馬丁を尾行させたのは、ベイリーだった。マッドの動向を知ろうとして――マッドの弱みを握りた
かったのか、それともマッドの嗜好を知って取り入るつもりだったのかは分からないが――馬丁を差
し向けたのだ。
馬丁は、マッドの行先についてはベイリーにしか語っていないというが、ならばシャーロットは何
処かでそれを聞いており、マッドに何かを伝えようとしたのだろう。
マッドとサンダウンは、馬丁と共にベイリー宅に向かったが、当然のことながら家の中は騒然とし
ていた。貴族の邸宅で殺人未遂があったのだから、当然と言えば当然だ。警察は現場検証をしており、
まだ家の中にいる。幸いなのは、辺りが貴族のタウン・ハウスの立ち並ぶ高級住宅街であり、野次馬
根性で集まるような輩がほとんどいないことだ。尤も、明日の朝になれば、社交界の一大ニュースは
この話題に決まりだろうが。
マッドは、警察の現場検証を掻い潜り――さも自分も警察関係者ですと言わんばかりの顔をして入
ってやったのだ――ベイリーのいる部屋まで馬丁に案内させた。ベイリーは主人の部屋と思しき部屋
に、参考人として隔離されていた。周囲に警察官はいなかったが、しかし家から離れないようにと命
じられているのだろう。
部屋に入り込んだマッドを見て、ベイリーは一瞬ぎょっとしたようだった。
「警察に咎められなかったのか?」
「堂々としている人間に対しては、警察はさほど関心を示さない。それよりも、何故シャーロットが
狙われた?」
「わかるものか。」
ベイリーは吐き捨てた。それは、事実だろう。少なくとも、ベイリーはシャーロットを刺した犯人
ではない。娘を刺したところで、何のメリットもないからだ。
「あの子は今日、乳母と一緒に劇場に行く予定だったんだ。けれども時間になっても来ないから、乳
母が捜しにいったら、庭先で刺されて倒れていたんだ。」
ベイリーの家の庭は、決して広いものではない。ただ、いつでも人がいるような場所でもないため、
人目に付かず犯行に及ぶことは可能だろう。それに、庭はフェンスで囲ってあるだけなので、外部か
ら人が入り込むことも出来なくはない。
つまり、巷を騒がせている連続殺人犯が、忍び込んできたということもなくはないのだが。
マッドの背後で、予断なく周囲に目を光らせているサンダウンは、連続殺人犯が今回の犯行の犯人
だとは、思っていないだろう。マッドだってそうだ。むしろこれは、マッドを殺すために、ゆっくり
とマッドに近づくための一歩なのではないか。そう、思える。
「一つ、聞きたいことがある。」
マッドは、己の考えを明かさず、ソファに沈み込んで頭を抱えているベイリーに問う。
「馬丁から、俺の動向については聞いているな?いや、尾行したことを咎めるつもりはない。俺が知
りたいのは、親類の何処までがいないはずの従姉――生きていたら誰よりも爵位継承者に一番近い、
俺達の従姉のことを知っていたのかっていうことだ。」
マッドの問いに、ベイリーの眼が見開かれる。その眼には、一抹の疑惑が浮かび上がり、見る間に
怯えの気配が噴き出した。
「まさか、あの娘を殺した犯人が、シャーロットを狙ったとでもいうのか?!」
「……従姉が殺されたことは、知ってるんだな。それは、アンジェラ達も知ってるのか?」
マッドにとって重要なのはそこだ。一体何処までが、従姉のことを知っていたのか。
「知っている。知っているが、あの娘は賎しい殺人鬼に殺されたんだ。シャーロットとは無関係のは
ずだ。」
「それを決めるのはあんたじゃない。大体、あんただってさっき、シャーロットを狙ったのかと言っ
ただろ。そう言ったということは、あんたの中にも少しは疑惑があったということだ。それにむしろ、
犯人が同一人物であるほうが、あんたには好都合だろう。」
どういうことだ、とベイリーがマッドに怪訝な眼差しを向ける。その眼差しに、マッドは冷ややか
な声で答える。
「あんたが犯人から除外されるということさ。あんたには、シャーロットを殺すメリットがない。」
きっぱりと、お前を疑っていたのだと告げられたベイリーは、錯乱したかのように手で髪を掻き毟
った。
「わ、私を疑っていたのか?」
「疑うさ。少なくとも、いないはずの従姉殺しだけは、まだ。」
「私にはそんなことをする意味がない!あの娘を殺したところで、私に爵位は回ってこないんだ。私
は四男だ。爵位を狙うには遠すぎる!」
「だから俺にアンジェラかシャーロットを宛がおうとしてるんじゃないのか?だが、それによる利益
を得るには、やっぱり従姉が邪魔だろうな。」
「馬鹿を言うな!そもそもあの娘は生きていたところで爵位を得られるか分からないんだ。もともと、
伯爵家から出ていった兄の娘だからな。まして、娼婦だ。」
「娼婦でも、成り上がるのはいるだろうよ。」
娼婦と言ってもピンからキリまでだ。その日の糊口を凌ぐのに精いっぱいの者もいれば、国家要人
を次々に手玉に取ってみせる者もいる。
顔も知らぬ従姉が、どちらの娼婦であったのかは、ホワイトチャペルに暮らしていたところを見れ
ば前者であったのだろうとは思う。だが、知識と教養、そして機会さえあれば、娼婦でさえ成り上が
れるのだ。
もしも、彼女がこれから、それら全てを与えられたとしたら、先代の女伯爵のように君臨すること
だって可能だったかもしれない。
彼女はもはや何処にもいないので、彼女のこれからの歩みを考えることは、無意味なのだが。
「まあ、いいさ。いずれにせよ、俺があんた達を、以前よりいっそう警戒すべきだということは分か
った。」
ひらりとマッドはベイリーに背を向ける。これ以上此処にいても、何も得るものがないからだ。
だが、その背に、ベイリーが慌てて取り縋る。
「お、おい、何処に行くつもりだ?」
「クレメンス伯の元に行く。此処で何が起きたのか、あんたが連絡を飛ばしてはいるだろうが、詳細
を伝えに。新聞屋どもがガタガタ騒ぎ立てるよりも先に、何か知っておいたほうが、どっしり構えら
れるだろう。」
「兄上のところに行くのなら、」
ベイリーが召使にアンジェラを呼びに行かせる。
「アンジェラも、そちらに連れて行ってやってくれ。新聞屋達は私がどうにかあしらうが、あの子ま
でそれに追い掛け回されるのは哀れだ。」
父親として娘を思う情愛からか、それとも娘が新聞に面白おかしく取り立てられて傷物になること
を恐れての発言か。それは分からないが、マッド似はベイリーの請いを一蹴する理由はなかった。
そんなわけで、マッドはサンダウンを引き連れ、アンジェラとアンジェラの乳母と共に、クレメン
ス伯のタウン・ハウスに向かっている。
アンジェラは青ざめていたものの、それでも取り乱さずに荷物を纏めて父親の言葉に従った。アン
ジェラも、しばらくは家から離れるのが得策だと考えたのだろう。
揺れる馬車の中、アンジェラはひたすらに無口だったが、家から離れてしばらくした頃、ようやく
口を開いた。
「私達を、疑っているのね。」
唐突過ぎる言葉は、しかしマッドには何を言っているのか十分に分かった。この場で疑う事など、
二つしかないからだ。従姉の殺人と、シャーロットの殺人未遂と。
だから、マッドは鷹揚に頷いた。
「ああ。」
「でしょうね。会うなりすぐさま、あそこまで醜い争いを見せられては、私達親類の誰かが、彼女を
殺したと思っても、仕方ないわ。」
「つまり、お前も誰かが殺したと思っているということか。」
賞金稼ぎの牙を隠して、マッドはかつて共に遊んだ従妹に問う。しかし、アンジェラは分からない
と答えた。
「皆、確かに爵位を欲しがっているけれど、でもその為に人を殺せるような人達かしら。」
「ジェラルドは切羽詰まってるだろ。」
「切羽詰まっても、人を殺せるほどの豪胆さはないわ。」
「そうだな。」
アンジェラの親類縁者の人物評に、マッドも頷く。マッドも、自分の親類縁者に人を殺せるほどの
豪胆さを持った者は、ごく僅かだろうと思っている。
「俺と、クレメンス伯、それとウィリアムと、お前だ。」
言い切ったマッドに、アンジェラは首を傾げた。何を言っているの、と訝しげな眼差しに、マッド
は笑う。
「私が?」
「俺の知る限り、何かをする時に一番躊躇わないのは、お前だよ。少なくともBの悲劇の時は、一切
躊躇わず、クレメンス伯のクリームをバターに入れ替えた。」
「そんな子供の頃の悪戯のことで。」
アンジェラは背凭れに背を預けると、少し天を仰ぎ、呆れたように溜め息を吐いた。
「大体、それを言い出したら貴方だって。」
「だから、俺もだと言っただろう。」
マッドが賞金稼ぎであることを知らないアンジェラは、マッドがどれだけ人を撃ち殺してきたのか
知らないのだ。
でも、とアンジェラの眼が再び訝しげに細められる。
「ウィリアム。あの子も?あの子はいつだって無気力で、自分一人では何もしようとしないのよ。」
「ああ。いつだって誰かに頼んで何かをしてもらってたな。」
だから、とマッドは一瞬だけ顔から表情を消した。
「だから、誰かを殺しはしないかもしれないが、誰かを殺してくれと頼むことはあるかもしれない。」
「あの子が誰かを殺したいと考えるだけの考えを持っているかしら。むしろあの子のためにチャール
ズが先走って何かしでかしそうだけど。」
早くに父母をなくした兄弟は、互いが全てだったのだ。だから兄はまるで弟の手足のように、弟の
為に動き回る。マッドから金時計を奪ったのも、弟ではなく兄のほうだった。そしてそれは弟の手に
落ちたのだ。
「あの二人は、今何をしてるんだ?」
「ウィルのほうは今もピアノを続けてるわ。偶に劇場で公演をするくらいには有名よ。チャールズは
私の父と同じで金融関係の仕事をしてるの。」
「ふぅん。」
マッドは頷いて、少しだけ黙った。その瞬間に、アンジェラが問い返してくる。
「貴方は?」
「アンジェラ。」
だが、マッドが黙ったのはその一瞬だけで、アンジェラの言葉を遮るように、その名を呼ぶ。
「お前は、従姉のことを知っているし、従姉が殺されたことも知っている。だが、ジェラルドやチャ
ールズはどうなんだ?知っているのか?」
「分からないわ。私は、父から聞いただけ。どうやら父の兄弟達にはクレメンス伯父様から説明があ
ったようだけれど、他の従兄弟達は、それぞれの親が説明していなければ、知らないでしょうね。」
知る必要もなさそうな話だし、とアンジェラは苦笑する。
「伯父は随分と前に家を出ていった人で、私もその時初めて聞かされて、それまでは存在も知らなか
った。従姉が殺された話も、結局会った事はおろか、存在も知らなかったんですもの。殺されたと聞
いても何とも思えなかったわ。それは、たぶん父も同じ。」
「ベイリー叔父も?何故?」
「だって、従姉が死んでしまったところで、父には爵位継承権は回ってこないもの。」
「ああ、ベイリー叔父も同じことを言っていた。」
マッドは頷く。でしょう、とアンジェラも頷き返す。
だが、マッドは首を横に振った。
「だか、ベイリー叔父は、お前達姉妹のどちらかを、俺に嫁がせようと考えていたみたいだが?」
斧をゆっくりと振り下ろすように、マッドは言葉を振り落した。途端、アンジェラの口が、まあ、
と歪に開かれる。歪な朱い円を見つめるマッドに、アンジェラは困ったように肩を竦めた。
「父はそんな事を言ったの?」
「いや……だが、それくらい考えてはいなかったか?」
「確かに考えていたみたいだけど、私にも相手を選ぶ権利はあるわ。」
マッドを真っ直ぐと見て、きっぱりと言い切った女に、マッドはにっこりと笑った。
「同感だ。」