ホテルに戻ってから、サンダウンはマッドに背を向けて、ごそごそとテーブルの上で銃を広げてい
た。銃を解体しては組み立てるという動作を繰り返しているのだ。それは銃の手入れも兼ねているの
だろうが、同時にサンダウン自身の内面も整理する意味合いもあるのだろう。
 マッドはベッドの上で寝転がったまま、少し猫背気味のサンダウンの背中を、ぼんやりと見つめる。
マッドの心の中では、ホワイトチャペルのボロアパートの根元でサンダウンに告げられた言葉が、延
々と繰り返されている。
 もしも、マッドを殺すために、サンダウンが何らかの形で使われるようなことがあったなら。
 サンダウンはマッド以外の何かを信じることはないと言ったが、それでも、何かの拍子にマッドを
殺害する装置として使われてしまうことは、決してないとは言えない。
 冷静に考えれば、殺すつもりはなくても殺してしまったという事案があるのだから、そういうこと
は可能性として考慮しておくべきだ。マッドも、それは心の片隅に留めておく。
 けれども、だからといって。
 もしもサンダウンがマッドを殺してしまいそうな素振りがあったなら、容赦なくサンダウンを殺せ
だなんて。
 何ら躊躇いなく、むしろそれこそが正であると信じ切って、その言葉を発した男は、黙々と作業を
続けている。
 咄嗟に言葉を返せなかったマッドを、手を引いて馬車が通る場所まで連れて行き、そしてそのまま
ホテルに連れて帰ったサンダウンは、その件についてはそれ以上話さなかった。もはやサンダウンの
中では何かが確定してしまったかのようだ。
 サンダウンがマッドを傷つけることはない。マッドはその事を良く知っている。
 吐き出される、マッドに何かあったらこの世の全てもただではおかないという言葉が、冗談などで
はなく心底からのものであると背筋を凍り付かせるほどには、サンダウンがマッドを大切に取り扱っ
ていることは十分に認識していた。
 だが、だからといって、もしもサンダウンがマッドを傷つける素振りがあったなら、即座に撃ち殺
せというのは。
 その一連の行為によって、マッドが傷付かないとでも、思っているのだろうか。サンダウンを殺し
てしまって、マッドが何も思わないとでも。相手を傷付けることによって、自分も傷つくというのは、
サンダウンに限った話だとでも思っているのだろうか。
 徐々に、マッドの頬は膨らんでいく。サンダウンの非常に自己中心的とも言える発言に、マッドの
頬はとうとう真ん丸に膨らんでしまった。
 ぱんぱんに膨らんだ頬を毛布に埋めたマッドは、視線ももうサンダウンのほうを向いてはいない。
あらぬ方向を見たまま、完全にむくれる態勢に入る。
 と、顔に影が落ちた。
 眼だけを動かせば、顔から手を広げたほどの距離に、サンダウンの顔があった。青い眼は、静かな
光を湛えてマッドを見ている。

「………そう怒るな。」

 マッドのぷっくりとした頬に、苦笑交じりの声が落ちる。その声に、マッドはこれ以上ないくらい
に頬を膨らませた。そして膨らませたまま、器用にも喋る。

「俺が何に怒ってるのか、分かってんのか。」
「私を撃ち落せと言ったことについてだろう?」

 言い当てられて、マッドはこれ以上は膨らまないであろうと思われていた頬を、更に膨らませる。
サンダウンが、栗鼠みたいだぞ、と呟いた。

「そろそろ痛いだろう。元に戻れ。」

 頬を、ふにふにとかさついた手で押され、マッドはぷしゅうと頬から空気を抜く。

「お前がそうやって思ってくれるのは、有り難いがな……。」

 サンダウンが、マッドが寝転んでいるベッドの上に腰を下ろす。ささくれだった指先が、マッドの
蟀谷から顎までを、ゆっくりとなぞっていく感触に、マッドは瞼を閉じた。

「だが、私は撤回するつもりはない。」

 きっぱりとした言葉と、閉ざされた瞼が手で覆われるのは同時だった。マッドが眼を開いても、そ
こにはサンダウンの手が作り出した闇があるだけだ。

「私には、お前以外には何も残されていない。だから、お前は何があっても守り通す。私自身が凶器
になるならば、私自身を殺すことなど厭うまでもない。それは、イギリスであってもアメリカであっ
ても同じことだ。イギリスに来たからといって、何か特別なことをしているわけでも言っているわけ
でもない。」

 サンダウンの手がマッドの眼から離れた。広がる風景は、ゴシック調のきらびやかなホテルの内装
と、そこには似つかわしくない荒野の気配を湛えたサンダウンだ。

「私は私のやりたいようにしているだけだ。だから、お前もやりたいようにすればいい。」

 離れていくサンダウンの手を追いかけるように、マッドは身を起こす。サンダウンと目線がようや
く同じくらいになった――サンダウンのほうが少しばかり高いが。もぞもぞと身体を動かして、サン
ダウンの膝の上に座ると、ようやくサンダウンよりも高い位置に辿り着く。
 膝の上によじ登られたサンダウンは、特に気にするでもなく、マッドの身体を支える。マッドはサ
ンダウンの肩に顎を乗せ、完全に身体をサンダウンに預ける態勢に入る。

「俺はあんたと一緒にアメリカに帰るんだ。」

 そう宣言すると、サンダウンがぎゅっと抱きしめてくれた。そして耳元で、そうだな、と掠れた返
答があった。その声に、マッドもぎゅうとサンダウンに抱き付く。

「言っとくけど、俺は死体と一緒に船に乗る趣味はねぇんだからな。あんたは自分でそのでかい図体
を運ばないとダメなんだからな。」

 ぎゅうぎゅう抱き付いてサンダウンに身体をぐりぐりと押し付けていると、突然サンダウンが後ろ
に倒れた。勿論、マッドもサンダウンにへばりつているので、一緒に倒れることになる。
 ぼふっとベッドに倒れこんだサンダウンに、まさか自分の体重を支えられなかったのか、とマッド
は混乱する。よもやサンダウンが支えられないほど太ったのか、と。
 マッドが自分の体重の心配をしている真っ最中に、サンダウンはマッドを抱えたままころりと寝返
りを打つ。結果、マッドは再びベッドに仰向けで転がり、その上をサンダウンが覆う形となる。

「キッド?」

 マッドに覆いかぶさったまま動かないサンダウンに、マッドは不審に思って声をかける。相変わら
ず、ぎゅうと抱き付いたままだが。抱き付いたままなので、サンダウンの顔が見えない。
 やがて、くぐもった声が耳に届いた。

「私、は。」

 低いサンダウンの声だ。

「私は、お前となら、何処にでも。」

 耳朶を打った声は、すっと離れていく。サンダウンが少しだけ、身を起こしたのだ。マッドが抱き
ついているので、あんまり離れなかったが。ただ、マッドが眼だけを動かしてサンダウンの顔を捜し
た時に、その眼とぶつかった。
 きらり、と。青い眼が不可思議な光を灯したまま、瞬いた。
 その瞬きの意味をマッドが問い質そうとしたその時。
 コンコン。
 控えめなノックが二つ。部屋の扉の向こうに、誰かがいるのだ。

「誰だ。」

 マッドの腕を少しだけ解いて、サンダウンが誰何の声を上げる。従者と言うよりも護衛の声に、扉
の向こう側の人物はホテルマンであると答えた。手紙を一通承っている、と。
 サンダウンがマッドを見る。マッドはそれに目配せして、腕を解いた。立ち上がったサンダウンは、
まるで保安官のような機敏な動作で扉に近づくと、その向こう側に銃を持った犯人がいるかのような
慎重さで扉を開いた。
 すらりとしたスーツを着たホテルマンは、サンダウンの慎重すぎる動作について何も言わなかった。
ただ、ホテルの規定通り、恭しく手紙を差し出すと、一礼した後、音もなく立ち去っていった。
 マッドは、ベッドの上に俯せになり、肘をついて上体だけ起こすと、手紙を携えて戻ってきたサン ダウンに、うっそりと笑いかける。

「誰からだ?」
「……封筒には名前は書かれていない。」

 私が開くか、と問うサンダウンに、マッドは手を差し出す。寄越せ、と言うマッドに、サンダウン
は無言で真っ白な封筒を渡した。

「気を付けろ。何が仕込まれているか分からん。」
「手紙に何かを仕込んでたら、それだけで俺を狙いましたって言ってるようなもんだ。」

 それでも、十分に気を付けて封を開き、マッドは手紙に眼を通す。眼を通してすぐに、マッドは意
外だった、と呟いた。それを聞きとめたサンダウンが、何がだ、と首を傾げる。

「ベイリーからの誘いじゃないのか。」

 今日、ボロアパートで見た人影は確かにベイリーの馬丁のものだった。だから近いうちにベイリー
から何らかの接触があるだろうとは思っていた。そして、実際に今日の今日に、マッドへの誘いの手
紙が来たのだが。

「ベイリー本人からの呼び出しじゃないんだ。」
「何?」
「シャーロットからだ。」
「誰だ。」

 突然の登場人物の名前に、サンダウンが怪訝な顔をした。確かに、サンダウンには言っていなかっ
た名前だが、しかし見てはいる。

「アンジェラの妹だ。」
「…………子供の頃、よく遊んだのか?」
「いや………。」

 アンジェラのほうは遊んだ記憶があるのだが、その妹のほうはほとんど印象がない。自分よりも大
分年下だったから、遊ぶこともほとんどなかったと思うのだが。

「ベイリーが何か企んでるのか?」
「………いや、手紙の内容が、俺があのアパートに向かったことを知っているような口ぶりで書いて
ある。アパートで起きた事件について、相談したい旨があると。ベイリーが娘にこんな内容の文面を
書かせるか?家族全体がグルだって可能性もあるにはあるが。」
「ベイリー自身がその手紙を書いた可能性もあるだろう。」
「筆跡が違うような気がするんだが。それに、ベイリーの差し金なら封筒に宛名がないのも妙だ。別
に俺を家に招くことを、誰かに隠す必要もないしな。」

 マッドの眼には、シャーロット本人が、家族に黙ってマッドに送りつけたように思う。尤も、これ
もマッドに娘のどちらかを娶らせようと考えたベイリーの策かもしれないが。
 いずれにせよ、会ってみなければ分からない。

「いつだ?」
「明日の夕方。コンウッド劇場でお待ちしています、だと。」
「……貴族の令嬢が一人で劇場にいけるものなのか?」
「誰か付き人がいるんだろう。それに劇場行き自体は前から決まっていたことなのかもな。ちょうど
劇場行きがあったから、そこで俺と会うことにしたんだろう。」
「ベイリーが、そうなるように仕組んだ可能性もあるだろう。」

 劇場で男と女がいたら、どうなるか。
 けれどもマッドは小さく笑う。

「あんたも付いてくるんだろう?それなのに、どうにかなるもんか。