病の気配の濃い男達の姿が見えなくなるや、サンダウンは窓に飛びついて大きく開け放った。マ
 ッドが何事かと目を丸くするのも構わず、窓を全開にして、そして二人の座席の間に夜の清涼な風
 が吹き込んだのを見て取って、ようやく窓べりから手を離した。
  だらりと手を下げたサンダウンに、マッドは見開いていた眼を元の大きさに戻すと、やれやれと
 首を竦めた。

 「そんなに、大袈裟に考える必要もねぇだろう。」
 「……お前は肺病の恐ろしさを知らないのか。」

  溢れた血泡が、もしや何処かに落ちてはいないかとサンダウンは周囲を見回す。そして、マッド
 の座席に男が横たえられていた事実に舌打ちした。

   「知らねぇわけじゃねぇよ。でも、荒野にだって普通にいただろうが。そいつらに対して、そこま
  で気にした事はねぇよ。」
 「ここは荒野ではない。」

  荒野のように乾いた風が吹いている開けた場所と、この閉ざされた夜の列車の個室とでは、全然 
 条件が異なるではないか。個室にいたほうが感染しやすいだろうと考えるのは、医学の知識のない
 サンダウンでも想像がつく。

 「………とにかく、お前はこちらに座れ。」

  サンダウンが自分のいる座席を指差せば、マッドは眉を顰めた。

 「何を考えてるんだ、あんたは。」
 「……何を考えているもないだろう。」

  マッドはまだ若い。サンダウンの人生とマッドの人生、どちらが重いのかと問われれば、サンダ
 ウンはむろん、マッドの人生であると答える。人の命に重いも軽いもないと言う輩もいるかもしれ
 ないが、だがそんな理想論はサンダウンの中にはない。
  サンダウンが顔を顰めたマッドにそう告げようとした時、たった今閉じたばかりの扉が、また開
 いた。




  泣いているもの





  サンダウンが、むっとしても仕方がないほど、不躾に扉は開かれた。先程去ったばかりの男達が
 忘れ物でも取りに来たのかと思うほど、扉を開く間隔が狭い。
  むっとしたサンダウンが扉を見やれば、そこには清楚な白いドレスを着た女がほっそりと立って
 いた。

 「あら……ごめんあそばせ。」

  個室の中を見て手を口で覆った女は、気取った口調でそう告げた。そして当然のように部屋の中
 に入り、マッドの座席に断りもなく座る。そこには無邪気さも憔悴も疲労もなく、ただただ、それ
 が当然の事であるという傲慢さだけがあった。
  傲慢そのものである女は、ゆったりと座席に座って寛ぐと、男二人を見上げ、まあ、とさも可愛
 らしそうな声を上げた。

 「どうぞ、お座りになって。」

  お座りになっても何も、この個室はサンダウンとマッドが占拠しており、この女が二人に指図す
 る謂れは何処にもないのだが。けれどもそれをわざわざ口にするほど、二人とも愚かではなかった。
  つまり、サンダウンは無言で、マッドは皮肉気な笑みを浮かべて、先程までサンダウンが座って
 いた座席に腰を降ろしたのだ。
  ただし、この時マッドは、女よりも遥かに優雅な仕草で長い脚を組み、そして恐ろしいほど美し
 い声音で、女に問うた。

 「それで、俺達に何の用だ?こんな所にわざわざお出ましになるほどの用があったのか?」

  いざとなれば、徹底的に上品に振る舞う事ができる男は、女の口調よりも遥かに洗練された声で
 しかも傲慢さを孕んで、女に問い掛けるふりをして命じる。
  マッドの命令に気づいているのかいないのか、女はやはり可愛らしそうな身振りで首を傾げ、ゆ
 っくりとした手つきで懐から羽根飾りの豪華な扇子を取り出すとそれで口元を隠した。

 「ええ、実はこの部屋から私の知り合いが出てくるのを見たのです。ですが、私ったら、彼らを見
  失ってしまったのです。ですので、貴方がたなら彼らの行先を知っているのかと思い、お声をか
  けているのですわ。」

  勿体ぶった口調に、けれどもサンダウンとマッドは目配せをし合い、女の言うのが先程出て行っ
 た肺病を患った男と老人の事だろうと見当をつける。

 「生憎と、俺達もあの二人とはさっき出会ったばかりでね。何処かに行ったのかまでは知らねぇな。」

  この列車の何処かにいる事は間違いがないのだから、この列車内を駆けずり回って探せば良いの
 ではないのか。
  そう思ったが、それは内心でのみ吐き出す事にする。
  現にこの女には、自分の脚で捜し出すという考えは浸透していないようだ。

 「ああ、そうなのですね。残念ですわ。彼らならば、私が最も気に掛けている者達の行く先を知っ
  ているかと思っていたのに。」

  大袈裟に溜め息を吐く女は、やはり自分で動く気はないようだ。動かぬ女に、マッドは心底興味
 がなさそうに、ただし礼のないように言葉を返している。

 「あんたの言うのと同一人物かどうかは分からないが、あの二人も誰かを捜していると言っていた
  な。自分達の所為で闇に堕ちただとかなんとか。」

  すると、女は芝居がかっていると言われても仕方がないほど眼を見開いて、頬を紅潮させ息を弾
 ませ、勢い込んで頷く。

 「そう、きっとそうですわ。彼らが捜しているのは、きっと私と同じ。二人の青年です。」

  ああ、と涙混じりの嘆息して女は天を仰ぐ。

 「彼らの所為だけではないのに。彼らが闇に堕ちて行ってしまったのは。あれは、全てが見事なま
  でに組み合わさってなされてしまった出来事。きっと、誰かに止める事は不可能だった。あの二
  人がいても、きっと無理だったでしょうに。」
 「それで、あんたはどうするつもりだ?」

  過去は止められなかったのだ、と自分に向かって宣告している女に、マッドはどうでもよさそう
 に言った。

 「どうする事も出来なかったのなら、今更、その二人の青年とやらを見つけても無意味じゃねぇの
  か?」
 「そうかもしれません。けれども、我々は人間です。人間には分かっていても、けれども心動かす
  事は止められません。」
 「その心の動きってのは、一体何処に向かうもんなんだ?俺にはあんたも、さっきの二人も自分が
  救われたい為だけにそいつらを捜してるようにしか見えねぇな。」

  勿論それが悪いわけではないが。
  マッドは、徹底的に己を救おうとする人間を嫌いはしない。ただ、マッドは彼らから偽善の匂い
 を嗅ぎ取っている。しかも計算しつくされた偽善ではない。本心から己が善であると信じている、
 欺瞞に満ちた偽善だ。
  そのような偽善は、マッドからはあらゆる手段を講じてでも遠ざけられる。

 「それに、俺らにそんな言い訳を聞かされてもなぁ。俺には、あんたが欺瞞の籠の中で満足してる
  ようにしか見えねぇ。」
 「無礼な……。」

  マッドの言葉に、女は眦に大粒の涙を浮かべて呟いた。よもや、そのような台詞を吐かれるとは
 思っていなかったと言わんばかりの鳩のような顔をした女に、マッドは銃口を向ける事を止めない。

 「無礼だと思うんなら、さっさと出ていきな。此処は、あんたみたいなお嬢様が来るような場所じゃ
  ねぇだろう。あんたも、さっきの連中も、来る場所を間違えてるぜ。」

  此処は一等車両なのだから、この女がお嬢様であると言うのなら、この場所は確かに相応しいはず
 である。だが、マッドの眼前にいるには、役不足であり、場違いであった。

 「お引き取り願うぜ、お嬢様。もう一度言う。この列車は、あんたが乗る列車じゃねぇ。」

     この列車は、そう、中途半端な覚悟で乗る列車ではないのだ。
  マッドのが、唇だけでそう囁いた。