アメリカを立ったのは十一月半ばだったというのに、イギリスに辿り着いた時は十二月になってい
た。
 船から降り立ったサンダウンは、アメリカよりも芯の入った寒さに、吐く息を白くさせた。アメリ
カ西部のからりとした寒さとは異なり、身体に纏わりつくような重苦しい寒さだ。これはイギリスの
気候――冬に特に湿度が高くなる気候によるものなのだが、アメリカしか知らないサンダウンには分
からぬことだった。
 しかし、寒くてもイギリス最大の港であるロンドン港には人がひしめき合っている。サンダウン達
のように、長い航海を終えてイギリスに辿り着いた者だけではなく、世界中からの商船がこの港には
集まってくるのだ。
 テムズ河を遡り、世界有数のドックランで有名なロンドン港は、元々はテムズ側の湾曲した形状に
より度々水害に悩まされてきた。その水害を治めるために建設された運河の後に、幾つものドックが
作られ――中にはかの有名な西インド会社のものもある――今や世界中からの船を受け入れる港とな
っているのだ。
 だが、それにしてもこの込み具合は酷い。
 辺りを見回しながら、サンダウンはふと気づく。
 クリスマス時期というのもあるのかもしれない、と。
 サンダウンは、船から降ろされた、或いは今から船に積まれようとしている荷物の中に、鮮やかな
色が幾つもあるのを見つけていた。あれは、遠い家族か、恋人に向けたクリスマス・プレゼントだろ
うか。
 どんよりと曇った空の下で、しかし空の表情とは打って変わっていきいきと働く人々を見ながら、
そういえばそんな時期だった、と自分の吐いた白い息を見る。賞金首と生きていると、どうしてもそ
ういった、人と関わることで思い出す時節というのを忘れがちになる。それでも良いと思えるほど、
長く長く放浪の道を歩いてきた。
 けれども、今年は少し、しまった、と思った。

「キッド!」

 端正な声が、人ごみを割ってサンダウンに届く。
 ごった返す人の中でも、突き抜けて目立つ黒に、サンダウンは眼を細めた。乗り物酔いを起こして
本調子ではないサンダウンに、此処で待っていろと言い置いて、船に乗せていた愛馬達を捜しにいっ
ていたマッドが、帰ってきたのだ。彼の脇には、サンダウンとマッド、それぞれの愛馬がいる。
 ぱたぱたとこちらに手を振る仕草は、まるで子供の時のままだ。その姿に、彼にはクリスマス・プ
レゼントがいるんじゃないか、と思う。
 父親が死んでから、決して世間一般でいう子供らしい物を与えられなかったであろうマッドに、サ
ンダウンは常々何かを与えてやりたいとは思っていた。以前もそう思って、しかし結局色々な出来事
が重なって、流れ流れになっている。
 それに、マッドも特にサンダウンに何かを与えてもらおうとは微塵も思っていないようだ。既に賞
金首として生き方を確立できているマッドは、今更誰かに何かを与えてもらう必要はないのだろう。
 だが、クリスマスくらいは、と思う。
 クリスマスくらい、何かを、この青年に与えても良いのではないか、と。クリスマスを理由にして
しまえば、マッドも特に何も言うまい。それとも子供扱いして、と口を尖らせるだろうか。
 なかなか近づいてこないサンダウンに焦れたのか、それともサンダウンの具合がまだ悪いと勘違い
したのか、マッドは人ごみを掻き分けてサンダウンに近づいてくる。人ごみの中を、綺麗な所作で泳
ぎ切る姿は、けれどもサンダウンにしてみれば子供の頃に転がるようにサンダウンに駆け寄ってきた
時と何も変わらない。

「キッド、どうしたってんだよ。」

 口を尖らせて尋ねるマッドの表情には、微かに不安の色がある。サンダウンの体調を、気遣ってい
るのだ。少年の頃のあどけない口調は何処にもなく、荒々しい男のそれに変貌してしまったが、しか
し、やはり表情には確かにサンダウンの脚元に纏わりついていた頃の面影が残っている。

「まだ船酔いが残ってんのか?少し休んでから行くか?」

 乱暴ながらも、サンダウンの様子を窺う様子に、サンダウンは首を横に振る。

「大丈夫だ。気分は悪くない。」
「本当か?歳なんだから無理すんな。」
「大丈夫だと言っているだろう。大体船酔いも、船に乗っている間に大分克服した。」
「何処がだよ。」

 マッドの表情から不安が消え、代わりに荒野の賞金稼ぎの不敵な眼差しが浮かぶ。

  「今朝起きた時、普通によろめいてたじゃねぇか。克服なんてどの口が言うんだか。この分だと帰り
の船も心配だな。」
「あれは、船が揺れたからだ。」
「今朝は全然海は荒れてなかったけどな。」

 くつくつと笑いながら、マッドはくるりとターンして、行こうぜ、と人ごみの向こう側を差し示す。
おそらくそちら側に、これから行くべき場所――マッドの血筋の片方が発生した場所があるのだろう
が、しかしサンダウンにはそれが何処か分からない。ウェストミンスターの近くに、その邸宅はある
というが、それが一体何処にあるのかも知らないのだ。

「マッド、これから何処に行くつもりだ。」
「シティ・オブ・ロンドンだ。」

 奇を衒わずに問えば、答えはあっさりと返ってきた。ただし、やはりサンダウンにはよく分からな
かった。

「ウェストミンスターのすぐ隣の地区だぜ。」

 黙っていると、マッドはサンダウンの気配を察したのか、説明を始める。
 シティ・オブ・ロンドンは、ロンドンの正に中心に位置する自治区だ。宮殿や議事堂など、政治の
中心であるウェストミンスターから離れ、独自の法を持っている。政治のウェストミンスターに対し
て、金融の忠臣の場でもある。

「シティは独自の法を持ってる。その法は、例え国家元首と雖も覆せない。勿論、ただの貴族も、だ。」

 つまりマッドが言いたいのは、ウェストミンスターの彼の本家に出向いたとしても、その隣の地区
であるシティ・オブ・ロンドンに逃げ込めば、貴族の道理とやらの影響を受けなくて済むということ
だ。

「だから、イギリスにいる間は、シティの中のホテル住まいだな。」
「本家には泊まらないのか?」
「泊まる義理なんかねぇよ。」

 吐き捨てるようなマッドの言葉に、サンダウンは何も言わない。サンダウンには、マッドと本家の
間に横たわる何かを図ることはできないからだ。
 代わりに、シティに泊まることについて一番気になることを聞いた。

「そこは、安全なんだろうな。」

 そもそもサンダウンがマッドに付いてきたのは、危険な場所にマッドを行かせたくないからである。
もちろん、サンダウンはマッドを守るつもりであるが、しかし泊まる場所が安全であるに越した事は 
ない。
 奇しくも、イギリスではアメリカでも話題になるほどの、連続殺人事件が起こっている真っ只中で
あるという。もしも、これからのイギリス暮らしをするにあたって住まう場所が、その連続殺人の現
場のほど近い場所とかだったら、サンダウンはマッドの腕をとって、そのまま回れ右をしてアメリカ
に帰るところだ。
 しかし、幸か不幸か、マッドは大丈夫だと頷いた。

「言ったろ、イギリスにいる間は、居心地が良くなるように奮発したって。泊まるホテルは貴族様が 
御用達にするようなホテルだし、シティの中はそこそこ治安も良い。スラム街とかはねぇからな。」 

   それを聞いて安心した。
 頷いたサンダウンに、マッドはその安心を打ち砕くようなことを言う。

「というか、この地区がその連続殺人事件の現場だぜ。ここじゃねぇが、この地区のスラム街が現場
だな。」

 ホワイトチャペルっていう、と更に言いかけるマッドの腕をサンダウンはとり、

「さっさと行くぞ。」

 こんな物騒な場所にマッドを一秒でもいさせてはいけない。このままアメリカに帰るか、それとも
シティまで真っ直ぐに行くか。

「じゃ、行こうぜ。」

 マッドは愛馬の背中に飛び乗る。どうやら、アメリカには帰らないらしい。サンダウンは頷いて、
同じように自分の愛馬に飛び乗った。