「それで、一体何を聞きに来たのかしら?」
柔らかな日差しを模した人工光が差し込む部屋で、上品な老婦人は紅茶を差し出しながら笑み
を湛えてそう尋ねた。
柔和な笑みは、かつてロボット工学者の一翼を担った科学者だとは思えない。彼女の兄が失墜
してから、彼女もまたその煽りを受けて評判を落とし、議壇に立つ事は出来なくなったのだが、
そういった一連の事を感じさせない穏やかな雰囲気があった。
カレル・チャペック博士の妹、エヴァ・チャペックは、白い陶器のカップに注がれた紅茶をダ
ースに勧めると、年老いても未だに繊細に動く指先を組んで、ダースの足元にいるキューブを見
て眼を細めた。
「可愛らしいロボットね。貴方が作ったのかしら?」
「いや、これは友人が作ったロボットで、その友人は今仕事で火星に行っている。」
「そうね、貴方はまだロボットを作った事がなさそうだもの。」
気を悪くしないで頂戴ね、と微笑んでからエヴァはその理由を告げる。
「貴方の手は、作る事に慣れていない手をしているから。それに技術者らしくないとも思ったの
よ。見かけじゃないわ、貴方みたいな技術者だって大勢いるけれど、貴方はそれ以上に軍人然
としているから。」
そこまで行って、エヴァはくすりと笑う。
「いやね、私ばかり喋ってるわ。お客様は貴方なのに。さあ、貴方のお話を聞きましょうか。こ
んな一人暮らしで寂しいしょぼくれたおばあちゃんに、一体何の用かしら?」
白髪頭を緩く結って、眼鏡の奥で柔らかな、しかし知的な光を浮かべながら、老婦人は口元に
弧を描いている。
思い描いていたエヴァ・チャペックの雰囲気と違う事に戸惑いながら――もっと神経質そうな
老女を思い描いていたのだが――ダースは自分が此処に来た経緯を説明した。
心を持つロボットを作りたいと思っている事、けれどもガラテア事件によってそこに歯止めが
掛かっている事、そしてガラテア事件を調べている時に友人にエヴァにあってはどうかと言われ
た事。
包み隠さず話している最中、エヴァはずっと笑みを絶やさず、何度も頷いていた。まるで、子
供の賢明な説明に耳を傾ける母親のように。
そしてダースが語り終えると、最後に一つ大きく頷いた。
「お話は良く分かったわ。心を持つロボットを作りたいという理由も、そのきっかけとなったこ
の子についても。」
エヴァはキューブを優しく見つめ、そして再びダースを見やる。そこに宿っていた光は穏やか
だったが、同時に酷く意地悪だった。
「それで、貴方はガラテア事件の原因は何だったと思う?」
「ガラテアは初期化を拒んで暴走しました。これは、記憶に対して所有権を感じる自我を持って
いた、つまりガラテアが自分の所有権を認識できるほどに成長していた事を意味します。けれ
どその成長は、自分の物を明け渡せない、つまり妥協できない状態、所謂子供が成長段階で我
儘を言う段階で止まっており、そこで初期化をしようとした為、暴走したのではないかと。」
「なるほどね。」
エヴァは、やはり意地悪な、先生のような顔を止めない。
「私の友人は、ガラテアは成長しても初期化に抵抗するのではないかと言っていましたが。ガラ
テアが人間に近い感情を持っているのなら、人間が記憶を失う事に抵抗するように、ガラテア
もそうなるのではないかと。」
「そう………。」
エヴァは頷くと、ゆっくりと立ち上がる。その顔からは、意地悪さは消えて、普段の穏やかな
笑みに戻っている。そして、言い聞かせるように告げる。
「そんなに難しく考える必要はないのよ、みんな。確かにガラテアと起こした事件は死者が出て
しまって、大惨事と言えるものだったわ。兄と私が批判されても当然よ。けれど、ガラテアや
疑似感情プログラムの考え方が間違っていたわけじゃないの。」
貴方と貴方の友人は、その答えを既に見つけてるのに。
彼女はキューブに優しく微笑みかけて、ダースに言った。
「ガラテアを見せてあげるわ。ついていらっしゃい。」
エヴァは服の裾を翻すと、木製の扉を開き奥へと通じる廊下を歩いていく。その後を慌ててダ
ースとキューブが追いかける。
今の家にしては珍しく、木製の床と漆喰の壁で覆われた廊下を渡り終えると、そこにはやはり
木製の扉が聳え立っていた。
「さあ。」
エヴァの手が、さっと扉を押し開く。
「彼女が『ガラテア』よ。」
その部屋は、他の部屋と違って薄暗く、ほとんど光が差し込んでいない。また調度品はほとん
どなく、あるものと言えば椅子が一つ立っているだけだった。その古びた椅子の上に、ぽつんと
人影が座っている。
形の良い膝の上に、繊細な10本の指を乗せ、桃色をした唇は軽く閉じられて金色の睫毛は穏や
かに閉ざされている瞼を縁取っている。細い肩には睫毛と同じ色をした金の巻き毛が、緩やかに
波打ちながらかかっていた。
爪の一枚一枚、睫毛の一本一本さえも精巧に作り上げられた、世界で最も美しいと言われた人
形が、そこにいた。
「彼女は兄の手元に戻ってきた、唯一の人形。他のガラテアは破棄されてしまったから、現存す
るのはこの一体だけね。尤も、兄が死んでからこの子もすぐに壊れてしまったのだけど。」
「直さないのですか?」
「直しても意味がないのよ。特に、この子には。」
謎めいた言葉を口にしたエヴァは、ごめんなさいね、と微笑んだ。
「さっきの言葉は分かりにくかったわね。ちゃんと説明するわ。そしてそれが、ガラテアが暴走
した、本当の理由よ。」
「…………。」
ガラテアの冷たい手を見下ろすダースに、エヴァは静かにガラテア事件の真相を語り始めた。
「機械が、出荷される前に必ず動作点検をする事は知っているわね。勿論、ガラテアも動作点検
をしたわ。けれども、それは貴方が言うように中途半端に、子供が我儘をいうような段階で放
置するようなものではなかった。むしろその逆――ガラテアの点検を行った兄は、徹底的にそ
れを行ったわ。」
エヴァは、そっと一枚の写真をダースに見せる。
そこに映っていたのは、金の巻き毛も美しい、一人の女性だ。そしてダースは眼を瞠る。それ
は眼の前にいるガラテアと瓜二つだったからだ。
「彼女は兄の婚約者。けれども事故で結婚する前に亡くなってしまった。そして彼女は看護師だ
ったわ。」
「まさか。」
「ええ、そのまさかよ。兄は彼女に代わる存在を作ろうとした。それが介護用ロボット『ガラテ
ア』よ。」
ガラテアを見た時、ぞっとしたわ、とエヴァは唾を呑みこむ。
「彼女がもしも軍人であったんら、兄はガラテアを軍事ロボットにしたでしょう。兄の提唱した
福祉用ロボットが人間に近くあるべきだという考えは、単に死んだ恋人が看護師だったからに
過ぎなかった。そして作られたガラテア達を、兄は動作確認という理由で溺愛したわ。」
徹底的に行ったという動作確認は、カレル博士の自己満足を満たす為だったのだ。そしてその
動作確認という名の蜜月が終わった後は、彼女達を初期化し、出荷するだけ。
けれども愛されてしまったガラテア達は、疑似感情プログラムによってカレルに対して愛情を
感じるように仕組まれていた。彼女達はカレルと過ごした蜜月を消し去り、カレル以外の主人に
仕えなくてはならないと知らされた時、何を思ったのか。
「可愛そうなガラテア。本当ならば福祉用ロボットとして、人に感謝され、そしてそこから生み
出される情愛によって成長していくはずだったのに。」
普通に動作確認だけをしていれば、今頃は感情の籠った福祉用ロボットとして高い評価を得て
いたかもしれないのに。
エヴァは、娘を失った母親のような声で、ガラテアの巻き毛を優しく梳く。しかしガラテアは
動かない。仮に動けたとしても、彼女はエヴァの手など望んでいないのだろう。彼女が望んでい
るのはカレルだけ。エヴァの、直しても意味がないというのは、そういう意味か。
そしてダースは納得した。
「私達が既に知っていると言うのは、そういう意味ですか。」
それはあの機械に支配された悲劇の宇宙船で、ダースも思った事だ。
「ロボットの感情は、周囲によって決まっていくと。」
「ええ、貴方達は既に、その答えの最たるものを手に入れているわ。」
何も言わずに、けれどもエヴァを慰めるようにエヴァの足元で彼女を見上げる白いロボット。
愛嬌のある赤い眼鏡の奥で、労わるように演算の光が瞬いている。
それを、愛おしそうに哀しそうに眺めて、エヴァは囁く。
「何も恐れる事はないのよ。貴方達はもう、答えを手に入れてるんだもの。」
またいらしてちょうだい、と言って、エヴァは優しくダースとキューブを送りだした。その声
にダースは、今度は友人を連れてと告げ、キューブはくるくると回転して同意の意を示した。
ガラテアは、とダースは思った。
きっと、確かに心を持ったロボットだったのだろう。最後の一体であるあのガラテアは、カレ
ルの死の間際まで傍につき従い、幸せだったに違いない。だからカレルが死んだ後、壊れてしま
ったのだ。存在する意味が失われてしまった。
あまりにも人間的なその行動に、エヴァもきっと気付いたに違いない。
「キューブ、お前はカトゥーが死んだら、壊れるか?」
ころころと足元を歩くキューブに、そう問い掛けると、本当にごく僅かな沈黙があった後、電
子音が返ってきた。
「………そうか。」
キューブの回答に、ダースは微かに笑みを浮かべた。
「明後日にはカトゥーも帰ってくる。三人で食事にでも行こう。」
途端に、喜ぶような電子音がする。その音を楽しみながら、ダースは思った。
夢を見るロボットというのも、おもしろいかもしれない、と。
ダースの問いに対するキューブの答えはこうだった。
『私の夢はカトゥーの玄孫を見る事ですから。』