後に目を覚ましたシャーロットが語るところに寄れば、彼女がマッドに相談を持ち掛けたのは、マ
ッドがマリアの住んでいたアパートに眼を付けたこともあるが、何よりも彼女にとってマッドという
のは王様であったからだ。
それは別段、シャーロットに限った話ではない。子供の頃、遠く離れたアメリカの地から稀にやっ
てくるマッドは、異国からやってきた王様のようであったのだ。
ウィリアムも、そうであると語る。自分は金髪碧眼の王子様ともてはやされることはあっても、実
際に皆が傅くのは王様であるマッドのほうだ、と。
「お父様が、私達のどちらかを、彼に嫁がせたいと思っていたことは知っていました。けれども、そ
れはお姉様のほうで、私ではないだろうと。けれども、お父様は時々呟いていました。お姉様はどう
も伯父様の覚えが悪いから、嫁がせるなら私のほうだって。」
でも、あの異国の王様が私を選ぶはずがないのに。
力なく笑い、シャーロットは、皆が色々と自分のことを過大評価したり過小評価したりして、こん
なことになってしまったのね、と呟いた。
新年を祝うパーティは、シャーロットの容態が未だ安定せぬ中、行われた。
元々は、次期クレメンス伯のお披露目パーティとして、クレメンス伯が次代を連れて何処かの大貴
族のパーティに行くはずだったのだが、流石にこんな事件が起きてしまった以上、そちらはキャンセ
ルした。
ただ、代わりに身内だけの、クリスマスパーティと同じ規模のパーティを開くことにしたのだ。
ベイリーにしてみれば、娘一人が危篤である状況でそんなことをしている気分にもなれなかっただ
ろうが、クレメンス伯から重要な発表があるのだと言われてしまえば、しぶしぶと参加せざるを得な
かった。
その他、ジェラルドやチャールズと言った面々も、歯で爪を噛むような恨めしい表情をしていた。
この状況で、クレメンス伯直々の報告となれば、家長の後継と、財産分与に関することに他ならぬか
らだ。
けれども、誰も自分にとって芳しい話を聞いていないが故に、苦々しい気分にならざるを得ないの
だろう。
そんな親類縁者の様子を、マッドと物陰から見ながら、サンダウンは良いのか、と呟く。こんなこ
とをして後悔はないのか、とマッドに問うたのだ。すると、その声を聞いたマッドは、肩を揺らして
笑う。
「他に、手がねぇ。」
「だが、これで犯人が動かなかったら。」
「動くさ。マリアを殺して、シャーロットを刺してまでやり遂げたかったことが、此処に来て無意味
になるんだ。それを阻止しようと、必ず動く。」
だがそれでお前に危険はないのか、と思いつつ、しかしそれ以上に危険があるのはマッドではない
事実に、サンダウンは黙り込む。
「少なくとも、今この場では何も起こらねぇよ。あるとすれば、この後――夜が来て、明かりが消え
たその瞬間だ。」
囁き合う二人の姿は、果たしてなんと見えただろうか。少なくとも、サンダウンは従者としての一
線は越えていないつもりだし、マッドもそれ以上のスキンシップは図ろうとしない。そうでなくては
ならない。
何せ、二人のすぐ後ろには――
「準備はできましてよ。」
気取った口調で、レース飾りが何重にもついたドレスを身に纏い、ブルネットの髪を高く結い上げ、
真珠の髪飾りを髪に散りばめた女が、カーテンの向こう側から現れる。年齢はマッドと同じくらいで、
気取った口調はエイムズ伯爵夫人とよく似ていた。
アイリーンと言う名の彼女は、エイムズ伯の一番上の娘である。声は母親に似ているが、顔立ちは
どちらかと言えば父親に似ている所為か、何処となく柔らかい印象を受ける。
「ああ、分かった。」
マッドはジャケットの裾を翻すと、アイリーンの傍に向かう。アイリーンの爪の丁寧に磨かれた手
を取り、その指先に軽く口づけた。
「エイムズ伯から、聞いてるのか?」
「もちろん。何も分からず獅子の住処に行くなんて御免だわ。」
「なるほど。だが、サロン好きの淑女が、獅子の巣穴に行く気になった理由は?」
「サロンでの話題作り。」
乗馬も猟も、イギリスの淑女にとっては嗜みの一つなのだが、アイリーンはそのどちらも好まない。
前者は髪が乱れるから、後者は無粋だから、という理由で。そんなわけで、小さい頃も、彼女はマッ
ドのように外を駆け回ったりすることはなかった。
だが、確かにマッドとは合わなさそうだが、好奇心溢れる姿勢は、やはりマッドとの血の繋がりを
匂わせる。
「それに、お父様は何かあっても必ず貴方が守ってくれるとおっしゃってよ?」
「ああ、それだけは保証する。」
「あら、それ以外に保証することがあって?」
「ないな。」
マッドはアイリーンの手を軽く掲げ、優雅に親類縁者の方向に身体をターンさせる。それに従って、
アイリーンも。
「じゃあ、行くか。」
短い宣戦布告と共に、若い二人は颯爽と親類縁者の集まるテーブルへと向かう。すらりと背筋を伸
ばした二人は、傍から見ればお似合いのカップルに見える。サンダウンも、そう思わずにはいられな
い。
もしも、マッドが父親を失わずにあのまま貴族の世界にいたなら、この眼前に広がる光景は、奇を
衒わずとも有り得たのだろう、と。そしてそれが、本来は正しい姿なのだ、と。
ただ、この場にいるサンダウンだけが、ひたすらに場違いだった。今更ながら、心底思う。サンダ
ウンは、この場にはいてはならない存在なのだ。マッドがどれだけ許そうとも、長居して良い存在で
はない。
ふつふつと沸き上がる昏い煩悶に、しかし今はそれを吐き出すことは許されない。吐き出したとし
ても、それを受け止める存在は今は若いカップルの片割れとして親類縁者の前に向っているし、サン
ダウンが煩悶している間に、その額に赤い花が咲きかねないのだ。
鬱々としている暇は、サンダウンにはない。サンダウンはマッドと、マッドの名誉を守るために、
どれほどいたたまれぬ場所であっても、その眼を凝らしていなくてはならない。
「皆の者、集まってもらい感謝する。」
低いが朗々とした声で、クレメンス伯が苦渋の充満した親類縁者達に語り掛ける。頭上にあるシャ
ンデリアからは爛々と光が絶え間なく降り注ぎ、クレメンス伯の言葉を隅々にまで行き渡らせている。
「今年も、様々なことがあった。だが、何よりも私達の大事な娘の一人、シャーロットが何者かに刺
されるという不幸極まりない事件が起きた。シャーロットは未だ昏睡状態にあり、犯人も捕まってい
ない。そのような時に、パーティなど開くべきではないことは重々承知している。が、このような事
件があったからこそ、私は今、私の息のあるうちにお前達に言っておかねばならないことがある。」
低く低く床に広がるクレメンス伯の言葉の上を飛び越して、マッドとアイリーンが手を取り合って
クレメンス伯の隣に立つ。
怪訝な顔をするベイリーや、ジェラルドの表情に、若い二人は小さく笑う。
その二人を指差し、クレメンス伯はきっぱりと言った。
「今宵、この二人の婚約を私は正式に認める。それに伴い、クレメンス伯の称号についても、この者
に譲渡する。この件についてはロナルドにも伝えており、書面も作成してある。」
途端に、その場が騒然とした。正確に言うならば、全員が全員――事情を知っているエイムズ伯以
外は――絶句したのだ。
マッドへの爵位譲渡は、嫌々ながらも皆が想像していただろう。だから、文句は雖も絶句すること
ではない。
彼らが絶句したのは、
「アイリーンと、婚約?」
眼を白黒させながら、ジェラルドが呟く。どういうことだ、とチャールズも困惑顔だ。ウィリアム
は眼を見開いて、マッドを凝視している。アンジェラは小さく溜め息を吐いて、そう、と呟いた。
「こんな時に、婚約だと?」
叫んだのはベイリーだ。今、娘が昏睡状態にある時に、呑気に婚約する話など聞いてはいられない
のだろう。だが、本当に娘を案じるが故の苛立ちだけかと言われれば、それは胡散臭い。彼は、マッ
ドに自分の娘を宛がおうとしていたのだから。
「エイムズ伯!これはどういうことです!私はそんな話聞いていない。」
怒鳴るベイリーに対し、エイムズ伯は落ち着いたものだ。
「私も先日、二人から婚約したいと言われたたばかりでね。実は驚いているところですよ。ですが、
特に反対する理由は私にはない。」
「それはそうでしょうな!」
マッドとアイリーンの婚約は、エイムズ伯にとってはなんら痛手にはならない。むしろ、エイムズ
伯自身が言っていたように、エイムズ伯爵家としては願ったり叶ったりの婚約だ。
例え、クレメンス伯爵家の誰かが、殺人を犯していたとしても。
「ベイリー、落ち着け。」
気色ばんだ弟を、クレメンス伯が止める。
「こういう時だからこそ、私もこの婚約を認めたのだ。シャーロットが刺され、我々の家系は傷つけ
られた。それを回復させるには、エイムズ家との婚姻が一番効果的なのだよ。エイムズ家は由緒正し
い家系だ。この家系との婚姻を新たに結ぶことで、今回の傷による我らの立場の悪化を防ぐことがで
きる。」
誰にも、この婚姻関係を止めることはできないのだ。
自分の娘を、と意気込んでいたベイリーだけが、ただただ手痛い。
「だが、流石にシャーロットのことがあるのに、婚約を対外的に発表するのは少々世間体が悪い。な
んらかの決着がついてから、クレメンスとエイムズの改めての婚姻、及びクレメンスの家督譲渡の件
は発表する。」
世間体ですか、とアンジェラが、少し冷たい口調で呟いた。妹への配慮ではなく、世間体を気にし
たことについて、姉は怒っているのだろうか。
「そういうわけで、だ。アイリーンは本日から我が屋敷に泊まってもらうことになる。彼女は近い将
来クレメンス伯爵夫人となるわけだからな………。アイリーンもそれで良いかな?」
「もちろんですわ、伯父様。」
にこやかに――いっそ媚びを売っているかと思うほど艶やかに、アイリーンはクレメンス伯に微笑
み、マッドにしなだれかかる。
その様子に、アンジェラは眉を顰め、ジェラルドとチャールズも苦々しげな表情を浮かべた。どう
も、従兄妹達はアイリーンに対してあまり良い感情を持っていないらしい。従兄妹同士なのにな、と
思うが、元々彼らもさほど仲は良くなかったようだから、別に珍しいことではないのだろう。
サンダウンは、親類縁者をゆっくりと見回し、エイムズ伯以外がとにかく苦々しい面持ちをしてい
ることを確認する。
この中の、誰かが、シャーロットを刺してマリアを殺したのだ。
マッドも、サンダウンも、それが誰か、概ね見当は着いている。だが、確実ではない。だから、マ
ッドは餌を撒いた。
まず、既に爵位を持ち地位も盤石であるエイムズ伯は、犯人ではない。そもそも彼は、クレメンス
家にはマッドの父と、彼の妻を通じて関係しているだけの存在だ。子供が出来てもまずはエイムズ伯
を継がせることを第一とするし、妻である伯爵夫人は女であるが故に爵位継承権は低い。いちいち狙
ったりしないだろう。
だから、彼に協力を仰ぎ、罠を仕掛けた。
今、この時点でマッドの罠は仕掛け終わっている。
犯人は、今のところは露骨な反応は示していない。それはそうだ。こんなところで何かを仕掛けた
り、反応したりしたら、それこそ怪しい。
仕掛けるとすれば。
夜が更けた頃。新しい一年が始まるその時。皆が部屋に帰って各々一人になった瞬間。
そう。
アイリーンが、たった一人になった瞬間。