ヴィクトリア王朝の影響を色濃く受けたタウン・ハウスの中で、早々にサンダウンはマッドと引き
離された。
サンダウンは抵抗した。
激しくではないが、表立っては言えぬがマッドの保護者として、当然の責務として抵抗した。
が、マッドがそれを制したため、最終的にサンダウンは銃を引き抜くことなく、比較的穏便にマッ
ドの背中を見送る羽目になった。
と言っても、ここで銃を引き抜いて大暴れしたら、サンダウンの賞金首としての価値は、五千ドル
なんてものでは済まされなくなっていただろうことは、サンダウンと雖も重々承知している。それこ
そ、国を跨いだ犯罪なのだから、アメリカとイギリス両政府から追われることになるのは明白だった。
しかもこの時代、イギリスと言えばパスク・ブリタニカという言葉が生まれるほどに、世界の安寧
を担っていた存在である。アメリカが独立したとはいえ、アメリカが大国として世界の警察を名乗る
には、幾分時期尚早であった。
七つの海を制し、世界中に植民地を持つイギリスから、賞金首として眼を付けられるのはサンダウ
ンとしておもしろいはずがない。
もしも、これがマッドと再開する前の、死んだ魚のように砂地を食むだけの頃であったならともか
く、今はマッドを守るという重責がある。
この屋敷の中でピースメーカーを轟かせるのは、この居民がマッドに何かを仕出かしてから――で
は遅い、マッドに何かを仕出かそうという素振りを見せた瞬間だ。
そんなわけで、サンダウンは自分に背を向けて奥の扉に行ってしまったマッドの後姿を、しおらし
く見送った後、使用人の為の待合室のような場所に、ぽつんと放置されていた。
不潔ではないが、しかし肌寒さの残る部屋の中は殺風景で、しかも随分と目立たない位置に作られ
ていることから分かるように、とにかく使用人というものをゴシック調の屋敷の中でちぢこませてい
ようという考えが透けて見えた。
実際、タウンハウスではともかく、カントリーハウスでは、使用人用に壁の中に通路があったほど
である。
なので、サンダウンに対する扱いは、それほど酷いものではなく、使用人としては当然の扱いであ
った。しかしサンダウンは、マッドが連れてきた唯一の使用人である。家令ではないにせよ、執事と
いう扱いくらい受けても良いのではないか――要するに、マッドと早々に引き剥がされたことに、多
大なる不満を抱えていた。
そもそも、ここまでいきなり引き剥がされるとはどういうことなのか。
重要な話をする場――家系の後継のこと、遺産のことについて親族のみで話し合いをする場合なら
ば仕方がないと思う。その場においては、如何なる使用人も不要だ。
だが、マッドの唯一の使用人であるサンダウンは、少なくともこの屋敷にいる者達について、多少
なりとも知る権利はあるはずだった。時として――そんなことがあるかどうかはともかくとして――
マッドに、彼らの手紙やら伝言やらを言伝る存在として。
しかし、実際にはそうではなかった。サンダウンは、この屋敷にいる者が何者であるのか、誰がい
るのかさえ伝えられないままに、一人物置のような場所に放置されている。
そういうことはあるのだろうか?
アメリカでの使用人達への当たりについて思い起こす。保安官として、多少なりとも使用人を雇っ
たことがある己についても振り返ってみる。
答えは、否、だ。
余程の末端ではない限り、使用人にも僅かなりとも主の対峙する相手の情報は与えられる。少なく
とも、お目通りはできるはずだ。相手が、余程高貴な――女王陛下でもない限り。
ならば、何故サンダウンはマッドと引き剥がされたのか。
考えると、嫌な予感しかしない。
着いて早々に、決断を迫られている、という事態が起きているのだ。
マッドは愚かではない。何らかの策を講じて――策と言うか、口八丁手八丁で、だが――切り抜け
るだろうが、物置で待っているだけのサンダウンはそれどころではない。戦々恐々として、事態を見
守ることさえできず、結果だけを待つしかないのだ。
いっそ、使用人は使用人でも、教育係とでも言えば良かった。
不満よりも不安が肥大化していくサンダウンは、腹の底で己に課した設定を、今更ながら悔やむ。
教育係と言い募れば――マッドが聞けば、成人を迎えた男に教育係なんぞつくか、と一蹴しそうであ
るが――マッドの背中を追いかける事ができたのかもしれないのに。
今更ながらに悔み始めた、現在はアメリカ荒野の賞金首である元保安官は、どうにかしてマッドの
元に駆け付ける方法はあるまいか、と考え始める。
もちろん、使用人が勝手にうろつきまわるわけにもいかないので、そんな方法あるわけがないのだ
が。
そこへ、硬いノックの音が響き渡った。
今にも部屋の中をうろつき回ろうとしていたサンダウンは、その場で立ち止まり、返事をする。凄
まじく不機嫌でもあったので、貴族の使用人にしては酷くぶっきらぼうな返事であったが、それに臆
するでもなく、扉は普通に開く。
立っていたのは、最初に自分達を迎え入れた、おそらく執事と思われる初老の男だった。上品な顔
立ちを崩さぬ男は、サンダウンに、マッドが呼んでいる、と告げた。
その言葉にサンダウンは、誰にも気づかれぬ程度に、微かに眉根を寄せた。
マッドが呼んでいる。
サンダウンにとっては願ったり叶ったりである。マッドが呼んでいるのなら、サンダウンは地の果
てにいても駆けつける所存だ。
しかし、同時に何があったのか、とも思う。
奥の間に連れ去られた、かと思うや否や、サンダウンを呼びつける。何かのっぴきならぬことが起
きたのか。それとも、まさかとは思うが、爵位を継ぐなんてことになったりして、仕方がないからお
前とはここでお別れだな、なんてことを言ったりはしないだろうか。
もしもそれがマッドの本意であるならば、サンダウンは無言で押し黙って一人アメリカに帰るだけ
だが、誰かに言わされているというのなら、イギリス政府の追撃なんぞ虚空の彼方に放り投げて、こ
の屋敷の中で銃を乱射してやるところである。
「わたくし、お叱りを受けてしまいまして。」
サンダウンの中にある物騒な牙に気が付いたのだろうか。上品な表情を一つとして歪めず、男は淡
々と告げる。
「わざわざアメリカから自分に付き従ってやってきた忠臣を、まるで奴隷のように追い立てるなど、
イギリス貴族とはこれほどまで無礼になったのか、と。」
彼は自分の一部であるのだから、そのようにもてなしてもらわねば、困る。
マッドは、飄々とした口調で、しかし有無を言わさずに言ったのだ。もちろん、サンダウンが物置
部屋に押し込められようが、マッドには痛くも痒くもないだろう。困ることなど何もないのだ。つま
り、それは脅しでしかない。サンダウンに無礼な真似をしたら踵を返してアメリカに帰ると言う脅し
だ。
そうやって、脅してまで自分のことを考えてくれているマッドに、サンダウンは何とも言えない気
持ちになる。嬉しいような、本当ならば自分がマッドを守らなくてはならないのにという無力感のよ
うな。
とにかく、マッドの脅しを受けた伯爵はサンダウンを呼びに行かせたわけである。
町中にあるため、幅広には出来なかったのであろう廊下は、大人二人は余裕で歩けるが、それ以上
の人数が歩こうと思えば肩を寄せ合うしかない。しかしそれでも、赤絨毯がみっしりと敷き詰められ、
壁や柱には、まるでレースが垂れ下がっているような繊細な細工が施してある。
そこを執事らしき男の後に付いていけば、ゴシック調の中に些か不釣合いなほど、重厚な雰囲気が
漂う扉があった。
「皆様、こちらにいらっしゃいます。」
皆様、というのは、おそらくマッドもその中に含められているのだろう。彼にとって、マッドはこ
の場の異物ではないのだ。この場の異物は、きっとサンダウンだけなのだろう。
くれぐれも粗相のないように、ときっちりと念を押した男は、重厚な扉にその手をぶつける。短い
二回のノックの間、男の皺だらけの枯れた手は、扉に弾かれているようだった。
「お連れしました。」
分厚い扉を貫いて、微かに聞こえてきた声に男が応じると、それに対して再び声が扉を貫いて応じ
た。
曰く、入れ、と。
失礼いたします、という男の声は、やはり重苦しい扉の前では妙にか細かった。本当にこの男の腕
で、この扉は開くことができるのか、とサンダウンの中に疑念が持ち上がるほど、眼の前の扉は、ま
るで牢獄のように固く閉じられていたのだ。
けれども、当然のことながら、サンダウンの懸念とは裏腹に、扉は難なく開く。少しばかり重そう
ではあったが、普通に開いた扉の向こう側からは、むっと深く脚元に沈み込むような気配が行き場を
求めて漂ってきた。
この、妙に重い気配のする扉は、その向こう側にあった空気の所為か。
サンダウンは、開かれた向こう側を見て、喉の奥で溜め息を漏らした。
天井に添えつけられた豪奢なシャンデリアが照らす部屋は窓が一つとしてなく、壁はボルドーワイ
ンと金で模様が描かれ、その上に名も知らぬ画家の絵が幾つもかけられている。シャンデリアからは
白い光が落ちているが、それはシャンデリア本体から離れていくにつれて、色を落ち込ませて、部屋
の隅々には黒い凝りが残っていた。
それは床においても同じことで、部屋の真ん中をすらりと通る一つの長机の白いテーブルクロスの
上は、何か薄暗い紗でもかけられているかのようにくすんでいる。
妙に薄暗いその机の周りを、数人の男女が取り囲んでいた。
そして、サンダウンの視線の先――テーブルの一番先端に座る、蓄えた髭が真っ白な男は、けれど
も眼差しだけは黒く研ぎ澄まされている。
その眼にぶつかった時、一瞬サンダウンは、マッドに睨まれている時のことを思い出した。
だが、すぐにその気持ちは解け、黒い眼差しの真正面――テーブルの反対側に座る背中を見る。
すらりと伸びた背中は堂々として、サンダウンが来るその直前まで、何一つとして揺るぎなく、こ
の場と対峙していたのであろうことを知らしめている。
真っ直ぐに伸びた背筋が、ゆるりと振り返る。
「キッド。」
アメリカ南部訛りの残る、柔らかな英語。
マッドに呼ばれたサンダウンは、何一つ疑うことなく、その背後に立つ。その場を見回すなんてい
う、情けないことはしない。サンダウンはただマッドの背後で、マッドの見る先を睥睨するだけであ
る。
ようよう、舞台は整ったのだ。