HALの内包するアンドロイド製造工場は、夜であるにも拘わらず白い光で満ち、鏡のように磨
 かれて景色を反射する廊下の上を、自律機械がおっとりと動き回っている。塵一つ落とされていな
 い廊下の両脇には、幾つものプールが並んでおり、その中には透明で、ねっとりとした液体が震え
 一つ見せずに満ちていた。
  その中を覗きこめば、まるで細胞分裂を起こしているかのような、幾つもの球体を見る事が出来
 るだろう。金属が取りつけられたその球体は、いつかそこから腕を生やす関節である。関節を球体
 トする事で、滑らかな動きをする人形の事を球体関節人形と言うのだが、HALが製造しているア
 ンドロイドもその人形の一種であり、指の関節さえも球体が使用されている。
  まだ、皮膚コーティングがされていない人形の四肢は、電気信号を表わすレーザーの緑色の流れ
 さえも剥き出しになっている。だが、もう少しすれば、プールに満ちた粘性の高い液体が人形の身
 体に纏いつき、固まり、人工皮膚となるのだ。
  しかし、それらの作業工程は唐突に中断された。
  今まで白く照り輝いていた壁が、いきなり黒いヴェールで覆われてしまったかのように光を失い、
 周囲を闇に閉ざし、うろついていた自律機械達も力尽きたように重い音を立てて床に転がる。プー
 ルの中で、未だ生まれる前の夢を見ていた人形達の電気信号も、絶滅して久しい蛍がその死に行く
 時のような点滅を最後に残して消えた。
  残ったのは、主電源を落とされた人形が、生存する為に稼働させた予備の電源のか細い瞬きだけ
 だ。
  青く点滅する人形の予備電源だけが、青白く辺りを照らす中、二つの影が気配を殺しながら廊下
 を渡り始めた。

   「此処が、製造現場か………。」

  ダースは呟いて、プールの中を覗きこんだ。まだ、頭髪はおろか、皮膚さえもないアンドロイド
 は、眼を閉じている。
  アンドロイドの製造過程を見るのは、初めてではない。しかし、HALのような製造法を見るの
 は初めてだ。この製法は、HAL独自のものなのかもしれない。その独自の製法の中に、隣に立つ
 青年の言う、『人間の脳を使用した』方法があるかどうかは、まだ分からないが。
  白い青年の顔を窺い見ると、彼は相変わらず表情がない。白く張りつめたような皮膚は、筋肉が
 ないかのように、ぴくりとも動かない。それはもしかしたら、その美しさを保つ為に削り落として
 しまった機能であるのかもしれないが。

 「此処にいるアンドロイドを引き上げれば良いとでも言うつもりか?」

  人間の脳が、機械部品として使用されている事を実証するには、HAL製のアンドロイドから、
 人間の脳が発見されなくてはならない。しかし、今、プールの中に沈んでいる人形の中に、脳殻が
 入っている可能性は不明だ。わざわざ引き上げて、脳を探すのはあまりにもリスクが高い。
  すると、青年はゆっくりとした動きで首を振った。

 「いいえ。この機体を引き上げても仕方がない。見つけるのは、ウイルス感染したと思われている
  ガイノイド――『エヴァ-K425』でなくてはならない。」

  それともう一つ、と長い人差し指を、すっと伸ばす。

 「今、巷を席巻しているウイルスのデータです。」
 「………何?」

  青年の言葉に、ダースは眉根を寄せた。巷を席巻しているウイルスと言えば、今、機械人形の暴
 走の原因となっているウイルスを置いて他にはないだろう。そのウイルスが、何故此処にあるなど
 と言えるのか。

 「まさか………。」

  考えれば、行きつく先など一つしかない。
  HALが製造したガイノイドが暴走した。そのガイノイドには脳殻があるという。HALはそれ
 を独自に回収した。けれども世間の非難は免れない。

 「ええ、そうです。HALは自分達への非難を避けるために、そして『エヴァ』への注意を逸らす
  為に、ウイルスを撒き散らした。」

  途方もない、けれども酷く安易な考え。
  だからこそ、簡単には頷けない。

 「証拠がないだろう……!」  

  ダースはもう一度、端末の中の記録と同じ言葉を吐いた。
  そう、これまでのHALへの疑惑は、所詮この青年が言っているだけに過ぎない。ダースがそれ
 でも此処までやってきたのは、単に、他に手立てがないからだ。 
  この青年に妹がいる事も、この青年が警官であると言う事も、HALが臓器売買に関わっている
 事も、それで得た脳を機械部品として使用している事も、全てが眼の前にいる青年の妄想である可
 能性は、決して低くはない。

 「証拠ならば、あります。」
 
  ダースの持つ端末の記録データでは、あの時青年は、『他に手はないでしょう』と言っていた。
 だが、今、彼は証拠があると言って、自分の首筋からコードを引き出した。そしてそのコードをダ
 ースへと差し出す。
  どうやら、ダースの端末に繋げという事らしい。
  繋いだ瞬間に、全てのデータを奪われるという事も考えたが、奪われたところで大したデータで
 はないと思い直し、ダースは青年のコードを端末に繋げる。途端に、一気に流れ込んできた、意味
 不明なデータ。
  いや、これは。

 「ウイルスか………!」
 「そうです。これは、私が以前此処に忍び込んだ時に、なんとか手に入れる事ができたデータです。
  これまで暴走した機械達のデータと照合すると、この文字列と同じデータが機体からいくつも解
  析されている。」

  つまり、これは、

 「これは、少なくともHALがウイルス制作に関わったという証拠です。しかしこれは所詮コピー。
  完全ではない。私は、これの完全なデータも欲しい。」

  だが、それさえも、彼の嘘である可能性もあるわけだ。今、ダースに流し込んだデータとて、何
 処まで本当のウイルスであるか分からない。むしろ、彼こそがウイルスの制作者という事も有り得
 るのだ。
  いや、しかし、その前に。

 「………以前に、忍びこんだ?」

     ダースの中に、硬くしこりのように残った言葉。
  その言葉は、つい最近聞いたばかりではなかったか。たった今、ではない。それよりも少しばか
 り遠い過去の話。
  端末の記録データには残っていない。何故なら、あれは警察の中での話だからだ。警察署内では、
 基本的に端末の操作は禁じられている。

 「私の友人は、HALに侵入したという容疑で、今、拘束されている。」
 「………それが、何か?」
 「だが、侵入事件が、そうそう何度も起こるとは思えない。」
 「それは、どうでしょう?」
 「お前がHALに侵入したのは、そう昔の事ではないだろう。つい最近だ。何せ、ウイルスが流れ
  始めたのは、私の友人が火星に出張する前の事だからな。私の友人がHALに侵入したと疑われ
  ているのも、ちょうどその時期だ。」

  カトゥーの映像が残っていたという防犯モニタ。
  きっと、そこに本当に映っていたのは、カトゥーではない誰か、だ。その誰かが、自分の映像を
 カトゥーの映像に巧妙に差し替えた。

 「防犯モニタを提出したのは、HALでしょう。HALが画像を差し替えた可能性もある。」
 「何の為にだ。」

  この青年は、HALに疑惑を持っているという。つまり、HALと彼は、知らぬ者同士。仮にH
 ALがこの青年の事を知っていたとしても、HALがわざわざ画像をカトゥーと差し替える理由は、
 何処にもない。青年の事を知られたくなかったとしても、それならば防犯モニタ自体を提出しない、
 或いは全く平穏無事な画像を提出すれば良いだけの話だ。
  つまり、HALには、画像を差し替えるつもりなど、微塵もない。
  ならば、誰が画像を差し替えたかなど、一人しかいないではないか。

 「語るに落ちたな。」

  ダースは、訓練された動きで、腰に帯びていた銃を引き抜き、狙点を青年の額に合わせる。その
 動きには些かの乱れもない。
  それを眼で追う青年の表情には、やはり変化はない。

 「さあ、答えろ。お前は一体、何者だ。何の為に、私達に接触した?」

  回答がなければ、その腕を撃ち抜く事も、ダースは躊躇いはしないだろう。
  だが、ダースのそんな覚悟を嘲笑うかのように、青年の動きはもっと早く、些かの情もなかった。
 一切の気配も様子の変調も見せず、青年はバネ人形のように両手を持ち上げたのだ。いや、持ち上
 げたなどという生易しい表現ではない。
  跳ね上げた。
  それが一番正しい。そして、その両手の先にはいつの間に握ったのか、厳めしい黒光りする銃が
 握られている。ダースが気がついた時には、青年の蒼褪めた眼には緑色の光が宿っており、はっき
 りと殺意に近い――けれども全くの感情のないものが、動いていた。

 「俺は、妹を、助け、たい、だけだ。」

  機械音声に、ひび割れが聞こえた。だが、それが一体何に由来するものなのか、ダースには分か
 らない。本当に妹を想っての事か、それとも不備を疲れてバグを起こしたか。
   躊躇なくダースの胸に銃を押し付ける姿は、人間と捉えるべきか、或いは機械と捉えるべきか。
 表情のない姿はどう考えても機械ではあるが、しかし機械に施されているはずの禁則事項が働いて
 いない。では人間だろうか。あの日モニタ画面から見た脳殻が、果たして本物であるかどうか、そ
 れを知るには、彼の脳殻を暴く必要がある。
  だが、それをするには圧倒的に時間が足りない上、そんな事をしている暇はない。

 「妹が、此処に、いる。俺は、助けなくては、ならない。」
 「………何の為にだ。」

  もう一度、ダースはぎりぎりの縁で問い掛けた。
  その問いに、今度こそはっきりと、青年の緑の眼が大きく揺れた。激しい演算処理が行われてい
 るその隙に、ダースは青年の手を叩き落とした。
  が、次の瞬間、青年の腕は人間にはあるまじき方向に関節を曲げるや、再びダースに狙点を合わ
 せる。近距離ならば、銃よりもナイフなどのほうが有利だ。しかしそれを差し引いても、青年に勝
 てるだけの機がダースにあるとは思えなかった。
  何故なら、青年の動きは、軍人はおろか、明らかに戦闘用機械人形のそれだったからだ。戦場で
 何度も見た事がある、人間を殺す兵器。
  もはや、ダースの中に彼が人間であるという可能性は、一ミリも残ってはいなかった。これは、
 ただ、破壊の為に生み出された兵器だ。『妹』が果たして何を指すのかは分からないが。
  しかし、考える暇はない。
  払い落した手とは別の、もう一方の手が、唐突に割れたと思うと、そこから黒いノズルが顔を見
 せたのだ。顔を引き攣らせる間もない。どう考えても、それはレーザー砲の類の、銃口だ。
  今にも引き金を引こうとする白い指を叩き落とし、そこから活路を見出そうと、ダースが無駄と
 分かりつつも身を捩る。その拍子に、未だ青年と繋がっていた端末が床に落ちた。それが床に落ち
 切る前に、青年は指先を動かす。

 「…………!」

  転瞬、青年の身体が大きく仰け反った。弓なりに仰け反った青年の手から、その繊細な手に似つ
 かわしくない銃が滑り落ち、緑色の無機質な光を灯していた眼は、激しい演算の光が何かに抵抗す
 るかのように瞬いている。
  まるで、火花が飛び散っているのを見ているようだ。
  ガクガクと震える細い機体を、呆然として見つめるしかないダースの前で、青年の動きに合わせ
 て床に落ちた端末が激しく踊る。その端末のランプも、激しく瞬いている。
  青年の眼と、端末のランプと。
  それらがようやく治まった時、青年は仰け反っていた身体をゆっくりと元に戻し、再びひたりと
 ダースに視線を見据えた。そして、小さく唇が動く。

 「――ハッキング終了。システムの移行完了。」

  滑らかな機械音声。その声と共に再び灯った緑の光は、けれども何処か無機質からは遠ざかって
 いる。先程よりもずっと穏やかな眼でダースを見つめ、彼はダースに手を差し伸べた。

 「お怪我は、ありませんか?」

  その仕草を見て、ダースは、ほっと溜め息を吐く。

 「………随分と、無茶をする。」

  苦々しく言ったつもりだったが、声には安堵が混じっていた。

 「置いてきたつもりだったんだが………だが、助かった。」

  その安堵を隠さず、そして隠さぬまま、電子の海を渡って、白い人形をハックして乗っ取った彼
 の名を呼んだ。

 「キューブ。」