何を馬鹿な事を、とサンダウンは思った。
此処まで一緒に列車に乗って旅をしてきて、サンダウンだけ次の駅で降りろとはどういう意味な
のか。
確かに、切符の手配から何から何までマッドに任せていたのはサンダウンが悪い。
しかし、だからと言って、こんな所で置き去りなんて酷いんじゃないのか。
そもそも、最初にこの列車に乗った時だって、一緒に列車旅行をするという名目だったはずだ。
それなのに、何故、いきなり離れ離れにならなくてはならないのか。
だったら、サンダウンだって、最初から列車に乗ろうとなんてしなかった。
だが、そこまで思ってサンダウンはふと気が付く。
自分は、一体いつ、マッドと列車旅行をする話なんてしただろうか、と。賞金首と賞金稼ぎであ
る自分達が、そんな話をする事なんてあっただろうか、と。それに、自分はこの列車の切符も見た
事がなければ、この列車の行先も知らないのだ。
いや、そもそも、自分はいつ列車に乗ったのだろうか。
悉くが曖昧の向こう側に過ぎ去っている現状に気が付いたサンダウンは、何一つとして自分の手
元に残っていない状況に、愕然とした。
悪魔の眼
途方に暮れたサンダウンに追い打ちをかけるように、列車は唐突に止まった。
先程、マッドの肩越しに見た窓の外では、燃え盛る赤い炎が遥か遠くに留まっているように見え
たのに、いつの間にか列車は赤く染まる闇の裾にまで到達していたらしい。
誰もいない、けれども誰もに注視されているように見える駅の向こう側では、燦々と赤い光が夜
の帳を今にも捲り上げようとしている。
不機嫌な金属音を立てて止まった列車は、がくがくと震えながら、けれども誰も外に出そうとは
しなかった。
いや、誰もが出ようとして、けれども不思議な事に誰も出る事が出来ないのだ。
あの、赤い炎の元には。
「さあ。」
マッドが燃え立つ炎のように優雅に立ち上がり、サンダウンに個室の扉を指示した。サンダウン
と比較すれば、折れそうに繊細な指先が、しかし断固としてサンダウンの退出を命じている。
「降りろ。この先は、あんたの切符じゃ行けねぇぞ。」
マッドが放っているとは思えないほど硬い口調に、サンダウンは途方に暮れながらも譲れないと
言わんばかりに首を横に振った。
「私は、そんな事は、聞いていない。」
「ああ、俺も言ってねぇからな。でも、実際にこれ以上あんたは先には進めねぇんだ。」
それはまるで、サンダウンの人生のよう。
何処にも行けず、されど逃げ惑うしかないサンダウンのこれからの人生を、他でもないマッドに
言い当てられたようだった。
その瞬間に、鋭い空洞が腹腔を貫いたような気がしたサンダウンを、けれどもマッドは容赦なく
追い立てる。
出ていけ、と指差してその手で優美にサンダウンを扉に向かわせる。
何一つとしてサンダウンに持たせないで。
「降りる準備が。」
サンダウンは、辛うじてマッドに抵抗してそう言った。
すると、マッドは怪訝そうに顔を顰めた。それもそのはず、サンダウンは、思い起こせば奇妙な
事に何一つとして荷物を持っていないからだ。サンダウンも、そう言い放ったのは抵抗感からくる
もので、実際に荷物なんて何処にもありはしないのだ。
それでも、そうでも言わなければ、本当に今すぐにでも追い出されかねなかった。いや、荷物が
ない以上、遠からず追い出される事は眼に見えている。
だからサンダウンはマッドの手を振りほどいて、ごそごそと有りもしない荷物を纏めるふりをす
る。
だが、いや、実際に一つだけサンダウンが持ち込んだものが。
それはサンダウンの荷物と言うよりも、行きがかり上拾ってしまったものだけれども。
川に帽子を落とした時に、帽子を被ってしまいその重みで沈みかけた蝋燭。そしてその蝋燭を守
る為に使ったランプ。それだけが、サンダウンが列車に持ち込んだものだった。
のろのろとそれを手に持ち、これ以上の時間の先延ばしは不可能だと渋々と、サンダウンを追い
だそうとしているマッドの前に再び行けば、マッドが、表情を凍り付かせているのが見えた。マッ
ドだけではなく、鬱金色の髪の青年も呆然としている。
何事かと思えば、彼らの視線は一様にサンダウンの手元――サンダウンの唯一の持ち物である蝋
燭の入ったランプを見ているのだ。
サンダウンとしては、ランプは自分の物ではないから、車掌に返さないといけないだとか、そう
いう言い分で少しでもごねて、列車を降りる時間を引き延ばそうと、そしてあわよくば、列車の待
ち時間が過ぎ去って再び列車が動き出せばと思っていたのだが。
尤も、マッドと鬱金の青年にとっては、そんなサンダウンの思惑などはどうでも良いようだった。
それよりも、サンダウンの手元で輝く蝋燭の灯りが。
「………なんであんたが、そんなもんを持ってるんだ。」
まるで凍える息を吐き出すかのように呟くマッドは、思わず後退りせんばかりだ。
七つの大罪全てを犯したかのように言われたサンダウンは、川に沈みそうだったから持ってきた
だけだ、と反論する。自分の帽子の所為で沈みかけていたから持ってきたのだと。決して盗むつも
りはなかった、と。
だが、マッドは食い入るようにランプの中の蝋燭を見つめ、何か力尽きたように膝を折って椅子
に座り込んだ。
「確かに、あんたしか触れないだろうけれど、なんでよりによって、その蝋燭を持ってきたんだ。」
呟くマッドの声は、サンダウンよりも途方に暮れていた。
何がいけない事なのか分からないサンダウンは、マッドが何についてそんなにショックなのかが
分からない。
二人して途方に暮れているのを、我に返らせたのは鬱金色の青年だった。
「こうしちゃいられない!」
手の中の蝋燭を地面に落として踏み躙ると、彼は扉に飛びついて、ぱっと扉の外を見ると、玩具
のように首をひっこめ、サンダウンとマッドを振り返った。
「急いでこの列車を降りて、あの光の真ん中を通って行くんだ。その炎に気づいた奴らが、もうす
ぐ此処にやって来る。その蝋燭を奪われたりしたら。」
青年の声に、不吉な物が入り混じった。
だからサンダウンは、その言葉を最後まで聞かなかった。それは自分達――自分とマッドにとっ
て、何か途方もない間違いが侵される響きを孕んでいたから、サンダウンはランプを片手に、もう
片手には荒野で生きるには信じられないほど繊細なマッドの手を掴んで、扉の前にいる青年を押し
のけて飛び出した。
青年もそうなる事を予見していたのか、扉を開いて自分は脇に避けて、二人を通した。
ただ、マッドだけが声を上げていた。
「おい、離せよ!」
だが、サンダウンはそんな声を聞き入れるわけにはいかなかった。今まで自分達がいた個室から
一歩踏み出すや、先程までは何でもなかった通路の奥やらそこかしこから、獣の唸りに近い呪詛と
も怨嗟とも言えない響きが染み渡ってきたからだ。
今まで何処にいるかも定かではなかった列車の乗客の視線が、一斉にサンダウンとマッドを射抜
いたかのような圧迫感を感じる。
通路の向こう側で、個室の扉の奥で、確かに誰かがこちらを見ている。
サンダウンが手にしているランプの光に惹かれたかのように。
それは、悪魔が人間の魂が堕落したその隙に、奪い去ろうとしているかのよう。
「蝋燭だ。」
「蝋燭よ。」
「燃え盛る炎がそこに。」
「どうかそれを。」
ざわめく声が引っ掻き回すのは、そんな言葉だった。かたかたと骨と骨がぶつかり合うような乾
いた声は、通路から細い手を伸ばして、扉を唐突に開いては虚空のような口をひらいて、サンダウ
ンとマッドを追いかける。
サンダウンには、当初それが一体何を言っているのか分からなかった。ただはっきりと分かるの
は、その声に立ち止まって、自分が手にしている何者かも奪われてはならないという事だけだった。
彼らは今、今まで静けさを保ち死んでいるかのようであった彼らは今、ひたすらに奪う為だけに
その存在感を発揮しているのだ。
そしてサンダウンは、何一つとして失うわけにはいかなかった。
蝋燭も、ランプの炎も。
「炎よ!生ける為の炎よ!あれがあれば、私達は元の世界に戻れる!まだまだ死にたくなかった、
生きていたかった。あの光があれば、私は!」
何が起きているのか、はっきりと分かった以上、ますます何一つとして奪われるわけにいかなか
った。
かさついた手の中で、誰のものか振り返らずとも分かる細い手は、特に。
マッドだけは、二度と奪われるわけには、失うわけにはいかなかった。
少なくとも、こんな一切の覚悟も出来ていない魂の只中に、マッドを置き去りにするわけにはい
かない。
そう。
マッドがサンダウンを置き去りにしたのではなかった。サンダウンが、マッドを置き去りにして
しまったのだ。
だから、これ以上不本意を重ねるわけにはいかない。