アメリカ西部の荒野を駆け巡る賞金首と賞金稼ぎの二人が、大海原をどんぶらこと渡ってイギリス
向かっているのは、主にマッドに原因がある。
元々が南部貴族で、父方は由緒正しいイギリス貴族であったマッドの家系は、マッド本人が思うよ
りも根深く息づいている。どれだけ没落しようが、だ。
マッドの家系は、スチュワート家ほど古びてはいないが、ロスチャイルド家のように近年成り上が
った貴族でもない。王位に選ばれるほど高い位置にいるわけではないが、しかし忘れ去られてしまう
下位貴族というわけでもなかった。
そこそこの矜持を誇るほどには、貴族らしい貴族だったのである。
しかしそれはマッドにとっては、お荷物でしかない。それこそ、家系だとか、そこから発生する様
々な遺産であるだとか、爵位だとか、そんなものは適当に処分しておいてくれ、というのがマッドの
心からの本音である。
だが、その一言で終わらせることができぬほどの、血脈と地位があるからこそ、マッドはイギリス
くんだり行かなくてはならないのである。
当事者であるマッドは、仕方がない。
だが、サンダウンにとってはいい迷惑だろう。
今頃船室で突っ伏しているであろう男を思い出し、マッドは溜め息を吐いた。
サンダウンがイギリスに向かう必要など、実際のところ何処にもないのである。サンダウンは、た
だ、マッドがイギリスに行くというだけで、付いてきてくれているのである。
当初、マッドはサンダウンに、一緒に来ることはない、と言った。これはマッド自身の問題であっ
て、サンダウンが何かする必要はないのだから、と。事実、そうなのである。
だが、それ以外にも、マッドにはサンダウンはイギリスに――マッドの父方の本家に、行くべきで
はないのではないか、と思うところがある。サンダウンが、マッドの父親を殺した張本人であるから
だ。その件についてはマッドの中ではきっちりと整理されているし――そもそも戦禍の最中に起きた
罪を今さらあげつらう必要もない上に、サンダウンは十分に罰を受けた――もちろん、本家のほうに
も、そんなことは言っていない。だから別に、この件についてサンダウンに何らかのお咎めがいくわ
けではない。
だが、サンダウン自身はどうか。
未だに、サンダウンの中には、マッドの父親殺しについては棘のように深々と突き刺さっているの
ではないか。
マッドは、時折、そう思うことがある。
サンダウンが、イギリスに付いてきてくれることは、嬉しい。マッドにとって、サンダウンは思う
存分甘えられる存在だ。そんな彼が、近くにいてくれることは安心する。
だが、サンダウンはどうか。
サンダウンがマッドを甘やかし、安心させるように抱きしめてくれるのは、単に父親の件があるか
らではないのか。
マッドは、何度もサンダウンに問いかけた。
今回のイギリス行きのことも、別にサンダウンが何か負い目に感じて付いてくるのなら、それは見
当違いだ、と言った。
しかし、サンダウンはマッドから離れるという選択肢は、頑として選ばなかった。
お前が心配だ、と。
サンダウンが、ぼそりと告げた。
心配する必要なんてないのに、とマッドは口を尖らせたが、しかしサンダウンは頷かなかった。そ
れが、マッドに対するどういう気持ちであるのか、マッドには測る術はない。代わりに、サンダウン
が睨み付けるようにして見ていた雑誌に、視線を落とした。
サンダウンが睨み付けていた雑誌は、アメリカで発売されている大衆紙だ。ファッションやらオペ
ラの広告やらに挟まって、センセーショナルな事件についても取り扱っている、今でいうところの週
刊誌だ。
その表紙を飾っているのは、まるで賞金稼ぎの指名手配ポスターのような、無数の男の顔の絵であ
る。
「こんな事件が起きているイギリスに、お前を一人で行かせるわけにはいかない。」
サンダウンは、きっぱりとそう言った。
雑誌の表紙を飾っていたのは、現在イギリスのロンドン市街で発生しているという、連続殺人事件
の犯人像を描いたものだったのだ。
ロンドンの貧民街で起きているこの事件は、対象が娼婦ということもあって最初は大きく取り扱わ
れなかったのだが、連続して行われ、且つ身体の一部がなくなっているという猟奇性から、アメリカ
でもこうして雑誌に載るほど、波紋が広がっているのだ。
だが、マッドにしてみればサンダウンの心配は杞憂でしかない。
マッドが向かうのは、確かにロンドンではあるが貧民街からは遠いウェストミンスターであるし、
そもそもマッドは男であって娼婦ではない。大体、確かにアメリカ西部とは勝手は違うだろうが、マ
ッドは賞金稼ぎとしてそれなりに名を売ってきた。相手が連続殺人犯であろうとも、後れをとったり
はしない。
しないのだが、サンダウンにとってはそんなものは何のお守りにもならないらしい。
何が何でも自分もついていくと言い張る賞金首を、マッドは内心嬉しかったので強くは拒まなかっ
た。
が、マッドは今、サンダウンを無理やりにでも置き去りにしてこれば良かった、と後悔している。
何せ、西部一の賞金首サンダウン・キッドは、まさかの船酔いを起こして、倒れ込んでいるのだか
ら。
もしも今此処で、何らかの襲撃を受けたなら、如何にサンダウンと雖も――容易く撃ち取られるこ
とはないだろうが、咄嗟に対応はできまい。マッドもいるから撃退はできるだろうが。
まあ、幸いにしてこの船に襲撃者が乗り込んだ様子はない。そんな輩は、乗り込もうとした時点で、
追い返されるだろうが――マッドは、妙な輩が入り込めぬように、それなりに格式高い船を選んだつ
もりだ。なので、誰かに襲われる心配はない。
心配なのは、サンダウンの体調だけである。
せっかくの船旅なんだけどな。
マッドはちょっぴり、そう思う。イギリス本家に行くことは、あまり気乗りしないが、しかしサン
ダウンと船旅というのは悪くない。悪くないのだが、よもやサンダウンが船酔いを起こすとは思わな
かった。
それは当のサンダウン本人も同じだったようで、なんで、とかぶつぶつ言っていた。
生まれてこの方、船酔いを起こした事がないマッドには、船酔いの辛さは分からない。分からない
が、今まで見たことがない顔色をしたサンダウンに、ただならぬ事態であることは理解できた。
とにかく厨房に行って、気分が良くなるような飲み物を幾つか見繕って貰い、薬も貰って船室に戻
ってきた。
「入るぜ。」
ノックして声をかけてから、部屋に入る。
どうせイギリスについてからは、本家のこともあるからあんまり良い気分にはならないだろう。な
らせめて、船旅くらいは気持ちよく行きたい。
とのことで、マッドは船室も一等のものを選んだ。ただし、サンダウンにとってそれが幸いである
のか、全くの無意味であるのかは分からないが。
真っ白な壁の大きな部屋に添えつけられた、白いベッドのど真ん中を占領するサンダウンは、仰向
けになって眼を閉じている。顔色は、相変わらず土色だ。
寝てるのか。
それならそれで良い。
用意したスープと、チェリーの酸っぱいジュース、そして薬をテーブルに置いて、マッドはサンダ
ウンが寝ているベッドに近づく。
途端に、サンダウンの眼が、ぱかりと開いて青い眼がマッドを見上げる。賞金首の性だろうか。近
づく気配には、どれだけ周囲が安全であろうとも敏感だ。
「悪い、起こした。」
眠っている方が断然楽だろうに、起こしてしまった事を詫びると、サンダウンは深く溜め息を吐い
てから、いいや、と呟いた。声は、掠れている。
「そのまま、寝ちまえよ。薬や飲み物なんかよりも、そっちのほうが良いぜ。」
どうせ薬も眠りを誘発するような薬だし、飲み物だって似たようなものだ。それに対して、サンダ
ウンからの返事はなかった。返事の代わりに、すまん、という謝罪が耳に飛び込んできた。
何、と問い返すと、サンダウンは再び眼を閉じている。だが、起きている気配がする。
「……陸に着いたら、いつも通りに戻るから。」
「そりゃあそうだろ。陸に着いてもそんな状態だったら、ただの病気だぜ。」
「……陸に着いたら、」
守ってみせる。
溜め息と一緒に吐き出された言葉に、マッドは一瞬返答に詰まった。守られるほどやわじゃない、
と言いかけて、ふとサンダウンの大きな手がマッドの腕を掴んでいることに気づく。気づいた途端、
ぐい、と腕を引き寄せられた。そのまま、サンダウンの身体の上に引き摺り込まれる。
おい、と抗議するより先に、ぎゅう、と抱きしめられた。
「……眠くなってきた。」
「このまま寝るのかよ。」
「お前が良いのなら。」
マッドが一言、嫌だと言ったらサンダウンは手を離すだろう。そんなことは、火を見るよりも明白
だ。
だから、マッドは無言でサンダウンの胸に頭を置いた。