける。
  それは当然の事だった。
  一番最初にウイルス感染し、そしてそのまま逃げ続けている人形。これを捕えれば、例え頭部を
 破壊してでも捕える事が出来たなら、この事態の一端を掴む事が出来るかもしれない。
  そう思い、ダースが引き金を引いたのは、ごくごく当然の事だった。
  けれども、ダースの放った銃弾は、『エヴァ』に届く前に、別の人形に阻まれる。『エヴァ』を
 庇った白いフォルムの人形は、無機質な身体を仰け反らせて、火花を散らせてその場に倒れる。そ
 こに、雪崩れ込むように集まる人形達。
  その様は、まるで『エヴァ』を守ろうとしているかのよう。
  ダースの銃は何度も火を噴くが、けれども機械の分厚い壁に阻まれて、最初の一体を噛み殺す事
 が出来ない。
  銃声と、銃弾を弾く機械の硬質な音と、重い金属が崩れる音と。それらの合間合間で、『エヴァ』
 は歌い続け、そしてしなやかに身を翻した。

 「待て!」

  機械達の隙間から、しなやかでほっそりした『エヴァ』の肢体が、背を向けるのが見えた。
  それに向かって、ダースは無駄であるにも拘わらず、そう叫んでしまう。
    けれども、『エヴァ』は、鼻歌を歌うような軽やかさで路地裏に消えていった。