目覚めは紅茶の匂いだった。
 真っ白い羽毛布団に包まった状態で眼を覚ましたサンダウンは、眠る前に抱え込んだマッドの姿が
何処にもないことに気づいた。
 昨夜、風呂に入った後、ベッドの上で名前通り犬のようにころころしていたマッドだったが、サン
ダウンが風呂から上がって見ると、ぽってりと眠ってしまっていた。その身体を、約束通りに抱きし
めて眠ったのだが。
 もそり、と起き上がれば、窓の近くにあるテーブルに肘をつき、長い脚を組んで朝日を見ているマ
ッドの姿を見つけた。テーブルの上では、白地に青の模様の付いた上品なティーカップが置かれ、そ
こから、もうもうと湯気が立ち上がっている。
 紅茶の匂いの出所は、そのティーカップであるようだ。

「よう、起きたのか。」 

 サンダウンに気づいたマッドが、朝日から眼を逸らしてこちらを見る。マッドは既に着替えており、 
すっきりとした白のシャツが眩しい。一体、どれくらい早くから起きていたのだろうか。しっかり眠
れたのだろうか。

「珍しいな、あんたが眼を覚まさないなんて。」 

 歳じゃねぇのか、と言うからかい混じりの声は、けれども棘はない。紅茶の匂いがふわふわと辺り
を漂っている所為だろうか。
 もぞもぞと起き上がりながら、マッドの言葉に、そうかもな、と答える。しかしサンダウンが歳な
らば、マッドは若いから早起きが出来たというのことか。けれどもサンダウンにしてみれば、子供は
早起きだものな、としか思えない。
 起き上がってそのままマッドに近づけば、紅茶の匂いはいっそう強くなる。アメリカの荒野でも、
マッドは好んで紅茶を飲んでいたが、その時に飲んでいたものよりもずっと匂いが濃い。何か、種類 
が違うのだろうか。 
 そう思って問えば、マッドは頷いた。

「あんたみたいな朴念仁でも分かるんだな。紅茶はイギリスが本場だ。ホテルで出される物だって一
流品なんだぜ。」 
「うまいのか。」
「味よりも香りを楽しむもんなんだぜ、これは。」

 即物的に思ったことを聞けば、マッドが子供のように口を尖らせる。何かを強請る子供のような表
情に、サンダウンは小さく苦笑した。

「それよりも、朝食はとったのか?」 
「まだだ。あんたが寝てるのに先に取ったりするかよ。」

 今までそんなことしたことないだろうが。
 マッドがますます口を尖らせる。もはや口を尖らせすぎて、鳥のようになっている。そのまま放っ
ておくと顔が歪んでしまいそうだったので、サンダウンは早々に、すまん、と謝る。
 それにマッドの言っていることは事実なのだ。サンダウンがマッドと再開し、行動を共にするよう
になってから、余程のことがない限り、食事を別々に取ったことはない。

「私の所為で朝食が遅れたのならすまなかった。だが、腹が減っていたのなら先に食べても良かった
んだが。」

 まだ口を尖らせたままのマッドの頭を、わしわしと撫でる。だが、マッドの口は元に戻らない。

「別に飯は遅れてねぇよ。イギリスの朝飯は遅いんだ。」
「そうなのか?」
「そうなんだ。」

 実を言うならば、この時代はまだ、朝昼晩と三食食べる習慣はまだなかった。イギリスでは少し遅
めに朝食を取り、昼食を抜いて――代わりにティータイムがあったが――夕飯を食べるというのが常
であった。
 そのため、朝食はかなりの量が出てくる。
 マッドに指摘された髭の寝癖を整えてから、再びテーブルの前に行くと、そこには大量の皿が並べ
られていた。サンダウンが髭を整えている間に、ベルボーイが持ってきてくれたのだろうが、しかし
アメリカでは見たことがないくらいの量の朝食である。
 シリアルから始まって、ベーコンエッグに数種類のソーセージ、ベイクドビーンズにフルーツ、ス
コーンとパンの盛り合わせ、そして。

「………なんだ、これは。」

 サンダウンはソーセージの隣にある黒い物体を突つく。行儀悪いぞ、とマッドは言いながらも答え
てくれた。

「ブラックプディングだよ。」
「黒プリンか………。」
「あんたが想像してるのとは、だいぶ違うぞ。」

 所謂、デザート系ではない、とマッドは言う。

「プリンのくせに、デザートではないと。」
「あんたが言ってるのはカスタードプディングだろ。これは血を材料としたソーセージみたいなもん
だ。アメリカでも売ってるぞ。」
「……見たことがあるようなないような。」

 しかし、見た目あまり美味しそうに見えない。正直にそう言うと、マッドも微妙な顔をして頷いた。

「癖はあるな。なんせ血が材料なんだ。嫌いな奴だっている。別に無理して食わなくたっていい。他
にも食うもんはあるんだから。」

 確かに、眼の前に並べられた皿の上には、所狭しと料理が乗っている。別にわざわざブラックプデ
ィングを選びぬく必要はないわけだ。

「でも、あんたはプディングっていったらカスタードプディングしか思いつかねぇのかよ。他にもあ
るだろ。この時期ならクリスマスプディングだってあるんだし。」

 言われて、サンダウンは自分の人生を振り返ってみる。子供の頃の雪深い北部アメリカの風景から、
大人になってから駆け抜けたアメリカ西部まで。しかしその中で、クリスマスプディングなるものは
登場してこなかった。記憶の中から出てくるのは、大量のクッキーとパンプキンパイが遠くにあり、
近くをうろつくのはウィスキーと塩辛いハムやソーセージばかりだった。
 すると、マッドも、あーと合点がいったような表情を浮かべる。

「まあアメリカじゃあ馴染みはねぇかもな、クリスマスプディング。俺はイギリスから来た知り合い
もいたから、ちょくちょく見かけてたけど。ずっとアメリカにいる奴は知らないかもな。」

 移民の国アメリカでは、クリスマスの祝い方もそれぞれだ。サンダウンはアメリカ生まれアメリカ
育ちなため、本場イギリスのクリスマスなど知らない。マッドはイギリスもアメリカも知っているか
ら、両方の祝い方を知っている。いや、それ以外の国のクリスマスのことだって知っているのかもし
れない。

「どんなだ。」

 マッドの子供時代は知っているが、けれどもそれは彼が父親を失った数年間だけであり、彼が父親
を失う前の、華々しい幼い頃のことは、サンダウンは知らない。
 それも含めて、どんなだ、と問うた。
 マッドはその問いかけを、クリスマスプディングのことだと思ったらしい。作り方を知っているか
のように――実際知っているのだろうが――話し始める。

「そうだな。最初に言っておくと、あんたが好きなカスタードプディングとは全く違うからな。期待
しないように。一般的にはプラムを材料に使うことが多いな。パン粉や小麦粉にバターなんかを入れ
て混ぜ合わせて、更にその中にドライフルーツや胡桃を入れるんだ。で、オーブンで焼けば出来上が
りだ。」

 ラム酒やら香辛料を好みで入れることもある、と説明するマッドに、サンダウンは、

「簡単そうだな。」

 と感想を述べた。そして同時に思った事を口にする。

「でも、美味いのか?」
「俺は正直、普通に生クリームケーキのほうが美味いと思う。ガキの頃からそう思ってた。」

 正直である。

「昔、自分で作ってみたことあるけど、思ったな。自分好みに色々変えたほうが良いってな。今なら
全然別のレシピで作るぜ。」
「それがプリンか。」
「違う。あんたが気になるって言うんなら、クリスマスプディングを食わせてくれる店に行くけど。」
「いや、良い。」

 マッドが作り直したクリスマスプディングならともかく、店で食べるそれが、果たして美味いとい
えるのか。だったらサンダウンは普通にケーキのほうが良い。

「買いに行くか?」
「あんた、さっきいらねぇって言ったじゃねぇか。」
「プディングの話じゃなない。」

 ケーキのことだ。
 せっかくのクリスマスなのだから、ケーキくらい買っても良いと思う。マッドが子供の頃に手にし
たケーキほど豪勢ではないだろうが、だが、その後はもしかしたら手に入れることも困難であったか
もしれないものを、今与えても、罪にはならないだろう。

「俺は子供じゃねぇぞ。」

 っていうか。
 マッドが口を再び尖らせた。

「あんたが食いたいだけじゃねえのか、それ。」