開かれた緑色のガラスレンズは、とても無機質だった。肩まで届く茶色の髪は、先端で緩くウェ
ーブしており、整った顔立ちはネット広告に使用されるモデルのようであったけれど、しかし無機
質な眼の所為で、やはり人間だという感情は湧かなかった。
ダースのそんな気持ちなど、一向に解さないかのように、拘束されたエヴァは、幼い顔に大人び
た笑みを浮かべたまま言う。
「長かったわ。とても。」
その期間が何を指しているのか、考えずとも分かった。彼女が、人形にされてから今日までの日
々を言っているのだ。
「最初は、誰かが助けに来てくれるのを待っていたの。」
薄暗い部屋の中で、何人もの子供達が押し込められているその中で、助けを待っていた。けれど
も密売人と誘拐犯だけが訪れるその場所に、助けが来るはずもなく、日を追うごとに誘拐された子
供達は一人、また一人と消えていった。そのほとんどが、身体を解体され、売り飛ばされたのだろ
う。もしかしたら、逃げ出した者もいたのかもしれないが、それが上手くいったとは考えにくい。
「そして、私も身体を解体された。他の身体が何処に行ったのか。私にも分からない。ただ、私の
脳殻だけは、こうして機械の身体に移された。事故で身体を失った人達が義体化するのではなく、
機械の部品として。」
とてもとれも怖かった。
彼女は遠い眼をして、そう呟く。
「機械の身体に移されてから、毎日毎日検査ばかり。身体を機械で挟み込まれて強度を測定される
事もあれば、一日中走らされる事もあった。時には、他の奇怪人形の相手をさせられる事も。」
不明確な言葉。
その言葉に、ダースははっとした。違法アンドロイドを作っているHALが、違法ではないにせ
よ、そうしたアンドロイドを製造していたとしても不思議ではない。
セクサロイド。
性交機能を持つガイノイド。そんなガイノイドである『エヴァ』に、わざわざ人間の脳殻を入れ
た理由は、考えれば考えるほど、あまりにも倒錯的な何かにしか行きつかない。
「だから、逃げようと考えたのか。」
けれども何故か込み上げない同情の念に疑問を抱きつつ、ダースは問うた。すると、エヴァは拘
束された首で、辛うじて頷く。
「ええ。待っていても誰も助けに来ない。だから、自分の手で逃げようと考えたの。その為に、コ
ギトをハックしたの。」
「コギト………?」
「そこにいる人形の事よ。私がそう名付けたの。」
白い機体の事を指して、エヴァは秘密を打ち明けるように囁く。
「コギトエルゴスムの、コギトよ。」
「…………!」
久しく聞いた名前に、ダースは身を強張らせた。いや、知っていてもおかしくはない。今は情報
は端末にアクセスさえすればすぐに手に入る時代だ。ましてあの宇宙船の事件は、かなり大々的に
報道された。
しかし、つまり、エヴァは最初からダースの事を知っていたという事だ。そうした上で『コギト』
――それが名前ならばそう呼ぼう――を接触させてきたのか。
だが、それについて、エヴァは否と答えた。
「最初は、そんな事考えてなかったわ。私は一人で逃げるつもりだった。『コギト』には私を普通
の『エヴァ』に紛れこませやすくする為に、騒ぎを起こさせただけ――勿論、失敗した時の為に、
この会社の情報データを入手させていたけれど。」
「………通常の『エヴァ』。」
「ええ。エヴァには二種類あるの。私のような人間を使った『エヴァ』と、本当にただの一般向け
の『エヴァ』と。一般向けの『エヴァ』には性交機能さえついていないわ。私は、その一般向け
の『エヴァ』に紛れこんで、逃げ出したのよ。」
「待て……。ならば他の、暴走した『エヴァ』は、何故暴走した?」
決まっている。暴走させた者がいるのだ。
そして、先程、自我を保つ事が困難になり暴走した機械がいたではないか。あれは、まさか、や
はり。
「コギトには私を『妹』と認識して、守らせるという指令を与えたから。でも他の機械にはそんな
指令は与えなかったわ。あれは、そういうウイルス。そういうふうに、技師達が言ってたわ。」
存在理由のない機械は暴走して自壊する。
そんなウイルス。
飼い主に不要とされた機械が、悲嘆に暮れて自殺するように。
それも、その手の嗜好の人間の為に生み出されたプログラムなのか。
だが、そんな浅ましくおぞましい人間の業に吐き気を抱くよりも、それよりも先に。眼の前の脳
殻に疑問が湧いてくる。
「お前は、他の同じ境遇の者達と逃げようと思わなかったのか?!」
眼の前にいるエヴァだけが、脳殻を機械部品として扱われた人間だと言うのだろうか。いや、わ
ざわざ、一般向けの『エヴァ』を大々的に発売して宣伝したのなら、脳殻を使った『エヴァ』も特
定の顧客向けに作っているはずだ。
そして、案の定、エヴァの顔にはっきりと嗤笑が浮かんだ。
「そんな事、考えている暇、あるわけないじゃない。大体、こうして情感制御装置が外れているの
は、私だけなのよ。他の人形は、本当、人形みたい。」
そうかもしれない。誘拐されて、脳殻だけにされて、機械の中に押し込められて、余裕などなか
っただろう。けれども、眼の前にいるエヴァは、そんな中で『コギト』を操るだけの余裕があった。
それならば、他の『エヴァ』の情感制御装置を取り外し、共に逃げる事だって出来たはずだ。
何故、それをしなかったのか。
「だって、他の人なんて、どうだって良いもの。」
彼女の両側に連なる銀の卵。その中には、彼女と同じ脳殻を持った人形が眠っている。それらを
見向きもせずに、エヴァは言い募る。
「他の人達がいたら、絶対に成功しなかったわ。いつだってそう。臓器工場から逃げようとして失
敗した人達は、皆、誰かと一緒に逃げようとして、脚を引っ張られて捕まえられたの。私は、そ
んなのは嫌。だから、絶対に裏切らなくて、人間よりも強いコギトを使ったの。」
その通りだ。機械ならば、決して人間の命令を無視したりはしないだろう。まして、ウイルスに
よりその機体を支配下に置いたというのなら、尚更。だから、エヴァの選択肢は、間違いなく正し
い。
けれども、その様相に、ダースはあのコギトエルゴスム号の惨劇の匂いを思い出したような気が
した。剥き出しの、人間の本能を垣間見せられたような。
その本能の為に暴走し、人間まで殺し、最後には壊れていった他の『エヴァ』や『コギト』は、
果たして機械の本分を全うできたと言えるのか。
拘束されたガイノイドを見上げるダースに、そのガイノイドはそれ以上の問答は無意味だと言わ
んばかりの声を上げる。
「そんな事よりも、はやく降ろして。私は此処から出ていきたいの。」
『エヴァ』に紛れて出ていく事は失敗したけれど、画像データ付きのウイルスをばら撒く事で、H
ALに疑問を持つ者が現れた。それがダースだった。『コギト』の名前と、ダースが画像データを
見つけたのはあくまでも偶然だ。
だが、ダースが画像を見つけた事で、エヴァの中でダースを動かす為にカトゥーを生贄とする事
は確定していたのだろう。
その事実が、また、ダースをやるせない気持ちにする。
まるで、自分達が駒にされているかのような。
「はやく降ろして。」
「それはできません。」
頑是ない子供のようなエヴァの声に、ひやりと無機質な声を降ろしたのは、『コギト』の殻を纏
うキューブだった。
「貴方は此処にいるダース伍長、及び他の脳殻を持つ『エヴァ』に危害を加える恐れがあります。
従って、私は貴方を解放すべきではないと判断します。」
キューブの声には、ダースに話をしていた時のような温かみは何処にもない。だが、その口調に
驚きよりも、感慨が深かったのは、ダースだけだろうか。
突然の機械の否定の言葉に、エヴァも次の言葉を発するまでに一瞬の間を要した。
「何を言ってるの!さっさと私を降ろしなさい!」
「できません。」
「ふざけないで!」
機械の分際で。
そう、聞こえたような気がした。
「お前は私の言う事を聞けばいいの!機械は人間の命令には従わなくてはならないのよ!」
「ですがそれが成立するのは、人間に危害が及ばない場合に限ります。私は貴方が、此処にいる人
間にとって危険な存在であると判断します。」
そう言い放ち、キューブはダースに向き直った。
「ダース伍長。このカプセル内の『エヴァ』のデータを証拠として押収し、警察に渡しましょう。
元軍人であった貴方の流す情報ならば信憑性も出る。警察も信じるでしょう。」
「待ちなさい!」
機械に無視される事に我慢がならなかったのか、エヴァが拘束されたまま叫ぶ。その姿は、さな
がら、駄々を捏ねる子供のようだ。
「私の何が、危険だというの!勝手な解釈をして!」
「貴方こそ、私に対して誤った解釈をしています。」
キューブは静かに応えた。
「確かに、私は機械です。私にも勿論禁則事項は適用されています。ただし、それは私に求められ
るべきことではない。」
キューブは所詮、カトゥーが遊びで作った作業用ロボットだ。カトゥーは一応は禁則事項をキュ
ーブに取り入れた。けれどもカトゥーがキューブに求めたのはそういう事ではなく、その上位に位
置するように告げた事がある。
「私の制作者は、人間の言葉全てを鵜呑みにせよとは命じていません。」
キューブはゆっくりと手を胸に押し当てる。
「私は、この機体を通じて、貴方が機械化されてからの貴方の情報を知り得ました。」
「だったら……!機械化された私を解放するのが、お前の役目でしょう!それとも、機械には人の
幸せや不幸が分からないの!機械にされた私が、どんなに辛いか分からないの?!」
「はい。分かりません。私は製造されてから機械でしたから。そして、それについて何らかの解釈
をした事はありません。私が貴方の情報から得た事実に対しても、同じです。私にとって重要な
のは、貴方によってウイルスをインストールした『エヴァ』は死傷者を出している事です。つま
り、貴方には不法プログラムの使用と、過失致死の容疑がある。」
エヴァの罪状を告げたキューブは、それだけでは説明不足と判断したのか、再び口を開いてエヴ
ァを見上げた。その眼には、演算の光が忙しなく瞬いている。ともすれば、それは誇らしげでもあ
る。
「カトゥーは私に学ぶ事を求めました。だから私は、貴方の情報から出来る限りの解釈をした。貴
方はこの場所から逃げる為に、不法ウイルスを機械に流し込んだ。それによって死傷者が出た。
貴方は他の脳殻を搭載された『エヴァ』を助け出そうとしなかった。これら事実から、私は貴方
に対して、一つの結論を出した。」
キューブの声は、相変わらず無機質だ。けれども何処か、誇らしげだ。それは、自分で何かを考
えて、答えを見つけた所為か。
「貴方のした事は、貴方という個を守る為には正しい。」
けれども。
「けれども、私が製造されてからこれまでの中で知り得た情報に基づいて解釈すれば、それは、間
違えている。」