切欠は、ポゴの悲鳴だった。
何事かと思い、皆が駆け付けてみると、そこには耳に枝を突き刺して、そこからだらだらと血を
流している原始人がいた。
「耳掻きをしようとしたんだと。」
とりあえずポゴの耳に突き刺さっている枝を引っこ抜き――幸いにして鼓膜を突き破ってはおら
ず、外耳を傷つけただけのようだった――キューブの治療を受けるポゴに代わり、アキラがそう説
明した。
耳の奥が痒かったから木の枝で掻いていたら、加減を誤って皮膚を削ってしまったらしい。痛み
はほとんどなかったものの、思った以上に血が流れて、悲鳴を上げたそうだ。
「にしても、原始人ってのは耳掻きが下手なんだな。」
木の枝を使ったというのもあれだが、しかし耳掻きも碌にできないなんて。アキラがやれやれと
首を振るのを見て、耳掻きに慣れていないだけかもしれない、と呟いたのはサンダウンだった。
「………いつも、誰かにして貰っている可能性もある。」
その場合は嫌でも下手になるだろう。
そう言って葉巻に火を点ける男に、アキラはふんと鼻先で笑う。
「何をそんな見てきたように………。」
「………私がそうだったからな。最近では、あれにして貰うばかりで、自分ではしていない。」
「………………!」
その瞬間、アキラの中で何かが弾けた。
恋のから騒ぎ
「そういうわけで、だ。」
「何が、そういうわけで、なんだい。」
重々しいアキラの声に対して、レイはすげなく突っ込んだ。
「急に呼びだしたと思ったら、サンダウンの嫁の話なんかして、一体何なんだい。」
サンダウン以外が集まる中、アキラが話し始めたのはサンダウンの嫁についてである。
前々から、サンダウンには嫁がいるらしい事は、サンダウンの言動から薄々感じ取っていた。そ
の嫁が料理が上手い事やマメな性格をしてる事も知っている。
しかし、それについて改めて言及し始めるとは一体何事なのか。
「だって、気にならねぇのかよ!」
アキラは服の裾を翻す勢いで叫んだ。
「だって、料理の上手い嫁だぜ?!耳掻きしてくれる嫁だぜ?!絶対膝枕とかして貰ってんだぜ、
あのおっさん!羨ましいと、気になると思わねぇのか?!」
「要はあんたが羨ましいだけなんだろ!」
何気に本音を零した少年に、レイはきっぱりと突っ込む。
「それに嫁だ何だって、サンダウンだっていい年なんだ、嫁がいたっておかしくないじゃないか。」
当然の事を告げるレイに、おぼろ丸も頷く。
「うむ、側室の一人や二人がいてもおかしくないと思われるが。」
「いや、それはないって。」
あのおっさんどう見ても側室がいるような目上の人間じゃないから。
「とにかく、そんなしょうもない話するんだったら、あたいはもう行くよ。」
ひらひらと手を動かして、アキラに背を向けるレイに、アキラはゆらりと視線を投げかけて、お
どろおどろしい声で呟く。
「しょうもない………?」
「ああ、しょうもないね。」
「ほう……?実はこっそりサンダウンの嫁が作ったレシピノートを見てる癖に……?」
アキラの声音は、魂を奪おうとする悪魔の舌舐めずりにも似ていた。
その舌舐めずりに、立ち去ろうとしていたレイの脚は凍りつき、少女はお下げが弧を描くほど勢
い良く振り返る。
「な、なななな何の話だい、それ?!」
「ふふん、知らないと思ってんのかよ。毎晩毎晩、みんなが寝静まった後にサンダウンの荷物袋か
らレシピノート取り出して『どうやったらこんな料理作れるようになるのかねぇ』って呟いてさ。
サンダウンのおっさんも、気付いて黙ってるんだぜ、あれ。」
詰め寄るレイから僅かに視線を逸らして、アキラはにやにやと笑いながらレイの秘密を暴露する。
「そりゃあなー、あんなに料理の上手い嫁さんだもんなー。そりゃ、女としては気になるよなー。」
「ふ、ふざけてんじゃないよ!あたいは別に、料理の事なんか!」
「もしもサンダウンの嫁さんの詳しい情報が手に入れば、料理の上手くなるコツが分かるかもなー。」
「………っ!」
アキラの巧みな話術に言い負かされたレイは、敢え無く屈した。
憮然とするレイと、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべるアキラ。その二人を見比べて、はいは
いはい、と日勝が手を上げる。
「つか、普通に、アキラがサンダウンの心読んだらいいんじゃね?」
一瞬にして、真理を穿つ男、日勝。
それに、憮然としていたレイも、はっと我に返る。
「そうだよ、あんた心が読めるんだから勝手に読んだらいいじゃないか!」
「むぅ、確かに。アキラ殿がサンダウン殿の心を読み、サンダウン殿の奥方について聞き出せば話
は早いのでは?」
盛り上がる彼らに、しかし、ちっちっちっとアキラは人差し指を一本立てる。
「甘いな、てめぇらは。いいか、相手はあのサンダウンだぜ?そんな生易しい話じゃねぇんだよ。」
「ああ、要するに失敗したんだね。」
「何度か試みはしてみたようでござるな。」
「でも失敗したんだな!」
勿体ぶった話し口調のアキラに対して、一言『失敗した』という烙印を押しつける仲間達。
あんまりにも直球の烙印に、アキラは叫ぶ。
「ああそうだよ、失敗したさ!あのおっさん、自分の嫁についてはみっちりガードしてやがるんだ
ぜ、こんちくしょう!そんなに嫁が大事かよ!だったら温室にでも入れとけバッキャロー!」
涙ながらに怒鳴るアキラに、しかし仲間達の眼差しは冷ややかだった。
「そりゃあね、あんたみたいなのに嫁の事を読み取られたらね。」
「ぬう……拙者も、己の嫁を読み取られるのは勘弁願いたいな。」
「だって、何の妄想に使われるか、分からねぇもんな!」
「うるせぇぞてめぇら!特に日勝!」
仲間の心ない言葉に、アキラは自分がまるで変態呼ばわりされているような気になった。
これは青少年としては健全なエロの思考だ、と心の中で叫ぶものの、現実世界で叫ばなかったの
は、やはりアキラとしてもこれ以上叫べば、ますます仲間から冷たい眼差しで見られる事が分かっ
たからかもしれない。
「しかし、サンダウンの奥方について気になる事は分かり申したが、しかしそれでどうすれば?」
「そうだよね。あんた、一人で叫んでるけど具体的に何をするつもりなんだい?」
叫ぶだけ叫んで、肝心の焦点について全く話していない事をようやく指摘され、アキラは、とり
あえず、と口を開く。
「情報交換といこうぜ。俺達の持っている、サンダウンの嫁さんについて、じっくり語り合おうじ
ゃねぇか。」
つまり、サンダウンの嫁について妄想したいだけか。
レイとおぼろ丸は、腹の底でそう呟いた。
「でもさ、情報って言ったって、あたい達だってそんなに知らないよ。せいぜい料理が上手いって
事くらい。」
大した情報は、持っていない。
すると、アキラは駄々を捏ねるように身を捩り始めた。
「だから何でも良いんだって!なんか気付いた事、あるだろ?!」
「だったらあんたも何か良いなよ!言い出しっぺの癖に!」
怒鳴り合う少年少女。
その二人を止めるように、おぼろ丸が割って入る。
「む……アキラ殿の言う情報に当て嵌まるかは分からぬが、拙者、サンダウン殿に気付いた事があ
る。」
「気付いた事………?」
「サンダウン殿は、拙者達と話をする時、一瞬、間が空く。」
「は?」
言っている意味が分からない。
首を傾げる仲間達に、おぼろ丸は言葉を探すように視線を彷徨わせて、ゆっくりと話を始める。
「拙者達と話をする為に視線を合わせるのに、やや時間がかかる、と言えば良いのか。拙者達でも
例えば客人が来て扉を開ける時、客人の顔があると思われる場所に視線を合わせぬか?それで、
客人の背が予想よりも低かった場合は、視線を合わせるのが遅れる。それと同じで、サンダウン
殿も、拙者達と話をする時に視線を合わせるのに僅かだが時間が掛かる。」
つまり、それはサンダウンが慣れた眼線に、この場にいる人間の眼線が重ならない事を示してい
る。そして、サンダウンが慣れた眼線というのが、サンダウンの嫁の眼線になるのだろう。
「拙者が見た限り、サンダウン殿の奥方の眼線は、サンダウン殿よりも低く日勝殿よりも高い。」
「って事は、結構背が高いんだな。まあ、外国人は背が高いから、そういう事もあるかもな。」
つーか、おぼろ丸、すげぇ!
そう叫んだ日勝は、自分も自分も、と手を上げる。
「あのな、あのな、サンダウンの嫁さんって両利きなんだぜ!」
「ほう、その情報は一体何処から。」
聞いて聞いてと言わんばかりの表情の日勝に、おぼろ丸が話に乗る。
「この前、俺が料理当番だった時あるだろ。あの時、腕痛めててさー。そんでそん時に偶々サンダ
ウンがいたんだけど、俺が『こういう時って困るよな。』って言ったらさ。」
あれは両利きだから困らない。
「だってさー。そうだよな、両利きって良いよなー。俺もそういうトレーニングをしなきゃ駄目だ
なー。両利きだから疲れても持ち替える事が出来て、楽に料理が出来るらしいぜ。そうサンダウ
ンが言ってた。」
「なるほどな。料理が上手いってのは、案外そこに由来してるのかもしれねぇな。」
一つ頷いて、アキラはレイを振り返ってにやっと笑う。
「良かったじゃねぇか。料理が上手くなる第一歩が分かって。」
「うるさいね!」
「はいはい。そういうレイはどうなんだよ。ってか、サンダウンの荷物漁ったんだろ?レシピノー
ト見る為に。その時に何か見つけなかったのかよ。」
「あ、漁ったってわけじゃ!」
しかし、勝手に中を覗いた事は事実なので、レイは強く言う事が出来ない。少し悔しそうにして、
レイはサンダウンの荷物袋の中身を思い出す。
「って別にそんな変な物は入ってなかったよ。あたいだって、そんなに詳しく見たわけじゃないけ
ど。普通に服とか、酒とか。あと、葉巻とか。」
「なんだよ、面白くねぇな。」
写真とかねぇのかーと、つまらなさそうに呟くアキラに、おぼろ丸が首を傾げる。
「ふむ、つまり、サンダウン殿はある程度生活に必要な物を持って来ていたというわけでござるな。」
此処にいる皆は、いきなりこの世界に呼び出された。だから、基本的には着の身着のままで連れ
て来られたのだ。
「あー、でも、別におかしい話じゃねぇと思うぜ。あのおっさん、普段は何か放浪生活してるみた
いだし。嫁っつっても、週に何日しか逢ってねぇって言ってたし。」
「しかし、その荷物を準備したのは、奥方という事にはならぬか?」
夫が家になかなか帰って来れぬ身の上ならば、旅先で夫が困らぬように旅の準備をするのは妻の
務めではあるまいか。
「あ!そういえば、酒と葉巻の量をもう少し増やして欲しいって言ってたの、聞いた事がある!」
「それだ!」
サンダウンの荷物はサンダウンの嫁が準備したという決定的な証拠を手に入れ、アキラは指を鳴
らす。
「けど、酒と煙草の量を制限されてんのか、あのおっさん。意外と口うるさい嫁なのかもしれねぇ
な。」
「でも、酒と煙草の取り過ぎは駄目だって言うぜ!」
健康管理の一環なんじゃねぇのかな、と無駄に健康管理をしていそうな日勝が言う。
身体の事を気遣っているのだと指摘され、アキラは歯ぎしりし始めた。
「つまり、良妻賢母って奴かよ!羨ましすぎるだろうが!」
「………賢母って、サンダウンって子供の話した事あったっけ?」
「さあ………。」
微妙に間違った言葉を使っているアキラに、ひそひそとレイとおぼろ丸が言い合うが、しかしア
キラの耳には届いていない。
「料理が出来て健康管理までしてくれて、耳掻きを膝枕でしてくれる嫁だと!そんな嫁、一体何処
を探したら出てくるんだ!くそっ!これで抱き心地が良いとかだったら、もう、俺はどうしたら!
背が高いって事は、やっぱりむっちりしてんのかなぁ。それとも以外とほっそりすらり?胸は?
やっぱり巨乳なのか?!腰のくびれとかは?!」
身悶えながら色んな妄想に突入していくアキラを、他の仲間達は薄気味悪いものを見るかのよう
な目つきで見やる。
「外人だから、やっぱり大胆なのか?!さ、誘い受けとか?!騎乗位とか!」
「ちょっと、アキラ、一度戻っておいで。」
レイが身悶えするアキラの首根っこを掴んで、引っ張る。ぐきっと嫌な音がしたが、レイは気に
しない。気にせずアキラを自分達に向かい直させると、その前に仁王立ちで立つ。
「で、あんたは?」
「へ?」
「あたい達は、一応あんたの言う情報を言ったわけだけど、あんたは?」
「え?俺は、ほら、あれだよ。まとめ役だからさ。」
「ふざけんじゃないよ!」
レイの一喝に、アキラがひぃと情けない声を出す。
「あれだけ、ぴぃぴぃ言っておいて、自分は何もしないっていうのかい!ちょっと根性叩き直した
ほうが良さそうだね!」
レシピノートをこっそり見ていた事を暴露された事も相まって――というかそれが一番重い――
レイはこれ見よがしに、拳をぼきぼきと鳴らす。
血も凍るようなその光景に、残念な事に――非常に残念な事に、戦力外通告を幾度となくされて
きたアキラは、顔を蒼褪めさせる。
「ぎゃああああ、許してぇえええ!」
「逃げんじゃないよ!」
叫び声を上げる少年少女。
そこに、のっそりと長い影が投げかけられる。
「…………何をしている?」
少年に今にも掴みかかろうとしている少女を、忍びと筋肉男が止めようとしている光景に、最年
長者が呆れたように呟いた。低いそれは、しかし彼らの一連の動きを止めるだけの響きがあった。
慌てて、サンダウンの後ろにアキラは隠れ、レイはそれを忌々しそうに眺める。しかし、レシピ
をこっそり眺めていたという秘密を暴露されたレイの怒りは収まらず、腹いせのように告げ口する。
「アキラが、あんたの嫁について嗅ぎまわってたんだよ!」
「あ!何ばらしてんだよ!」
「うるさい!」
自分を挟んで再び罵り合いを始めた少年少女に、サンダウンは訝しげな表情をする。
「嫁……………。」
「そう、嫁!」
大体、とアキラは盾にしているサンダウンに食ってかかる。
「心を読もうとしてもあんたがガードしてるから、嗅ぎまわるような真似する羽目になったんじゃ
ねぇか!」
「何勝手な事言ってんだい!」
何処からどう見ても責任転嫁すぎるアキラの言い分に、レイが眉を顰める。
そもそも、気になる、で終わらせれば済むところを、頼まれもせずに嗅ぎまわったのはアキラだ
と言うのに。
しかし、眉を顰めるレイの前で、サンダウンは涼しい表情をしている。嫁の事を探られた事を特
に気にしている素振りはない。
だが、それでも何か一言いうべきだと感じたのか、最年長者は教育的意味も込めて、少年を見下
ろした。そして、小さく溜め息を吐いて呟く。
「子供が見るには、あれは、刺激が、強すぎる。」
酷く暗示的な言葉。
だが、その暗示にかかったアキラは、ややした後、何を想像したのか顔を真っ赤にして、そんな
破廉恥な!と叫んで頬を両手で覆って蹲ってしまった。きゃーっと乙女な反応を見せるアキラを一
瞥して、サンダウンは立ち去った。
後日、アメリカ西部の荒野にて。
「来いよ。」
ぽんぽんと、黒髪の賞金稼ぎが地べたに座り、自分の膝を叩いている。勿論、サンダウンはそこ
に戸惑い一つ見せずに頭を乗せる。そして、耳の中に入って来る耳掻き。
それは以前、サンダウンが決闘中に難聴になって大騒ぎし、その原因が耳垢が詰まった事による
ものだと分かって以来、ずっと続けられている行為だ。
「つーかさ、あんた、なんで自分で耳掻きしねぇかな。」
マッドはサンダウンの耳掻きをしながら、呟く。
「…………。」
サンダウンは、それに対して何も答えなかった。