蛍を花弁の中に含んで、青白く光る花が、重たくなった蕾をふらふらと揺らしている。その光景
 の合間合間に、降りた三人の人影が見えて、神秘的な空間が酷く即物的なものに感じられた。
  花は、列車の窓の、すぐ傍にまで咲き誇っていたが、サンダウンにはそれに手を伸ばすのが躊躇
 われた。それはその中に、蛍という生命が入っている事に対して、生命特有の不気味さがあったか
 らかもしれないし、もしくは今も垣間見える三人の人影に興を削がれたからかもしれない。
  いずれにせよ、サンダウンは窓を開けて身を乗り出せば届くであろう花には触れなかったし、マ
 ッドも同様であった。
  ただただ、ほんやりと葉巻を燻らせながら、蛍が蕾に入っている所為で、蛍の動きに合わせて揺
 れている花を見ていると、列車が鋭い汽笛を上げた。
  どうやら出発らしい。
  だが、あの三人はまだ乗り込む気配がない。
  かといって、彼らに声をかけるのはサンダウンの気が進まなかった。彼らが再び乗り込んできて、
 それでまた、彼らの鬱々とした三角関係を見る羽目になるのかと思えば、そしてあの縮れ毛の男が
 マッドの隣に座るのかと思えば、少々うんざりしても仕方のない事だった。
  マッドも同じく、彼らに声をかける気にはならないらしく、汽笛の音に少し顔を顰めながら、け
 れども先程と変わりなく葉巻を燻らせている。
  そして、誰かが如何なる手を講じる前に、列車は三人の男女を蒼褪めた花畑に置き去りにして、
 がくがくと機体を軋ませながら、ゆるゆると動き始めた。




  痕跡





 「あの三人、残り二人は聞いた話だけの判断になっちまうが、あんまり俺の好みの人間じゃねぇな
  ぁ。」

  女も、男も。
  そう呟くマッドは、窓べりに肘をついて、葉巻を吸い込んだ後の煙を吐き出している。独特の匂
 いのする葉巻の香りは、マッドが好んで良く嗜んでいるものだった。
  マッドの言葉に、サンダウンは特に反応は示さなかったが、内心では、そうだろうな、と頷いて
 いた。 

 「まあ、蓼食う虫も好き好きだろうからな、ああいう男や女が良いっていう奴もいるんだろうな。
  俺は、過去を清算できねぇ女も、それに口出しする男も、ずるずる引き摺る奴も、全部嫌いだけ
  どな。」  
 「……………。」

  サンダウンは、沈黙した。
  サンダウンは人目から逃げるようにして賞金首という人生を送っている。賞金首となった時に、
 過去の自分とは決別したつもりだった。だが、それを思い出さないかといえば嘘になるし、銀の星
 の夢は今でも頭上に輝いている。
  過去と決別したのではなく、むしろ過去から逃げているのではないか、そう思う時が多々ある。
  それは、マッドの言葉を借りれば、過去を清算できていない、ずるずる引き摺っている、という
 事になるのだろうか。
  一方でマッドは、過去というものを感じさせない。
  勿論、その立ち振る舞いから想像を掻き立てるものはあるのだが、マッド本人が過去について悩
 むような素振りを見せたり言及したりする事はない。
  それは単にサンダウンが知らないだけなのかもしれないが。
  だが、目の前のマッドは、いつものように葉巻を燻らせているだけで、それ以上の何かを窺い知
 る事は出来ない。
  その時、がらりと扉が開いて、サンダウンの思考は中断を余儀なくされた。
  いい加減、この扉には鍵をかけてしまっても良いんじゃないだろうか。
  先程から入れ代わり立ち代わり開いては誰かが入ってくる扉に、サンダウンがむっつりとしてい
 ると、扉を開けて入ってきた人物――それは先程までの人影とは打って変わって、背が高くがっし
 りとした体型の男だった。
  年齢は、サンダウンよりも年下で、もしかしたらマッドよりは年上かもしれない。ただ、肩で風
 を切るような威圧感が、男の年齢を感じさせないものにしていた。

 「おう、すまねぇ。部屋を間違っちまったようだ。」

  男は部屋にサンダウンとマッドがいるのを見ると、少し驚いたようだった。一瞬、その巨躯を硬
 直させ、荒っぽいが謝罪を口にする。
  それに対して、マッドが構わない、というと、見た目には相応しくないのだが、安堵したようだ
 った。

 「すまねぇな。なんせ、こういう列車は初めてなもんでな。切符だけ渡されても何処に席があるの
  か分からねぇ。」

  困ったような、少し照れたような口調で、けれどもぶっきらぼうに男は話す。確かに、慣れない
 人間には列車の切符というのは分かりにくいかもしれない。それに、この列車には懇切丁寧な車掌
 もいないらしく、どうやら何処かに引き籠っている車掌だけがいるようだ。
  サンダウンも、マッドがいなければ少し迷ったかもしれない。
  そう思ってから、そういえば切符は何処にやっただろうか、とサンダウンは微かな不安が持ち上
 がってくる。サンダウンは、自分の切符を見ていない。
  だが、不安はすぐに消え去る。
  つまり、マッドが持っているのだろう。
  安心する場所を見つけたサンダウンを余所に、マッドはひょこ、と席から立ち上がって困惑気味
 の男に近寄った。そして、男の切符を見せるようにと言っている。
  どうやら、気紛れではあるが基本的には面倒見の良いマッドの気質が、むくむくと持ち上がって
 きたのだろう。男の手にある緑色の切符を覗き込んで、ふんふん、とそこに書いてあるであろう座
 席番号を読んでいる。

 「7番の窓側って書いてあるけど、どの車両かが滲んで読めねぇな。」

  一等車なのか二等車なのか分からない、というマッドは、しばらく思案するように視線を空に彷
 徨わせていたが、すぐに何かを思いついたように頷く。

 「俺が車掌に聞いてきてやるから、あんたそこで座って待ってな。」

  言うなり、マッドは扉を開けて、サンダウンを残して車掌を捜しに出て行ってしまう。残された
 サンダウンには、目の前にどっかりと座りこんだ男がいるだけである。

 「すまねぇな。」

  男の言葉に、それは別にサンダウンに言うべき言葉ではないだろう、と思い、その旨をぼそぼそ
 と告げた。すると、男は、ふむ、と頷く。

 「あんたの子供か、あの男は。」
 「違う。」
 「だろうな。年齢的に考えても違うだろうな。」

    とんでもない事を言われたので、サンダウンがきっぱりと否定をすると、男もあっさりと頷いた。
 そして、何かを懐かしむかのように、或いは悼むかのように呟く。

   「あんたらがどういう関係かは知らねぇが、俺にも、あんたらくらいの年の離れたガキの知り合い
  がいてよ。こうして置いてきちまったが、やっぱり心配なもんは心配だな。本人は一人前のつも
  りかもしれねぇが、まだまだガキだからな。」

     そう一息に告げてから、男は少し沈黙した。
  だが、やがて何かを決心したかのように、サンダウンを見据えると吐き捨てた。

 「つっても、俺もまだまだ一人前にもなれてねぇ。何せ、そいつの父親を殺した事を、結局俺の口
  からは言えず仕舞いだったんだからな。言えねぇのならせめて墓場に持っていくべきなんだろう
  が、それさえも出来ねぇ。」

  唐突な、しかもサンダウンには何の事かも分からない告白に、サンダウンは反応に困った。だが、
 年下の知り合いの父親を殺した事を延々と引き摺るという事に、

 「……ずっと引き摺っていたというのか?」

  清算もせずに、ずるずると。
  すると、男はぐっと眉間に力を込めた。

 「清算なんか、出来るわけがねぇ。」

    人を殺したという事は。
  例え清算出来たのだとしても、恐らく腹の底からそれを望む事は出来ない。罪とはそういうもの
 だ。真に罪に対して向き合うならば、猶更。
  それに対して、サンダウンは、そうかと答えるしかない。望んで過去を清算しない場合もあるの
 だ、と。
  こういった場合についても、マッドが冷やかな視線を向けるのか否かは、サンダウンには判断で
 きなかった。マッドが何を良とし、そうとしないのかサンダウンには今だに分からない。

 「分かったぜ。」

  黙り込んだ個室の中に、扉が開く音とマッドの声が響いた。緑の切符を握りしめて戻ってきたマ
 ッドを見て、男は立ち上がる。男に切符を手渡しながら、マッドは車掌に聞いてきたという言葉を
 並べる。

 「あんたは二等車だ。この車両のすぐ後ろの車両だな。そこの7って番号が書いてある列の窓側が
  あんたの席だ。」
 「そうか、わざわざすまねぇ。ありがとよ。」  
 「構わねぇよ。」

  男の礼に、マッドは手をひらりと振る。そんなマッドを一瞥し、男は出て行った。