老人が去った後、しばらくの間閉じられた扉をサンダウンは見ていたが、やがて気になっていた
事を聞いた。
「何故、扉に鍵をかけない?」
サンダウンの問いかけに、マッドはちょっと首を竦めてみせる。
「ほとんど人は乗ってねぇみたいだったからな。それに、俺らはずっとこの部屋を離れねぇんだし。
鍵なんかかけなくったって平気だろ。」
列車の人気のなさはマッドも気づいていたようだ。けれども、列車にあるあちこちの部屋には煌
々と明かりがついており、随分と無駄な事をしているようにも思えた。
だが、そんなサンダウンの疑問に対してマッドは飄々と答える。
「別に、この灯りは乗ってる人間の為のものじゃねぇだろ。遠くからでも列車が動いてる事を知ら
せる為に点けてんだろ。なにせ、真っ暗で動いてたら狼の群れやらが突っ込んでくるかもしれね
ぇし、偶々移動中だったカウボーイが突っ込んでくるかもしれねぇ。」
「……だが、列車強盗もおびき寄せるだろう。」
そう言えば、マッドは再び首を竦めた。
「そりゃあ、良い事尽くしじゃあねぇだろうよ。」
ポラリス
老人が出て行ってからしばらくした後、突然列車が停まった。それこそ、マッドが言う狼の群れ
だとか、カウボーイだとかが、突っ込んできたのかと思うほど唐突だった。最悪の場合は、列車強
盗である。
唐突な停車に少し前につんのめったサンダウンは、そんな事を想定していたのだが、けれどもサ
ンダウンの想定は、ひたすらに消極的なものであったらしく、実際は単純に停車駅に辿り着いただ
けのようだった。
青白い街灯がぽつぽつと並ぶだけの停車駅を見て、サンダウンはもう少し丁寧に停車出来ないの
か、と思ったが、列車にそんな事を期待しても無駄である。
それにしても、と白々と寒々しい停車駅のプラットフォームを見て、サンダウンはその人気の無
さに少しだけ不安な物を感じた。
いくら夜とはいえ、こんなにも人気がなくて良いのだろうか。それとも、この列車はそういう駅
にしか停まらないのだろうか。ゴールド・ラッシュの波が過ぎ去ったような、寂れた駅にしか。そ
れとも昼間はもっと賑わっているとでも言うのだろうか。
サンダウンが思っていると、それを否定するかのように通路からたった今乗ってきたのではない
かと思われる人の、賑やかな声が聞こえてきた。少なくとも二人以上はいる声に、どうやら、それ
でも、ぽつぽつと乗り込む人間はいるようだ、と思う。
わいわいと騒ぎながら通路を横切って行き、どうやら別の車両に乗り込んでいくらしい人の声と
足音を追いかけて、サンダウンは列車が停まる時に前のめりになっていたままだった身体を元の位
置に戻し、ぼすっと座席の背凭れに凭れた。
だが、列車に乗り込んできたのは、サンダウンが見る限りはその人の声だけだったらしい。
列車は鉄錆びた音を立てて、蒼褪めた列車を取り残して再び、停車した時とは対照的に、ゆっく
りと軋むように動き始めた。ただし、揺れの具合は停車する時と比べて対して変わらない。
ぎじぎしと揺れる列車を背中に感じつつ、サンダウンは空に散らばる星を眺める。
星の数は、とうの昔に運河を越えてしまったので既に半分に戻っている。
だが、ちらりと行く先を見れば、遠くのほうでなにやらちらちらと光り揺れているものがある。
青く揺れる光が近づく様子を、額に顔を押し付けるようにして眺めていれば、マッドが良い歳した
男のそんな様子を呆れたように見て言った。
「んなことしなくたって、逃げたりしねぇよ。」
「………なに?」
サンダウンが何を見ているのか、そしてそれが一体何者であるのか知っているような口ぶりだ。
「花だよ。」
あっさりとマッドは答えた。
「この時期、花の蕾の中に蛍が紛れ込むのさ。そいつが光ってるんだ。あんまり知られてぇねが、
それを見ようっていうんでこの列車に乗る奴もいる。」
「花の中に蛍が紛れ込むなんて事があるのか?」
「そんな事言われても、実際に起きてるんだから仕方ねぇだろう。あの近くで列車は一度停車する
みてぇだから、試しに確認してみたらどうだ?」
「勝手に取っても良いのか?」
「誰が管理してるわけでもねぇ。かまわねぇんじゃねぇのか。」
なんとも適当な話だ。
しかも花の為にわざわざ列車が停まるとは。もしかしたら、この列車はそういう趣味の為の列車
なのかもしれないが。
サンダウンが再び奇妙な気分に陥っていると、ばたばたと通路を誰かが走る音が聞こえてきた。
どうやら、先程列車に乗り込んできた声が消えた車両のほうから聞こえてくる。何やら戸惑うよう
な、焦り縺れるような足取りと、あちこちの扉をガタガタと鳴らしている音にに顔を顰めていると、
案の定、扉が唐突に開いた。
がらりと音を立てて、息を切らせていたのは、黒く長い縮れ毛を後ろで一括りにした若い男だっ
た。
扉を開いた男は、少しばかりばつの悪そうな顔をしたが、しかしそれでもサンダウンとマッドの
いる部屋の中に入ってきた。
「申し訳ない……少し匿って貰えないでしょうか?」
物騒な台詞を吐く男に、サンダウンが顔を顰めていると、それを読み取ったのか男は慌てて、そ
ういう危ない話ではない、と訴える。
「別に何かに追われてるわけじゃ……いや、追われてるのかな。別の部屋にいたのだけれど、そこ
は酷く居心地が悪くって。他の部屋は誰もいないのか鍵が掛かってるから。」
しどろもどろな男の台詞に、マッドは、そういえばこの列車に乗ってから初めての葉巻を口に咥
えながら答えた。
「かまわねぇけどな、俺は。」
ぞんざいなマッドの言い分に、男はありがたいと心底安堵したように呟いて、マッドの隣に腰掛
けた。
そして、マッドとサンダウンを見比べると、
「お二人は、友人か何かですか?」
「違う。」
きっぱりと言い放ったマッドに、男は一瞬面食らったようだったが、すぐに力ない笑みを浮かべ
た。
「良いですね……そうやって面と向かってはっきりと言えるっていうのは。僕には真似出来ない。」
「事実を言っただけだ。つーか、友人同士じゃなかったら個室で一緒になってはいけないっていう
決まりがあるわけじゃねぇだろう。」
「それは、そうなんですけれど、僕の場合は他の二人――個室にいるのは僕の他にもう二人いるん
ですけれども――彼らの邪魔者でしかないですから?」
気弱な台詞にマッドは、口から葉巻を離し、恋人同士の中にでも紛れたか、と言った。それに対
して男は力なく頷いた。
「そんなもんです。それに、反りも合わない。一緒に苦労した者同士、もしかしたらなんとかなる
かもしれないと思ったんですけれど、やっぱりどうしても無理なものは無理みたいです。」
窓の外の近づく、中に蛍を入れているのだという花の光を見つめながら、男の眼には酷い諦めと
疲れが浮かんでいた。
「あの光……あれは彼女が見たがっていた花なんです。僕も、楽しみにしてたんですけど。」
「彼女ってのは、あんたを邪魔者扱いしてる奴の一人か?」
途切れるような笑みが、答えだった。
それに対してマッドは、くだらねぇ、と呟く。
「あんたには悪いけど、俺ならそんな奴らとはさっさと縁を切るな。」
「僕も、そうしようと思いました。でも、出来なかった。努力しても出来ないんです。」
「何ぬかしてやがる。背を向けるのは一瞬で出来るだろうが。何処にもいけない、なんてのはただ
の言い訳だぜ。」
女が見たがってるから、花を見に行くだなんて。
それとも、自分が楽しみにしていた花を見に行く為に、女を出汁にしたのか。
「わざわざ、三人でつるむ事ねぇんだ。一人で行けばいいんだ。花を見るのも、星を見るのも。」
「あなたは、一人じゃないから……!」
息を殺したような声で男が叫ぶのと、列車が停まるのは同時だった。窓の外は青白い光で溢れて
いる。どうやら、件の花の群生地に辿り着いたらしい。
そして、通路を姦しい声が通り抜けていく。これが、きっと男の口にしてた、残る二人だろう。
耳を塞ぎたくなるほどの黄色い声に、マッドが好む女の声ではないな、とサンダウンは思う。そし
て、目の前の縮れ毛の男とマッドの道が重なり合う事も、今後ないのだろう。
女の姦しい声を聞いた途端、男の身体が微かに硬直した。その硬直は、女の声が列車から消え去
るまで続いた。
静寂が戻った一等車両の個室では、男の縮れ毛が、微かに震えていた。
そして、唐突に赤い座席から男が立ち上がる。
きゅっと床を鳴らして立ち上がった男は、もはやマッドの方など見向きもせずに、そして一言の
言葉もなく扉を開くと勢いよく叩き付けるように扉を閉めた。けたたましい音を立てて扉が閉まっ
た後、その余韻に重なるように男が通路を駆けていく音が聞こえる。
そしてしばらくして、青白い花畑の間を、突っ切っていく男の姿が。
途中、立ち止まり、距離を保ちながら、恐らく窓越しでも分かる姦しい女の様子を眺めている。
「……あんた、降りなくても良いのか?」
葉巻を指先で弄ぶマッドの問いかけに、サンダウンは首を横に振った。
「結構だ。」
あの蒼褪めた花畑は、それはそれは幻想的なのだが、しかしあの三人がいる限り、それらはあま
りにも興を削がれる事だろう。
サンダウンの答えに、マッドはふん、と鼻を鳴らす。
「俺なら、あの中に銃弾撃ちこんで、花の中に入ってる蛍を全部飛び立たせてやるがね。」
そして残るのは、途方に暮れた三人だけだ。
それを実現するかのように、列車が汽笛を鳴らし、出発を告げた。彼らを乗せないまま。