眼が覚めた時、サンダウンは荒野の乾いた砂の上に倒れていた。
西部のどの辺りなのか、ど真ん中なのか一番端なのか、それは分からないが、とにかく乾いた砂
の上で、ぼんやりと眼を開いたのだ。
頭上では今にも降り落ちてきそうな星と、それを背後に艶やかに眼を濡らしている自分の愛馬が
サンダウンの顔を見下ろしていた。
愛馬の静かな眼を見ているうちに、記憶の隅に埋もれている遠く、一体何処の世界で起きたのか
分からない、名前も聞いた事のない病める王国での出来事と、その王国に蝕まれた一人の青年の事
を思い出した。
サンダウンは、あのくすんだ、命と時のない国から帰ってきたのだ。
長い長い、夜の道を辿って。
煉獄の炎を飛び越えて。
焼き焦がすもの
悲しい色をした国の事も、その国にたった一人で降臨した魔王の事も、しかしサンダウンの琴線
に触れはしなかった。
サンダウンが本気で思い出し、そのまま二度と目覚めたくないと思ったのは、あの意味のない国
に行くよりも前の事、そしてその国から戻ってくる時に辿った、銀河の上を走った鉄道の事だった。
薄暗いルクレチアという、何処にも拠り所のない国に行く前に、サンダウンは一人の美しい獣を
撃ち落した。
貪欲な渇いた大地に倒れた伏した身体からは、とろとろと赤い血が流れ出して、それを嬉々とし
て砂が飲み込んでいった事を覚えている。
そしてその結末を、サンダウンは知らない。
倒れた青年の身体の行く果てがどうなるのか、サンダウンには見届ける勇気がなかったのだ。
撃ち落したのはサンダウンだ。
けれども、そんなつもりは、いや、彼を撃ち落す覚悟など出来ていなかった。
名前も知らない賞金稼ぎなら、ならず者だったなら、砂を振り払うようにして覚悟も何も決めず
に撃ち落しても、何も感じなかっただろう。その最後を見届ける云々についても、考えもしなかっ
たはずだ。
だが、彼は、マッド・ドッグは違う。
サンダウンはマッドの名前も――例えそれが通り名でしかなかったとしても――知ってるし、彼
の声も覚えている。どんな時に不機嫌になって、機嫌のいい時の顔色も知っている。銃を扱う手が、
信じられないほど繊細である事や、その声が音楽的な響きをしている事も知っている。
知っている人間を撃ち落すのには、信じられないほどの覚悟がいるのだ。
しかしサンダウンは、覚悟もしないままに撃ち落した。そんなつもりはなかったのだ、と言って
みても、マッドの身体から流れる血は止まらないし、サンダウンにはそれを止める術はない。放っ
ておけば、勿論マッドは死んでしまう事は分かっていたから、近くにいた医者に押し付けて、けれ
どもその命の果てがどうなるのか見届けるだけの勇気もなく、サンダウンはそのまま荒野に飛び出
してしまった。
助かればいい。
サンダウンが出来る事と言えば、マッドの影も形もない荒野で、いるはずもない誰かに、そうや
って祈る事だけだった。
サンダウンには、マッドの死を受け入れる事など、出来るはずがない。
だから、マッドを預けた医者の所になど、この先二度と行けるはずもなかったし、それどころか、
マッドの死の噂すら聞きたくなかったものだから、ふらふらと荒野を彷徨い続けた。
そこを、何かに、絡め取られたのか。
尤も、サンダウンは、あのねっとりとした憐れな国から戻って来る事が出来たけれど。
けれど。
戻ってくる時に辿った、あの路線。
夢は希薄なもので、眼が覚めれば何処かに吹き飛んでしまって、その残滓も少しずつ薄れていく
ようなものだけれども、サンダウンはたった今まで見ていた夢――もしかしたら半分以上は夢では
ないのかもしれない――を覚えていた。
そして、吐き気を催す。
絡め取られたくすんだ色をした国は、純粋にその存在そのものが、そしてそこに住まう人々も、
サンダウンの過去を見せつけられているようで吐き気を催したが、しかしそこから脱出する際に見
た列車の夢は、サンダウン自身の仕出かした事実が如実に現れていて、吐きそうになったのだ。
あの、人気のない列車に乗っていたのは。
今だからこそ、はっきりと断定できる。あれは死んだ魂が犇めき合う列車だった。それに乗って、
生きている人間であるサンダウンは、降りるべきところで降ろされたのだ。
だが、それならば、マッドは。
彼は何故、あの列車に乗っていたのか。それが意味するところなど一つしかないではないか。サ
ンダウンが最も恐れて、行く末を見届けられなかった事実。眼を閉じて耳を塞いで荒野に逃げ出し
た理由。
マッドは、もう、この世にいない。
それを認めない為に、流れる血の最期を見なかった。誰にも合わなかった。荒野で一人ぽつねん
と佇んでいた。
しかし、マッドはそれを許さなかった。
くすんだ世界から帰ってくるサンダウンを、もしかして迎えに来たつもりなのか、サンダウン一
人だと道に迷うと苦々しく思ったのか、マッドは世界と世界の断崖を渡って、サンダウンを列車に
乗せ、そしてサンダウンを一人降ろしていった。
でも。
サンダウンは、一人で列車を降りたのではない。
あの時、確かにサンダウンはマッドの手を握りしめていた。片手に、炎の灯ったランプを抱えて、
赤い炎を潜り抜けた。
少なくとも、サンダウンの身体が燃やし尽くされるまで、サンダウンはマッドの手を最後まで離
さなかった。マッドの身体は他の誰かに奪われたりしなかったし、ランプの炎も消える事なく煌々
と輝いていた。
その後、どうなったのだろうか。
それとも、やはりあれらは全て夢だったのだろうか。
本当に、ただの夢であるならば、サンダウンはまだ救われる。マッドの死の影に怯えながらも、
けれどもマッドの天秤が生と死のどちらに傾いたのかを知らずに、ただただ震えていれば良いのだ
から。
だが、もしも夢ではないのならば。民族伝承の類にあるような、夢見が本当にあるのならば。
あの後、どうなったのか。サンダウンが燃え尽きた後。マッドは。
マッドは、あの瞬間に、何を、言っていた?
マッドは。
「仕方のねぇおっさんだな。」
あんたは本当に。
通り抜ける風よりも素早く、耳に言葉が吹き込まれた。
真っ青な眼を大きく見開いて、全身から溢れだした汗が眼に入るのも構わずに振り返れば、そこ
には顔色こそ悪いものの、皮肉っぽい笑みと苦々しい皺を眉間に寄せたマッドが、サンダウンを蹴
り飛ばしそうな様子で立っていた。
「てめぇはこの俺様を馬鹿にしてんのか。やっと俺を撃ち落したかと思ったら、医者に連れて行く
とか何考えてやがるんだ。あれか、この俺様によりにもよって憐れみをかけようって言う魂胆か、
ああん?だが残念だったな、医者の治療代はこの俺が支払ったし、大体、医者もまだ動くなっつ
ったけど、動いてやったぜ。この俺様の命が、てめぇの思い通りに行くと思ったら、大間違いだ
ぜ。」
けけけけ、と笑うマッドの言葉を、サンダウンは半分以上理解できなかった。いや、マッド自身
妙に脂汗をかいているところを見ると、自分でも何を言っているのか理解せずに、とりあえずいつ
もの癖で舌先を動かしているだけなのかもしれない。
笑った所為か、或いは動き回った所為か、痛いとか言いながら胸を押さえるマッドを見て、サン
ダウンは少し慌てた。
が、サンダウンがとにかく手を貸そうと伸ばした手は、あっさりとマッドに振り払われてしまう。
「本当にしようのねぇおっさんだな、おい。人を撃ち落した後、医者に連れ込んで、しかも自分は
荒野のど真ん中で倒れてるなんざ、後追い自殺でもするつもりだったのかよ。笑えねぇ。」
熱があるのだろうか、少しばかり潤んで見えるマッドの眼は、けれども力強くサンダウンを射抜
いた。
その視線に、マッドからは一切の死の匂いがしない事に気づき、サンダウンは安堵する。そして
マッドよりも自分の方が死の匂いに囚われている事に。
サンダウンの手を振り払ったマッドの手が、サンダウンの胸ぐらを弱々しく、けれどもはっきり
と生命の彩を持って掴む。
「いいか、良く聞けよ。てめぇが俺を殺そうがどうしようが俺は構わねぇけどな。俺が死んだ後、
俺以外の誰かに殺されたり、勝手に死んだりする事は許さねぇからな。」
そんな事を言われても、とサンダウンは思う。
それを言うなら、とも。
マッドが死んでしまったら、きっとサンダウンは生きている意味がなくなるのだろうから。マッ
ドが生きている限り、サンダウンも生きていけるのだろうから。
だから、きっとこれからはサンダウンはマッドの望むように、マッドを撃ち殺す事は出来ないだ
ろう。
あの赤い炎を潜った時に、サンダウンの炎とマッドの炎は交じり合ってしまった。それとも、サ
ンダウンを焦がしつくした炎は、ランプの中に灯っていたマッドの焔だったのだろうか。
いずれにせよ、この先、混ざり合った炎が別箇になる事は不可能だ。
掴まれた胸倉の向こう側で、マッドの眼が信じられないほど綺麗に瞬くのを見て、サンダウンは
心底、その事実に気が付いて安堵した。