サンダウンはとりあえず、一人で酒瓶を傾ける。
  処女航海をする船は、その前に船べりで酒瓶を割るという伝統があるが、しかしこれは別に列車
 には当て嵌まらないだろうし、それにこの列車は初めて運行されるわけでもなさそうだった。
  そもそも、新しい列車なんてものはそう簡単には作られない。大体、アメリカに列車が出来た事
 自体がここ数年の事で、作られた当初は列車の増設はあっただろうが、今ではそんなに簡単には増
 えたりはしないだろう。
  まあ、鉄道会社は一定の収益を上げているようなので、新しい列車が作られないという事は、絶
 対に有り得ないという事はないだろうが、けれどもサンダウンが乗っている列車は、床もカタカタ
 と軋んでいるし、窓枠も少し汚れているようだから、きっと新しいものではない。
  サンダウンはそんな事を思いながら、時折前の座席に座っているマッドの様子を窺いながら、窓
 の外を眺めていた。




  海の始まる徴





  サンダウンがちらちらとマッドの様子を窺っているのと同じく、マッドもサンダウンの様子を窺
 っていたらしい。サンダウンが窓から視線だけを動かしてマッドを見た時と、マッドが手元から顔
 を上げた時がちょうど重なり合って、二人の視線がぶつかった。
  思いもかけなく目が合った所為で、マッドは何だか酷くばつが悪そうな表情でサンダウンから視
 線を逸らした。
  その様子が、いつものマッドらしくなく、サンダウンは妙な気分になった。
  確かに、こうして二人で向かい合って顔を合わせるという事はない。いや、あったとしてもそれ
 は決闘の時くらいだ。銃越しではなく直にマッドを正面から見据えるのは、もしかしたらこれが初
 めてかもしれなかった。
  そしてそれは、マッドも同じなのだろう。
  だが、確かにこれまでになかった事かもしれないが、だからといってマッドがばつが悪そうにし
 ているという状況は、やはり考えられない事だった。
  いつもなら、サンダウンが傍にいるだけで吠える犬のように騒ぐのに。
  具合でも悪いのだろうか、と、少しばかり間違った方向の心配をするサンダウンを余所に、マッ
 ドはむっつりとした表情でサンダウンから依然として眼を逸らし、今までサンダウンが見ていた窓
 の外を眺め始めた。
  窓の外は相変わらず暗く、朝はまだまだ来ない事を示している。空には煌々と星が煌めいて、か
 らからと笑っているようだった。
  その星々が、突如として増えて、視界が完全に星の光で埋まってしまった。
  一瞬、ぎょっとしたが、それはどうやら巨大な橋に列車が乗り上げ、広い広い運河を渡ろうとし
 ている所為だった。運河に星の影が映り、星の数が増えたような気がしただけだったようだ。

 「海が近いみてぇだな。」

  サンダウンから眼を逸らしているマッドが、ぽつりと言った。
  その台詞に、サンダウンはゆっくりと頷いた。マッドの言うとおりだった。広い運河はその流れ
 る先に海がある事を示している。この鉄橋の下を渦巻く波には、塩の味が混ざり始めているに違い
 なかった。
  窓べりに肘を突いて、頬杖をついているマッドをちらりと見ていると、視線に気づいたのか再び
 マッドがサンダウンを見て、ふい、とやはり視線を逸らした。

 「……なんだよ。」

  サンダウンの視線に対しての台詞だろうが、そう言われてもサンダウンも困る。サンダウンはた
 だ単純にマッドを見ていただけで、それに対して特に理由はない。
  そもそも、銃越しに見ていないというだけで、そこまで戸惑わなくても良いのではないか。
  らしくないマッドの様子に、サンダウンも戸惑っていると、マッドはふと思いついたようにサン
 ダウンを直視した。ぎくりとするほど黒い眼差しは、けれども次の瞬間サンダウンの戸惑いやら懸
 念を吹き飛ばすような台詞を吐いた。

 「もしかして、腹が減ってんのか。」
 「…………。」

     ずるりとそのままずり落ちたくなった。
  が、マッドは一人で納得している。

 「そうだよな。あんた意地汚いもんな。腹が減ったら俺にたかろうとするのは当たり前だよな。だ
  からずっとこっちをちらちら見てたんだな。」
 「……………。」

  色々な所にに抗議したかったが、言ったところで無意味なのは経験上分かっているのでサンダウ
 ンは黙っている事にした。
  沈黙したサンダウンの目の前で、マッドはもぞもぞと荷物袋を漁ると何かの包みを二つ取り出し
 た。濃厚なソースの匂いがするそれは、腹が減っているわけでもなくとも食欲をそそった。
  ほい、と手渡されたそれを受け取って、中を見ればパンで肉と野菜を挟んだ物体が入っていた。
 肉にはたっぷりとソースが掛かっている。
  マッドもぺりぺりと包みを取って、件の物体に食いつこうとしている。もしかして、マッドも腹
 が減っていたんじゃないのか。
  個室にソースの匂いが立ち込めた状況で、サンダウンはこの匂いは、列車の通路や隣室にまで届
 いているのではないのか、と心配にもなったが、列車には相変わらず人の気配がないので、まあ良
 いか、と思う事にした。
  そんなわけで、サンダウンも多分サンドウィッチと思われる物体に食いつこうとした時、今まで
 ぴくりとも音を立てなかった個室の扉が、音を立てて開いた。
  がらりと開かれた扉の向こうには、しかし立っていたのは一番考えられる車掌などではなく、肌
 も露わな少女だった。ちょうど少女から女に変わる途中の身体は、丸みを帯びており、しかもきわ
 どい部分だけを隠しているという姿で、サンダウンは眼を丸くした。
  まるで、インディアンの中でも最も古く原始的な暮らしをしている部族のような姿だ。そして、
 そんな人間が一等席の個室に現れる事はまず、有り得ない。例えば何処かの貴族が戯れに買い取っ
 たか、或いは白人貴族に見初められて婚姻を結んだか。
  そう考えたのは、少女の顔立ちが美しかったからだ。白人の中にはインディアンと婚姻を結ぶ者
 もいて、別にそれ自体は滑稽な事ではない。ただ婚姻を結んだ後も、インディアンの部族特有の恰
 好をさせるというのは考えにくい。
  しかしサンダウンの疑念など興味がないかのように、少女は形の良い鼻を蠢かせると、サンダウ
 ンとマッドの手に持っているサンドウィッチに視線を向けた。なお、マッドはちょうどサンドウィ
 ッチにかぶりついている真っ最中だった。
  だが、少女にとってはマッドがそれにかぶりついている事が一番の関心事であったらしい。
  少女はマッドに擦り寄る、というか思いっきり迫ると、マッドがかぶりついているサンドウィッ
 チに自分の顔を押し当てようとしたのだ。
  さて、あられもない恰好の少女に迫られた――というか恐らく、サンドウィッチをたかられてい
 る――マッドはといえば、平然とかぶりついたサンドウィッチを噛みちぎり、唇についたソースを
 赤い舌で舐めとっていた。

 「なんだよ、欲しいのか?」

  少女のあられもない恰好など意に介さないのは、流石といったところだろうか。それとも、ふん
 ふんと獣じみた様子で匂いを嗅いでいる少女を呆れているのか。
  どちらともサンダウンには判断できなかったが、マッドは少女にかぶりついていたサンドウィッ
 チを手渡している。
  手渡された少女は、美しい顔に満面の笑みを浮かべて、すぐさまマッドが食いついていた部分に
 かぶちついた。
  サンドウィッチは猛烈な勢いでなくなり、少女は名残惜しそうに手についたソースを舐めとって
 いたが、マッドにもう一度満面の笑みを見せると、ひらりと座席から飛び降りて、現れた時と同じ
 くらい唐突に駆け去って行った。
  がたん、と音を立てて閉まった扉を見た後、マッドはサンダウンを見て、ふんと鼻先で笑う。

 「あんた呆れてるみてぇだが、普段のあんたもあんな感じなんだぜ。飯をたかる時とか、特に。」
 「……………。」

    つまり、少女のあしらい方は、慣れの賜物だとでも言いたいのか。
  サンダウンは反論しようと考えたが、面倒になったので止めた。代わりに、かぶりつこうとして
 いたサンドウィッチを無理やり半分に割ると、片方をマッドに放り投げた。