「私は、お前に帰るように指示したはずだが。」
先を歩く白い人影――キューブがハッキングし、そのシステムを支配下に置いた人形の背中を見
て、ダースは呟いた。その呟きをキューブは聞き逃さず、淡々と答える。
「私の機体はカトゥーの家にあります。何一つとして、貴方の指示に背いてはいません。」
その電子音声は先程までの人形の声と同じく、恭しいが無機質である。しかし、にも拘わらず、
何処か柔らかみを帯びているように聞こえるのは、その自我がキューブであると分かってる所為か。
「しかし、よくハッキングできたものだな。」
「ダース伍長の端末に、『NE-BRD-SAF451-233』がウイルスを転送したおかげです。ウイルスを逆流
させ、感染させなければ此処まで簡単にはいかなかったでしょう。」
「NE………?」
「この機械の機体名称です。」
カツンカツンと足音を立てながら歩くキューブは、いつもよりも視界が高いはずであろうにも拘
わらず、特に問題なさそうに歩く。それに、動きも滑らかだ。機体の変化による不調など感じてい
ないようだ。
彼は人形達が沈むプールを横目に、奥にある鉄の扉に近寄っていく。その鉄の扉の横にはタッチ
パネルが設置されており、何らかの暗証番号が必要であるようだった。
「それに、この機械は以前から何者かにハックされていたようです。だから、防壁が脆くなってい
たのでしょう。」
「何………?」
そもそもが謎に包まれた人形だ。自分を人間だと偽り、妹がいると言い、そして不備を指摘され
ても尚、妹がいると信じていた人形。果たして、この人形は一体何なのか。
ダースの疑問に対して、キューブはハッキングした内容を、なんの躊躇いもなく口にする。
「機械名称『NE-BRD-SAF451-233』。戦闘用機械として2年前より開発。そして今は最終調整の段階。
しかし3週間前、何者かにハックされた後、暴走し、そのまま行方不明に。その後、この工場に
現れ『エヴァ-K425』の開発データをコピーしようとしたが、あと一歩のところで警報が作動し、
逃走。」
つらつらとキューブが流すのは、その機械人形の中に残っていたログだろうか。
やがて、キューブは最後に一つ、告げる。
「この機械人形の製造元はHAL。」
ただの機械音声が、途方もない何かが落ちる音のように聞こえた。
「そしてこの機械人形をハックしたアクセス先は『エヴァ-K245』。」
ダースが、何、と聞き返す間もなく、キューブはダースの求める回答を事前に予測していたかの
ように話を続ける。
「HALは表向きは介護や愛玩用のアンドロイドを製造していたようですが、二十年以上前から違
法なアンドロイドの開発にも携わっていたようです。この『NE-BRD-SAF451-233』にも違法とさ
れているクラスター弾を搭載できる機能が備わっています。恐らく、紛争地帯に販売する為でし
ょう。」
「なるほど……HALが防犯モニタの画像を置き換えたと言っていたのは、間違いではなかったの
か。」
しかし、その言葉には、キューブは否定の音声を出した。
「いいえ。それでは、わざわざカトゥーの画像を入れた理由にはなりません。そもそもこの機械人
形の事を隠しておきたいのなら、警察に被害届を出さなければ良いだけの事。つまり、やはり、
画像操作したのはこの機械人形なのです。」
言ってから、キューブは、正確には、と付け足す。
「正確には、この機械人形をハッキングした『エヴァ』です。」
「それが分からないんだが。」
ダースは、キューブのハッキング解析の結果の中で、一番意味が分からない部分を指摘する。
暴走した人形である『エヴァ』が、眼の前の機械人形をハッキングした理由が分からない。3週
間前にハッキングしたとなると、それは『エヴァ』が暴走する前の事だ。暴走する前の『エヴァ』
が、何故ハッキングなどという行為を行ったのか。それでは、まるで。
まるで、『エヴァ』が最初から暴走していたかのようではないか。
そう思って、ダースははっとする。
眼の前の機械人形が、言っていたではないか。脳に完全な節制を掛ける事など不可能だ、と。も
しも、それが、本当の事だというのなら。
「この機械人形が、ダース伍長に告げた言葉は、決して嘘ではなかったのです。」
何故告げたのかは分かりませんが。
「この機械人形が『エヴァ』の情報を得ようとこの工場に侵入した時、その計画は失敗に終わりま
したが、けれども何一つとして得られなかったわけではないのです。情報のコピーは、途中で終
わってしまった。ですが、途中まではコピーする事が出来た。」
その中の一つが、ウイルスのデータ。
その中の一つが、臓器工場の画像データ。
その中の一つが、人間の脳を機械部品として使用する設計図。
キューブは、白い手をタッチパネルに伸ばす。もう一本の手は、首筋からコードを引き抜き、タ
ッチパネルと繋がる。
てきぱきと作業しながらも、彼は口を閉ざさない。
「これらは全て不完全です。入手経路から考えても、証拠としては成り立たないでしょう。」
「………だが、世間の眼を集める事はできる。」
臓器工場の画像データは、暴走した人形に潜り込ませれば、上手く行けば警察の眼にも届ける事
ができる。ウイルスのデータも、HALを経由して流せば、HALの実態を白日のもとに曝せる。
設計図は、言わずもがな。
「その為には、外部に出る事の出来る身体が必要だった。その目的として、この機械人形の機体は
非常にやりやすい。」
人間に限りなく近く、けれども人間以上の力を秘めた機体。その細い腕一振りで、自律機械など
一撃で切り裂ける。
きっと、同じ人形だったから、HAL内部の人間も、『エヴァ』自身へのガードは緩めていただ
ろう。或いは、もしかしたら、何かの動作確認の為に、接触する事があったかもしれない。
その、隙に。
「この機体には、疑似記憶のデータが書き込まれています。」
『エヴァ』を『妹』と思いこみ、自身も人間であると信じ込むような。或いは、それ自体が既にウ
イルスの形を取っていたのかもしれない。
それを考えたのは、
「『エヴァ』………。」
人間の脳殻を持つ、機械人形。
何の為に、と問うのは、愚問か。人形にされた人間が思う事など、今更問い掛ける必要もないか。
黙りこんだダースの前で、キューブは同じ調子でタッチパネルを操作している。やがて暗証番号
が分かったのか、それともタッチパネルの機能自体を無効化したのか、硬く閉ざされていた扉が、
軽い音を立てて左右に開いた。
それを見るや、キューブはコードを引き抜いて、白い項に納める。
「おそらく、『エヴァ』はこの先にいます。」
開かれた扉の向こうでは、青白い光が暗い中にぼんやりと浮かんでいる。壁という壁、床という
床を覆うコードは配管。その中に幾つも並べられた、人間大の銀色の卵。丸い硝子の窓が取り付け
られたその中には、きっと、暴走した人形達が入っている。
そして、その一番奥。部屋の突き当たりで、卵に覆われるわけではなく、けれども幾つものコー
ドに繋がれ、鋼鉄の拘束具に身を包まれた、一体のガイノイドが吊り下げられていた。
画像で見るよりも、ずっと幼い顔立ち。
だが、それを見て憐れと思うべきか、ダースは迷った。眼の前のガイノイドが、人間の脳殻を持
ち、機械人形の部品として扱われている人間であると分かった今でも、何故か、彼女を憐れむべき
かが、分からない。一人、或いは大勢で、HALの違法行為に立ち向かおうとし、白い人形をハッ
クし、なんとか誰かに自分達の存在を知らしめようとした。そうであるにも拘わらず。
「………『エヴァ』です。」
キューブが中央にいる彼女を指差すのと、拘束されている彼女が眼を覚ますのは、同時だった。
眼を見開いたエヴァは、突如として現れた二つの影を見ても、驚く素振り一つ見せなかった。
二人が来る事など、最初から分かっていたように。
その口元に、女王然とした笑みを湛えた。
「待っていたわ。」
その声は、厳かに響いた。