すっごく時間がかかったんですよ。
眼の下に隈を作って、カトゥーはそう言った。明らかに徹夜で仕事をしたふうの若い機械技師に、
何も徹夜でやってくれなんて言ってない、とダースは思った。彼らの足元で彼らを見上げるキュー
ブもそう思っているのか、いつもなら軽妙な電子音を出すところが、今はずっと黙っている。
「すっごく大変でした。」
「だからこうして、食事を奢っているだろう。」
彼はこんなにしつこい男だったかな、と、そう対して長くもない付き合いを振り返ってみる。
その間にも、カトゥーは隈を強調するように眼鏡をずり上げたりしている。その小さいガラスの
向こう側で瞬きをしている眼は、やけに神経質な光を灯している。もともと、どちらかと言えば神
経質なほうだとは思っていたが、今日はやけに落ち着きがない。
何か、あったのか。
フォークを握ったまま、眼の前で湯気を立てているカルボナーラにも手を出さず、カトゥーはダ
ースを睨みつける。
「あの機械人形のデータから、何が分かっても、首は突っ込まないんでしたよね。」
「何か分かったのか?」
コーヒーを啜るのを止め――この店のコーヒーはキューブの入れたものよりも格段に薄い――ダ
ースはカトゥーに問い掛けた。
しかし、若い友人は、むっつりと半眼になってダースを見ている。睨んでいると言っても過言で
はない。
「その前に、首を突っ込まないって約束して下さいよ。少なくとも、僕はこんな事に首を突っ込み
たくない。いや、もう首を突っ込んだようなもんなんですけど、でも黙ってれば良いんです、こ
んなのは。」
「一体、何があったんだ。」
明らかにカトゥーの態度はおかしい。
確かに、暴走して死者を出した機械のデータをコピーするなんて、どう考えても犯罪だ。それに
加担したとなれば、神経質になるのが普通かもしれない。けれども、それにしたって何をそんなに
怯えているのか。
そう、カトゥーは自分が手に入れた情報に、怯えている。
「自壊をする前にダースさんはあのデータをコピーしたんですよね。」
「ああ、そうだ。」
「けれども、その後、機械人形は自壊して、完全に初期化されてしまった。」
「そういう事になるな。」
「その時に、気付けば良かったんだ。」
僕も、貴方も。
カトゥーの表情は、いよいよ厳しい。
気付いて、僕は何が何でも断れば良かった。それか、貰ったデータを壊してしまうか。
「だって、つまり、このデータは警察も手に入れてない、紛れもない暴走した人形の記録じゃない
ですか。」
ダースが重要物件からコピーを取った事にばかり目を向けていて、一体いつそれを取ったのかを
失念していた。きちんとダースは言っていたではないか、自壊の直前にコピーし、その後自壊して
初期化されただろう、と。
そう言われて、ダースは頷いた。
「そういう事になるな。」
ダースとしては騙したつもりはない。むしろ、今更何を言っているのかという感じだ。
そんなダースを見て、カトゥーは頭を抱えた。
「それで、何が分かったんだ。」
「その前に、約束して下さい。何が分かったとしても、首を突っ込まないと。」
「善処しよう。」
「それは、僕の故郷では『いいえ』を意味する言葉ですよ!?」
悲鳴のような声を上げるカトゥーは、けれどもこれ以上何を言っても無意味だと悟ったのか、渋
々といったふうに、端末を差し出した。その中に、昨日の人形のデータの解析結果が入っているの
だろう。
口で結果を伝えずに、端末のみを差し出したところを見ると、どうやら相当深刻な様子だ。
だが、それでもダースは特になんの拘りもなく、カトゥーの端末に自分の端末を繋げた。悲惨な
状況なら幾らでも知っている。コギトエルゴスム号のような、不可解にて陰惨な状況こそ、多くは
ないが、けれども血で血を洗うような凄惨な戦場ならば、何度となく見てきた。
そんな自負があったからこそ、カトゥーの怯えを軽く見ていたのだし、実際に端末の中を覗いた
瞬間に、顔色を変えずにいる事が出来た。
が、だからと言って衝撃を受けなかったわけではない。
ちらりとカトゥーを見ると、彼は神経質にカルボナーラを突いていた。
「……分かりましたか?」
ダースの眼線を受けて、カトゥーはダースが端末の中の肝心の部分を見たのだろうと、問い掛け
る。その問いに頷くと、カトゥーの眼が神経質に瞬き始めた。
「貴方が壊した機械人形は、ウイルスに感染していました。僕の見た事もない――恐らく、今、世
間を騒がせているウイルスと同じでしょう。何者かがこのロボットにアクセスして、ウイルスを
仕込んだんです。それと同時に――。」
「だが、何の為に、だ?」
全てのデータを見終えたダースは、誰に言うとでもなく呟く。
暴走した人形の中にあった膨大なデータは、カトゥーの手によって紡ぎ直されている。ウイルス
に侵されたAIの動きは、まるで飛んでいる蝶をその場でピンで止めたかのような状態で止まって
いるし、その他の思考ルーチンも同じようなものだ。
それらの、バラバラに動いた状態のままで止まっているデータの中の一つ。人形の記憶野の片隅
に仕込まれた一連の画像データ。
口にするのは憚られる。
このデータを、一枚の絵として組みたてたカトゥーの衝撃は如何ほどのものだったか。それを思
い、ダースは神経質な様子のカトゥーに、少しばかり酷な事をさせたと反省した。
それは、子供の画像だった。
ただし、臓器を刳りぬかれている。
それらが、何枚も何枚も連なっているのだ。
明らかに、臓器売買の工場の様子だ。そこにいる子供達は、売られたのか、それとも誘拐された
のか。おりしも、昨日、カトゥーの口から大規模な人身売買組織が撤去されたという話を聞いたば
かりだ。
だが、その、臓器工場の画像が、何故あの人形の中にあったと言うのか。
「分かりません。分かりません、が。気になる点が一つ。」
カトゥーは、カルボナーラを突きながら告げる。
「その画像の最終更新日と、ウイルスの最終更新日が一緒でした。つまり、ほぼ同時期にインスト
ールされたという事です。」
「………その画像が、ウイルスに侵されたファイルだったのか?」
「いいえ、違います。ウイルスと画像ファイルはあくまで別々でした。これはただの偶然でしょう
か?」
しかし、それにしても、何故市販の機械人形に、そんな画像ファイルがインストールされたのか。
誰かが悪戯目的で流し込んだとでも言うのか。
「何れにしても、僕はこの画像を更に解析なんてしませんよ。」
解析すれば、もしかしたらこの臓器工場を特定し、そこを摘発できるかもしれない。けれども、
その為にはこの画像を入手した経緯を話す必要がある。いや、それ以前に、臓器工場とウイルスの
組み合わせが、奇妙な歪みを生み出して、異様な不気味さを出している。
その、人間ならば誰しも感じる不気味さを差して、カトゥーはこれ以上は関わるべきではないと
言っているのだ。ダースとて、元軍人であって、今はただの一般市民なのだから。臓器売買になど
関わるべきではない。
だが――。
軍人としての気質が、むくむくと湧き上がりそうなのを、ダースは何とか堪えようとする。眉間
に皺を寄せて腕組みをして、これから先の事を考えれば、これ以上の深みに入る事は愚かだと思う。
しかし、これを看過すべきかという思いもある。
眉根を寄せたダースを、カトゥーは苦々しげな表情で見て、それからすっかり覚めてしまったカ
ルボナーラを、再びフォークで突き始めた。
そこに、すっと白い影が落ちた。
そう、影の色は白だ。
「……昨日の暴走した人形を止めた方ですね?」
はっとして見上げた顔も、やはり白かった。髪も、瞼も、何もかもが白い。そしてその顔は、は
っとするほど美しかった。
その顔と同じくらい端正な指先が、警察手帳を示す。
美青年という言葉が正しく似合うであろう、白い青年はカトゥーとダースを見下ろして、端正だ
が抑揚のない口調で言葉を続ける。
「申し訳ありませんが、お話をお聞かせ願いたいのですが。」
「……昨日、話すべき事は話したと思うが。」
コピーの事がばれたのでは、と戦々恐々とするカトゥーを置いて、ダースは美しい青年の顔を見
ても微動だにせずに言った。
けれども、警察手帳を掲げた白い青年も表情一つ変えない。
「もう一度、詳しくお聞かせ願いたいと思いまして。何か、我々にお話し下さっていない事がある
のではないかと。」
「申し訳ないが、何も思い出せないな。それに今、私は友人と食事中でね。」
そう言うダースの声は、明らかに不機嫌を装っていた。その声のまま、ダースは手を挙げてウェ
イターを呼ぶと、さっさと勘定を支払い、席を立つ。それを見たカトゥーも、コチコチに固まった
まま、けれども慌てて立ち上がる。
そして、そのまま店から出ていくダースを追いかけた。青年の横を通る時に、ちらりとその横顔
に視線を向けて、しかしすぐに逸らしてダースの後を追って店を出る。その後ろをキューブがコロ
コロとついていく。
その姿を、白い眼差しが小さく瞬きながら見つめていた。