マッドは、オーブンの前で動かないサンダウンを、呆れたように見る。
  サンダウンが今度こそ中身まで確認して購入してきたダッチオーブンは、改めて小屋の中で確認
 すると、誇らしげに艶やかなフォルムを見せつけてきた。なるほど、それなりの代物を買ってきた
 ようだ、と思っていると、視界の端にドヤ顔をしているサンダウンがいた。サンダウンについては、
 更に視界の端に追いやって、無き者としたのだが。
  マッドに無視されたサンダウンは、ドヤ顔をするのを止め、すごすごと言われた通りに井戸から
 水を汲んでは運ぶ作業に戻った。ぶつぶつと、寒いだとか何だとか零していたが、それは普段あま
 り動いていないからであって、動けばそれなりに身体は暖まるはずである。
  尤も、サンダウンの年齢を考慮して、更年期障害などで血行が悪くなり、身体が温まりにくくな
 っている可能性というのも否めないが。
  だが、サンダウンの血行促進まで考えてやる義理はマッドにはないので、マッドは再びダッチオ
 ーブンに向き直った。
  そもそも、こうして朝っぱらからダッチオーブンと睨み合っているのは、サンダウンの所為であ
 る。
  ずっとクリスマスケーキを要求してきたおっさんが、朝目覚めて開口一番に口にしたのも、クリ
 スマスケーキという言葉である。
  マッドとしては、朝の目覚めの一番に視界に入って来たのがサンダウンと言うだけでも、少々理
 不尽な気がしていたのだが――遡れば、サンダウンと一緒に寝床に入った事も理不尽の極みである
 ――更におはようの挨拶よりも早くクリスマスケーキという言葉を吐かれた時の脱力感は、並々な
 らぬものがある。
  何故、自分がこんなふうにしてクリスマスケーキをたかられねばならないのか。しかも手作りの。
  本当に、今更ながらにそんな思いが頭の中を駆け巡った。
  だが、サンダウンが自分は約定を果たしたと喚けば、それは確かにその通りなのだ。サンダウン
 は、宣言通りに、紆余曲折あったものの、ダッチオーブンを購入してきた。本当に紆余曲折があっ
 たが。
  だが、その紆余曲折をいちいち思い出していては切りがない。それに、マッドはこれ以上メアリ
 ーの事を考える余裕もない――サンダウンがクリスマスケーキと煩いからだ。
  と言っても、マッドはクリスマスケーキ以外にもやる事がある。
  家の掃除だとか、その他のクリスマスの準備だとか。マッドは確かにクリスチャンではあるのだ
 が、けれども特別に神を信じているわけでもない。むしろ鼻先で笑い飛ばす方である。
  とはいえ、そこは恒例行事であるし、それを理由にかこつけて、ワインやらを飲み明かすのも悪
 くはない。酒の肴に、七面鳥でもあれば十分すぎる。クリスチャンらしく魚でも良いが。
  つまり、クリスマスケーキ以外の料理にも、時間を割かなくてはならないのだ。
  マッドが、クリスマスの為に独楽鼠のように働いている間、サンダウンにいつものようにゴロゴ
 ロされるのは、非常に癪である。
  なので、マッドはクリスマスケーキと煩いサンダウンに、お前も働けという意味で、様々な用事
 を言いつけた。特に料理に必要な水汲みは重要な仕事である。流石にサンダウンもそれは分かって
 いたのか、ぶつぶつと文句を言いながらも水をたっぷりと汲んでは桶に入れる作業を繰り返す。
  そして、手早く十分な水を確保すると、マッドの元に戻ってきた。
  戻ってきても、何の役にも立たないのだが。
  その時、マッドは七面鳥に香草を詰めるのを終え、サンダウンが買ってきた一つ目のダッチオー
 ブンに七面鳥を詰め込んで火にかけたところだった。
  ふんふんと匂いを嗅ぐようにして、火にかけられた鍋を見るサンダウンに、マッドは冷たく言う。

 「そりゃあ、七面鳥だぞ。」

  クリスマスケーキではない。
  すると、見る間にサンダウンの肩が落ちた。お前はどれだけクリスマスケーキが食いたいんだ。
  思わず言いかけて、マッドは止める。言ったところでどうせ、お前の作ったケーキが食べたいん
 だと真顔で、返答に困る返事を返されるだけである。

 「………ケーキ。」

  呟く男を横目に、マッドは二つ目のダッチオーブンを取り出し、そちらには万遍なくバターを塗
 る。丁寧にバターを塗るマッドの様子を見ても、サンダウンはぼんやりとしている。このおっさん、
 ケーキが食いたいとか言いながら、ケーキを作る作業に取り掛かったのが分からんのか。
  ぼんやりしている分には、邪魔だが必要以上に邪魔をしないので、マッドはぼけっとしているサ
 ンダウンの手に篩を持たせる。そして篩の下にはボウルを置き、篩の中には小麦粉を入れる。そし
 てサンダウンをがくがくと揺さぶると、篩の眼を通って、小麦粉がボウルに落ちていく。
  やがて、サンダウンが自分で揺れるようになった辺りで、マッドはサンダウンから手を離し、自
 分は卵の準備を始める。
  器用に黄身だけを掬い取り、サンダウンが篩い落とした小麦粉に黄身と砂糖を加えて練り始める。
  それを見て、ようやくサンダウンがマッドが何をし始めたのかを理解したようだ。忙しなく、意
 味もなくマッドの周りをうろつき始める。はっきり言って、非常に鬱陶しい。

   「おい、何もしねぇのなら、どっか行ってろ。」
 「何かする事があるのか?」

  じぃっとマッドが捏ねているケーキの生地を眺めながら、サンダウンが聞く。どうやら、ケーキ
 の傍から離れる気がないらしい。どうしてそんなに執着するのか、と思い、もしかしたら待ち遠し
 すぎているのかもしれない、と思う。
  相変わらず動く気配のないサンダウンに、マッドは小さく溜め息を吐き、もう一つボウルを準備
 し、その中に生クリームと砂糖を入れて、サンダウンに差し出す。

 「暇なら、生クリームでも泡立ててろ。」

  存外に力仕事である泡立てを、マッドはサンダウンに任せる事にした。
  ただし。

 「泡立ててる途中で、勝手に食うなよ。ケーキにつけるもんなんだからな。」

  生クリームを食うな、と釘を刺すのも忘れなかった。





  そして、冒頭に至る。
  生地を入れたオーブンは火にかけられ、膨れ上がる時を待っている。待っているのはサンダウン
 ではあるのだが。 
  サンダウンが泡立てていた生クリームも、角が立つまで泡立てられ、現在は放置されていた。
  じぃっとオーブンを見つめるサンダウンに、見つめたって焼ける時間が短くなるわけじゃねぇぞ、
 とマッドは言う。だが、サンダウンはオーブンを見つめ続ける。

 「あんた、そんなにケーキが待ち遠しかったのか。」

  置物のように動かないサンダウンに、呆れたように言えば、サンダウンがようやく振り向いた。
 いつものように無表情だが、何か思わしげでもある。

 「………久しぶりだ。」
 「何が?」

  唐突なサンダウンの言葉に、怪訝な顔をすれば、サンダウンは相変わらず無表情に、けれども真
 摯に告げる。

 「………こうやって、ケーキが焼き上がるのを、見るのが。」

  途切れ途切れに、しかしだからこそ余計に一言一言に重量がある。微かに垣間見えたサンダウン
 の過去に、マッドは一瞬だけはっとしたが、それが表に出ぬようにやり過ごす。仮にマッドの過去
 が垣間見えた時も、サンダウンは無言でやり過ごすだろうから。
  例えば、昨日の、あの、クリスマスツリーの下で。
  メアリーと別れたマッドの表情は、ヨナカーンの顔をしていなかったか。サンダウンを呆れるよ
 うな眼差しで見ていたが、そこに別の顔が混ざっていなかったか。
  肩越しに、過去が覗いてしまうような。

 「だったら。」

  限りなく普段通りに近い声を出しながら、マッドは何でもない事のように言う。

 「生クリームを塗る役目も、くれてやるよ。久しぶりに塗ってみろよ。」
 「それは嫌だ。」

  サンダウンの顔は、もう、傲岸不遜な男のものに戻っている。
  お前が作る事に意味があるのだと、再び言い始めたサンダウンに、マッドはもう過去を嗅ぎ取る
 事は出来ず、故にマッドも呆れた顔をするしかない。

 「俺は、ケーキなんぞ食いたくねぇんだぞ。」
 「私が、お前の作ったケーキを食べたいんだ。」

  過去の香りもしないままに、傍若無人に言い放つ男は、恐らく過去にこんな言葉を誰かに吐いた
 事はないのだろう。ケーキを強請った事も。そしてマッドも、ケーキを強請られた事は過去にない。
  既に昔の色のなくなった小屋で、ゆっくりとケーキが焼き上がる匂いがした。