橋の上でマッドが出会ったのだという壮年の男と老人の二人組。マッドが帽子を落としたサンダ
ウンが戻ってくるのを待っている時、壮年の男のほうが突然具合を悪くしたのだという。
男を介抱しながら、時々サンダウンを睨み上げてくるのは、サンダウンが勝手に列車に戻ってき
ていたからだろう。
お前がいない所為で一人で人間を運ぶ羽目になったのだと、睨み上げる視線で訴えるマッドに、
サンダウンは口の中でもごもごと、すまん、と呟くより他なかった。
ただ、一方で再び自分達の部屋に他人が入ってきたという事態を、サンダウンは非常に重く受け
止めていた。
先導者
マッドいわく引き籠りのサンダウンは、他人が入り込んできた――しかも二人も――個室の中で
身を小さくしていた。何せ、マッドが今まで座っていた座席は、具合が悪いのだという男が寝かせ
られ、その脇では介抱をするマッドと老人が屈み込んでいる。
そうなると、何もする事がないサンダウンは必然的に居場所がなくなり、しかもベッドなどは添
えつけられているとはいえ、さほど大きくはない個室はかなり狭苦しいので、結果的にサンダウン
が身を小さくするしかない事となった。
「で、大丈夫なのか、このおっさん。」
座席に横たわる男を見下ろして、マッドは隣にいる老人に問う。長く、胸まで垂らした白い髭を
撫で、如何にも何処かの偉大な聖職者然とした老人は、その眼に何とも言えぬ光を灯して首を横に
振った。
「わからん……。確かに病を患っておったが、此処にきてまでこのような事になるとは。」
深刻そうな老人の言葉に、サンダウンがちらりと振り返って男のほうを見下ろせば、男は青ざめ
た顔をして、ちょうど咳込んでいるところだった。そして咳込んだ拍子に、口から数滴の血泡が飛
ぶ。
飛び跳ねた血泡を見て、サンダウンはぎくりとした。血を吐く病など、どう考えても重篤なもの
しか考えられなかったからだ。しかも、感染力の強い。
咄嗟に、マッドをその男から引き離すべきではないかと考えた。マッドに移る可能性があるから
だ。同じように血を吐いて死んでいくのは、西部の荒野でも多数見られたではないか。如何に頑強
な男と雖も、病には勝つ事が出来ない。
だが、サンダウンの心配などどこ吹く風で、マッドは男の様子をつぶさに観察している。
「こんな状態で、よく列車に乗ろうだなんて考えたな。」
呆れたようなマッドの声に、サンダウンも内心で頷く。サンダウンとしては、マッドに病が移り
はしないかと、それだけが心配なのだが。
マッドの言葉に、しかし老人は悲しそうに首を振るだけだ。
「他に方法がなかったんじゃ。あやつらに会うにはな。」
まるで、誰か待ち人が、もしくは何処かで合流する相手がいるかのような台詞だ。
だが、それにしてもその体調で、旅行か何かを決行するのは無謀ではないのか。自分にとっても、
他人にとっても。
マッドもそう思ったのだろうか、ふん、と鼻を鳴らすと、あえぐ男の胸を見下ろし、老人と同じ
ように首を振る。
「だからって、肺病持ちの、しかも末期患者をこんなふうにして良いわけがねぇだろう。」
「これはこやつも望んだ事じゃ。何せ、儂らは自分達の後継者とも言える存在を、真っ当に育て上
げられなかったどころか、闇へとおいやったのじゃからな。」
だからこそ、未だ中空を彷徨う彼らを、せめて見つけ出す事だけはしなくては。
どう考えても楽しみのない、むしろ暗く長い絶望への道のりしか感じられないような老人の台詞
に、しかしそれは他人には関係のない事だろう、と思う。
肺を病んだ人々を差別するつもりはないが、しかしそれが感染るという事を考えれば、やはり他
人への配慮という事も考えて欲しかった。
きっと、これがサンダウン一人であったなら、サンダウンは何も感じなかっただろう。例え自分
が感染したとしても、いずれ訪れる死の淵が、うすぼんやりと見えるようになったと感じるだけだ。
だが、マッドは。
マッドはまだ若い。
彼らは自分達の後継者の事を口にしているが、しかしそれならば、自分達よりも若いマッドの事
も考えるべきではないのか。サンダウンは彼らの後継者の事など知らないが、しかしそれでも彼ら
より若いのであろうと思う。ならば、同じく若いマッドに、その不治の病を近づけて良いと考えて
いるのか。
それとも、そんな事が考えられぬほどに、自己満足に浸っているのか。
サンダウンがふつふつと、自分でも良く分からない怒りを腹の底で蠢かせていると、マッドがや
はり呆れたような口調で老人を嗜めた。
「で、あんたらはこんな状態で、そのあんたらの後継者とやらに会ってどうするつもりだ?正しく
育ててやれなくてすまなかったとでも言うつもりか?」
呆れている、と言うよりも、いっそくだらなさそうな声だった。事実、マッドにとってはくだら
なかったのだろう。
「俺なら、病持ちの人間と爺さんに、わざわざやってこられて謝られても困るだけだな。まあ、謝
られて、それで良い気になって逆切れする奴もいるかもしれねぇが、そんな奴には謝る必要はね
ぇだろ。」
らしい台詞だった。
マッドならば、過去の事に対して、ましてや己の人生の道の誤りに対しての謝罪など受け入れな
いだろう。他人に自分の人生を論じられる事も厭うはずだ。自分で選んだ道なのだ、と言い放って。
それどころか、己を先導するものなど、何処にもないと言い捨てるかもしれない。
だから、マッドには老人の言い分は聞き入れられないのだ。
そんなマッドの言い分に、老人は呆気に取られたようだった。しばらく間抜けのように口をぽか
んと開いていたが、やがてマッドの言い分も老人には受け入れられなかったのか、微かにその小さ
な身体を震わせ、はくはくと何かを言おうと口を開閉させ始める。
やがてその萎びた口から激昂した声が放たれるのかと思いきや、それを遮るように静かな男の声
が響いた。
「……なるほど、そうかもしれん。」
それは、口の端に血泡をこびり付かせた、瀕死の男のものだった。
薄らと眼を開き、茶色の眼でマッドを見上げた男は、何か耐え難いものでも見るかのように、眩
しそうにマッドを見ている。
「彼らも、そうやって自分の道を自分だけが選んだのだと言い張れる事が出来れば、あんな末路に
はならなかったのかもしれない……。」
彼ら、をマッドに重ねて見ているのだろうか。もしくは、どうやら不幸の道を歩き続ける彼らが、
もしかしたら歩み得たかもしれないのがマッドの道であると考えているのか。
「だが、我々はこう思わずにはいられない。我々が魔の山をもっとしっかり見張っていればこんな
悲劇は生まれなかったのではないか、と。魔の山に王女が連れ去られる事がなければ、白刃の上
に立つようでありながらも、それでも平和を保てたのではないか、と。或いは何か一つでも言葉
を誤らずに放っていれば、と。」
節くれだった手を目の前に翳して、それが己の無力さの根源であると言わんばかりに見つめる男
に、マッドはふっと息を吐きかけた。
「言っている意味が、分からねぇな。時代劇の話でもしてんのか?」
「そう……遠い遠い昔の話だ。己が道を躊躇わない若者には、無意味な話だ。」
呟いて、男はのろのろと横たえていた身を起こす。
「世話になったな。これ以上は迷惑をかけられない。」
言うなり、老人の静止も聞かずに男は立ち上がり、思いの外しっかりとした足取りで、扉へと向
かった。その後を追う白い老人の姿と共に、その姿はあっという間に消え去った。