マリーはメアリーが連れ去られたと言っていたが、メアリーは半ば自分の意志で母親について行
ったのだ。
メアリーは、自分への折檻を憐れんだマリーとその夫に対しては、何ら特別な感情を持っていな
かった。それは今日に至るまで。特にマリーに対しては、己を出汁にして、母親を殺したのだ。し
かもそれを、やはりメアリーを出汁にして正当化している面がある。
「正当化なんか出来るはずがないのに。」
メアリーがマリーの元に行ってから、母親は毎日のようにマリーの元に通い詰めた。メアリーも
母親が恋しかった。
マリーは折檻こそしなかったが、しかしメアリーを可愛がる事もなかった。母親のように何かを
買ってくれる事もなく、家は質素で着る物でさえマリーの子供達のお古だったのだ。それは西部の
貧しい人間には当然の事かもしれなかったが、メアリーは今まで一度もそんな生活をした事がなか
ったのだ。
母親は折檻したが、メアリーに着る物も食べる物も、平均家庭以上の物を与えてくれた。マリー
の元に行ってからは、それがなくなった。メアリーは、そんな場所から早く母親の元に戻りたかっ
たのだ。
だから、母親と共に逃げ出したのだ。
けれどもすぐに捕まった。
「むしろ、お前は罠だったんじゃないのか?」
マッドは、恨みを募らせた女達の顔を、メアリーの肩越しに見ながら言った。もともと、メアリ
ーを母親が連れ去る事を、マリー達女は見越していたのではないだろうか。そうすれば、メアリー
の母親を探し回り、遂にはこの家に母親が逃げ込んだのだというふうに見せかける事が出来る。
当時、マリー達のした事を知っている人間は大勢いただろうが、外部の人間の眼も一応は欺かね
ばならなかったはずだ。
その為に、わざわざメアリーを連れ去らせたのだ。
大体、その日に限って母親がメアリーを連れ去る事が出来ただなんて、都合がよすぎる。母親が
メアリーを出せと喚いた事はそれまでも分かっていたのだから、もしも本当に警戒するのなら、メ
アリーを一人にしたりはしないはずだ。
きっと、マリーは全てを見越して、メアリーをわざわざ連れ去りやすい場所に置いたのだ。
メアリーも頷く。
「そう。マリーがなんと言ったかは知らないけれど、あたしと母さんがあの家を飛び出してすぐに
あたし達は女に囲まれて、この家に連れて来られた。」
マリーがメアリーを此処で見つけたと言ったのは、真っ赤な嘘だ。マリーが此処にメアリー達を
連れ込んだのだ。
母親は、持ち前の気丈さで激しく暴れて抵抗した。けれども大人数の女達に敵うはずもない。女
達は降り積もった憎しみで――夫を一時とは言え奪われた事、それにより噂の種になった事、人生
を踏み荒らされた事、戻ってきた夫が垣間見せる美貌への執着、疲れ果てた己と欲しい物を全部手
に入れる女、日焼けも皸も知らないその肌――メアリーの母親を苦しめる事になんら躊躇いを抱か
なかったのだ。
むしろ、己の苦しみの一端でも、その倍でも、味あわせてやりたかったのだろう。
「マリー達は、母さんを床に引きずり倒して、金槌を振り上げた。」
手には金槌と、釘が。
両手首と、両足首とへ目掛けて。
「あたしは黙って見ているしかなかったのよ。」
母親が悲鳴を上げる間、床に転がされて、女達の金切り声を聞きながら。母親が折檻以上の事を
されて、殺されていくのを見ている事しか出来なかったのだ。
「母さんが何をしたっていうの。夫を奪われたからって殺すほどの事かしら。元はと言えば、男を
満足させられなかった自分が悪かったんじゃないの。どうして釘を打ち付けられながら、殴られ
て殺されないといけないの。」
「さて…………。」
マッドは白く降り積もった埃を見下ろす。この下に、メアリーの母親の流した血溜まりが、何処
かに隠されている。保安官までもが不徳を働いたが故に、表沙汰にはならなかった事件。それは、
メアリーの母親自身に跳ね返った業でもある。
彼女のしたことは、メアリーの言うように、殺されるほどの出来事ではないのかもしれない。け
れども不徳に巻き込まれた人々の不幸が、その言い訳で目減りされるわけでもない。
一方で、母親の死を見たメアリーの心に焼き付いた何かも消え去るわけでもないし、マリー達の
成した事がなかった事にされるわけでもない。とりわけ、メアリーという目撃者を抱え込んだマリ
ー達の心境は、告発の恐怖が薄れるどころが増す一方だっただろう。
「マリーはどうして、お前まで殺さなかったんだろうな?」
「知らないわ。」
メアリーは素っ気ない。興味もないのだろう。
だが、マッドには薄らとだが想像できた。マリー達がメアリーを殺さなかったのは、母性だとか
そんなお綺麗なものではなく、ただの保身だろう。
もしも母親を殺した事がばれた時に、メアリーまで殺していたら、一時の気の迷いだとかそうい
う言い訳は出来なくなる。そうでなくても子供殺しは世間から見て良くない。だから、危険ながら
もメアリーを殺さなかったのだ。
メアリーを生かしていた方が、殺しがばれる可能性は高いわけだが、しかし一方でばれた時の事
も考える。矛盾を孕みながらもそうせざるを得なかった。
幸いにして、メアリーは心が壊れていたから。何を言っても気が狂っているのだと言い張れる。
いっそ、母親殺しも彼女の罪にしてしまえば良い。
そして、いつかメアリーを殺す機会もあれば。
「あたしはいつ殺されるかと、ずっと思ってたわ。今だって。」
「だから、マリーがバザーに出す鍋に、手首を入れたのか。」
メアリーの眼に宿る光を、狂気とするか理性とするか、マッドには判断できない。いや、メアリ
ーに限らず、マッドは誰かを狂気と正気に分けた事はない。薬で病んでしまったかどうかの判断は
つける事が出来るが、それ以外の境界を見定める事は、マッドには出来なかった。
マッドに分かるのは、悲鳴を上げているかどうかの境界だけだ。
マッドはメアリーから、己の運命を打開したいという悲鳴を聞いた。
「あの手首は、一体何処から持ってきたんだ?」
「マリー達は母さんの身体をばらばらにしたの。誰にも見つからないように。それであの家の中に
隠したのよ。」
寝室の屋根裏に一つの手首を、浴槽の下に足一本を、戸棚の裏側にもう一本の足を、玄関の靴入
れの後ろにもう片方の手首を、胴体は台所の床下に、そして頭はクリスマスツリーの、メアリーが
蹲っていた場所の床下に。
マッドが寝室で見た手首は、朽ちた屋根裏から落ちたものか。
では、メアリーがマリーの鍋の中に入れたのは。
「あたし、あの女達がこの家を封じた時に、こっそりと玄関の鍵穴に粘土を入れたのよ。それで型
を取って。鍵を作ったの。」
この辺りの鍵屋には頼めない。だから行商人に鍵屋がいる時に、こっそりと。マドレーヌやらマ
フィンを持ってバザーに出ていたのも、昔からそうしていたのだという。行商人と話をしていても
怪しまれないようにする為に。
そうやって、長い時間をかけてメアリーはこの家の扉を開いた。開いた扉を閉じなかったのは、
誰かがこの家を荒らして死体を見つける事を望んでいたからだろうか。そんな事しても、自分に全
てを擦り付けられるだけかもしれないのに。
勿論、ある程度の理性のある人間ならば、子供が母親の手に釘を打ち付けるなんてこと出来ない
事は分かるだろうが。その、理性ある人間が来るのを待っていたのか。けれども誰も家の中の死体
に気づかないから。
「玄関にある手首を持ち出したの。」
家の中深くまで入らずに取り出せる死体は、それだった。それでも、ばれないように、時間をか
けてやった。ばれたが最後、マリー達が本気でメアリーを殺しにかかるかもしれない。
だからメアリーは慎重に、執念深く全てを行ったのだ。
その執念深さは、
「正に、運命の打破の為、か。」
マッドは爪先で、埃を蹴り飛ばした。ふわりと一つ、埃が舞い上がった。マッドの黒い眼は、も
はや興味を失ったようで、メアリーを見ていない。
「なら、最後に、お前が望む運命の打破をさせてやろう。」
言ってメアリーの手首をおもむろに掴んだ。